Black Night [complete] - Deep Purple
今回も昨年の過去記事からの抜粋再公開です。私は、今新しい記事が書けません。思い切って、お休みにすればいいのは解って居ますが。そうも行かないので。しばらくは過去記事の再編集版で行くと思うので。皆さん、よろしくお願い致しますね。新しい記事は良くて、来年からだと思います。書けてもね。毎日眠くて溜まりません。こうやって過去記事を再編集したものを、あげて居て。そのうちに、新しいblog記事も挙げられるかと思いますので、本当によろしく。また、今回の記事ではいいことも書いてあると思うので、是非、皆さんお読み下さいね。。。
今年も残すところ、あと1カ月。昼間の気温も低い日もだんだん増え始め、コートを着てもおかしくない時期になって来ました。最近iPhoneを使っていて思うのですが、寒い日はなんだかバッテリーの持ちが悪い気がしませんか?
気になってAppleの公式サイトを見てみたのですが、iPhoneには最低限のバッテリー動作環境が定められているんですね。使うときは0〜35度、保管する場合は-20~45度だそうで、問題なく使える気温としては16〜22度が推奨されていました。真冬になると16度以下になることがほとんど。そこで今回は、少しでもバッテリーの消耗を減らすための方法と、寒さで異常が出たときの対処法についてご紹介したいと思います。
なんでバッテリーの持ちが悪くなるの?
Apple公式サイトにも、寒いと一時的にバッテリーの消耗が早くなったり、デバイスの電源が切れたりすることがあると書かれていました。冬の電池の劣化を防ぐためにも、本体を冷やさないうように、なるべくApple推奨の「16〜22度」で使用したいものです。
すぐにできる対処法は?
では、急に電源が落ちるなど、寒さで、バッテリーに異常が出てしまったときは、どうすればいいでしょうか。すぐにできる対処法としては「温める」「充電する」「再起動する」などがあります。
充電する:電源が急に落ちてしまった場合は、寒さにより、一時的に電源が落ちたことが考えられます。iPhoneを十分に温め、充電をしてみるとよいでしょう。モバイルバッテリーなど持ち歩いておくと安心できそうです。
kiyasumeの気まぐれに吹いて見た下手なブルースソロ.....。
たまには朝から活動するのも悪くない。
読書よりも実際に体験する事の方が大切だと言う事に付いて、、
私は、ある意味、読書も体験だと思って居ます。
そしてその副次的な意味合いで、
例えば本に書かれて居た場所を尋ねて
見るとか・・・・・・。
本は体験の入り口なのだと思います。
そして最近アニメ映画を見た観客達が、
アニメの舞台になって居る場所を、
聖地巡礼と称して訪ねる風潮が
ありますけど.....。
要するに物事は「それのみで完結せずに、
副次的要素を生み出すものなの」だ、
と言えると思います。
例えば哲学書を読んで居てさえ、、
外に行きたくなって。その論理を景色
から紐解く事だってありますよね....。
本にはあらゆる可能性が詰まって
居ますよね。本に於けるレゾンデートルは
事象に於ける対幻想なのでは無いかな、、、
そう思いますよ・・・・・。
推薦書籍。「この世界は仮想現実である」」
あなたが生きているこの世界は、本当に実在しているのでしょうか?
古今東西、多くの哲学者がこの事を考えて来ました。
そして、「この世界が仮想現実である」と言う説は多々生まれましたが、
その構造を答えたものは今までありませんでした。
そして、現在でも多くの科学者が、この世界の構造を追求しています。
天才物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクは、次の様に語りました。
「今日、我々が量子に見ているのは、意識の構造である」
つまり、この世界の基礎をなすものは意識と無関係ではないのです。
意識の構造が解れば、世界の構造を根本的に理解する事が出来るでしょう。
仮想現実の証拠は、見えるところにあった
TAWフラクタル現象学は歴史の研究から始まりました。
歴史という「時間」と地形と言う「空間」が連動しており、
それが何重ものフラクタル投影(相似投影)を創り出している事に気づいたのです。
物理学では、空間の上の次元として時間を数えますが、TAWフラクタル現象学は、
時間と空間が、一つの同じエネルギーが変形したものである事を発見しました。
これは構造を解明する大きなヒントでした。
この世界が、仮想現実である証拠は、あなたに見える範囲の処にあったのです。
歴史が相似形になっている国は、地形も相似形
