コドモ観察ニッキ

6歳3歳の子供達を観察しつつ思うことをつらつらと。

ひらがなグッズ

2006-08-11 06:28:54 | 育児ヨロズ考
ゴロっちもそろそろ4歳。ひらがなを覚えてもいい頃だ。
以前からひらがなグッズは買っていたんだけれど、ゴロっちの興味がどうもいまひとつそっちへ向いていないらしく、自分の名前が書かれているくらいはわかるものの、ひとつひとつの文字についてはてんでダメだ。

さて今日は我が家のひらがなグッズ達をご紹介。

ミッフィーキューブもじあそび(ニチガン)

正方形の板の表に絵、裏にひらがなが書かれているというのがよくあるタイプだけど、これはサイコロ状のキューブの1面に絵(アヒルの絵と「『あ』ひる」という感じ)、他の5面に「あいうえお」が1面ずつ書かれている。「い」「う」「え」「お」も同様なので、「あ」の一文字が5個分ある。全部の文字がそうで、濁点、半濁点の行のキューブもあり、「ー」などの記号や数字もある。

このため、文字を覚えるだけでなく、キューブを使った言葉遊びができるのがメリット。しりとりをしたり、単語の一部だけを隠したり、クロスワードだって出来る。自分の名前を作るのも、例えば太田さんだったら「おおた」だし、苗字と名前に同じ音が入っているだけでも、ふつうの1文字1つしかない50音ブロックでは作れない。でも一文字が5個分あるので、すごく広がりを持った遊びが出来るのだ。

ただ、今のところゴロっちがちーとも興味を持ってくれない(苦笑)
言葉遊びはもうちょっと先かな。ただ、会話での言葉遊びは頻繁にするようになってきたので、もうちょっと気長に様子を見よう。

ちなみにくもんからもこんなものが。
ひらがなキューブつみき(くもん出版)


プラレールひらがなカード(ポプラ社)

相棒実家へ帰省する時、長時間のドライブは退屈だろうと、道の駅で買ったんだけど・・・これが今あるあいうえおグッズの中で一番ゴロっちをひきつけたものかも(^^;)

「あ」はあかしんごう、「い」はE系新幹線・・・終点の「ん」まで47枚のカードが全てプラレールのアイテムで作られているというもの。ああ、まさにうちの子のようなのをターゲットに作られている!判ってるんだけど、子供の食いつきがいいのでつい買ってしまった(笑)

でも、病院など静かにしてほしいときのために普段は出していない。それじゃひらがな覚えられませんよ。だけど家にいるときには見向きもしないしなあ。

ちなみにトミカバージョンもありました。


「あいうえおの本」(安野光雅/福音館書店)

これはまだ買っていないんだけど、図書館で借りて一目惚れして、購入予定の本。

「あ」から「わ」まで、ひとつひとつの文字を、見開きで説明する絵本。左ページに文字、右ページにその文字が頭に来る物の絵、というよくある構成なんだけど、そこは安野光雅、一味違う。

左ページの文字は、木を曲げたりくっつけたりして作られた造形になっている。木目も美しい。さらに、どれもこれも曲がり方が変。エッシャー的な「ありえない図形」になっているのだ。なんとも彼らしい。

右ページは「あ」ならあんパンに蟻がたかっているという感じなんだけど、まわりにさりげなく施された植物や動物などのレリーフが、これまたすべて「あ」から始まるものになっている。朝顔、あざみ、アシカ、鮎、アリクイ・・・そして、文字のほうも、「か」の文字には「かすがい」がはまっていたり、「く」には釘が刺さっていたり、「さ」は桜の木でできていたりと、なんとも芸が細かい!見るたびに細かい発見があって、小さい子だけではなく、小学生くらいまで、いや大人でも楽しめる本。実際私が欲しいわけだし(笑)

欲を言えば、周りのレリーフは白黒じゃなくてちょっと彩色して欲しかったな。モノトーンじゃ分かりにくいものも。


なんでもいいから早く覚えてひとりで本読んでくれ~(ちょっぴり本音)。

サクセスストーリー!

