寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

「ガロ」とロック。

暫くは引越しやら、医者通いやら、警察から連絡があったりして、更新が出来ません。皆さんのblogにはお邪魔させて貰いますので、宜しく御願い致します。

真救世主傳說 北斗の拳-トキ伝《花守の丘》【詳細に歌詞付き】

普段は余りこのblogを見ない人でも、動画とか観てくださいね。宜しく御願い致します。

小樽文学館で「ガロ展」開催中

私が「ガロ」と出会ったのは1970年代の半ばだった。「ガロ」は創刊当時は対象年齢を小学校の高学年から中学生ぐらいに設定していたのだが、次第に大学生に読まれる様に成っていった。戦後の漫画を大別すると、手塚治虫を代表とする児童漫画と白土三平を代表とする貸本漫画に分かれる。児童漫画は明るく、前向きで、ヒューマニズムに溢れていた。それに対して貸本漫画は暗く、ささくれ、時に荒々しい。犯罪や貧困、不条理が描かれていた。私は貸本漫画に付いては殆んど知らない世代だ。ただ近所の商店街に貸本屋があってのぞいて見たら、店主が、貸本を買わないかと言ってきた。一冊百円で良いと言う。それで初めて貸本漫画のことを知った。小学生の頃だ。昔は一冊十円ぐらいで貸していたらしい。ガロの編集長、長井勝一によれば貸本漫画を支えていたのは学生というより、零細工場などで働く労働者や商店で働く店員が多かったと言う。「ガロ」はそのうち全共闘世代の学生が良く読む様になった。私は小学生の頃、隣の同級生の家がアパートを経営していたので。友達に誘われてよく入居人が、主に大学生だが、学生が夏休みで帰省した時など。その学生の部屋に入り、ラジカセでその学生が持っているステレオからレコードを録音させて貰っていた。色々と録音させて貰ったが、殆どがビートルズとローリング・ストーンズだった。私の家も下宿をしていたが、私は初めのうちは北海道から来た大学生のお兄ちゃんの部屋に入り浸り、テレビ番組「キイ・ハンター」やら「あしたのジョー」などを14型のモノクロTVで見せて貰っていた。他に「佐武と市捕物控」などのアニメを見させて貰っていた。その大学生は「ガロ」と「COM」を読んでいた。「COM」が創刊されたのは「ガロ」の後の1967年だった。「COM」は手塚治虫が中心だった。「ガロ」が貸本漫画から生まれたのに対し「COM」は戦後の漫画誌「漫画少年」の流れを汲んでいた。トキワ荘に集まった児童漫画を目指す漫画家たちが「COM」の主流だった。私は「ガロ」では白土三平、つげ義春などを知った。「COM」では真崎守、永島慎二などを知った。「ガロ」は土着的で「COM」はモダニズム的だった。しかし読む方はあまりそうしたことは気にせず両方とも読んでいたと思う。実際自分もそうだった。「ガロ」に描いていた漫画家が「COM」に書いたし逆に「COM」でデビューした漫画家が「ガロ」に登場したりしていた。新宿には若者が集まるようになり「ジャズ喫茶」やらの音楽喫茶は芸術好きの若者の溜まり場となった。音楽。美術。映画。演劇。そして漫画。新宿は新しい表現方法を求める若者で溢れかえった。大げさに言えば、芸術家が集まったパリのシャンゼリゼみたいなものだった。小学生の頃は大学生に人生勉強を教えてもらったんだけど、中学になるとロックのレコードを買い出し、ステレオは家には無かったが、友人宅にはあったので、よく持ち寄ってラジカセに録音させて貰っていた。その友人の家は裕福で、月にロックのレコードを5枚ぐらいは買っていた。私は中学時代は馴染みの近所のレコード屋で、店主から君は中学生だから月々三百円ずつの月賦払にしてあげるよと言われて、そこからレコードを買っていた。買うと言っても早々は買えず、2ヶ月に1枚だったけど、初めて買ったのはグランド・ファンク・レイルロードのベスト盤だった。他にビートルズの「ホワイトアルバム」。レッド・ツェペリンの「聖なる館」。ディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」。ピンク・フロイドの「狂気」などを買った。当時、ロックの番組がTVで夕方4時から45分間放映されていて、私は毎週、ラジカセにテレビのイヤホン・ジャックから録音していた。あとラジオの深夜放送で毎週木曜になると、ロック番組が夜の12時から4時まで放送していて、それも夜中にラジカセに録音していた。ロックは小学校3年生から聴いていた。中学では漫画研究会に入っていた。その当時の先生が、可也な音楽通でロックやらブルースを聴いていた。よく先生の家に遊びに行ったが、その先生は独身で家にはレコードがズラリと並んでいた。その先生の影響もあって、ロックの他にブルースも聴き始めた。先生の部屋には「ガロ」が積み上げられていた。話がそれたので元に戻すが「ガロ」に掲載された漫画は、前衛的でどこか私的な作品が多いので映像化されやすかった。白土三平は大島渚がATGで「忍者武芸帳」を原画を制止したモンタージュで構成して撮った「劇画シネマ」なるものを発端として「カムイ外伝」を崔洋一が松山ケンイチ主演で映画化した。石井輝男監督はつげ義春の「ゲンセンカン主人」「ねじ式」を撮った。石井輝男の場合は、娯楽性に富んだアクションが核にあるカルト作品を生み出す監督で映画のリズムはジャズだ、つげ義春は、シュールでアヴァンギャルド、一見接点がなく見えるが石井輝男に言わせると、昔からつげ義春のファンだったそうで、メジャーでは撮れなかった題材だけども、インディーズでは撮れるということで念願の映画化となったそうだ。つげ義春の漫画は竹中直人も映画化している。監督デビュー作の「無能の人」だ。ちょっぴりブラックなユーモアをまぶしながら、ほんわかとしたホームドラマとして撮っている。芸能人のゲスト出演もあり、なんと鳥男を映画監督の神代辰巳が扮している、他に友情出演として原田芳雄も顔を出している。つげ義春の映画といえば、他に「リアリズムの宿」がある。これは「リアリズムの宿」と「会津の釣り宿」の2本の原作をまとめて、古びた温泉地を貧乏旅行する様子を描いたロードムービーだ。また、鈴木翁二の代表作「オートバイ少女」がある。監督はフォークシンガーのあがた森魚で1994年に映画化した。制作は「ガロ」の青林堂。配給はガロシネマだった。ガロ初の自主制作映画だ。NHKでも1970年代に、つげ義春の「赤い花」がドラマ化されている。最近になってこのドラマは再放送されたので知っている方も居られると思う。このブログでも過去に動画を挙げていますが、又挙げておきます。

