寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

生き方について......。(本当は更新も限界なんだけども書いて見ました。読んで見て下さいね。過去blogの記事も宜しくね。。。。)

 

薬の効用で、眠くて仕方ないkiyasumeです。すぐにうたた寝をして仕舞います。。。。

 

「世の中には醜さと言うものはない。世の中には正しさと言うものはない。世の中には素晴らしさと言うものもない。世の中には虚しさと言うものもない。そして苦しさと言うものもない。全てそれぞれ人が過去の経験と過去の経験によって強化されて来るものの網様体賦活系によって苦しき情報を集め、悲しき情報を集めそして自分で苦しんで居るものだ。」これはあるお坊さんの言葉ですが、よく人の魂はステージが決まって居て、上に上に上がる様になされて居ると言いますよね。人の位と言うものは金持ちだからいいと言うものではない。豪邸に住みランボルギーニに乗って居ても自分はダメだと嘆く人も居れば。私の様な6畳間に5、5畳のお勝手ひとつでも満足して居る人も居る。日頃の自分の生活は勿論自分が作り挙げたものだけども。

物事に感謝する人、例えば日々の食べ物に感謝する人。食事になるおかず例えば豚肉。魚。皆命を頂いて食して居ますよね。だからキリスト圏の特にアメリカなどでは謝肉祭と言うものがある。肉に感謝をして居る訳ですよね。自分の魂のステージを上げる為には人に対する感謝を持たないと行けない。例えば私が日頃気に食わないと言って居る。人をすぐ小馬鹿にした笑みやら「ハハハハハ」とか皮肉を言う人の魂が上昇する事はありません。一番魂の上がるステージを持って居る人とは何かしても、決して見返りを求めない人。愚痴を言わない人でしょうね。魂は上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)と分かれて居るとよく言います。

上品とは理想的な人格、清き正しく慈悲に溢れて居て、人の為に涙する優しさ、そして強く厳しい処もある。そう言ういい処ばかりを集めた魂。中品とは悪くも無く良くも無く普通の状態の魂。下品とは悪い人の全てを取り揃えた。妬み嫉み僻み、悪い状態の魂を一手に引き受けて居る人の最低な魂。私はどうやらこの下品の魂を持った人を沢山見て来た様だ。「今、此処」と言う事があります。私たちは未来に生きて居る訳でもなく、過去に生きて居る訳でもなく。「今此処」でしか生きられない、何か自分でやれるとしたら「今此処」を無心に生きると言う事。世の中生きて居れば、どん底に落ちる事もあるし。又どん底まで落ちて落ちる処まで落ちたら、又浮かび上がって元の処に戻って来る。

世の中も人生もおよそ下がれば跳ね返るアップダウンと言う事を繰り返し平均値に収まって来る。自分の力とか自分の進化とかが問われるのはアップして居る時ではなくてダウンしてる時ですね。アップが良いダウンが悪いではない。この波をどうやって生きて行くのかが人生では無いかと思う。「今此処」で関われる事をするしか無い。より良き自分を見据えた時にそれが解らない事であるがこそ、「今此処」で関われる事をするしか無い。そして今掴んだ点と点と点が線になり、形になって行く事を信じて生きて行くしか無い。生きがいが見出せないと思う前に「今此処」で与えられて居る環境で、そのポジションで一生懸命に生きなければならない。そうする事で生きがいも出て来るのだと思います。そう思う、今日この頃です。。。。

 