2006-05-19 02:21:41 | 育児ヨロズ考
昨日のニュースなんだけれど。

パート主婦からついに社長 ブックオフ、橋本常務が昇格

全国の主婦の心に希望の光を灯すような(笑)いい話。
テレビでもやってたのを見たんだけど、この人、子育てがひと段落してパート始めて、正社員、店長・・・と駆け上がっていったらしい。

16年前だから、41歳、「パートのおばちゃん」からのスタート。運やめぐり合わせじゃない。どこへ行っても力がある人はそれを発揮できるんだな。
でもやっぱり土壌が新しいってことは良かったのかも。土がいいと種も芽を出しやすい。

はー、私も早く働きたい。
種が平凡だから(笑)、この人みたいに大きくは育たないだろうけど、とりあえず家庭とは違う畑に、「母親」とは違う色の花を育てたいな。

ビジネス教育雑誌?

2006-04-09 01:19:23 | 育児ヨロズ考
今朝、何気なく見ていたテレビで、雑誌のプレジデントFamilyを取り上げていた。
この手のビジネス誌的な色合いの教育雑誌が好調な中、いまダントツで売れてるんだそうな。

で、目次のラインナップみただけでうんざり。はっきりいってベースになっている考え方が嫌い!目次をちらりと見ただけなのでこんなこと書くのもなんだけど、「我が子を頭のいい子に」っていうコンセプトがすごい前面に押し出されていて、まあ潔いと言えば潔いけど、呆れるほどの高学歴志向なんだな。

私たちが子供の頃がちょうどそうで、私もご多分に漏れず中高一貫の進学校を中学受験したクチ。その世代が親になって、社会全体がまた学歴偏重に傾いている。ファッションには周期があって、20年30年後に同じものがまた流行ったりするけど、それと同じで、過去のブームが繰り返している。ゆとり教育が失敗した反動が、高学歴志向へ向かう振り子を加速させているのだろう。

結局この雑誌が言うところの「頭のいい子」って難関校合格という結果が出せる子であって、特集内容も有名中学の在学生のお宅訪問とか、とにかく難関中学合格者に媚を売りまくり。で、雑誌の編集長と、お宅訪問を受けた有名中学合格者の両親とがテレビ出演。その子の合格した中学のラインナップがまたすごい難関中学ばっかり。ちらりと見ただけだけど、10校前後あったんじゃないかな。

でもそんなものリストにしてひけらかして、何の意味があるんだろう?結局どんなに受けてもどんなに受かっても、行ける中学は1校だけ。本当に行きたい1校と滑り止め以外はほとんど無駄なのだ。あとはただ「受かった」という事実が残るのみ。それも5年、10年後には何の意味もなさなくなるちっぽけな事実だ。悪いけど、受かった中学のリストは、なんだか高価なコレクションを陳列しているみたいに思える。あれだけの中学を受験するだけでも相当なエネルギーだったろうに。

中学受験って、自分も受験生として経験したけれど、親子ともにとっても大変なものだ。ほんの一時通過するだけのことなのに、準備だけはいくらでも出来るし、上のほうを狙うにはやっぱりそれなりの時間と手間を掛ける必要がある。それだけに親の方も熱中しすぎて、近視眼的になってしまうんじゃないだろうか。
人生の中でたった一瞬の中学受験というイベントに必要以上に入れ込み、結果を求め、合格校をまるで獲得したメダルかトロフィーのように自慢げに高々と掲げる・・・そんな親、きっといっぱいいるんだろうな。なんだか子供が不憫だ。入学してから燃え尽き症候群にならなきゃいいけど。

AERA WITH KIDSの方は読んでみたいんだけどな。

おなまえスタンプ

2006-03-15 22:53:20 | 育児ヨロズ考
ゴロっちの幼稚園グッズの名前付け用にこういうのを買った。

名前用スタンプは、オーダーのものもあって迷ったけど、ホームセンターで見つけて、ついぱっと買ってしまった。ひらがなは50音全部入っているので、子供の名前付けにしか使わないと、随分無駄が出てしまうけど、別売りでマークもあるので、スタンプとインキだけ買って、ひらがなとマーク部分は数人のママでシェアするのも手かも、と思った。

