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~History of YAMATON・番外編~ヤマトンと70年目の新宿直通の電車

今回は私が創作している??歴史小説「History of YAMATON」の特別編を書きたいと思います。

この「History of YAMATON」に登場するヤマトンは大和村の前身の旧鶴見村の分村運動を調停する為に水源地(泉の森)の龍神により平和と正義の守護者として、1891年(明治24年)の8月8日に誕生。
その後現代まで130年余をヤマトンは大和の人達と一緒に激動の時代を生き縦横無尽に活躍してきた。という私のオリジナルな設定によるものです。

この創作のヤマトンは森年齢で4~5歳と言っても人間の数え方では128歳(2019年12月時点)ということになりますね。

History of YAMATONは全9部作の大長編の構想で果たして書き上げることが出来るのか、大変に自信がないですが今回はその中で「エピソード4・進駐者達」(仮題)の時代から番外編として、ヤマトンと相鉄の新宿直通列車のエピソードを書いてみました。



2019年11月30日、大和を走る相鉄線の電車がJR線への直通運転をスタート。新宿まで直通の電車が走るようになった。巷では「相鉄(相模鉄道)100年の悲願の都心直通」とも評されるほどであった

相模大塚駅から新宿まで直通の電車が走るようになると聞いたヤマトンは12月のある日、直通電車に乗って新宿経由で東京都心に遊びに行くことにしたのだ。

相模大塚駅にやってきたヤマトンは改札の駅員と挨拶を交わす。
「駅員さんおはよう」
「おや?ヤマトン、おでかけかい??」
「新宿まで直通の電車が走り始めたと聞いて新宿に行くんだ」
「次の新宿行きは9時22分発だよ。15分待ちぐらいだね」
「わかったよ。ありがとう」
ヤマトンはそう言ってホームに降りていった。

上草柳の泉の森にあるヤマトンの家から一番近いのが相模大塚駅だ。もっとも相模大塚駅よりも先に出来た鶴間駅もそんなに遠くはない。
最寄り駅の縁もあって昔からヤマトンと相模大塚駅の駅員とは顔見知りだ。かっては貨物輸送もあって10人以上はいた駅員も今は少ない。

ホームで電車を待っていると知り合いに声をかけられる。長く生きていると知り合いも多いものだ。
「ヤマトンお出かけかい??」
「そうなんだ。直通の電車が出来たから新宿まで行こうと思うんだ」
「ヤマトン??そっちは海老名方面のホームだよ。新宿行きはこっちのホームだよ」
「僕は大和駅や横浜駅乗換じゃなくて直通の電車で行くんだ」
「だからヤマトン、直通の電車は横浜方面のホームに来るんだよ。ほら・・・」と案内表示機を指さす。
「あれ???こっちのホームなの?」
ヤマトンは狐につままれたような不思議な気分で新宿行きの電車に乗り込んだ。

相模大塚駅から新宿まで直通の電車で行く。実はヤマトンにとっては今回が初めてではなかったのだ。それは実にいまから70年前のことである。


昭和20年8月15日に長い戦争が終わった。3年前に出来たばかりの厚木飛行場には日本軍に代わって今度はアメリカ軍がやってきたのだ。
そして飛行場から近い相模大塚駅周辺には米兵相手のバーやキャバレー、そして米兵目当ての夜の女の住むアパートがどんどん建ち始め街が発展し始めた。

~昭和24年(1949年)~

当時のヤマトンは近所の人に頼まれて農作物などを相模大塚のバーなどのお店に配達するお手伝いもしていた。時々に近所の人などに頼まれて、農作業を手伝ったりちょっとしたおつかいをして、お礼のお供え物やお小遣いなどを貰う。そんな生活が妖精であるヤマトンの日常だった。

そんな縁で米兵相手のバーにも出入りすることになったヤマトンはある米兵と知り合い意気投合した。彼はジョンストンという名だった。妖精であるヤマトンに言葉の壁はあまり関係ないのだろう。
多くの米兵が余暇を夜の女との遊びに費やす中で彼は違った。カリフォルニア州出身で兄を沖縄戦で亡くしているというジョンストンは、バーで静かに飲むのが好きなようだった。
「戦争は人と人が殺しあうことだけが悲惨なのではない。残された多くの人に悲しみを与えることもまた悲惨さなのだ」
戦争中、街を焼いて深い爪痕を残した敵軍の米兵も鬼ではなく普通の人間だったのだ。そして多くの悲しみを抱えている。ヤマトンは改めて戦争の悲惨さや愚かさを思ったのだ。