紅い花 つげ義春

ねじ式 つげ義春 1968 Screw Style

高校受験の時、初めは塾に通っていたのだが、そこの講師として来ていた大学生の女の子に勉強を教えて貰う事になり、家に来て貰って居たのだが、何せ相手は女の人なので、少し照れていた。中学の同級生からは「いいな〜」と揶揄われたが、今と違って何しろ思春期だ。まあ、相手は弟のように接してくれて、私がロックが好きだと知ったら、「なにか良いロックのレコード、教えてくれない?」と言うので、大好きだったレッド・ツェッペリンの曲を、ラジカセで聴かせてあげたら。そのお姉さんも良いと言い。結局、ファースト・アルバムとサード・アルバムを買ったと言っていた。今も訪問看護婦さんに来て貰っているけど、まあ、もう歳だし、異性として意識するなんてことは全くない。ただ一人ロックが好きな子が居て、話が合うので良いです。中学の頃は同級生に泣かされた。何しろ当時、私は音楽、書いて来た様に特にロックが好きで、夕方4時から始まる海外のロックを放送してくれるTV番組を楽しみにしていたのだが。同級生はサッカーをやろうとか草野球をやろうとか誘ってくる。初めのうちは付き合っていたが馬鹿らしくなり、毎日外で遊ぼうと誘ってくるのがつくづく嫌に成っていたので、断っていたがしつこく言ってくる。布団屋のその友達に、或る日、レッド・ツッペリンの「ロックン・ロール」と「ユー・ショック・ミー」をカップリングしたシングル盤を貸したが「訳が分からない」と言うのでウンザリした。そいつは学校の帰りになると家まで着いて来て。どうやら、私がサッカーボールを持っているのが狙いらしかったので、「いい加減に付きまとうのは辞めてくれ、サッカーボールなら貸してやる」と言ってもこっちが色々と音楽雑誌やら読んでいたり、ロックの番組を観ていると、誘いに来るので「いい加減にしろ!サッカーボールならくれてやる!!」とサッカーボールを持っていけと渡したら来なくなった。中学の漫画研究会の先生に相談したら、「お前は何か楽器をやれ」と言われ、質流れのガットギターを買って、吉田拓郎やら泉谷しげるの曲を弾く様に成った。当時ロックの他にフォークソングも好きなものだったから。それで高校になってから、エレキギターを買ってロックやらブルースを弾くようになった。会社で働いていた頃。スーパーのいなげやに収める商品をキッピングしていて休み時間にCDラジカセで「天国への階段」とか聴いていたら。従兄弟のゆきかずが来て、なんでそんな曲を聞くんだと言っていたが。「あんたは、ど演歌しか興味がないんだろう」と言ってやった。まあ、私は演歌も嫌いな訳では無いけど。石川さゆりとか好きですしね。。。

Led Zeppelin - Stairway to Heaven Live

Stairway To Heaven
written by Jimmy Page and Robert Plant

There’s a lady who’s sure all that glitters is gold
And she’s buying a stairway to heaven.
When she gets there she knows, if the stores are all closed
With a word she can get what she came for.
Ooh, ooh, and she’s buying a stairway to heaven.