使い勝手はまあまあ。大き目と小さ目の2通りの文字があって、表裏2種類セットできるようになっている。大きい文字は肌着の襟などに、小さい文字は靴下や鉛筆などの小物に。

アイロンプリントの名前シートは高いので、肌着だの靴下だの細かいものにいちいちつけていると、結構な数になる。幼稚園の間3年間、サイズも変わりながら使うことを考えたら、スタンプの方がずっとお得だ。何より、私のようなめんどくさがりには合っていると思う(笑)

勧誘の嵐

2006-02-02 11:35:39 | 育児ヨロズ考
またまたベネッセからのダイレクトメールがうるさい時期になってきた。2月の申し込み締め切りとやらに合わせてやたらと畳み掛けてくる。

「今ですよ!」
「今始めるとお得ですよ!」
「むしろ今始めないと!」
「あーあ、今始めなきゃ遅いのにねぇ・・・」

まったくうるさーーーーい!

資料を見てても、キャラがしまじろうであること以外にまったく魅力を感じられない。どうせならビデオの内容はぜーんぶ英語、日本語一切なしとかにすればいいのに。日本語英語ミックスでは見てる側はかえって混乱する。わからない言葉があってもいいのだ。その辺はテキストでカバーするなり、保護者向けの解説冊子をつけるなりすればいい。

言葉を覚える時ってのは、簡単な言葉も難しい言葉も理解できないフレーズも全部聴いていくことで蓄積されていくのだ。日本語だって、覚えるときは決して簡単な幼児語だけを聞いてそれだけを覚えていくわけではない。自分に向けられた簡単な言葉の他に、大人たちの喋る難しい言葉も意味のわからないことも、全部シャワーのように浴び、空気のように吸い込んで、今はわからない言葉もフレーズとして記憶の中に蓄積していく。子供のレベルが1だとしたら、子供に対してはレベル10の言葉で接してこそ、子供の力は引き上げられていく。

でも、こうした幼児向けのプログラムって、簡単な「子供の出来る範囲の英語」しか提供しない。子供のレベルが0なら1の、次は2のレベルといった具合。私が気に入らないのはそこだ。レベル1ならレベル1の英語とともに、2も3も5も10の英語も聞かせてやらなければならない。その配分には配慮をするとしても。

ま、こういう教材ですべてをカバーするのが土台無理な注文なんだろうな。いっそこういうものは英語への「導入」だと割り切った方がいい。本気で教えたい人、いまやっている人は、どうかそれだけに頼らず、さまざまな形でレベルの高い英語を生活の中に取り入れてください。たとえばトトロが好きなら英語版のDVD買って飽きるほど見るとかね。あと、インプットだけでなくアウトプットの機会を作ってあげて。

しかし、今まで私は「本人さえやる気になれば中学からスタートする英語だって十分」と言っていたのだけど、現在総合学習で学校ごとに任意に行われている英語学習が、そろそろ小学校から必須科目になるとかいう話もあるし、そうするといま英語をやらせている子達もそうそう無駄にはならなさそうで、ヨカッタヨカッタ。小学校6年間、その子のレベルに合った英語に触れる環境を持続して与えられる家庭はそう多くないだろうから、りんごを「アポーゥ」と言え、「マミィ、アイラブユー♪」と言えた程度でやめてしまったら、はなからやらないのとそう変わりないもんね。

「しかり上手なママになる」

2006-01-25 12:40:03 | 育児ヨロズ考
「しかり上手なママになる」無籐隆(監修)/主婦の友社

「子供を叱ること」をいろいろな方向から考えている本。主婦の友社なので、育児雑誌の読者アンケートから沢山の母親たちの声も豊富に載せられている。「こういう風に叱ってしまう。どうしたらいい?」といったケーススタディもいくつもあって、いちいち「なるほどねえ」と肯かされる。
また、発達別・性格別で叱り方を検証したり、「叩くこと」についてはかなりのページが割いてあり、わが身を振り返させられる。

なかでも、一見の価値があると思ったのは、叱りすぎの原因として挙げられている8つの項目。

1.発達的に無理なことを要求しているのでは?
2.しかってもどうにもならないことをしかっているのでは?
3.しつけを急ぎすぎているのでは?
4.「環境設定」が十分でないのでは?
5.他の子との比較でしかっているのでは?
6.人目を気にするあまり、しかることが多くなっているのでは?
7.効果のない「無駄な」しかり方をしているのでは?
8.子供を自分のイライラのはけ口にしているのでは?