そんなある日、ジョンストンに誘われてヤマトンは一緒に東京に遊びに行くことになった。相模大塚駅で待ち合わせると、ジョンストンはロバートという米兵の男を紹介した。
「ロバートは俺の友達なんだ。東京に行くと言ったら一緒に行きたいと言うんで連れてきた。変わり者だが仲良くしてやってくれ」
「おいおい、ジョンストン、お前も相当変わりものじゃないかhaha」

ヤマトンが切符を買おうとすると彼らは「haha・・ヤマトンは真面目だな。きっぷは要らないぞ。軍が後でまとめて払うんだ」と改札をそのまま進んでいく。
ヤマトンが戸惑っていると駅員は声をかけた。
「ヤマトン、今日はきっぷは要らないよ。気をつけて楽しんでおいで」
と送り出してくれた。

そうして彼らが乗ったのは車体に白帯を巻いた進駐軍特別列車と呼ばれる特別な電車だった。新宿行きの1両編成の小田急電車。電車は海老名駅で方向を変えて小田急線を新宿を目指して走っていった。
今まで相模鉄道の汽車や電車は横浜や海老名にしか行かない。東京に行くには乗換えだったのが、乗り換えなしで新宿まで行ける。新鮮な感覚だった。

この日、ヤマトンたちは戦争の爪痕がまだ残るものの復興に向けて立ち上がる東京を見物して遊んだ。上野や浅草、銀座。ヤマトンにとっても久しぶりの東京は爪痕に思うところもありながらも楽しい一日だった。
夜になり三人は小田急線の新宿駅から再び横浜行きの白帯の特別な電車に乗って相模大塚に帰ったのだ。

翌年に朝鮮戦争が勃発。戦略上の拠点となった厚木飛行場は活気づき基地の街として大和の都市発展の起爆剤になった。そしてヤマトンと親しくなったジョンストンとロバートの2人、彼らは激戦の地に出撃していったのだ・・

それから70年後の現代:令和元年(2019年)
ヤマトンは相模大塚駅から新宿行きの直通電車に乗った。70年前とは違い相模大塚駅から横浜方面に走り途中の西谷駅から新宿を目指す新しい線路だ。
この日の東京の街、立ち並ぶ高層ビル達や冬の街に輝くイルミネーションなどを見ながらヤマトンは70年前の東京と今はもうこの世にいない友達たち、ジョンストンとロバートの2人、そして過去に出会った大勢の人達や色々な出来事を思い出す感慨深いものだった。

もちろんあれからもう百回、いや二百回は用事や遊びで東京に行っている。その時代時代ごとに変わりゆく街並みも見てきている。しかしこの日は特別な一日だった。ここまで過去の思い出に浸った1日というのものも久しぶりだ。
新宿からの帰りは相鉄線への直通電車には乗らず小田急の新宿駅に向かった。そして海老名駅を経由して相模大塚駅に戻ってきたのだ。70年前のルートをなぞりながらの家路はヤマトンにとって味わい深いものであっただろう。


【解説】
相鉄100年来の悲願とも評される相鉄線の都心直通電車の開業。
実は当時を記す資料などによれば、実は終戦後の一時期、横浜から海老名を経由して新宿に向かうかなり変則的な形態で直通電車が運転されていたようです。
当時は進駐軍専用列車として1~2両編成の電車が1日上下合わせて10本程度が運転されたとする資料もあります。当時は横浜と座間(相武台前)を行き来する米兵が多くその為の直通運転だった模様

この列車、進駐軍専用列車なものの、当時の相鉄係員の回想談などによれば「米兵の家族も乗れた。証明書を発行して・・のような厳格なものではなく、米兵や家族は無賃乗車のごとくフリーパス状態(運賃は軍から鉄道会社に直接支払われていたらしい)」「暗黙で日本人も2等運賃(現代でいうグリーン料金)を取って乗せていた」などのエピソードもあるようです。

参考文献ー大和市史研究第25巻

ジョンストンとロバート:「Histroy of YAMATON」の創作の架空の人物。本編では他にもヤマトンとのエピソードがあります。

2019/12/17 22:13(JST)
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