ある貴婦人がいてね
彼女は光り輝くものは全てが黄金だと信じているんだ
彼女は天国への階段を買おうとしているよ

彼女は知ってるんだ
天国に着くだろ
そこで店が全部閉まっていたとしても
ある言葉を唱えると目的のものを手に入れることができるんだって
だから彼女は天国への階段を買いたいのさ

There’s a sign on the wall but she wants to be sure
‘Cause you know sometimes words have two meanings.
In a tree by the brook, there’s a songbird who sings,
Sometimes all of our thoughts are misgiven.

壁には何かの掲示がある
でも彼女は確信がほしい
なぜなら言葉には2つの意味があったりするだろ

小川のそばの木に鳴き鳥が止まって歌っているよ
時に僕らの考えることすべてが疑わしくなると

Ooh, it makes me wonder,
Ooh, it makes me wonder.

何なんだろう
どこにあるんだろう

There’s a feeling I get when I look to the west,
And my spirit is crying for leaving.
In my thoughts I have seen rings of smoke through the trees,
And the voices of those who stand looking.

西の方を向くとある感情を覚える
そして僕の魂がここを離れようと叫んでいる

木々の間を抜けていく煙の輪を見たんだ
僕の思考の中でね
そしてそれを立って眺めている人々の声も聞こえた

Ooh, it makes me wonder,
Ooh, it really makes me wonder.

ああ何なんだろう
どこにあるんだろう

And it’s whispered that soon if we all call the tune
Then the piper will lead us to reason.
And a new day will dawn for those who stand long,
And the forests will echo with laughter.

そしてこんな囁きが聞こえる
僕らが調べを吹いてくれと求めればすぐに
笛吹きが僕らを理性へと導いてくれるだろうと
そして長い間待ち続けていた者には新たな日が幕を開け
森に笑い声がこだまするだろうと

If there’s a bustle in your hedgerow, don’t be alarmed now,
It’s just a spring clean for the May queen.
Yes, there are two paths you can go by, but in the long run
There’s still time to change the road you’re on.
And it makes me wonder.

君の生垣の中でざわめきが起こったとしても
心配することはないよ
5月の女王を迎えるための春の大掃除の音なんだから

そう、君には2つの道が用意されている
でも長い目で見れば、君が選んだ道を変える時間はまだあるよ

君はどうするんだろう

Your head is humming and it won’t go, in case you don’t know,
The piper’s calling you to join him,
Dear lady, can you hear the wind blow, and did you know
Your stairway lies on the whispering wind?

君の頭の中でガヤガヤと音がしていても
君が気づかなければそれはずっと続くんだ
笛吹きが、仲間にお入りって君を誘っているんだよ

親愛なる貴婦人よ
風の音が聞えるかい
そして君は知ってた?
天国への階段は風の囁きに沿って続いているのだと

And as we wind on down the road
Our shadows taller than our soul.
There walks a lady we all know
Who shines white light and wants to show
How everything still turns to gold.
And if you listen very hard
The tune will come to you at last.
When all is one and one is all
To be a rock and not to roll.

そして僕らが曲がりくねった道を進むにつれ
僕らの影が僕らの魂を隠そうとするんだ
そこへ僕らが知る貴婦人が歩いていてくる
白い光をあてながらね
あらゆるものが今でも金に変わるそのさまを
彼女は示したいのさ

だけど耳をすませしてよく聞けば
その調べが最後には君に聞こえるようになるんだよ

すべてのものが一つになり
一つのものがすべてになる
そして一つの岩になり揺らぐことはなくなるときに
聞こえるようになるんだ

And she’s buying a stairway to heaven.

それでも彼女は天国への階段を買おうとしているんだ

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女性たちが弾くエレクトリック・ギター

 -Since I've Been Loving You- Guitar Cover by Ayla

-Black Magic Woman- Guitar Cover By Ayla

Some of the most Amazing Female Guitarists in 2017 Shredding & Riffing Hard Rock & Metal!