6番目の項目に、「公園などで、ママたちが子供にいちいち叱る必要のない些細なことでもいちいち叱っていて、『私はちゃんと子供を叱れるママよ』というアピール合戦になっているような気がする」というような母親からの声が載せられていて、深ーく肯いてしまった。正直言って私はコレがとーーーっても苦痛で、そのために広く浅い付き合いの公園なんかは苦手なのだ。いつも同じ子と遊んでいれば、母親同士お互いのスタンスはなんとなくわかるし、少々のことは大目に見てゆったり構えられるけど、いろんな人が来る公園ではそうは行かない。かといっていちいち自分の方針を見知らぬ人に説明して回るわけにもいかないし。

この手の本は、著者と考え方の違いが大きいと読むのがかったるいけど、私はこ の先生は「こうすべき!」「こうあるべき!」じゃなく、おおらかなスタンスで、自分自身の考え方とにさほどギャップがなくて、すんなりと読むことができた。

オススメ度:★★★★☆(まあまあオススメ)

一つとして同じ命はないのに

2006-01-23 03:42:44 | 育児ヨロズ考
あのメダカじゃなくちゃ駄目なんだ「モノモライにはゆで卵」より)

うっわあ、なんちゅう泣ける詩・・・さすがやなせたかし。

たとえば光り方が他と違うビー玉だったり、自分が幼虫から育てたカブトムシだったり、大人にはどれも同じに見えるけど、子供にとっては代わりのきかない大切なものってあるんだよなあ。

周りの大人たちは、これがメダカじゃなくて子犬だったとしても、「代わりはいくらでもいる」と笑っただろうか。本当に「メダカなんてどれでも同じ」と思ったのか、それとも泣き止まないやなせ少年をなだめるのが面倒くさくなったのかもしれない。大人はその時時の都合で、小さな命を無造作に使い捨てる。命の大切さを教えることとの矛盾には気が付かずに。

個性のない、どれも同じに見えるものってのは、大人はどの辺りで線引きするんだろう。魚類、昆虫、爬虫類くらいまでは個性を認めなさそう。鳥類、哺乳類なら逆に情操教育として「その個体」に感情移入するように誘導するだろう。子供が可愛がっていた小鳥や子犬が死んだとき、その子が泣きもせず、悲しむそぶりも見せずに「また飼おうっと」と言ったらなんと思うだろうか。親なら叱りとばすに違いない。

どの命だって、その個体の命はたった一つで、それが失われたら二度と同じ個体は生まれない。でも、大人ってのは勝手なもんで、「それがどのくらい哺乳類に近いか」でその価値を決めちゃったりする。哺乳類なら大切で、爬虫類やら魚類ならそうでないなんて、そんな理屈がどこにあるだろう。



でももし自分の子供に、「兎の眼」に出てくる子みたいにゴキブリを可愛がられたら・・・・・・できればそれだけは勘弁して欲しいなあ。

父親のスタンス

2005-12-31 16:03:08 | 育児ヨロズ考
ブログを更新していなかった2週間はなんだか怒涛のような日々だった。毎日のルーチンワークでいっぱいいっぱいなのに、しーが風邪を引いて投薬&吸入の毎日。しかもしーが薬を飲ませるたびに吐く、吐く。どうやっても飲めない。なんだかんだやってる間になんとか直ったけど、いやあ参った。しかも相変わらず夜中は2時間開かずに乳をねだられるし。

そんなわけでなかなか掃除も出来なかったけど、古い本を整理していたら、昨年買った育児雑誌が出てきた。ぱらぱらめくっていたら、広告のページでこんな本が目に止まった。

「二人目の母親になっている日本の男たち」

ええーーっ。それうちです、うち。うちの相棒ばっちりそれですよーーー。



読まなくてもなんとなく内容は想像できるけど、確かに私と相棒が同じような立場になっちゃってるなと感じることはあった。叱るときは同じことを二人で言ってるような。問題だとは思っているのだけど、そうきっぱり言われるとぐっさり。でもちょっと読んでみようかな。