これを端緒に、著者は最終的に13年の年月をかけて、TAWフラクタル現象学を完成させました。
この本には、TAWフラクタル現象学の、基本的な理論がわかりやすい言葉で書かれています。
本書を読めば、あなたはこの世界が、確かに仮想現実である事を理解するでしょう。
あなたは仮想現実の中の「特異点」であると知る
この本には、時間と空間を、あなたがどの様に生み出しているかが書いてあります。あなた自身は、特異点なのです。この世界の構造を知る事が出来れば、あなたがこの世界を、自分で創り出している事に気づくでしょう。
これに気づけば、あなたの人生はもっとコントロール可能になるでしょう。
あなたの人生には、あなたがまだ気づいていない、大きな意味があったのです。
===「エッセイ」===
此間は行きつけの美容室に行って、カットして来ましたけど、まあ、来月はまたパーマを掛けようと思っているので......。行きつけの店は結構しますけどね。サービスは良い方なので、ただ私が統合失調症だと知ったら「来ないでくれ」と言われるでしょうね。そうしたら他を探さなければ成ら無くなりますか。そうしたら、また私はどこか他の店に行くしか無くなる。今から10年位前に長髪にして一度パーマを掛けていましたが。あの頃は認知症の母と一緒に暮らしていた為、母も笹塚の「カズ」と云う美容院で一緒にやって貰っていたのですが。いやぁ、、認知症だから美容師に色々とメチャクチャな話をしていて、困って仕舞いました。笹塚の前は新宿の京王デパートの中にある美容院で、やはり母を連れて行ってやって貰っていましたが、
ある時、私に、男の美容師が付いて、やって貰っていたら、「最近、インフルエンザで人が来るでしょう。」とか、、何を云っているのか良く解らないので「そうですか?」と云ったら、「お医者さんは、忙しいのではないですか?」と云われて。「私は医者では無いですよ」と云ったら、「だってお母さんが!!、お客さんが来る度に息子は医者だと云っていましたよ!?」と云うので、「それは弟の方ですよ!!」と云ったら、その男の美容師が、女の美容師を怒鳴り付けていて。その日は料金が半額になって、受付が「何でよ・・・」と言って居て、、要するに「医者だってよ!ふざけやがって!!」と云う事で、料金を倍に釣り上げて、吹っ掛けていた見たいでして。母は認知症ですからね、バカ話しかしないし。やたらと弟が医師だと言う事を、自分の誇りの様に言って居ましたから。認知症だけども他人は「此のクソババァ。」としか思わなかったでしょうね。
それで母が終わって帰りに、女の美容師と二人で送り出しに来て、私に「これも美容師としての仕事の一環ですから」とか云っていて。どうやら、母にも皮肉を云ったらしい。それで次に行って見たら、受付がその男の美容師は「クビになりました」とか、云っていた。それから、もうその美容室は行くのを辞めて、どうしようかと思っていましたが、笹塚の「カズ」と云う美容院を見つけてそこに行く様にしたのだけれども、料金がそれまでの半額でした。しかしそこでも、母が無茶苦茶な事を言うので嫌がられて。その後は母は介護施設のデイ・ケアに行く様になって。そこで美容師が来て居てカットをして貰う様になって。でもそこでも母は問題を起こしたらしくて。私が問い合わせの電話を掛けても、物凄く横柄な態度なので、私が怒り狂い母を行かせるのを辞めました。それから、母との2人暮らしが始まりましたが。私はもう限界で発病をしてしまい。そして、それからは、私は実家を追い出されて、マンション住まいになり。アパマンの近くの美容室でやって貰っていましたが。
そこも私に皮肉を言い始めまして。ある春先に、ミュージシャンのプリントがしてあるTシャツを着て、その上にブロークン・デニムシャツを羽織り。デニムのブロークン・バッチジーンズを履いて行ったら人をバカにし出して。その格好はわざとボロっぽい格好なのに、そしてそう言った服装は私が着て居るのも、シャツだけで1万8千円して居てジーパンが7千円はして居たのに。ブランド物でもそう言ったものが売って居るのに。それが解らない58歳のバカな美容師だったのでしてね。「カズ」よりも値段が安いし、ほぼ男性の客しか行かない美容室だから。独りになって此処4年程、そこの店に通っていましたが。嫌味しか言わなくなって、行っても嫌がらせをしたり、嫌な事しか言わなくなったので行くの辞めました。床屋は近くにありましたが、前に行ったら、ジジイの理髪師が、「お客さん、あんた自由業だろう。髪長くしていて、サラリーマンじゃないだろう?」「いけないですか?」と云ったら「あんた、自営業だろ?会社勤めした事あるんかい!」と言うので「ああ、会社勤めは26年程してますが」そう云ったら今度は、「あんた高校はどこ出たんだい。高校中退だろ。」だからまたバカだと思い「一応大学行きましたが・・・。」と云ったら要約聞いて来なくなった。