IRON MAIDENのACES HIGHを弾いてみた

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此の間、本を整理して居たら、真崎守の単行本が出てきた。多分、1970年代後半に購入したものだ。懐かしく成って暫くページをパラパラと捲ってみて見たら、、結構、そんなに煤けては居なかった。私は好きな漫画家だった。。。本は手放せないなと思った。今や貴重です。

 

真崎守。

1941年横浜生まれ、4歳の時空襲にて青森を経て岐阜に疎開する。

本名は森柾(もりまさき)
63年に虫プロに入社しテレビアニメの「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などに関わる。68年に漫画家として独立し数々の作品を残した。
劇画タッチの圧倒的な画力と映像を取り入れたようなコマ割り、さらに70年代という時代が合わさった作風である。その後、活動の中心を漫画からアニメの世界に移し「浮浪雲」「はだしのゲン」「時空の旅人」の監督などをしている。

詳しいプロフィール。

1960年「雨の白い平行線」「暗い静かな夜」で貸本漫画界にデビュー。1963年虫プロに入社、テレビアニメ「ジャングル大帝」「わんぱく探偵団」の制作を手がける。1968年退社し漫画家として独立。1971年「ジロがゆく」で第2回講談社出版文化賞受賞。ほかに「はみだし野郎の子守歌」「キバの勲章」「せくさんぶる」「共犯幻想」などがある。1979年「マルコポーロの冒険」でアニメ界にも復帰。アニメ監督作品に「夏への扉」「浮浪雲」「はだしのゲン」「時空の旅人」、脚本に「カムイの剣」「幻魔大戦」「時空の旅人」など。「真崎守選集」(全20巻)があるほか、作詞、評論、エッセイ、イラスト等も手がける。1993年、10年ぶりに「老子」を発表している 

 

あと、引越しに備えて、ビデオテープをDVDに焼いた。結構、良い映画なんです。しかしDVDには成らないでしょう。ある種、貴重な映画たちです。クラウン、やらMIMIビデオとか、マイナーレーベルから発売されています。惜しかったのは、アンソニー・パーキンスの「グローリー・ボーイ」でした。映画の内容は抜群に良いのに、惜しいかな音声が、全編に渡って酷いノイズが有り「バッタン!バッタン!」という音が入って、とても聴いてられないので、諦めました。もっと早くにDVDにダビングして置けば良かったです。

本当に良い映画なのですが・・・・もう手に入らないでしょう。他にこの MIMIビデオはアラン・ドロンの1980年代後半のサスペンス映画「ナイト・ヒート(恐るべき子供達)」と言う映画を発売して居ました。これもDVDには成らないでしょうね。私はDVDにダビングしましたが。。。

 

映画監督、押井守。

東京学芸大学教育学部美術教育学科在学中から自主映画を制作。1977年にタツノコプロダクションに入社し、翌78年にTVアニメ「一発貫太くん」で演出を初めて手がける。80~84年はスタジオぴえろに在籍し、鳥海永行に師事。TVアニメ「うる星やつら」の劇場版第1弾「オンリー・ユー」(83)で劇場映画を初監督し、劇場版第2弾「ビューティフル・ドリーマー」(84)を監督後フリーランスになる。「機動警察パトレイバー」シリーズではOVA時代から絵コンテ・監督として携わり、劇場版「機動警察パトレイバー THE MOVIE」(89)と続編「機動警察パトレイバー2 The movie」(93)を監督し、89~90年に放送されたTVシリーズでは数話脚本を担当した。そして95年の「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」は海外でも人気を博し、その続編「イノセンス」(04)は日本アニメとして初めてカンヌ国際映画祭のコンペ部門に出品。08年の「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」はベネチア国際映画祭のコンペ部門に出品された。アニメ作品で確固たる地位を築く一方で、87年のオリジナルビデオ「紅い眼鏡」を皮切りに実写作品も監督し、「アヴァロン」(00)、「アサルトガールズ」(09)といった長編映画を発表。09年には初めて舞台演出(「鉄人28号」)を手がけたほか、歴史アニメドキュメンタリー「宮本武蔵 双剣に馳せる夢」の原案・脚本を担当した。15年越しで実現させた実写アクション映画「GARM WARS The Last Druid」(12)が初の英語作品となった。その後、「機動警察パトレイバー」シリーズを完全オリジナルの新作としてドラマ版+劇場版の全7章で実写映像化した「THE NEXT GENERATION パトレイバー」シリーズ(14~15)の総監督を務める。代表作「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」はスカーレット・ヨハンソン主演でハリウッド実写映画化された。

「立喰師列伝」

押井守自らの手によりアニメ映画化され2006年に公開された。
第63回ヴェネチア国際映画祭正式招待作品

登場人物に扮する役者をデジタルカメラで撮影し、それを3DCGの人形に貼り付けて動かすという、かつての『ミニパト』を彷彿とさせるペープサート状アニメーションで制作するという手法が採られ、「スーパーライヴメーション」と命名されている。その技術を駆使し、アニメーションと実写の新たな融合に挑んだ。