拾い上げるものたち

2005-12-21 06:16:08 | 育児ヨロズ考
リカちゃんハウスは3LDKより
12/15の日記
12/20の日記をどうぞ。

私はたまごっちって今も昔もやったことがないので(今の携帯メールが苦手なのと同じく、小さいものをピコピコいじるのは性に会わないらしい)、なるほどー、たまごっちってそういうものなんだ、と妙な知識を得る。

頑張って並んでゲットしてあげても、与えた後は見向きもしないで子供に好きにやらせておくんじゃ、そりゃダメだわな。この子たちには、お母さんの言葉は重く深く心に沁み込んでいった事だろう。

命の大切さ、なんてことを声高に語らなくても、きっかけはどこにでも転がっているのだ。小さなきっかけに気が付いて拾い上げられる目を持っているかどうか、その違いがあるだけ。

私は小さなきっかけを見逃さずにいられるだろうか。



・・・と書こうと思ったけど、やめた。

私ならどんなきっかけを拾えるだろうか。

便利グッズいろいろ

2005-12-20 10:53:20 | 育児ヨロズ考
以前の日記に書いた、「マンマおしゃぶり」を購入してみた。

で、早速みかんを剥いてしゃぶらせてみると


しゃぶり中。結構長いことくちゅくちゅやっている。

感想。
なかなか良いのではないでしょか。例えば今回のみかん、小袋をそのまま持たせるとつるんと飲み込みそうで目が離せないけれど、これだとべったり見ていなくてもさほど心配ないのがいい。袋をちゃんと剥いて入れてあげないとしっかり吸えないけど、まあ絞って哺乳瓶に入れたりスプーンで一さじ一さじあげるのに比べたらものすごく楽。これから先も、柔らかく煮た野菜をぽいっと入れてもぐもぐさせられるかも。
また、持ち手が大きく、重めに作られていて、口に入れていないときは逆さまにして立てて置いておけるのもいい。

ただ、当然のことながらネットはすぐに色がついてしまうので、いくつも替えが欲しいところ。よく食べさせるものについては、これはみかん専用、いちご専用とかにしたほうがいいかも・・・でも離乳食が進んだらそんなことも言っていられないかな。

ついでに、ゴロっちのトレーニング用箸も購入。
Combi「はじめてサポートおはし





こんな感じ。
ちなみにゴロっちが食べているのはちぎったパン。ま、最初だし、遊び半分(笑)

感想。
これ、サポーターの部分を親指と人差し指の間にはさむようになっていて、実際に持ってみるとわかるけど、正しく持たないと使えない。すごく自然に正しい持ち方になるよう誘導してくれる。いくつか持って試してみたけど、一番しっくり手になじむ感じだった。

お箸を始めて使う頃って、手指のコントロールがまだイマイチ上手くないので、箸を開いて持つことが難しい。特に下側の箸を、親指の腹と薬指で固定しておくのが難しいんじゃないかと思う。この箸はその点、初めから開いた状態なので、まだ不器用な子供でも上側の箸を押さえれば物がつかめるようになっている。それだと必ずしもきちんとした形にならない場合もあるけど(2枚目の写真のように)、握り箸に比べたら雲泥の差。最初は「箸で掴んで口へ運べる」ということの喜びや達成感があればまあ良しとしよう。細かい修正はあとからでもできるだろうし。

ちなみに上達したらサポーターを外して普通の箸として使うことが出来る。

西原式とはなんぞや

2005-12-19 15:10:13 | 育児ヨロズ考
最近ネットでよく「西原式育児」ってのを目にするので、どんなものか調べてみた。

西原式育児のサイト

なるほど納得行くような気もしないでもないような(どっちだ)。
西原式の要点は3つ。

1.離乳食は1歳過ぎてから
2.おしゃぶりを使おう
3.仰向けで寝かせよう

1点目、離乳食については、赤ちゃんの腸の機能の発達から見て、早すぎる離乳食は後々アレルギーの原因となるというようなこと。
2点目のおしゃぶりに関しては、主に鼻呼吸の重要性を主張していて、その一環として鼻呼吸をしっかり身に付けさせるためにおしゃぶりの使用を勧めるというもの。
3点目は、いろいろ書いてあるけどつまり健康のために仰向けで寝ましょうってこと。
大雑把に書くとこんな感じ(詳しくは本家サイトを読んでくださいな)。