私は大学に一応は行きました。しかし、私は、今、美術学校に行けば良かったかなと思っても居ます。此間、まあ、前にですが20歳の訪問看護師から、「何でkiyasumeさんは、経済学部などに行ったの?漫画が好きなら漫画学科でもなんでもあったじゃ無いのヨォ!!」と言われたが、彼女は1970年代当時を知らない。私の時代は私は商学部でしたが。経済を学ぶのが一番いいとされて居た。次に良いとされて居たのは、工学部だった。文学部やら美術系はとことんダメだと言われて居た。時代も流行り言葉こそ「ビューティフル」だったが。時代的に見れば「モーレツ」な世の中だった。私は最近になって高校の担任が「お前、東京電機大学なら推薦が取れるぞ!!」と言って居た事を思い出す。担任は言って居た「お前らなぁ〜〜。経済学部出たってなぁ、よほどに良い大学でなければ良い会社、企業には入れんぞ?それより手に職が付けられる電気大学なら推薦で入れるし。これからの時代には必要で引く手数多になるぞ!!」そう言っても誰も推薦すら貰う学生は居なかった。何故なら当時としては電気職人いわゆるブルーカラーと言う意味合いが強かったからだ。だから他の高校はどうだか知れないが、私の高校では誰も推薦が取れたのに、行く人間は居なかった。私は高校3年の時に美大に行こうとしたが、やはり封建的な思想の親は猛反対をした。「美大なんか出たって食えやしないよ.....。」今みたいに開けた世の中では無かった。だって1974年当時だ。偏見もあった。

人生=色々です。(古いかな) いい大学に入ってすべてがうまく行けば、高学歴ワーキング・プアなんて生まれません。 "意志ある処に道あり"ですよ。学歴は手段に過ぎません。就職ランキングで上位にある様な会社へ行きたいんであれば、その手段としていい大学へ行けばいい。でも、美容師を目指して居る人が大学へ行っても何の意味もありませんよね? 人間に取って一番大事なのは、どう生きたいか、どんな風になりたいか、ですよ。それが解って居るのなら逆算して目指して頑張ればいい。それを人は「意思」と呼びます。 世界は広いから、勿論、高学歴で無いとどうにもならない世界もあります。そしてそれとまったく同じように、高学歴であってもどうにもならない世界もあります。 学歴が無いと役に立たないと言う人は、学歴が必要な世界に身を置いて居るからそう思って居るのであって、勿論まったく別の世界では何の役にも経ちません。料理人の世界では中卒で修行をして来た人の方が評価されるでしょう。 大事なのは、人では無く自分がどんな世界で生きて居たいのか、なのですよ。人間は自分で選んで生きる道を決めて行きます。高学歴と言うのは、あまたある選択肢の一つにすぎません。 自分でどんな道を選んでもいいと思います。そして、自分で選んだ道だから頑張れるのです。それがよく言う、「置かれた場所で咲きなさい。そこで精一杯の努力をすればいい。いつか必ず花は咲きます。」の意味なんだと思います。

 

欲を減らす。欲を捨てて行くと言う考えがありますが。でも実は欲を減らす捨てて行くばかりが、クローズアップされて居て欲を育てて行くと言う欲もあります。それは、「渇愛。私欲。」と言う2つの欲です。渇愛とは、十二因縁の一つで、対象のものごとを貪ったり、執着することを指す。仏教においては中核的概念のひとつであり、身体・精神的な「渇き、欲望、渇望、貪欲」を指して居る。愛とも訳される。 欲愛 - 感官によって得られる刺激・快楽への渇愛。 有愛 - 存在することへの渇愛 。非有愛 - 存在しなくなることへの渇愛と言います。 「渇愛」とは詳しく言うと、ベーシック・ニーズと言う生きて行くのに大切な睡眠欲。性欲。食欲などの身体に取っての感覚器官が気持ちいいと思う欲なんです。そして欲には際限が無い。お金を持って居なくても今はそこそこ美味しいものは食べられるし。服もUNIQLO /GUなどでデザインがいい服が安く手に入る時代です。

「渇愛」、もっと欲しいと言う欲は捨てなければいけない。もっと欲しいと言う物欲は人生を破滅させて仕舞うくらい大きな物欲です。生きて行く欲が生きて行く以上に広がって行っては仕方がありません。「私欲」と言うのは己が良いと思った事に邁進して行く欲の事です。高度な欲は身を滅ぼします。身分に合わない浪費をすれば借金まみれです。または、能力以上に働き過労死待ったなしかも知れません。ただ、オリンピック選手の様に、とことんまで極める事に生きがいを感じる人も居ますので、例外はあると思います。これが私欲です。個人の価値観や完成による所が大きい。