何だかねぇ....。自分は中学出てから修行したのだろう。何故学歴にこだわるのだ。自分の腕で食えて居るならそれで良いでは無いか?もし知識が必要ならば本を読めば良い。買えなければ図書館に行けば良いではないか?買うより借りれば1週間で3冊は貸して貰えるぞ。人を見下してものを言うのは自分が空っぽで何も知性が無い証拠だ。自分の劣等感だけだろう。まあ、美容師の方が良いですね。余計な事は聞きませんから。美容院に行くまでは、近所の床屋やら、隣町の床屋やらに通っていましたが、床屋は偏屈が多くてダメですね。私は若い頃から髪を長髪にしているので、まあ、床屋は髪を切るのが仕事だから、でもね、、バリカンで剃る訳には行かないし、何か最近の若者のヘアスタイルは、わざと部分的に剃りを入れてる様だけど。私は往年のミュージシャンやら芸術家がやっていた、長髪のスタイルなので、まあ、良いでは無いですか。歳など関係ないですよ。
最近の若い人たちは(あくまで20代から40代前半と考えていますが)音楽とか芸術を良く知っている人はそうではないのですが。例えば若くても老人でもロックをやっているのは若者だけだと思い込んでいる。まあ、普通の人も、音楽をやっているのは若者という認識が高い。今は、50代、60代でもロックをブルースをジャズをやっていますよ。私は小学校3年生からロックを聴き始めて、それ以来ずっと聴いています。反対に若者が今の流行りの音楽しか聴いていなくて、本当に良かった頃のロックを知りません。今の流行りのロックはヒップホップですよね。そしてまたはパンク・ロックとか言っているけど。何か違いますね。要するにロックの要になっているブルースを聴いていないので、フォーク見たいなロックに成っている。大音響でギターを弾いても、何だか違いますね。ブルースとは要になるもので、何もブルース・ロックをやれと言っているのではないけど。何とも、言い様がないですよ。まあ、ジジイの戯言だと思って下さい。しかし、私はラップとかも聴きますよ。ロック談議は此れ位で。。
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「映画」
このblogでは此処で過去に書いた映画評を挙げて置きます、此の映画とマカロニウエスタンのレオーネの3部作です。まずはサム・ペキンパーの「ガルシアの首」です。古いですが、バイオレンス映画の金字塔です。バイオレンスの巨匠サム・ペキンパーが生涯愛したメキシコを舞台に血と暴力とそして熱い男の友情を描いた、バイオレンスアクション映画の大傑作です。主演はペキンパー映画の常連ウォレン・オーツ。音楽もペキンパーとの名コンビのジェリー・フィールディング。
ストーリーはメキシコの大地主の娘を妊娠させた男、プレイボーイのガルシアを殺すため100万ドルの賞金が出され、ガルシアの首をめぐって、殺し屋たちがメキシコに集まり、ガルシアの消息を探しているなか、ひょんなことから、この件に関わることになった安酒場の歌い手のベニー(オーツ)が人生最後のチャンスとばかり、殺し屋たちを出し抜いて、ガルシアの首を手に入れるべく、血みどろの殺し合いに巻き込まれていく。
ペキンパーと言えば、そのバイオレンス描写とともに、男たちの友情を描くことでは右に出るものはなく、本作では主人公のベニーと死んで生首となってバスケットケースに入れられたガルシアとの友情(当然相手は死人なので、あくまでベニーの独り言なのだが)がメインで、車を走らせ、助手席に乗せたガルシアに話しかけているうちに、次第にガルシアという男に共感を抱いていくと言う奇妙な展開は、他の映画に見られないような一見アブノーマルな表現だが、それを真正面から熱い男の友情として描いている、ペキンパーの手腕は見事と言うほかなく、このペキンパーの意図が理解出来なければ、最後のベニーの破滅的行動も理解出来ず、この事がこの映画の評価の別れどころだろう。
映画の原題は「アルフレッド・ガルシアの首を持って来い」と言うものである。女誑しの首を巡って血みどろの争いが繰り広げられると言う、見るからに一般受けしない題材のため、本国アメリカでは興行的に惨敗した。だがその一方で、監督であるサム・ペキンパー自ら「俺が作りあげた傑作映画」と豪語するほど監督の嗜好が色濃く現れた作品でもあり、ペキンパーの代表作に推す声も少なくない。
