昨日の日経新聞のOpinionを読んでいて思わず笑ってしまった。
冒頭に1925年にノーベル文学賞を受賞したバーナード・ショーの名言がある。
「楽観主義者と悲観主義者はともに社会に貢献する。
楽観主義者は飛行機を、悲観主義者はパラシュートを発明するのだ」
あと、今月の私の履歴書が、囲碁棋士の趙治勲さんである。
以前、小林光一さんが四谷三栄町の木谷道場に触れていたが、趙治勲さんは
平塚には思い入れがあるようだが、四谷はあまり触れていない。
以前の記事はこちら
四谷三栄町の木谷道場
四谷三栄町の木谷道場(その2)
さて、ヨーロッパの中世といえば神聖ローマ帝国なのだろうか。
神聖ローマ帝国、山本文彦、中公新書
古代ローマ帝国の後継国家であり、845年の歴史を有するのだが
「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国でもない」と評された国である。
しかし最近は、EUの統合が進む中で、国民を持たないが多くの民族を統合し、
中央集権的ではないが紛争解決能力を有し、異なる文化を包摂する連邦的な政治組織体だった
と評価されるに至ったそうである。
現在のドイツを中心に、スイス、オーストリア、チェコ、スロバキア、オランダ、ベルギー、
ルクセンブルクを含む地域である。
本書では二つの視点、一つ目は皇帝と教皇の二つの焦点を持つ楕円的統一体、
二つ目は人的関係に依存した「開かれた国制」と制度化していく「凝集化」、
を設け、神聖ローマ帝国の歴史を複合的かつ重層的に描いている。
章立ては
序章 神聖ローマ帝国の輪郭
第1章 ローマ帝国の継承者 -神権政治の時代
第2章 金印勅書と七選帝侯 -皇帝と教皇の対立の時代
第3章 両ハプスブルク家の黄金期 -帝国国制の制度化の時代
第4章 宗教対立と三十年戦争 -宗派の時代
第5章 ウェストファリア条約 -皇帝権の復興の時代
第6章 帝国の終焉 -多極化の時代
終章 神聖ローマ帝国とは何だったのか
最初の頃は、東フランク王国の国王が選ばれ、その後、皇帝に選ばれるという手順である。
場所はアーヘン(現在のドイツ西部、国境付近)である。
その後、皇帝戴冠はローマで教皇により行われるようになる。
で、教皇と皇帝はどっちが偉いんだと「カノッサ事件」が起きる。
世界史の教科書にはカノッサの屈辱とあった。教皇が勝ったとする見方と、
最終的には皇帝が勝ったという正反対の二つの見方があるそうだ。
著者の分析は、皇帝ハインリッヒ四世の行動は、和解のための儀礼であり、
皇帝がそのような行動を立った場合、教皇は受け入れるしかなかった、と。
従って、この時は暫定的な妥協が成立しただけ、というものである。なるほど。
この後、皇帝は教会の支配者ではなく、教会に世俗的権利を与える立場となる。
宗教的秩序と政治的秩序の分離である。
王を選挙で選ぶのはゲルマン時代からの慣習だが、誰が投票権を持つのか。
選帝侯が誕生し、1356年の金印勅書で七名の諸侯に確定する。
そしてハプスブルク家が登場する。スイスの弱小貴族が勢力を拡大する。
婚姻政策の幸運に恵まれたのだ。
東方ではオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼし、神聖ローマ帝国が対峙することになる。
また宗教改革後も宗教平和令以降しばらくは平穏だった。が三十年戦争になる。
プラハ城窓外放擲事件(皇帝の代官と書記三名を窓の外に放り出したが、三名とも無事)が
発端だそうだが、う~む、避けようと思えば避けられたようにも思える。
戦場は北ドイツに拡大しデンマーク王が介入し、その後、スウェーデン王グスタフ・アドルフが
ドイツに上陸する。スペインは皇帝軍を支援し、対抗するフランスが介入する。
戦争は1618年から1638年まで続くのだが、途中で何度も終わられる試みは失敗する。
最終的にウェストファリア条約が結ばれる。平和を再建するキーワードは四つ。
「永遠の忘却」「赦し」「友好的妥協」「裁判」
著者は「この実現が難しいことを後世に生きる私たちはよく知っている」と記している。
神聖ローマ帝国の歴史を知ると、今のドイツが分権的な連邦である理由がよく分かる。
EUの、権限が有るような無いような形態も、ヨーロッパの人達には受け入れ易いのかも