3点目の寝方に関してはうちは仰向け基本で寝かせているので(寝ている間に勝手に動くのはしょうがないけど)スルーするとして、問題は1点目と2点目。

離乳食に関しては、確かに疑問はあったのだ。以前に離乳食開始と書いたけど、しーのウンチには食べたものがそのまんま出てくる。ウンチに混じっている食べ物は、口で潰して飲み込んだ、ほぼそのままの状態なのだ。ゴロっちのときも感じたけど、まだまだ消化機能が未熟なんだなあというのは確かに思う。
ものを食べ始めるのが人より半年やそこら遅かったからといって、人生何が悪いわけでもないだろう、その分私がちゃんとした母乳を飲ませるよう心がければいいだけのことだ。めんどくさい事は先送りに・・・という本音は置いといて(笑)、やっぱり避けられるリスクは避けて通ってやりたい。
ただ問題なのは、しー本人がすごく食べ物に興味津々なこと。食べることに興味を持ち始めるその大切な時期を、指を咥えて通り過ぎてしまってよいものか、そこは悩みどころだ。食べることが好きじゃなくなっちゃったら困るんだけどなあ。

ってなわけで、ちょっとだけ西原式を実践することにした・・・といっても普通の離乳食をストップしただけのこと。しーの食への興味を削がないよう、野菜スープはあげているし、果物もみかんなんかをちょっとかじらせている。ただおかゆなどはもう少し遅らせるつもりでいるし、少なくともたんぱく質系統のものは1歳半を過ぎるまでパスしようかなと考えている。それはそれでなかなか大変そうだけど。

もう一つ、おしゃぶりに関して。
おしゃぶり自体の是非として、人間基本的には鼻呼吸なんだから、おしゃぶりなんかに頼らなくても大丈夫という人もいるけれど、一度風邪を引いて鼻づまりを起こすと、どうしても口呼吸になってしまう。すると風邪が治ってもなかなかきちんとした鼻呼吸に戻りづらいのだ。そういうときにおしゃぶりを使ってくれると鼻呼吸に戻る助けになっていいと思うんだけど・・・ただ、おしゃぶりはハマると精神安定剤的に依存してしまうのがどうも好きじゃないんだなあ。また鼻呼吸させるという点ではそれくらいヘビーに使わないと意味なさそうだし。ハマったからって別に体に悪影響が出るわけでもないと思うけど(歯に悪いという人もいるけど、この西原氏のように顎の発達に良いという人もいて、要するに因果関係がはっきりしていない)、こちらも本当に悩むところなんだけど、結局はメリットデメリットを鑑みて、どちらを取るか選択するしかない。
ま、おしゃぶりを使わなくても鼻呼吸へ意識して持って行く方法は他にもあるだろう。重要なのはおしゃぶりという道具ではなく、鼻呼吸をさせるということであって、こちらには異論はないのだから。

結局のところ、私はおしゃぶりはやっぱり使わないだろう。ゴロっちのときもトライしたことはあるけれど、断固拒否されて諦めた。まあ私もおしゃぶり好きじゃないので熱心ではなかったんだけど。ただ、寝入りばなに乳首を噛まれるようになった時だけは、おしゃぶりを使ってくれたらどんなによかったかと思ったものだけど。

こんな感じで、私はどうも中途半端な西原式だけど、ま、いいや。いいとこ取りで(笑)

2つの顔のバランス

2005-12-07 14:39:38 | 育児ヨロズ考
先日なんだか何もやる気が起きなくて、まる一日一切の家事を放棄してみた。洗濯物は溜まり、家の中は汚れ放題、晩御飯も早々にお弁当を買ってきたけれど、幼稚園帰りの息子とのんびり買い物をして、夕食のことを気にせずに図書館で本を選び、家に帰って一緒に読んだ。