ペキンパーの十八番ともいえるハイスピードカメラで撮影されたスローモーションや、激しい銃撃戦などの暴力描写が作中でふんだんに用いられている。この映画は、『戦争のはらわた』と並んでペキンパー自身が最後まで編集権を握る事が出来た数少ない作品の一つである。ペキンパーは巧みな編集によってキレのよい銃撃戦を演出している。ペキンパーが自分のやりたいように作ったこの映画は、もっともペキンパーらしい作品であるとも評される。下は予告編です。
Trailer: Bring Me the Head of Alfredo Garcia - 1974
The Film League Presents: The Peckinpah Technique
1980年代に「ゴリラ」というアーノルド・シュワルツネッガー主演、監督ジョン・アービンのバイオレンス・アクション映画だと云う触れ込みで、公開された映画を観に行ったのですが。何だかな、全然バイオレンス映画の事を分かって作っていないじゃないかと・・・・お気軽なマッチョな男がローリングストーンズの「サテスファクション」を聴きながら悪党を皆殺しにするだけの映画、「ガルシアの首」の男たちの友情も、男の哀愁も虐げられた女性も、子供の描写も無し。スーパーヒーローが悪人をただ殺すだけの映画。何時からアメリカ映画がダメになってしまったのかと、御都合主義で人を殺すだけの映画にうんざりした事がありました。私は石井 隆監督が日本のサム・ペキンパーじゃないかと思っていますが。やはり映画は人間の業を描いてなければいけないと思っています。1980年代の傾向として、スーパーヒーローが、悪人をただ殺すだけの映画が世の中に蔓延り、その結果、それに影響を受けた犯罪が起こり。良識のあるアクション映画オタクは怒りました。その傾向は最近でも見られます。ハリウッド映画はダメになりましたね。幸いにも香港からジョン・ウーと云う、バイオレンス・ノワールを作らせたら、最高の映画を作る監督も出て来ましたが、ハリウッドに取る込む事で、才能を台無しにして仕舞いました。アメリカ映画として作らされた彼の映画には減なりしました。最近の映画は特にハリウッド映画は見ない事にしています。人間の業をきちんと描いてない映画に興味はありません。サム・ペキンパーは良かった。もう、亡くなって仕舞いましたが。彼の作った映画は燦然と映画史にその足跡を刻んでいます。どうか、このblogで「ガルシアの首」の事を知ったら映画を観て下さい。男意気に泣けると思いますから。よろしく。。。
下は「ガルシアの首」のDVDです。
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===「エッセイ2」===
今日は、肉まん一つに鳥の唐揚げを一つ。それと野菜サラダを食べた。それで夕食にしたのだ、ああ、あと甘食一つか、、鳥の唐揚げは栄養士の女医さんから許可が出て居るし。これだけで合計500円と言った所か。私は今も緑茶を飲んでいる。最近はコーヒーは余り飲まなくなった。飲んでもカロリーカットされた人工甘味料を入れてだ。しかしこれとて表示通りでは無いらしい。嘘を付いて居ると此間。中田とGACKT君の対談で言って居た。食品偽造は世の中に可也な量が出回って居ると言う。
以前。今年の初め頃かな、、前に録画してあるGACKT君のDVDを観た、そして「GACKT」の密着ドキュメント番組を見た。去年の日本アカデミー賞は彼主演の「翔んで埼玉」だった。その彼の特集番組だった。私は勿論「GACKT」の名前は知っては居たが。そんなに興味は無かった、しかし番組で彼の真摯で真剣な人生観を知った。彼は年末から新年まで、20周年ライブを成功させる為に会場の側にある。スタジオに篭って、リハーサルをするのだが、彼のリハーサルは過激だ。参加するミュージシャン全員に身体のトレーニングをさせるのだ。それだけでは無い。一緒に踊るダンサー全員にもやらせる。リハーサルの段階でプロ意識を見せないと。首にするのだ。彼は言う「リハで出来なくても本番でやれると言った甘えは許されない。リハで出来なくて、どうして本番で出来るのだ。リハで200% でやって本番でその半分でやれれば良いはずだ。そしてそれだけ練習してもなおも、しくじったなら。それは納得出来るはずだ」と。それは彼の真剣な生き方が言わせるのだ。私は見て居て彼は素晴らしいと思った。彼は金持ちだ、年収は数十億はあると言う。正確な収入は喋らなかったが、不動産を始めいろいろな事業を経営して居る実業家でもある。シンガー・ソング・ライターとしての立場だが、その他に色々な事業を展開して居る。そして彼はウエイト・トレーニングを毎日5時間はして居て。体は鍛え切って居るのです。