石川光久が「もし『イノセンス』がカンヌ国際映画祭で賞を取れなかったら、押井さんに好きな映画を1本撮らせる」と言ったのがこの映画をつくる契機になったという話もある。

メインの登場人物は、小説『立喰師列伝』でキャラクターのモデルとなっていたのと同じ人物が演じる形となっており、さらに役者の全てが押井の知人である。これは、制作予算を抑えるのと同時に、押井曰く「今まで自分が仕事を通じて関わってきた人々を、この映画で記録として残したい。それに、知っている人間じゃないと、CGでいじくるときにつまらない」という話である。

もともとは押井守の「仕事を引退したらやりたい職業」という妄想から始まった架空の職業で、タツノコプロで演出家をしていた頃にタイムボカンシリーズで『立ち食いのプロ』を登場させたことが始まり。 
押井守が関わった作品群(『うる星やつら』で登場するなど)にスターシステム的に登場し、『ケロベロス・サーガ』と並び押井守のライフワークの一つとされている。
月見の銀二
戦後間もない頃、闇市のそば屋で月見そばを注文しては、薀蓄と説教を武器にただ食いを成した伝説的人物。元ネタは『赤いメガネ』に登場する同名の人物。映画版では、逆に銀二の伝承が作品化された例として『紅い眼鏡』の写真が一瞬登場する。
ケツネコロッケのお銀
昭和30年代、きつねそばとコロッケを注文し、弁舌巧みに店主を煙に巻いてただ食いしたとされる人物。後に『女立喰師列伝』の主人公としても登場する。
なお、同名の人物は押井が監督したアニメ版のうる星やつらの他、複数の作品に登場している。
哭きの犬丸
東京から逃げ落ちた青年を装い、全国各地でただ食いを試みては露見し袋叩きに合っていたという。ただし、結果的に金銭の支払いは行っておらず、無銭飲食そのものは成立してしまっている。元ネタは『御先祖様万々歳』の主人公、四方田犬丸。映画版では、逆に犬丸の伝承が作品化された例として『御先祖様万々歳!』のイラストが一瞬登場する。
冷やしタヌキの政
半端な立喰師だったが、そば屋「マッハ軒」において衆人環視の中で撲殺される。映画版では、逆に政の伝承が作品化された例として『犬狼伝説』の一コマが一瞬登場する。新OVA版機動警察パトレイバーにも出演し、同様にそば屋「マッハ軒」で難癖をつけて代金を踏み倒そうとするが、こちらは交番勤務時代の太田に逮捕され更生している。
元ネタは『犬狼伝説完結編』に登場する冷やしタヌキの賢。
牛丼の牛五郎
徒党を組んで牛丼チェーン店「予知野屋」(映画版では「予知野家」)に乗り込んでは、材料が底をつくまで注文を繰り返し牛丼を食い尽くす怪人。調理の不備を指摘し、作り直させたものは支払い対象外であるが、食べた分の支払いは行っており、無銭飲食ではない。
ハンバーガーの哲
ハンバーガーチェーン店「******」(映画版では「ロッテリア」)に乗り込んでは、キッチンが破綻をきたすまでハンバーガーを食い尽くす怪人。最初の注文はイートハンでのハンバーガー100個。追加注文でダブルバーガー100個。
牛五郎と同じく、食事に対する支払いは行っているため無銭飲食には当たらないのではないかとの指摘も作中で行われている。
フランクフルトの辰
ディズニーランド(小説版では******ランドと表記され、映画版ではピー音であからさまに消去されるが、後の『女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀 -パレスチナ死闘編-』において、大塚ギチ男が読む資料中に『ディズニーランドを夢見て』が確認できる)で持ち込みのフランクフルトを喰う事に執着する男。
中辛のサブ
カレースタンドチェーンに現われては、その異様な雰囲気のみを武器に店主を圧倒し、ただ食いを成す人物。浅黒い肌とターバン姿により何処から見てもインド人にしか見えないが、インド人ではない。「中辛」と聞こえなくもない怪しい発音で注文を行い、食後に物悲しそうな瞳で店主を見つめ再び「中辛」と聞こえなくもない怪しい発音を呟く。店主のほうでは辛さの程度を間違えたかと思い、追加注文を通す。これを延々と繰り返す。
『うる星やつら』においては、どんな微妙な辛さの違いも判じ分け、サブがスプーンを投げた店は潰れる……と称されていた。

