何年か厳しい生活が続いていましたが どうにも生きずまり
浄瑠璃を辞めてしまいました
数年間いろんな仕事に就きましたが 長続きしませんでした
東京駅で文楽の綱太夫師匠に出会い 豊竹師匠が病に倒れ
そう長くない命であり 兄を探していた所だと聞き
すぐに会いに大阪へ 一週間後に師匠は逝去された
毎日やるせない気持ちで過ごしているところ 文楽から戻って
来るようお誘いがあったが 過去の厳しい生活を思い二の足を踏んでいた
そんな時歌舞伎に入らないかと 君太夫さんからお誘いがあった
竹本の研修生となる
着々と力をつけ歌舞伎座で義太夫を語るようになった
42歳で歌舞伎界に入り 78歳まで好きな義太夫を語り
役者さんや沢山のフアンの方に支えられて本望だと思います
兄竹本清太夫を支えて下さった方々に感謝申し上げます
竹本さんと共通の知り合いでもあるマスターがやっていた池袋の飲み屋さんで二度ほどご一緒させていただきました者です。
お会いしたのが偶然『研辰の討たれ』を拝見した翌月だったりしたこともありました。
闘病生活をされていたことをブログで知っていましたが、先ほどご逝去を知り残念な想いと寂しい気持ちでいっぱいです。
そのお店のマスターは昨年夏に亡くなられ、そのことをお知らせするお知らせも返ってきてしまいました。
竹本さんのおだやかなお人柄、忘れられません。
ご縁を感じコメントをさせていただきました。
どうぞお気落としなきよう、お体を大切におすごしください。