しかし、そんな彼を僻む人も居るが。慕われても居る。映像を見て居ても、正直で、人当たりがいいのだ。彼の周りに居る人たちは彼の事を「頑張り屋さん」だと言い。彼を心から讃えるのだ。そんな彼も売れない時代は合った。メジャーデビューする前に彼はホストだった。一介のホスト時代。彼は何と自分の思いを語って、自分の考えの賛同者を募った。彼曰く「自分の大きな夢を語って、自分に出資してくれるスポンサー」を募ったのだ。彼は1千人に話をした。そして50人の賛同者を得た。彼は初め、その人脈だけを心の支えとして努力をして来たのだ。彼は体が弱く悪い。だから体を逆に鍛えて居る。その鍛え方たりは凄まじいものだ。彼は己に厳しい。だから必然と他人にも厳しい。それは単に自分の独りよがりでは無いのだ。彼は初めビジュアル系ロックバンド「MALICE MIZER」のボーカリストとして活躍して居た。
MALICE MIZERはManaと社長(Manaの幼馴染で恋人)のワンマンバンドだった GACKTに数々の嫌がらせをして追い出した社長とManaは 裁判になったときにGACKTは全ての著作権を放棄した KoziやYu~kiもMALICEを抜けるつもりでいたが、そんなときにKamiが突然死した。 KamiのためにもMALICEを続けていくつもりが活動休止 解散という形にしないのはKamiのためでもある。 皆んなManaと社長の元から離れて行った 脱退後のGACKTはYOSHIKIと同じようにキスマークの社長に金銭トラブルに巻き込まれ裁判を起こした。 丁度、MARSツアーを控えてる時期で、その裁判中にツアー禁止仮処分申請が出され、 待っているファンのために「ツアーをやらせてください」と裁判官に必死に請願した 。今のレコ会社王冠に和解金を立て替えて貰い借金をしてまでツアーを開始 次の年にKoziとYu~kiはGACKTのライブを見に来ていたが、Manaの姿はなかった 金に汚いブランド狂い男狂いの社長のせいでMALICE MIZERは終わった.....。
彼は、最近の若者はチャンスさえ与えれば、実力を発揮すると信じて居る。だから、彼は、若者と経済界の大人たちとの出会いの場を演出する。その出会いは彼の主催するパーティーに於いて行われるのだ。彼は優しい男だ。そして、自分の事だけを考えて居るのでは無い。常に他人の幸せも考えて居る。
彼は東北の地震災害の時に、事務所の反対を押し切っていち早く動いた。物資を自衛隊が入る前の1週間の空白時期に、詰めるだけトラック数台に積んで運んだ。その量は100トンに上った。そして震災募金集め。しかしこれが裏目に出た。何と彼を誹謗中傷する連中から、「「GACKT」は寄付金の金2億円を着服して居るぞ」と言われ、週刊誌は「呆れた虚像」と彼の事を揶揄して叩いたのだ。彼は情けなくなったと回想する。「国が危機的状態の時に、何て事を言って足を引っ張るんだ....。」と「人の汗の掻き方に文句を付ける人もいるらしい」と、、しかし彼の人気は褪せない、何でなら、彼の生き方を崇拝する若者が絶えないのだ。あるダンサーは言う「僕はチリのダンサーだけど、日本のGACKTさんのライブが一番キツイ。だけども、彼の生き様は尊敬せざるを得ない。」このテレビを見て居て思ったが、私の尊敬する俳優でブルース・シンガーの原田芳雄さんも凄い人だった。名を成した人は、皆凄い精神と人間としての温かみ。尊敬しなければ成らないと思う生き方がある。私は番組を見終わる頃にはすっかり「GACKT」君のファンになって居た。
中性的な歌手としての魅力と俳優としての男らしさ。彼はまだ48歳なのだ。まだ若いが彼は苦労人だ。一時期は事務所の社長が、脱税して居た為に彼にもその嫌疑が掛かり。脱税容疑まで受けて、本人は脱税をして居ないのに国税局に踏み込まれて、その時決まり掛けて居たハリウッド映画の出演が流れて仕舞ったと言う。彼は嘆いたそうだ。彼は20歳の頃に一度結婚して居る。彼の生き方が余りにも厳しい為に、離婚になって仕舞ったと言う。今は今独り身だ。しかし彼は見ず知らずの、癌に犯された人からのメールにいちいち返信をして居る。そして子供達への支援をして居る。それは高校生の卒業式で自分の曲を歌い訓辞を述べたり。海外の恵まれない子供達への支援だ。精力的に自分に与えられたスターの義務をそしてその道を歩いて居る。きっとこれからも彼は歩き続けるであろう。自分の信念が成就される時まで。。。
二階堂ふみ×GACKT主演!映画『翔んで埼玉』予告編
GACKTのマレーシア生活に密着! 買い物&自宅で手料理も 動画「のどごし STRONGに合う 豪快!!GACKTの手料理」
#4【本邦初公開】GACKTのセクシーな寝起き、お風呂、着替え、ライブ密着全て撮りました!LIVE DAY ROUTINE!!