適度に欲を捨てる。例えばお金の掛かる事、コスパの悪い事を辞める。ある程度で満足できる体質になる。すっぱいぶどうだと言って自分を騙せる体質になる。騙して居る事すら気づかなくなる。そうすると、無理に働いてお金を稼ぐ必要もないので様々な苦労から開放される。その開放された時間に上手に余暇を楽しめれば幸せでしょう。まぁ引退した高齢者を見ているとしっかりと働くほうが幸せな人も居ますし。価値観はそれぞれですが、欲が少なければ酷使する必要がないですので、欲に振り回される時間が減りますので、一般には幸せだと思います。

全て欲を捨てる。食欲すらなくなれば死にますので、幸福も不幸も感じなくなると思います。

 

皆んな、他人が自分に対して、不利益を与えて苦しめると言うがそれは違う。自分が自分に不利益を与えて苦しめて居る。ブッタの言葉で「自己をよく守れ」と言う言葉がある。此れは自分をよく守れと言う事ですね。自分が自分に不利益を与えて苦しめる。此れは人間の一番愚かな処です。ブッタの言葉は自分から自分を守れと言う事だ。私は統合失調症だ。しかしある人から言われました。此れは障害と思わずに多様性だと思えと・・・・。だから世間と適合すればいいと言われた。なるほど私は今まで過去の自分に縛られて居た。しかし、例えば認知症の母は私の側にはもう居ない、姉さんは近寄っては来ない。弟はとうに死んで居ない。親父もだ。自己の本来持って居るものをダメとするものはもう居ない。これは自己を守ると言う事だと言う。此の私のトラウマを嫌わずに生きる事。怒りと言う猛毒を持ち続けて、生きて行くと言う事は愚かな事だと言われた。いい事を言われたとは思う。然し私の仁は抑えようが無い。

ひとつ具体的な議論を追って見よう。トラウマは脳にもその痕跡を残す。典型的には、トラウマを負った人では扁桃体が過敏に反応する様になって居るのである。扁桃体と言えば、情動反応の処理に於いてとくに重要な役割を果たして居て、脳に於ける「煙探知機」に喩えられる部位だ。脳画像でも確認されて居る様に、そうした探知機が過敏に反応するからこそ、患者は必要以上に危険を感知し、ストレスホルモンがたびたび強く分泌されて仕舞うのである。

ただし、トラウマと関係している脳部位は扁桃体だけではない。扁桃体との関係でとりわけ重要なのは、前頭前皮質だ。前頭前皮質はいわゆる実行機能を担っており、とくに内側前頭前皮質は脳の「監視塔」に喩えられる。煙探知機として警報を鳴らすのが扁桃体の役割だとすれば、その警報が妥当なものかどうかを判断するのが内側前頭前皮質の役割である。かりに煙探知機が警報を発したとしても、監視塔がそれを誤報だと判断すれば、ストレス反応はじきに抑制される。だから重要なのは、扁桃体と内側前頭前皮質の均衡関係なのである。その証拠に、そうした関係が崩れてしまうと、現にトラウマを負った人がそうであるように、すぐさま闘争/逃走モードのような状態に陥って仕舞う事になる。と言う様に、トラウマ性ストレスにうまく対処するためには、まさに両者の均衡関係を維持・回復することが肝要だと考えられる。そして、そうした均衡を維持・回復する手段には、トップダウンの調節方法とボトムアップの調節方法がある。トップダウンの調節は、監視塔の力を強化するものであり、具体的にはマインドフルネス瞑想やヨガなどがそれに当たる。他方、ボトムアップの調節は、自律神経系の再調整を促すものであり、具体的には呼吸や身体動作、接触などを介して行われると良いと言われて居る。

 

                                   
 

 

