参道の真ん中に春日神社があります。
唐破風の拝殿
大和の三輪山の大神神社から大己貴命を勧請して、創建した。
いわゆる奈良の三輪神社の分霊を祀ってある。
2匹の鳩が、狛犬と戯れています。阿形が寂しそうです。
この狛犬はなんと天明五年(1785)で、220年も座っています。
古いので顔をアップ。鳩は吽形の頭を気に入っています。
境内の天神社(右)と八幡神社(左)
境内の金毘羅神社と厳島神社
境内の恵比寿神社と八坂神社
稲荷神社
阿形の狛犬がいる燈篭、周りには干支の動物が配置されている。
これと対(吽形)の燈篭もあるはずですが、見当たりませんでした。
横には車が頻繁に通ります。
境内には鳥居と燈篭、狛犬、本社がありますが、
まだ、空間がいっぱいあります。
建物には、向背がついています。
祭神は速素盞嗚命 天児屋根命 応神天皇です。
昭和14年の狛犬です。
「つげのじんじゃ」といいます。
神社に参拝するには、名神高速道路の陸橋を渡ります。
陸橋には神社用の欄干がついています。
立派なきれいな社殿です。
由緒に古墳のことが書かれていますが、このあたりには多くの古墳があります。
狛犬は社殿よりは古そうです。あまり見ない顔です。
境内の稲荷神社
この神社を探すのには苦労しました。たまたま見かけた警察官に
尋ねたが地図をもっていなく、分からなかった。大廻してやっと探しあて
ました。高い木があり普通ならすぐ見つけられるのですが。
鳥居と真新しい狛犬と社殿があります。
最近の狛犬ですが、あまり見かけない顔立ちです。
吽形の鼻が阿形にくらべて大きいですね。鼻の影に、目が隠れています。
すこし変わっているので顔をアップします。
社殿です。高皇産霊神と神皇産霊神を祀ります。
建武二年(1335年)、大洪水があり、ここに2神の木像が流れ着き、それを
僧恵慶が祀ったのにはじまる。
稲荷神社
橋に向かって神社の入り口があります。
由緒
1.祭神は武甕槌命 天児屋根命 経津主命 姫大神 安閑天皇
2.天智天皇5年(666) 藤原鎌足の勧請により創建され、安満(あま)神社と称した。
3.12世紀に春日神社と改められる。
4.天正年間に高山氏の兵火によって焼失したが、元和8年(1622)現在の社殿が造営される。
5.明治44年(1911) 大学別所の雲峰神社を合祀して、磐手杜神社と改められる。
夜啼き石
高槻城主永井近江守の老臣長田丈八郎かって当社頭の参拝し奇石を認めて
之を城下なる自己の庭園内に運び置きたるに毎夜
あまえいのう あまえいのう
との啼声ありければ其の霊石たるを知りて再び社頭に返した。
祭神は速素盞嗚命です。旧野中村の鎮守で「かすが神社」とも呼ばれています。
十四世紀の南北朝のころ、冠庄の開発と在地武士の定住に伴い春日社を勧請し、
「冠須賀」としたと言われており、須賀町の由来となっている。
黒っぽい石で作られています。
東海道新幹線と国道170線が交差する付近にあります。鎮守の杜になっていますので、すぐわかります。
阿形が伏せ耳、吽形が立て耳と対比させている。涎掛けも赤と白。
「大阪府の参道狛犬」を見ると安永10年(1781)と江戸時代の狛犬です。
祭神は菅原道真公です。由緒として、
当社は菅原道真公の側室、其の子および公を祀ってある。社伝によれば醍醐天皇の延喜元年公の大宰府左遷の時、側室が臨月であったが、公の後を慕って当地を過ぎる時に、産気をもよおしたが、人家による間もなく輿中で生まれた。従者は輿を担いで民家に入ったが、流血は輿中より道路が赤く染まった。このあたりを「赤大路」というは、そのいわれです。側室は産後のひだちが悪く、当地で死去された。里人の介抱を深く感謝して、死後は婦人安産の神になると誓われたので、村人が社殿を建立し祀った。
社殿の屋根が赤いのも、この謂れに関係あるのでしょうか。
玉取り・子取り 注連縄が巻かれています 美観なので最近のものと思われます。
地元では春日神社や八坂神社と呼ばれている珍しい神社です。春日と八坂の神体が同格なのでしょう。また、よすみ神社の名もあります。どうなっているのでしょうか。
これは春日・八坂どちらの社殿でしょうか
つぎはもうひとつの社殿
台座には天保九年と書かれている。
祭神は大山積大神で、旧村社です。境内より鳥居の景色です。参道の並木が街道のように見えます。
拝殿はコンクリート作りでしょうか。摂津国嶋上郡の式内社である三嶋鴨神社の論社のひとつです。
拝殿前には目が窪んだ狛犬がいます。
奥目の狛犬とは珍しい。阿形は玉を銜えている。
その日の神社巡り最後に訪問したので、きれいな日の入りに出会えた。こんもりした杜にあります。鳥居や燈篭はありますが、社殿や拝殿らしきものは見当たりませんでした。立派な倉庫のようなものに入っているのでしょうか。