日本が誇る生涯市井で生きた哲学者。吉本隆明の講演集がタダで聴けます....。「ほぼ日刊糸井新聞」よりコピー&ペーストで検索して下さいね。聞いて損はないですよ。糸井さんに感謝ですね。。。。
https://www.1101.com/yoshimoto_voice/index.html
〜〜懐かし映画館〜〜
マカロニの伝説は熱く・・・。「ドル・三部作」
〜クリント・イーストウッドとセルジオレオーネの挑戦〜
【OBK-RECORDS】エンニオ・モリコーネ楽団 - ガンマンの祈り
1.ほんのひと握りのドルのために ― 『荒野の用心棒』
今回此処で紹介すべき映画は、『夕陽のガンマン』(65)と『続・夕陽のガンマン』(66)の2本だが、そのためにはやはりまず、両者に先立つ『荒野の用心棒』(64)にご登場願わなくては、どうにも話が進めにくい。
ほんのひと握りのドルのために。すべてはそこから始まった。
当時、全米のTV西部劇シリーズ「ローハイド」(59-66)に準主役でレギュラー出演し、お茶の間の人気を得るようになっては居たものの、番組のマンネリ路線に飽きを覚えていたクリント・イーストウッドのもとに、1本の映画への出演依頼が思いがけず外国から舞い込み、彼が半ば物見遊山でヨーロッパへと旅立ったのは、1964年のこと。
処が、当初の別題から先述の「ほんのひと握りのドルのために」という原題に最終的に変わる、何とも素性が怪しげでいかがわしいその多国籍映画 ― 本来はアメリカの専売特許たる西部劇を、スペインの荒野をメキシコ国境の無法の町に見立てて撮影した、イタリア・ドイツ・スペインの3カ国合作による低予算の外国製西部劇で、主演のイーストウッドを除くと、イタリア人を中心にヨーロッパの連中で固められたキャスト・スタッフの大半のクレジットはアメリカ人を装った別人名義、しかも、日本の時代劇(改めて言うまでもなく『用心棒』(61 黒澤明))の物語を、著作権を正式に得ないまま勝手に翻案・盗作したせいで、やがて訴訟騒ぎにまで発展する ― 『荒野の用心棒』が、同年のイタリア映画界最大のヒット作となったのをはじめ、当事者たちすら予想だにしなかった世界的ヒットを記録して、その名も“マカロニ・ウェスタン”(外国での呼び名は“スパゲッティ・ウェスタン”)ブームに火をつけ、以後、同種の外国製西部劇が続々と生み出される様になるのだ。1960年代は、御存知『007』(62- )シリーズの登場と共に、スパイ映画が各国で作られたり、また日本でも、日活の無国籍アクションが量産されたりするなど、娯楽映画における異文化間の移植培養、雑種交配=ハイブリッド化が汎世界的に同時進行しつつあった。
監督のセルジオ・レオーネと主演のイーストウッドの双方にとっても、『荒野の用心棒』は一大出世作となった。ただし、レオーネは、プロデューサーたちと事前に結んだ不利な契約のせいで、映画の大ヒットによる、ご褒美の分け前には一切与ることが出来ず、また、盗作問題を巡る訴訟騒ぎで同作の全米公開が1967年まで先延ばしにされたせいで、イーストウッドの方も、自らの成功をなかなか実感できずにいた。2人は再度コンビを組み、柳の下の二匹目のどじょうを狙う事になる。もう少々のドルのために、と。
2.もう少々のドルのために ― 『夕陽のガンマン』
かくして、『夕陽のガンマン』がいよいよ登場することになる。映画の製作費は60万ドルと、『荒野の用心棒』の20万ドルの3倍に跳ね上がり、イーストウッドの出演料も、前作の1万5千ドルから5万ドルプラス歩合へと大幅にアップ。前作で、薄汚れたポンチョに身を包み、無精髭のニヒルな面構えに、短い葉巻を口の端にくわえこんだ独特の風貌とスタイルで、正体不明の流れ者の雇われ用心棒をどこまでも寡黙かつクールに演じた彼は、今回もそのトレードマークをそっくり受け継いだ上で、新たな役どころに挑む事になる。「生命に何の価値もない処では、時に死に値段がついた。“賞金稼ぎ”が現れた由縁である」と、オープニングのクレジット紹介に続いて『夕陽のガンマン』の物語世界の初期設定が字幕で示される通り、此処でイーストウッドは賞金稼ぎの主人公を演じる事になるのだ。