今から8年位前に長髪にして一度パーマを掛けて居ましたが。あの頃は認知症の母と一緒に暮らして居た為、母も笹塚の「カズ」と云う美容院で一緒にやって貰って居たのですが。いやぁ、、認知症だから美容師に色々とメチャクチャな話をして居て、困って仕舞いました。笹塚の前は新宿の京王デパートの中にある美容院でやはり母を連れて行ってやって貰って居ましたが、ある時、私に、男の美容師が付いて、やって貰って居たら、「最近、インフルエンザで人が来るでしょう。」とか、、何を云って居るのか良く解らないので「そうですか?」と云ったら、「お医者さんは忙しいのではないですか?」と云われて。「私は医者では無いですよ?」と云ったら、「だってお母さんが、お客さんが来る度に息子は医者だと云って居ましたよ!?」と云うので、「それは弟の方ですよ!」と云ったら、その男の美容師が、女の美容師を怒鳴り付けて居て。その日は料金が半額になって、要するに「医者だってよ!ふざけやがって!!」と云う事で、料金を倍に釣り上げて、吹っ掛けて居た見たいでして.....。

それで母が終わって帰りに、女の美容師と二人で送り出しに来て、私に「これも美容師としての仕事の一環ですから」とか云って居て。どうやら、母にも皮肉を云ったらしい。それで次に行って見たら、受付がその男の美容師はクビになりましたとか、云って居た。それから、もうその美容室は行くのを辞めて、どうしようかと思って居ましたが、笹塚の「カズ」と云う美容院を見つけてそこに行く様にしたのだけれども、料金がそれまでの半額でした。しかしそこも母がどうしようもない事を言い出したので行か無くなって、それから母は施設送りになり、私はアパマンの近くの美容室でやって貰って居ましたが。「カズ」よりも値段が安いし、ほぼ男性の客しか行かない美容室だから。独りになって此処4年程、そこの店に通って居ましたが。そこも嫌がらせを言う様になって来たので。今は越した事もあり越して来た側の美容室に行って居ますよ。前の実家の側には床屋は近くにありましたが、前に行ったら、ジジイの理髪師が、「お客さん、あんた自由業だろう。髪長くしていて、サラリーマンじゃないだろう?」「いけないですか?」と云ったら「あんた、会社勤めした事あるんかい!」「ああ、会社勤めは27年程してますが?」そう云ったら今度は、「あんた高校はどこ出たんだい。」「一応大卒ですが。」と云ったら要約聞いて来なくなった。まあ、美容師の方が良いですね。余計な事は聞きませんから。

美容院に行くまでは、近所の床屋やら、隣町の床屋やらに通って居ましたが、床屋は偏屈が多くてダメですね。私は若い頃から髪を長髪にして居るので、まあ、床屋は髪を切るのが仕事だから、でもね、、バリカンで剃る訳には行かないし、何か最近の若者のヘアスタイルはわざと部分的に剃りを入れてる様だけど。私は往年のミュージシャンやら芸術家がやって居た、長髪のスタイルなので、まあ、良いでは無いですか。歳など関係ないですよ。最近の若い人たちは(あくまで20代から30代前半と考えて居ますが)音楽とか芸術を良く知って居る人はそうではないのですが。例えばロックをやって居るのは若者だけだと思い込んで居る。まあ、普通の人も音楽をやって居るのは若者という認識が高い。今は、50代、60代でもロックをやって居ますよ。私は小学校3年生からロックを聴き始めて、それ以来ずっと聴いて居ます。反対に若者が今の流行りの音楽しか聴いて居なくて、本当に良かった頃のロックを知りません。今の流行りのロックはポップスですよね。ヒップホップとか言って居るけど。何か違いますね。要するにロックの要になっているブルースを聴いて居ないので、フォークに成っている。大音響でギターを弾いても、何だか違いますね。ブルースとは要になるもので、何もブルースロックをやれと言って居るのではないけど。何とも、言い様がないです。まあ、ジジイの戯言だと思って下さい。しかし、私はラップとかも聴きますよ。ロック談議は此れ位で。。

 

青木志貴ちゃん。。。。

 

強い女の顔面作り。

 

 

〜〜「懐かし洋画館」〜〜

さて映画です。今回はサム・ペキンパーの「ガルシアの首」です。古いですが、バイオレンス映画の金字塔です。バイオレンスの巨匠サム・ペキンパーが生涯愛したメキシコを舞台に血と暴力とそして熱い男の友情を描いたバイオレンス・アクション映画の大傑作です。主演はペキンパー映画の常連ウォレン・オーツ。音楽もペキンパーとの名コンビのジェリー・フィールディング。