押井守とは「すべての映画はアニメになる」という独特の哲学を持つ映画監督である。アニメーションだけではなく、実写映画や小説も発表している。さらには、マンガ原作、テレビドラマの脚本、 ラジオドラマの脚本、舞台の演出・脚本、人形展の監修、ゲーム監督など、多岐にわたって活躍しているが、様々なメディアを往還しつつ、自身の「妄想力」、原作の持つ「想像力」 を原動力に、常に「誰も見たことのない」新たな映画を創造し続けている映画監督です。

JP SOARS - JASON RICCI - ANNE HARRIS • Minor Blues • Big Blues Bender 2018

The Kim Wilson Blues All-Stars Live at KNKX Public Radio

ブルースハープは理論など知らなくても、素晴らしい演奏をするプレイヤーは沢山います。ジョイソン・リッチは高度なテクニックを使うので理論のことも知っているように思えますが。キム・ウィルソン なんかは、「理論なんか知らない。そんなもの必要ない」 というようなことをインタビューで言っていますし、私は理論を重視する方ではありません。知識は豊富なのに演奏できない批評家肌の人よりは、理論なんて知らないけれどかっこいい演奏ができるという人の方が断然好きです。でも、ジョイソン・リッチやらキム・ウィルソンは現在の職人肌のブルース・ハーピストなわけで、彼らのように吹けるのは難しいです。

誰かの演奏をコピーしたり分析したりする時、マンネリ化したインプロヴィゼーションから抜け出して新たなアプローチを見つけようとする時、理論は時に手助けとなります。特に現代では、インターネット、教則本・DVD、レッスンなど、理論的なことを学ぶ機会はいたるところにあるわけで、それを頑なに拒否する事もないのです。ジョイソン・リッチやキム・ウイルソンのようにずば抜けて素晴らしい演奏ができれば、もちろん何も言うことはないのですけれども。でもまあ、必要最低限の事さえ知っていれば良いのです。

【谷口楽器】Andy Just 【using a special microphone】

Billy Branch feat. Lurrie Bell & The Sons Of Blues - Help Me

ブルース ハーモニカ ( ブルースハープ ) 広瀬哲哉 & ジャズギター 渡邉英一 酔いどれライブ 2017.10/14  東京 丸の内『居酒屋 麻衣』

Live イベント版 HAMONICAFE ( ハモニカフェ )〜 ブルースハーモニカ を語る夜〜

情熱大陸(TBS系列同番組主題歌、葉加瀬太郎) 【クロマチックハーモニカ(徳永有生)】

< ジャズ 特集① > ブルース の吹き方で ジャズセッション に参加しよう♫( ジャズブルース 編 )/ハーモニカ バラエティー HAMONICAFE(ハモニカフェ)

jazzハーモニカ 今出宏&橋本麻里子

柄谷行人

文芸評論家。兵庫県尼崎市生まれ。本名柄谷善男(よしお)。1965年(昭和40)東京大学経済学部卒業後、同大学大学院人文科学研究科英文学専攻、67年修士課程修了。大学院在籍中に『東京大学新聞』の五月祭賞に応募し、66年に「思想はいかに可能か」が、67年には「新しい哲学」がそれぞれ佳作になる。69年には夏目漱石の小説を個人の実存の問題として読み替えた「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」によって、『群像』新人文学賞を評論部門で受賞する。小説部門の受賞者は李恢成。選考委員は、江藤淳、大江健三郎、野間宏、安岡章太郎。選評は、江藤淳による「幾多先人の業績を利用しているが、利用の仕方に公正を欠き、出典を明確にせずに甘ったれているところがある。したがって氏の漱石像はかならずしも明瞭なイメージを結ばず、ときどき漱石を論じているのかキェルケゴールを論じているのか、どっちを証明するためにどっちを使っているのかわからなくなる」という評をはじめとしておおむね辛口であった。その後、存在することと意識との亀裂をモチーフに、小林秀雄、吉本隆明、江藤淳、古井由吉らのテキストについて考察をまとめた第一評論集『畏怖する人間』(1972)を刊行、『群像』新人賞受賞作も大幅に加筆、訂正され収録。73年、連合赤軍事件に触発されて書いた「マクベス論」を『文芸』3月号に発表。同論文を収録した『意味という病』を75年に刊行。同年法政大学教授。
 75年から76年末まで客員教授としてエール大学で日本文学史を教える。その時の経験を契機として『日本近代文学の起源』(1980)が書かれる。そこでは個人の「内面」というような普遍的な概念が、じつは「言文一致運動」やキリスト教的な「告白」という制度的な装置によって構成されたものである、というような遡行的な批判が展開されている。
 78年には『資本論』の価値形態論を構造主義的に読み替えていった『マルクスその可能性の中心』(亀井勝一郎賞受賞)を発表。その後「形式化」の諸問題にとりくみ、『隠喩としての建築』(1983)、『内省と遡行』(1985)というような、極度に抽象的な思考を展開する。それらの著作において試みられていることは、古典経済学や言語学、数学基礎論といった「体系」の「外部」を実定的(positive)に語ることを禁じ、それらの体系化を極限までおし進めることによって体系自身の矛盾、非一貫性につきあたり、その結果として「外部」をパフォーマティブに演じるという作業であった。
 その後『群像』に「探求」の連載を開始する。こちらでは、「教える―学ぶ」「売る―買う」といったパフォーマティブな次元そのものに視点を移している。これは後に柄谷行人の「転回」として語られることになる。『探求』は86年に、『探求』は88年に刊行された。
 永山則夫死刑囚の入会申請拒否問題に際して、90年(平成2)日本文芸家協会を脱退。91年、湾岸戦争への日本の加担に反対する声明に参加する。
 