マカロニ・ウェスタンが、本来アメリカ映画の長年の伝統と歴史を誇る西部劇を、それとはおよそ無縁なヨーロッパの地に移植して作り上げられた、まがい物の産物である事は既に述べたが、そこでレオーネ監督とイーストウッドが行なった、大胆不敵で革新的な実験のひとつが、高潔な正義のヒーローが悪を打ち倒すと言う、従来の西部劇に特有の勧善懲悪調の道徳劇のスタイルをばっさり切り捨てる事だった。既に『荒野の用心棒』の主人公自体、『用心棒』からの無断借用とはいえ、従来の正統的なアメリカ製西部劇の正義のヒーローとは程遠い、ダーティなアンチ・ヒーロー像を打ち立てて居たが、この『夕陽のガンマン』でイーストウッドが演じる、主人公の役柄は賞金稼ぎに設定され、善悪という道徳的な価値判断や倫理観よりも、あくまで賞金目当ての欲得と打算がその行動原理の前面に据えられる。こうして、血なまぐさい暴力が支配する無法の荒野で、主人公も含めてエゴや私利私欲を剥き出しにした連中が、互いに裏切り騙し合いながら相争うさまを、痛烈なブラック・ユーモアと残虐なバイオレンス描写を随所に交えながら冷笑的に描く、レオーネならではの傍若無人、問答無用の娯楽西部劇世界が、本作でより一層華麗に展開される事になる。
『荒野の用心棒』では、互いに相争う2組の悪党どもの対立を、イーストウッド演じる主人公が一層煽り、けしかけながら、双方を壊滅状態に追い込む様子を描いていたのに対し、『夕陽のガンマン』では、共に腕利きの同業者にして宿命のライバルたる2人の賞金稼ぎが、時に相争い、時には紳士協定を結んで互いに協力しながら、いずれも多額の懸賞金のついた、悪党どもとその親玉を次第に追い詰めていく様子が描かれる。かくのごとく、三つ巴の戦いを映画の物語の根幹に据えることが、どうやらこの頃のレオーネのお好みのフォーマットであった事が見て取れるだろう。
イーストウッドが賞金稼ぎの主人公を、そしてジャン・マリア・ヴォロンテが『荒野の用心棒』に引き続いて悪党の親玉を演じるのに加え、今回、イーストウッドのライバルたる、もうひとりの賞金稼ぎ役には、どこか猛禽類を思わせる精悍な顔立ちと眼光鋭い目つき、そして黒装束に身を包んだスレンダーな長身が印象的なリー・ヴァン・クリーフが起用され、風格に満ちた強烈な個性と存在感を存分に披露。相手との距離を充分に見極めた上で、沈着冷静に標的を仕留めるその確かな銃の腕前で、映画の中盤、彼がイーストウッドと互いに相手の帽子を撃ち合いっこする場面は、今日改めて見直すと、何とも稚気丸出しのくどい演出で多少ダレるが、筆者が小学生の頃、最初にテレビで見た時は、こいつは、まるでマンガみたいで面白いや、と興奮したものだっけ…。
そして、紹介の順序がすっかり後になってしまって我らが偉大なマエストロには大変申し訳ないが、これらの要素にさらに御存知エンニオ・モリコーネの比類なき映画音楽が加味されて、『夕陽のガンマン』でレオーネ独自の世界は早くも一つの完成を見ることになる。実はかつて小学校時代の同級生だったというレオーネと初めてコンビを組んで、モリコーネが『荒野の用心棒』につけたサントラ自体、口笛にギターやコーラス、そして鐘や鞭の音などを多彩に組み合わせた斬新なアレンジで、マカロニ・ウェスタンの音楽はかくあるべしと、以後の基調的なサウンドを一挙に決定づけた超絶的傑作だったわけだが、本作でモリコーネの音楽は、物語とより有機的に一体化されてドラマを情感豊かに彩る事になるのだ。
とりわけ、リーヴァン・クリーフとヴォロンテの間に実は深い因縁があった事を、懐中時計から流れるオルゴールのメロディが何よりも雄弁に物語り、その印象的な旋律をバックに、彼らが宿命の対決を繰り広げるクライマックスの円形広場での決闘場面は、やはり何度見てもスリリングで面白い。此処でイーストウッドは、半ば主役の座をリーヴァン・クリーフに譲り、公正なレフェリー役として2人の決闘に立ち会う事になるが、レオーネ監督は、この円形広場での決闘場面を改めて自ら反復・変奏し、今度はいよいよ三つ巴の戦いの決着の場として、よりけれんみたっぷりに描き出すべく、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』と共に3部作を成す、次なる壮大な野心作『続・夕陽のガンマン』に挑むことになる。
3.ドルは充分稼いだ。さて、しかし…マカロニ・ブームの頂点を極めたバブル巨編 ― 『続・夕陽のガンマン』
『夕陽のガンマン』が『荒野の用心棒』をも上回る大ヒットで2年連続イタリア国内の興収記録第1位に輝いたのを受けて、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』の製作費は120万ドルと、『夕陽のガンマン』の60万ドルからさらに倍増し、イーストウッドの出演料も25万ドルプラス歩合と、前作から約5倍にアップ。倍々ゲームのようにしてイケイケで駒を進めて来たレオーネ監督は此処で、作品の長さも約3時間に及ぶ、マカロニ・ウェスタン史上空前のスケールの超大作を生み出す事となった(長尺が影響したのか、『夕陽のガンマン』の興収記録には及ばなかったものの、本作もやはり大ヒットして、みごと3年連続イタリア国内の第1位に輝いた)。