ストーリーはメキシコの大地主の娘を妊娠させた男、プレイボーイのガルシアを殺すため100万ドルの賞金が出され、ガルシアの首をめぐって、殺し屋たちがメキシコに集まり、ガルシアの消息を探しているなか、ひょんなことからこの件に関わることになった安酒場の歌い手のベニー(オーツ)が人生最後のチャンスとばかり、殺し屋たちを出し抜いて、ガルシアの首を手に入れるべく、血みどろの殺し合いに巻き込まれて行く。

ペキンパーと言えば、そのバイオレンス描写と共に男たちの友情を描く事では右に出るものはなく、本作では主人公のベニーと死んで生首となってバスケットケースに入れられたガルシアとの友情(当然相手は死人なので、あくまでベニーの独り言なのだが)がメインで、車を走らせ、助手席に乗せたガルシアに話し掛けて居るうちに次第にガルシアと言う男に共感を抱いて行くと言う奇妙な展開は他の映画に見られないような一見アブノーマルな表現だが、それを真正面から熱い男の友情として描いて居るペキンパーの手腕は見事と言うほかなく、このペキンパーの意図が理解出来なければ、最後のベニーの破滅的行動も理解出来ず、この事がこの映画の評価の別れ処だろう。

映画の原題は「アルフレッド・ガルシアの首を持って来い」と言うものである。女誑しの首を巡って血みどろの争いが繰り広げられると言う、見るからに一般受けしない題材のため、本国アメリカでは興行的に惨敗した。だがその一方で、監督であるサム・ペキンパー自ら「俺が作りあげた映画」と豪語するほど監督の嗜好が色濃く現れた作品でもあり、ペキンパーの代表作に推す声も少なくない。

ペキンパーの十八番とも言えるハイスピードカメラで撮影されたスローモーションや、激しい銃撃戦などの暴力描写が作中でふんだんに用いられて居る。この映画は、『戦争のはらわた』と並んでペキンパー自身が最後まで編集権を握る事が出来た数少ない作品の一つである。ペキンパーは巧みな編集によってキレのよい銃撃戦を演出して居る。ペキンパーが自分のやりたいように作ったこの映画は、もっともペキンパーらしい作品であるとも評される。下は予告編です。

 

Trailer: Bring Me the Head of Alfredo Garcia - 1974

 

1980年代に「ゴリラ」というアーノルド・シュワルツネッガー主演、監督ジョン・アービンのバイオレンス・アクション映画だと云う触れ込みで、公開された映画を観に行ったのですが。何だかな、全然バイオレンス映画の事を解って作って居ないじゃないかと・・・・。お気軽なマッチョな男がローリング・ストーンズの「サテスファクション」を聴きながら悪党を皆殺しにするだけの映画、「ガルシアの首」の男たちの友情も、男の哀愁も虐げられた女性も、子供の描写も無し。スーパーヒーローが悪人をただ殺すだけの映画。何時からアメリカ映画がダメになって仕舞ったのかと、御都合主義で人を殺すだけの映画にうんざりした事がありました。私は石井 隆監督が日本のサム・ペキンパーじゃないかと思って居ますが。やはり映画は人間の業を描いてなければいけないと思って居ます。

1980年代の傾向として、スーパーヒーローが悪人をただ殺すだけの映画が世の中に蔓延り、その結果、それに影響を受けた犯罪が起こり。良識のあるアクション映画オタクは怒りました。この傾向は最近でも見られます。ハリウッド映画はダメになりましたね。幸いにも香港からジョン・ウーと云うバイオレンス・ノワールを作らせたら最高の映画を作る監督も出てきましたが、ハリウッドに取る込む事で、才能を台無しにして仕舞いました。アメリカ映画として作らされた彼の映画には幻滅しました。最近の映画は特にハリウッド映画は見ない事にして居ます。人間の業をきちんと描いて無い映画に興味はありません。サム・ペキンパーは良かった。もう、死んで仕舞いましたが。彼の作った映画は燦然と映画史にその足跡を刻んで居ます。どうか、このblogで「ガルシアの首」の事を知ったら映画を観て下さい。男意気に泣けると思いますから。よろしく。。。