88年から『季刊思潮』の編集同人として、91年からは『批評空間』の編集委員として、雑誌の発刊にも関わる。98年には『群像』で「トランスクリティーク――カントとマルクス」の連載を開始する。連載終了後NAM(New Associationist Movement)を結成し、資本主義への対抗運動を始める。連載原稿に大幅な加筆と訂正を加えた『トランスクリティーク――カントとマルクス』が2001年に刊行される。97年に近畿大学特任教授に就任。2002年同大学国際人文科学研究所初代所長。その他の著作としては『反文学論』(1979)、『批評とポストモダン』(1985)、『言葉と悲劇』(1988)、『終焉をめぐって』(1990)、『ヒューモアとしての唯物論』(1993)、『〈戦前〉の思考』(1994)、『坂口安吾と中上健次』(1996)などがあげられる。[池田雄一]

『『坂口安吾と中上健次』(1996・太田出版) ▽『トランスクリティーク――カントとマルクス』(2001・批評空間) ▽『柄谷行人初期論文集』(2002・批評空間) ▽『畏怖する人間』『意味という病』『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫) ▽『マルクスその可能性の中心』『隠喩としての建築』『内省と遡行』『探求』『探求』『反文学論』『言葉と悲劇』『終焉をめぐって』『ヒューモアとしての唯物論』『〈戦前〉の思考』(講談社学術文庫) ▽『批評とポストモダン』(福武文庫) ▽『国文学』特集「柄谷行人――闘争する批評」(1988・学燈社) ▽『国文学解釈と鑑賞』別冊「柄谷行人」(1995・学燈社)』

2016.01.26 市民連合シンポジウム 基調講演 柄谷行人さん(哲学者)

柄谷行人インタビュー

憲法九条の問題に戻って、おうかがいします。柄谷さんは次の文章で言っています。「日本人は占領下において強制された憲法九条を、独立以後も廃棄しようとしなかった。もし意識的反省によって憲法を作ったのであれば、とうに改定していただろう。そうしないのは、これが意識のレベルではなく、無意識のレベルの問題だということを示している。この無意識の問題を早く察知していたのは、坂口安吾一人であった」。

柄谷 

それは、先ほど述べたように、フロイトのいう「死の欲動」と関連することです。その場合、超自我は外ではなく内から来るのですが、ある意味では、やはり「外」なしにはありえないのです。たとえば、憲法九条にある「無意識」は、日本人の攻撃欲動が内向することによって生じたものですが、実際に、アメリカという他者が最初にそれを強制しないと成立しなかったでしょう。とはいえ、その後は、アメリカとは無関係な事柄です。だから、憲法九条の成立というのは、実に不可思議なケースです。安吾は、九条にかぎっては、これは「世界一の憲法」だといっていますが、実際、憲法九条の根底には、アウグスティヌスやカント以来の理念があるのです。しかし、たんにその崇高な理念が広がって憲法九条が成立したわけではない。それは、日本の侵略戦争、そして、アメリカの占領という過程を通してのみ実現されたのです。誰か人が仕組んでも、こんなことはできません。「理性の狡知」とでもいうほかない。

僕は数か月前にアメリカの大学に滞在していたのですが、そこで憲法九条について講演したことがある。その際、憲法九条の英文を配布したのですが、アメリカ人の活動家がそれを読んで驚嘆し、仲間に知らせた。そこで、彼らが僕の所にやって来た。彼らによれば、日本の非戦憲法のことは聞いていたけど、今まで読んだことがなかった。実際に読んでみて、こんなものすごいものだと思わなかった、といっていました。それはそうでしょう。実際にものすごい内容ですから。そして、これがアメリカから来た、と聞いたから、なおさらです。これを是非アメリカでも実現したい。しかし、「アメリカでこのような憲法を作るにはどうすればいいでしょうか。どこかの国が外から迫ってくれるでしょうか」という。アメリカ以外にそんなことをする国はないよ、と僕は答えた(笑)。