主婦業をきちんとこなそうとすると、母親レベルが下がる。やらなければいけないことに追われていると、心の余裕が失われていく。子供の小さなミス、ちょっとした一言にムカッとしたりする。

一人の人間の持っているパワーには限界がある。主婦業では主に物理的なパワーを、母親業には精神的なエネルギーを使うけれど、使う力が別だからといって、毎日毎日主婦業と母親業を両方満足いくレベルまでこなすのは難しいとつくづく感じる。

主婦業を休んだその日、子供たちにはいつになく穏やかに接することの出来た私がいた。主婦業は生活そのものなので、「疲れたら休む」、そんな当たり前のことがなかなか思いつかないけれど、たまにはこういう日があってもいい。

そう思う。

障害レース

2005-11-24 12:03:36 | 育児ヨロズ考
あるとき相棒から、「君はどんどんハードルを増やすよね」と言われた。

ハードル一つのコースをスタートさせて、一つハードルをクリアするとその先にもう一つ、それをクリアするともう一つ・・・と、息子がゴールにたどり着く前にハードルを増やしてしまっている、とのこと。これ、私は無意識にやってしまっているらしい。

言われてみれば確かにそうなのかもしれない。そうなのかもしれないが、例えば「家に帰ったらおやつ食べる!」と帰ってきて、帰ってきたらまず手洗いとうがいをさせて、手を洗いながら「トイレも行こうね」と言う。あららテーブルの上おもちゃだらけ。「おやつ~」はいはい、今出すからその前にちょっと片付けるの手伝って!とか、そんな感じ。そ、それはそんなにマズい事でしたかね。

トイレもまだ自分で出来ない3歳児と、毎日ばたばたと暮らしていると、「やらせなければならないこと」は山のようにある。放っておいたらトイレはおろか、着替えはしない、片付けはしない、ご飯は食べない。ごく当たり前の生活をさせるのに、あれをしろ、これをしろと言わなければならない。私だってそんなこと言いたかないですよ。可能ならば。

物事にはタイミングがある。外から帰ってきて飲み食いした後で手を洗っても意味がないし、トイレなら「今行けば大丈夫だけど、いまからゆっくりおやつ食べて、食べ終わる頃までは持たないかな」という読みもある。別に一つのニンジンで出来るだけ沢山のことをやらせようとしているつもりはないんだけど、やらなきゃならないことって、何故か一気に固まってやってくることが多いんだよなあ。

「自分の目と手で確かめる」ということ

2005-11-17 09:22:40 | 育児ヨロズ考
最近は(といってもここ2~30年ものことなんだけど)、母乳育児が推進されていて、どこでもここでも「母乳がイチバン」と謳われている。

私の周辺の話を総合すると、そもそも戦後、欧米式の育児方法が取り入れられ、また劣悪な栄養状態から人工栄養に頼らざるを得なかった背景もあり、一時期はミルク育児が強く勧められていたそうで、母乳が出るお母さんはわざわざ薬で母乳を止めてまでミルクをあげていたような時期もあったそうな。

でも社会情勢の変化の原因として育児方法が見直されたり、母乳自体の研究も進んだことで、母乳育児が見直されて現在のような母乳礼賛の時代に至るわけなんだけど、ミルクメーカー各社は自社のミルクがいかに母乳に近いかを謳い文句にし、外に出れば病院でも知らない人からもまるで挨拶のように「母乳なの?」と聞かれ、ナンというのかなあ、母乳信仰のような感を持つことも時々ある。

育児のサイトや掲示板なんか見ていると、「母乳が出ない」という人にはわらわらとレスがついて、「母乳でガンバろう!」みたいな雰囲気になってることが多い。それ自体は否定しないけど、その中で出てくるさまざまな母乳育児を後押しする情報―――「1歳まで母乳以外のものは不要」「母乳は毎日味が違うから、ミルクと違って『他の味に慣らす』必要はない」などなど―――について、正直言うと私は「えーホント?」と思っていた部分もある。