 下は「ガルシアの首」のDVDです。

ガルシアの首 [DVD]
クリエーター情報なし
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 

June Yamagishi & Shinji Shiotsugu

GUITAR STORIES-情熱のスーパーギタリスト列伝- #2鮎川誠 編 20150601

ブレイクダウン/上田正樹とサウス・トゥ・サウス

塩次伸二 妹尾隆一郎 永井ホトケ隆 2008.1.18 京都Mojo West

ブルースパラダイス 永井ホトケ隆 堺ブルースフェス2018アンコール

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日の夕食。ラーメンライスに餃子です。。。

 

 

ーひとりぼっちー

ひとりぼっちって何。

可愛い三つの女の子が言う。

そっとその子を抱き上げて

きっと僕みたいさ

それでもまた聞いた

ひとりぼっちって何

わかることなら教えてあげたい

あの山のそのまた向こうの山に

ひとりぼっちは立って居る。

春も夏も秋も冬も

風に吹かれて立って居る。

四季の風に乗って

時々聞こえる

聞かせてあげよう

ひとりぼっちのその詩を。

 

erica-「ひとりぼっちの涙」リリック(ハーフver.)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人は人との繋がりで生きて居る。人は一人では生きられない。気が付いて居なくても生きて居ると言う事は誰かに支えて貰って居る事だ。私は人との繋がりを大切にしたいです。昨日、ポストにアフリカで飢えに苦しむ子供達への寄付を集う封筒が入って居た。それを見て涙が溢れた。「ごめんね、おじさんはお金が無いんだよ。お金持ちなら幾らでも寄付できるけど・・・。」無記名で3千円ほどを封筒に入れて送った。

働いて居たある年の冬、道路工事の警備員を見かけた。恐らく季節労働者であろう。黙々と仕事をして居た。それを見たゆきかずが言った。「大の男があんな仕事をするなんて、ああ、男のする仕事じゃねえよなぁ〜〜警備員の交通整理なんてよ!」私は激怒した。農家の人たちが冬場、畑仕事が出来ないので東京に出稼ぎに来て居るのだ。それをなんだ!!貴様はどれだけ立派な人間だ。私はゆきかずを睨んだ。ゆきかずはバカだ。当時ゆきかずは40代。私は30代だった。ゆきかずはバー通いが好きだ。銀座のバーまで飲みに行く。そしてカラオケで歌を歌うのだ。いつも好きな、ド演歌を歌う。バーのマダムに「ゆきかずさん、素敵!!渋い声だわ〜」と言われ「そうかい。そんなにいいですか?」「ええ、その声が翻ってカスれる処がいいわ〜」と言われたと私に自慢する。私は内心、バカにしながらもその話を聞いて居た。私は面と向かってはバカにはしない。話は変わるが毎回主治医が私の着るものを褒めるのだが、前に、冬場にチェック柄のコートを着て行ったら。「いいね。英国紳士みたいだね」と言われて。英国のトラッド・ファッションを意識してそのコートを買ったので、嬉しくなり、訪問看護婦についそう言われたと言ったら。