映画の原題は既によく知られている通り、「いい奴、悪い奴、汚い奴」で、賞金稼ぎの「いい奴」をイーストウッド、冷酷非情な殺し屋の「悪い奴」を『夕陽のガンマン』の役柄とは好対照をなす形でリーヴァン・クリーフ、そして首に賞金の懸かったお尋ね者の「汚い奴」には、かのアクターズ・スタジオ出身の実力個性派イーライ・ウォラックが起用され、三者三様、互いの持ち味と個性を競い合う。ただし先にも説明したように、勧善懲悪の世界とは無縁のレオーネ映画にあって、この3人は、その呼び名の通り、善玉と悪玉などにくっきり色分けされて居る訳では無論なく、「いい奴」役を割り当てられたイーストウッドも含めて、いずれもひと癖もふた癖もある悪党どもばかり。そんな彼らが、ふとしたきっかけで知った某所に眠る20万ドルもの財宝をめぐって決死の争奪戦を繰り広げる様子を、レオーネ監督は、南北戦争時代のアメリカを物語の舞台に、圧倒的な物量作戦で戦闘シーンをスペクタクル風に再現したり、コヨーテの遠吠えを模したモリコーネの強烈な主題曲を織り交ぜたりしながら、どこまでも悠然としたペースで描いていく。
そして、物語の大詰め、この3人の主人公たちが、いよいよ三つ巴の決闘に挑むべく、円形広場で3方に分かれて対峙する、名高いクライマックスが訪れる事になる。ここでレオーネ監督は、3人それぞれの顔の表情やガンベルトにかけた手のクロースアップを、これでもかとばかりに何度となく繰り返しクロスカッティングさせ、そこへさらにモリコーネ独特の音楽がバックにかかり、トランペットの音色やオーケストレーションが次第に高鳴るにつれ、いやがうえにも映画はドラマチックに盛り上がる……事はまあ確かなのだが、その一方で、本来なら一瞬であるはずの決闘直前の3人の睨み合いの息詰まる緊張した時間が、どこまでもズルズルと非現実的に引き延ばされるのに付き合わされるうち、すっかりダレて疲れてしまい、一体これ、いつまで続くんだろう? とふと我に返って思いをめぐらす瞬間が訪れる事も、また確かだ。
『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は、御存知あのクエンテン・タランティーノが、オールタイム・ベストの1本としてしばしばその名を挙げて再評価が進み、公開当時よりもむしろ近年の方が、映画ファンたちの間では人気と支持が高まっている。それは無論、承知の上で、しかし筆者自身、子供の頃から何度も目にしているからこそ(2002年、フィルムセンターで開催された「イタリア映画大回顧」特集での、日本初となるイタリア語復元版でのスクリーン上映も見に行ったし、DVDのアルティメット・エディションもしっかり買って、ひと通り見ている)、あえて此処で言わせて貰うならば、上記の場面が象徴的に示して居る様に、この映画は矢張り、全体的に、マカロニウエスタンの、いや西部劇の名作と言う印象を得る。しかし3時間は少し長い。もちろん、それなりに面白くて楽しめることは充分認めるんだけどね…。
『夕陽のガンマン』を手始めに、お互いにろくに言葉も通じぬままたて続けにコンビを組み、マカロニ・ウェスタン3部作を生み落としたイーストウッドとレオーネ監督だが、一作ごとに自らの野心と欲望を肥大化させ、まるでデヴィッド・リーンばりの巨匠を気取って大作路線を突き進むレオーネに次第に違和感を覚える様になったイーストウッドは、『続・夕陽のガンマン』を最後に、ついに彼と袂を分かつことになる。そして、人気スターとなってアメリカに凱旋帰国を果たしたイーストウッドは、やがてドン・シーゲル監督という新たな師匠と出会い、より簡潔で無駄のない引き締まった演出法を彼から伝授された上で、自らも映画作家となり、さらなる高みを目指して険しい道=マルパソを歩む事になるのである。
For a Few Dollars More - Clint Eastwood's Entrance (1965 HD)
荒野の用心棒 完全版 製作50周年 Blu-rayコレクターズ・エディション PV
The Good, the Bad & the Ugly Finale