しーが生まれてしばらくした頃、夕食を食べ終えてしばらくして授乳したとたんに、火がついたようにしーが泣き出したことがあった。普段と違う泣き方で、おかしいと思いいろいろやってみたけれど泣き止まない。困った挙句に、最後に自分の母乳を搾ってちょっと舐めてみた。するとなんと辛いのだ。その日の夕食はカレー。それまで「母親の食べたものが母乳の味に直接影響する」というのはあまり信じていなかった。だって、母乳は血液から造られる。ってことは、血液の味が毎日違うってことか?
でも百聞は一見に如かず、その日の私の母乳は間違いなくピリリとスパイシーな味がして、それ以来私は母乳に関する半信半疑だった情報も一応は尊重するようにしている。

何で私がそれらの情報を眉に唾つけて読んだり聞いたりしていたかというと、「最初は出なくても吸われるうちに出るようになる」とか「最初は張り乳でもそのうち差し乳に変わる」とか、そういうのは私も自分の実体験から分かっていたことなんだけど、母乳の成分云々のことまでまるで見てきたように言われると、「でもそれって受け売りでしょ」と、ちょっと引いてしまうのだ。

もちろん各家庭に遠心分離機があるわけじゃないんだから、詳細な研究に関しては専門家に任すしかないんだけど、数字なんてあらかじめ持っていきたい結論に都合よく使えてしまう部分もあるわけで、どこまで信用していいものやら迷う。どうも胡散臭いとか、大げさに言いすぎなのでは?と、ちょっと引っかかる時もある。

私たちが持っている知識のうち、自分の五感で経験して得た知識ってどれくらいなのだろう。何かで読んだり聞いたりして、経験せずに得ている知識ってどれほどあるのだろう。判断に迷ったときは自分の嗅覚を信じるしかない。そしてその嗅覚は、普段の何気ない生活、何気なく触れては流している情報の中で磨いていくしかない。無論これは母乳に関してだけじゃなく、ありとあらゆる情報について言えることなんだけれど。

外から入ってくるさまざまなこと。鵜呑みにしないで、少なくとも自分の目と手で確かめられることについては、出来る限り確かめていきたい。自分の五感で掴んだことは、情報としての重みが違う。あの日の辛かった母乳のように。

大切な痛み

2005-11-12 01:13:40 | 育児ヨロズ考
所用で幼稚園に連絡をしたら、「いま連絡しようと思ってたとこなんです」と言われた。何かと思えば、お友達に噛まれたらしい。なんでもブランコの取り合いで喧嘩になり、背中をがぶりとやられちゃったんだとか。

あー、とうとう洗礼を受けたか(笑)
噛まれたのはこちらではあるが、多分ゴロっちのほうが順番守らなかったり割り込んじゃったりしたんだろうなあ。邪推はいけないので、本人には言わないけど、普段の彼を見ていると、その場面は容易に想像できる。

私はこういうことはちっとも気にならない。というか、むしろどんどんやれ~と思っちゃう方。
私といると、危なっかしくていつも側についていて、「ほら、順番守らなきゃ」「お友達待ってるよ」とかなんとか、つい問題が起きないように起きないようにと誘導してしまう。でも、果たしてそれがいいことなのかどうか、私は未だに迷うのだ。

いつもいつも順番守れだの、お友達には優しくだの、おもちゃは貸してあげようだの、いろいろ言っているが、ゴロっちにはあんまり響いていない様子。でも、私が百回「順番守ろうね」と言うより、順番を守らずに友達とする一回の喧嘩の方が、よっぽど身に沁みるのではないかと思う。だからと言って、普段からの言い聞かせが無意味とも思わないけれど。私の口うるさい言葉たちはゴロっちの脳みそに溶けきらずにふわふわ漂っているが、きっと何かのきっかけでちゃんと溶けて吸収されていくだろう。

生きていくために必要なのは自分で問題を解決する力だ。トラブルがあったとき、いつでも側にいてやれるわけではない。むしろ、この先そうでないことの方が圧倒的に増えていく。どんどん喧嘩して、順番を守らなかったことで相手が感じた不快な気持ちや、やられた痛みを体験してほしい。それは私とひっついているだけではおそらく得られない、大切な痛みなのだ。