ハッピーエンド

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あとは、日々色々・・・

HE例会 奈良旅行へ ③

2010-06-23 23:16:26 | おでかけ
平城宮会場は、広い広い・・・
でも、間は何も無い
朱雀門から、第一次大極殿までは直線1km
その途中に、近鉄電車が通ります。



近鉄の踏切を越えたところから、はるか向こうに大極殿
雨でかすんでいますが・・・
この時は、やんでいました。



南門にやっと見えてきました。
これは、年寄りは遠いわ・・・



南門前広場なのですが、草の生えた空き地です。



横に、道がついているので、それに沿って歩いていきます。



ハートフルトラム
これは、お年寄り障害者の為の乗り物なのですが、すご~~くゆっくりなんです。
私達の間で、通称「ちんたら」
「ちんたら」が来~たって言ってたんです。

前を通った時、近くの人が「これに乗れるの?」って聞いてたんです。
「今日は空いてるから乗ってもいいよ」って・・
でも、駅(踏切越えた所です)からです。



南門から、朱雀門を見る(遥か向うだ)



大極殿・・儀式を行う所
第一次大極殿(だいごくでん)は、奈良時代前半に、平城京の中軸線上に建てられた平城宮の中心的建物で、天皇が様々な国家儀式を行う施設でした。「大極」(太極)とは宇宙の根源のことで、古代中国の天文思想では北極星のことで、古代中国の天文思想では北極星を意味します。大極殿は和銅8年(715)には完成していたと考えられます。

第一次大極殿の姿を直接に示す資料は残っていません。復原に当たっては、大極殿が移築された恭仁宮(くにのみや)の大極殿跡の調査成果などを参考に、柱の位置を推定しました。上部の建物については、現存する法隆寺金堂や薬師寺東塔などの古代建築を初め、平安時代の「年中行事絵巻」に描かれた平安宮の大極殿などを参考に調査研究を行い、当時の姿を復原しました。大極殿は、二重構造の入母屋造りで、前面は扉の無い吹放しの建物と考えられます。




大極殿の仕様

大きさ
東西・・・・・・・約44.0m(9間)
南北・・・・・・・約19.5m(4間)
高さ(棟高)・・・ 約27.1m(基壇高さ約3.4mを含む)
木材・・・・ヒノキ・ケヤキ
屋根瓦・・・約10万枚
平成13年、着工
平成22年、完成




横の塀



欄干の頭に色々な色の石が・・




天皇の座る所



大極殿の前面、塼(古代のレンガ)を積んだ高さ約2.4mの擁壁の下の広場が内庭です。
大極殿で行われる国家儀式の際には、ここに貴族が立ち並びました、内庭は築地回廊で囲まれていましたが、その南辺中央に門が開き、饗宴などをおこなう中央区朝堂院へとつながっていました。






鴟尾(しび)
屋根の一番上(大棟)の両端につける鴟尾(しび)。平城宮大極殿でも恭仁宮大極殿でも出土していませんが、当時、格の高い建物には通常、鴟尾をのせていました。
元々無かったとは考えにくく、鴟尾が金属で作られていたため。溶かされて再利用されたため残らなかった考えられます。
高さは、平安宮大極殿のために造られたと想定される鴟尾をもとに約2mと考えました。




身舎天井板(しんしゃてんじょういた)と支輪板(しりんいた)には蓮の花をモチーフと
した彩色画がえがかれています。
奈良在住の日本画家 上村敦之(うえむらあつし)氏により原画が作成されました。






飾り金具(補強の役目も)



第二次大極殿の跡





役所





遺構展示館



発掘で見つかった遺構をそのまま見れます。



井戸



鬼瓦



基礎石

東院庭園











朱雀門に戻ってくると閉門の儀式が終わりかけてました。



閉りま~~す



退場

大極殿ははるか向こうに



良く歩きました。

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