インドラネット

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心にシャワーを(その2)

2018-07-12 01:21:56 | 日記

いつも気悩み事が絶えないんだけど、

困ったな、

と思っている人、多いと思います。

 

私もなかなかうまくいきません。

まあ、自分のことで気に病むということは、ほぼ無いんですけど。

周囲の人達を観察していると

色々あやしい顔つきをしている人が多いようです。

なんだか物言いたげです。

どうやら不満もありそうです。

いったいどんな問題があるのだろう?

と推測はしてみるのですが

わかりません。

ので、

そこで私は気にするのを止めます。

 

私は、いつも周囲に流れる空気の状態を気にしています。

ここはとても澱んで、空気の流れが悪いな、と感じると

この悪い空気を、明るい「言葉」で消し去るべく心がけています。

なんとなく「御祓い」をするような感覚です。

周囲から重く濁った悪い気を祓い、

透明で爽やかな気に置きかえる感じです。

 

そうすると、濁った澱みの中で閉じこもっていた、いろんなものが動き出します。

気の流れも良くなって、時間が動き出すような感じです。

人々の表情も明るくなり、

自由闊達な意見が飛び出すようになります。

流れる水が汚れないように

透明な空気の中では「邪気」は生じません。

 

でも、いつもうまくいくわけでもありません。

人の心は弱いもの。

そして簡単に何かに固執してしまいます。

その結果、苦しみ、怒り、あせり、消極性などが生じます。

毎日、毎日生じます。

だって根っこが変わってないんだもの。

だから、毎日、心にシャワーが必要なんです。

 

今日も中村天風の言葉を読んでみたいと思います。

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  肉体を自分だと思って人生に生きると、そらもう、人が気づかない、恐ろしい影響が余儀なく我々の命の上に働きかける。それは何だというと、肉体を自分だと思って生きて行くと、命の生きる力が衰えてくるんですよ。だから、まず何をおいても、第一に肉体を自己と思うような勘違いは厳格に訂正しなきゃいけませんよ。

  今まではお腹が痛かったりなんかすると、「ああ、私が痛い」と、こう思っていただろ。「私が痛い」という思い方を、今度は天風式にこういう風に考える。お腹が痛いときにだね、第三者のお腹が痛いと同じような気分になってごらん。自分以外の人のお腹が痛いのと同じように、「今、俺の命を生かすために使う、道具である肉体の腹のところが痛いんだ。私が痛いんじゃない。私が生きるために必要な道具のお腹が痛い。」と思えばいいんだよ。

  今までは、洋服にほころびが出来ると、あなた方自身にほころびが出来たように思っただろ。ブラウスの背中のところに穴が開いたとしたら、「あっ、背中に穴が開いちゃった。」と思う。そうじゃない。それは着ていうる洋服に穴が開いたんだから、繕えばいい。

  というふうに、肉体も客観的に考える余裕を持たなきゃいけないのよ。

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囲碁用語に

「岡目八目」という言葉があります。

自分の目で碁盤を見るのではなくて、

横で見ている観客の目で碁盤を見なさい。

そしたら見えないものが見えてくるよ。

という意味です。

ほんと、「自分」にさえ固執しなければ

「本物の自分」、「自由自在な自分」になれるんだけどねえ。