その一方で、憲法九条はまさに日本の「文化」だといえます。それはフロイト的な意味で、超自我(文化)ですが、別の観点からいえば、徳川鎖国体制の文化の回帰なのです。そのような九条を、説得、宣伝、教育などで変えられるか。やってみたらいいんですよ。国会の選挙は、論点が不明で、且つ投票率が低い。そんなもので三分の二の議席を得たところで、憲法改正はできません。憲法改定は最終的に国民投票によるのだから。これは通常の選挙とはまるで違います。論点が一つで、投票率が高い。そうなると、「無意識」が発動します。現在のところ、改憲ではなく「加憲」だといって、ごまかそうとしていますが、国民投票となると、ごまかしはきかないでしょう。「無意識」を説得することはできません。

ただ、憲法九条もすごいが、日本の状態がもっとすごいのは、この憲法を実行していない、ということです。現に巨大な米軍基地があり、自衛隊がある。だから、もし憲法九条を護れというなら、真に九条を実行することを提唱すべきなんです。そのことをいわずに、たかだか現状維持を「護憲」とかいうのはおかしい。僕はこう書いたことがあります。護憲派が憲法九条を護ってきたのではない。憲法九条が護憲派を護ってきたのだ、と。では、どうすればよいのか。必要なのはいわば、「無頼」であること、すなわち、安吾的な精神に拠って立つことです。今度、安吾を読み返して、安吾が憲法に関しても、占領軍に関しても、実に明瞭に述べていることを確認しました。ここにこそ、戦後の「無頼派」がいる。そういう意味で、僕も安吾と同様に無頼派です。

 下はハードロックです。聴いて見て下さい。

Black Sabbath - "Black Sabbath"

Black Sabbath - "Paranoid" Belgium 1970

Black Sabbath "Iron Man"

Black Sabbath - Heaven and Hell (live)

Black Sabbath - Sweet Leaf - LIVE

Uriah Heep - Gypsy - Live 1973.flv

URIAH HEEP JULY MORNING 1972  

Uriah Heep - Sympathy 1977

The Golden Palace - Uriah Heep

イングウェイ マルムスティーン ギターソロ~運命 in Tokyo

Yngwie Malmsteen - AMAZING Blind Auditions In The Voice

Yngwie Malmsteen - Evil Eye

Belladonna - UFO | Full HD |

 

コメント一覧

kiyasume
コメント有難う御座います。

うかうかコメント出来ないなんて言わないで、、
コメントしてくださいね

ブラック・サバスの「パラノイド」聴いていたのですね。
私の中では、この曲とユーライア・ヒープの
「対自核」が対に成っています。

昔のバンドは良かったですね。。。
ああ、でも。「グリム・スパンキー」と言う、
日本のロックバンドはいいですよ。

まだ若いけど、曲作りがしっかりしていて、、
つい最近、アメリカで新しいCDを録音してきたそうですよ。

お勧めです。。。
YouTubeで聴いてみて下さいね。

それでは また。
それとネコ可愛いですね。
VIVA
ぁぁぁぁ~~~・・

きょうもまたえらく専門的な記事で・・
~・・( ˘•ω•˘ )
・・・うかうかコメントできないわ・・(;´Д`)


しいていえば・・

あ、遅くなりましてkiyasumeさん
こんばんわ!

ブラックサバスのパラノイド、、
昔、聴きましたよ~
kiyasume
書き込み有難う御座います。。。
その話、聞きました。
製本のミスで「X Xクラゲ」が「メメくらげ」となったのでしょうね。。。

ただ、当時の「ガロ」の編集者の話によると、
最初のプロットの段階では、大変に暗い話だったそうですね。
完成した超現実主義的ではなく、むしろ文学的だったらしいです。

しかし完成したものはストーリから大きく飛躍していて、
文学的な暗さを裏切っていたそうです。

高野氏は編集段階において時期尚早であり、見送るべきではないかといった意見も出たといっていますね。
1968年当時は世相も騒然として居た事もあり、
また確かに時代的に早かったと思われます。

つげさんは「やけに成って描いた」と言って居ますよね。
時代の所為だったのでしょうか。。。
mobile
ねじ式・・・。
https://blog.goo.ne.jp/mobilis-in-mobili/e/6dfa000689f0ebc0d79d1cb43e0eb55d
つげ義春は『ねじ式』で最初『メメクラゲ』のことを『✕✕クラゲ』と書いていたのだそうです。写植の際に誤って『メメクラゲ』になったというのが真相ですが、そのために何とも言えない味わいがでてしまいました。文字通り『怪我の功名』というべきでしょうね(血管切れたら困りますが・・・)。
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