今日は家族で魚沼の開山堂に行ってきましたよ。石川雲蝶さんで有名のお寺です。
ここを訪れるのは二回目ですが素晴らしいの一言ですねー。
内部は撮影禁止なので
掲載されているhpから・・・コピペしました。
また石川雲蝶さん紹介もありましたので掲載しておきます。
江戸時代の末に活躍した木彫りの名工、石川雲蝶の作品たちとの出会いは、驚きとともに感動に包まれる。重厚感と迫力、かと思えばモチーフをやさしく表現する繊細さと鮮やかな彩色。その美しさに魅せられ、思わず作品の前に立ち止まってしまうのだ。
...
各地に多くの作品が残されているにもかかわらず、雲蝶本人については謎に包まれている。記録がほとんど残っていないためか逸話も多く、実にミステリアスだ。
雲蝶は文化11(1814)年に江戸の雑司が谷に生まれ、本名を安兵衛といった。石川流の彫物師として知られ、同じく名工といわれた小林源太郎とともに越後へやってきて、三国峠の三国権現社において金剛力士像の競作をしたと伝えられている。その後、三条の酒井家に婿養子に入るのだが、「良い酒と鑿(ノミ)を終生与える」との条件で越後入りしたとの話や、永林寺の作品を残すきっかけが賭け事だったという話もあり、破天荒な人物像が思い描かれる。
雲蝶は凄腕のコーディネーターであり「越後のミケランジェロ」とも称される。作品は木彫りにとどまらず、石の彫刻や襖絵や漆喰、障子など、どれをとっても雲蝶の世界観がダイナミックに表現されている。150年を経てなお人々を魅了する、石川雲蝶の足跡をたどってみよう。
ここを訪れるのは二回目ですが素晴らしいの一言ですねー。
内部は撮影禁止なので
掲載されているhpから・・・コピペしました。
また石川雲蝶さん紹介もありましたので掲載しておきます。
江戸時代の末に活躍した木彫りの名工、石川雲蝶の作品たちとの出会いは、驚きとともに感動に包まれる。重厚感と迫力、かと思えばモチーフをやさしく表現する繊細さと鮮やかな彩色。その美しさに魅せられ、思わず作品の前に立ち止まってしまうのだ。
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各地に多くの作品が残されているにもかかわらず、雲蝶本人については謎に包まれている。記録がほとんど残っていないためか逸話も多く、実にミステリアスだ。
雲蝶は文化11(1814)年に江戸の雑司が谷に生まれ、本名を安兵衛といった。石川流の彫物師として知られ、同じく名工といわれた小林源太郎とともに越後へやってきて、三国峠の三国権現社において金剛力士像の競作をしたと伝えられている。その後、三条の酒井家に婿養子に入るのだが、「良い酒と鑿(ノミ)を終生与える」との条件で越後入りしたとの話や、永林寺の作品を残すきっかけが賭け事だったという話もあり、破天荒な人物像が思い描かれる。
雲蝶は凄腕のコーディネーターであり「越後のミケランジェロ」とも称される。作品は木彫りにとどまらず、石の彫刻や襖絵や漆喰、障子など、どれをとっても雲蝶の世界観がダイナミックに表現されている。150年を経てなお人々を魅了する、石川雲蝶の足跡をたどってみよう。
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