しれない、そんなことを思った。
では。
冒頭に1925年にノーベル文学賞を受賞したバーナード・ショーの名言がある。
「楽観主義者と悲観主義者はともに社会に貢献する。
楽観主義者は飛行機を、悲観主義者はパラシュートを発明するのだ」
あと、今月の私の履歴書が、囲碁棋士の趙治勲さんである。
以前、小林光一さんが四谷三栄町の木谷道場に触れていたが、趙治勲さんは
平塚には思い入れがあるようだが、四谷はあまり触れていない。
以前の記事はこちら
四谷三栄町の木谷道場
四谷三栄町の木谷道場(その2)
さて、ヨーロッパの中世といえば神聖ローマ帝国なのだろうか。
神聖ローマ帝国、山本文彦、中公新書
古代ローマ帝国の後継国家であり、845年の歴史を有するのだが
「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国でもない」と評された国である。
しかし最近は、EUの統合が進む中で、国民を持たないが多くの民族を統合し、
中央集権的ではないが紛争解決能力を有し、異なる文化を包摂する連邦的な政治組織体だった
と評価されるに至ったそうである。
現在のドイツを中心に、スイス、オーストリア、チェコ、スロバキア、オランダ、ベルギー、
ルクセンブルクを含む地域である。
本書では二つの視点、一つ目は皇帝と教皇の二つの焦点を持つ楕円的統一体、
二つ目は人的関係に依存した「開かれた国制」と制度化していく「凝集化」、
を設け、神聖ローマ帝国の歴史を複合的かつ重層的に描いている。
章立ては
序章 神聖ローマ帝国の輪郭
第1章 ローマ帝国の継承者 -神権政治の時代
第2章 金印勅書と七選帝侯 -皇帝と教皇の対立の時代
第3章 両ハプスブルク家の黄金期 -帝国国制の制度化の時代
第4章 宗教対立と三十年戦争 -宗派の時代
第5章 ウェストファリア条約 -皇帝権の復興の時代
第6章 帝国の終焉 -多極化の時代
終章 神聖ローマ帝国とは何だったのか
最初の頃は、東フランク王国の国王が選ばれ、その後、皇帝に選ばれるという手順である。
場所はアーヘン(現在のドイツ西部、国境付近)である。
その後、皇帝戴冠はローマで教皇により行われるようになる。
で、教皇と皇帝はどっちが偉いんだと「カノッサ事件」が起きる。
世界史の教科書にはカノッサの屈辱とあった。教皇が勝ったとする見方と、
最終的には皇帝が勝ったという正反対の二つの見方があるそうだ。
著者の分析は、皇帝ハインリッヒ四世の行動は、和解のための儀礼であり、
皇帝がそのような行動を立った場合、教皇は受け入れるしかなかった、と。
従って、この時は暫定的な妥協が成立しただけ、というものである。なるほど。
この後、皇帝は教会の支配者ではなく、教会に世俗的権利を与える立場となる。
宗教的秩序と政治的秩序の分離である。
王を選挙で選ぶのはゲルマン時代からの慣習だが、誰が投票権を持つのか。
選帝侯が誕生し、1356年の金印勅書で七名の諸侯に確定する。
そしてハプスブルク家が登場する。スイスの弱小貴族が勢力を拡大する。
婚姻政策の幸運に恵まれたのだ。
東方ではオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼし、神聖ローマ帝国が対峙することになる。
また宗教改革後も宗教平和令以降しばらくは平穏だった。が三十年戦争になる。
プラハ城窓外放擲事件(皇帝の代官と書記三名を窓の外に放り出したが、三名とも無事)が
発端だそうだが、う~む、避けようと思えば避けられたようにも思える。
戦場は北ドイツに拡大しデンマーク王が介入し、その後、スウェーデン王グスタフ・アドルフが
ドイツに上陸する。スペインは皇帝軍を支援し、対抗するフランスが介入する。
戦争は1618年から1638年まで続くのだが、途中で何度も終わられる試みは失敗する。
最終的にウェストファリア条約が結ばれる。平和を再建するキーワードは四つ。
「永遠の忘却」「赦し」「友好的妥協」「裁判」
著者は「この実現が難しいことを後世に生きる私たちはよく知っている」と記している。
神聖ローマ帝国の歴史を知ると、今のドイツが分権的な連邦である理由がよく分かる。
EUの、権限が有るような無いような形態も、ヨーロッパの人達には受け入れ易いのかも
しれない、そんなことを思った。
では。