シルバーピアニスト、で

検索すれば、60歳から始めたピアノで「ラ・クンパルシーター」など20曲がきけます。

ビューティフル 二 重 橋

2009年04月24日 15時13分12秒 | 老いのくりごと
 
 だいぶ陽気も良くなったんで、皇居前広場をカメラかついで三脚片手に
写真撮影のお稽古としゃれこみました。なにしろおすなおすなの二重橋の記念撮影のスポットで20分近くもやれシャッターが2分の1秒だとか絞りは64ぐらいがいいかななんて、ピントは何処に合わせたらヨカッペナなんて、時間がかかるんで、遠慮してわきのほうで撮ったんで柵のあたまが写ってしまったョ。
チョットめざわりだけどま、しかたあんめーな。


富士フィルム PRO 160 使用 絞り64 シャッター2分の1秒 カメラ ウィスター45

蛇足 広辞苑によれば、二重橋とは、橋梁上にさらに橋梁を設けたものとあり
皇居の正門と中門の間に架した鉄橋の通称。
木造時代に橋の上に橋を架けたのでそう云われた。
正門には鉄橋と石橋があり、それを総称する場合が多いが誤り。
と書いてあり、このブログをアップするまで、石橋のほうを二重橋だと思い込んで70年以上も過ぎてしまいましたが、インターネットのお蔭で少しは利口になりました。

大判カメラの駆け出しにしてはマアマアかな?。

二重橋の右手に見えるのが伏見櫓で、皇居で最も美しい櫓(やぐら)と言われており,三代将軍家光の頃に京都の伏見城の櫓を解体して移築されたと伝えられています。


http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/E14.htmここをクリックするとラブユー東京のピアノソロが聞けます。

Sarasate Zigeunerweisen

2009年04月22日 04時02分08秒 | 老いのくりごと


演奏している曲は、ご存じ、サラサーテの、ツィゴイネルワイゼン。

75才を目の前にしてチェロをはじめました。
モノになるか、オジャンになるか見当もつかないけど、とにかくマッシグラに突進するだけ。
ピアノは60歳からはじまってホームページへ20曲ぐらいアップしていますが、そのうちチェロの動画もアップ出来ればおなぐさみ。


http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htm ピアノのほうは、はこちらからアクセス出来ます。

幻の名器

2009年04月11日 01時44分04秒 | 老いのくりごと
1930年頃のイギリス・EMG社製

 イギリスの蓄音機界の鬼才と呼ばれたEMG社の創始者E.M.ジーンは、当時、蓄音機界の主流が電蓄に移行しつつある中、アコースティックはエレクトリックに勝るとの信念をもって、この蓄音器を製作しました。すべて手作りの一品生産で、数ある蓄音機のなかでも「幻の名器」といわれる逸品です。
スピーカーの部分にあたるホーンは直径約73センチメートル、これだけの大きさの理由は、SPレコードコンサートなど比較的広い空間での使用が考慮されているためです。また、一見金属のように見えますが、実は紙の張り子で出来ています。
レコード針は、SPレコードの特徴である柔らかな音色をより活かすために、竹製のものを使用しています。
なお、蓄音機は通常「蓄音機」と表記されますがEMG社では、蓄音機を機械ではなく 楽器 であるとしている為「蓄音器」と表示しています。

以上のような説明がある蓄音器のSPレコードコンサートを聴いてきました。
曲目は、シューベルトの、アヴェ・マリアでしたがまさに幻の名器といわれるだけあっていままでに聴いたことのないような、コンサート会場で聴くような、桜の花びらが春風にゆられて頬をなでるような素晴らしい音でした。
さすが茨城の古河市にある古河文学館ならではのSPレコードコンサートでした、
 子供の頃、戦時中灯火管制のなかで、外に聞こえないようにして、押入れでふとんをかぶって蓄音機を聴いたのが鮮やかによみがえって来ました。

もうかれこれ70年近くも前のことですが。


タイトルを、「満開」?「満月」 どっちにしようかな?

2009年04月09日 20時40分35秒 | 老いのくりごと
 今日は桜が満開と十五夜が一緒なんで、夜桜にすっか、お月見にすっか、迷った挙句、ま、どっちでもよかっぺとなってとにかく一杯やって、写真を撮ってブログにアップしなくちゃ。
ふつうなら、つきにむらくも花に風、がそうばなのに。こんなことは景気とおなじで百年に一度かもしんねえな。



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マウスをあててみてね




たいしたもんだよ、桜田門だよ

2009年04月01日 16時05分24秒 | 老いのくりごと


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↑マウスをあてて


桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)は、安政7年3月3日(1860年3月24日)、江戸城桜田門外(東京都千代田区)にて水戸藩の浪士らが大老・井伊直弼の行列を襲撃し暗殺した事件である。

それを、水戸藩開藩400年を記念して映画化されるそうな。

 佐藤純彌監督は、「映画は、今の人に見せることが大前提。なぜ事件を起こさなければならなかったのかを見直す、考えるきっかけにしてもらいたい。」「原作は20年ほど前に、大変面白く読んでいた。『桜田門外の変』という日本の歴史の中でひじょうに特異な事件を、映画にしてみたいと思った。シナリオについては、現在は脚本家と格闘中です。」と、現在の進行状況や製作にあたっての抱負をお話しいただきました。
また、「2010年3月3日が『桜田門外の変』が起こってから150年。そこを目標に、製作していければ」とのお話もありました。

以上は3月31日撮影、4月1日のアップだけどエイプリルフールにあらず。念のため一筆したため申し候。

http://www.k4.dion.ne.jp/~koya/T1.htmこちらも宜しくクリックして頂きたく候。


おっかさん、ここが二重橋

2009年04月01日 14時01分00秒 | 老いのくりごと
 昔、島倉千代子の、東京だよお母さん、の曲を思い出して、阿修羅展の帰りに二重橋を訪ねてみておどろいた。
みんな、ことばのわからないことを喋っている人ばかり。
2,30分いても日本語で喋っている人はほんのわずか。
ここが二重橋だよお母っかさん、なんてひとことも聞こえてこない。


正しくはこの奥に架かっている橋が二重橋なそうな。


国宝阿修羅像

2009年04月01日 02時54分19秒 | 老いのくりごと
奈良の興福寺から阿修羅様が東京までおいでになられておりますので、一寸お会いしてきました。


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1枚めと2枚目の縦と横のサイズが違うのでマウスを 「左」 からあてて下さい。
阿修羅様は1300歳になられてもお若くて美少年のまま。 あやかりたいものですね。

プロフェッショナルモードでスキャンしたので原稿の絵葉書よりカッコーイイ かな ?

興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記している。 帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶ。

姿は、三面六臂(三つの顔に六つの腕)で描かれることが多い。

奈良県・興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝)や、京都府・三十三間堂の二十八部衆像・阿修羅像(国宝)が有名。

日本語では、争いの耐えない状況を修羅道に例えて修羅場(しゅらば)と呼ぶ場合もある。激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる状況を指す。