「他の服着て行ってもまた言われるよ」と言われてげんなりした事がある。その子はお世辞が言えないのだ。思いやりが無い。よく若い頃のバンドのテープを掛けると、ある訪問看護婦が「〇〇さん、若い頃どれだけ長髪にしていたの?腰まで?」と聞いた事がある。私は「そんな長髪にはして居なかったよ。肩から少し下までだよ。」と言うと「な〜〜んだ。腰まででは無いのか」と言うのだ。私は内心。「この子はなぁ...。」とは思うが、それで怒る気は無い。私の歳でそんな事でいちいち感に触って居たら、その方がおかしい。私は余り言わないが。人はすぐに自分の感情を露わにする。大抵の人が嬉しく成った時。それを言葉に出して言うと他人は「反感」を持ってその言葉を遮る。そして罵倒する。その傾向は若い人程多い。勝手、私が付き合って居た女の子はそんな事はなかった。それは人間が出来て居たからだ。彼女は20歳そこそこで40歳程の配慮が出来る子だった。私はそこに惚れて居た。最近の若いのはと言いたそうだと思うだろうけど・・・そんな事も言いたくは無い。まあ、此間だけども、年配の訪問看護婦にバンドでのテープを聴かせたら、「キャー、素敵」と言われた事がある。この場合配慮が行き過ぎて居る(笑)。丸で私が丸バカの様では無いか?私は最近に成ってよく話す様に成った。前は黙って居た。訪看たちはとっつき悪かった様だった。女性は感情の生き物だ。面白く無いと露骨に面白く無い顔をする。

 

ザ・エン歌

 

私は高校生の時、大学生かと聞かれ、大学で30歳ぐらいかと聞かれた。大人びて見えたのだろう。よく高校の頃、渋谷などの盛り場を彷徨くと、「旦那さん、いい子居るよ。ロンドンだよ!!」とキャバレーの連れ込みに呼び止められた。新宿では売春婦に声を掛けられた。私はどれにも引っかからなかった。しかし相手は言って来るのだが、よく私を見ると、「何だか、中年に見えたけど、まだ若いのね」と言って去って行った。中学の頃、不良と話をして居たら。そいつの仲間がやって来て。私に敬語で「なんかこいつが言ったんですか?」と聞いて来た事があった。私が敵意を持って居ない事が解って、その不良がこいつは同級生だと言うと「ああ、びっくりした大学生から喧嘩売られて居るのかと思ったよ」と言って居た。それほど落ちついて居たのです。それが中学の担任の体育の教師に、悪く取られた。「なんだてめえは、とっちゃん坊やか。ええ!!」と目を付けられて。体育の授業で、剣道に成って、先生と組むと、訳もなく頭を叩かれ、そしてつきを喉ぼとけに入れられた。要するに気に喰わなかったのだ。私は教師は嫌いだ、特に体育の教師は大嫌いだ。彼らは根性が腐って居る。私はいいカモに見えたのだろう。高校の時の担任も体育の教師だったが、私に裏口入学を持ち掛けて来た。前に書いたので省くが。私の高校は甲子園に出た。野球部のコーチであった担任の体育の教師はマスコミに追われた。しかしその裏で私に日大の藝術学部への裏口入学を斡旋しようとしたのだ。

私は断ったが。日大は裏口入学が多くて評判の大学だ。大抵ブローカーは教師だ。姉が大学に進学する時も有坂というブローカーが姉が入学試験の成績をちゃんと取って居たのに。成績がギリギリの線だから300万よこせと言って来たが。母が嘘だと見破った。そして証拠を突き付けるとその教師はタジタジになって謝った。大学入試にまつわるブローカーは沢山居る。殆どが教師だ。私は大学受験の時に予備校に通った。すると予備校で教えて居る大学の助教授が「この中で、日大の入試試験の回答が欲しいものは、職員室まで来なさい。私は来年の入試試験の回答を用意出来るから・・・」と言うのだ。大っぴらに言って居た。私はそれを聞いて、予備校に行くのを辞めた。そして自分で参考書を買い込んで、勉強をして大学を受けた。大学は受かったが。しんどかった。

大学の入学式に行くと。法律の助教授が新入生に激励の言葉を掛けて居た。その助教授は私の恩師と成った。私がストーカーに困らせられて居た時も、陰日向になりずっと私を見て居てくれた。私が大学内の廊下でその助教授とすれ違うとその助教授の方から「こんにちは」と挨拶をしてくれた。反対に職員は無礼な奴が居た。私が行くと「ばかやろー」と言うのだ。気に喰わないと言うのだ。私は大学時代、長髪にしてレイバンのサングラスをかけて居たのだが、それが気に食わなかったのだろう。若い職員だった。ある人に聞いたが夜間高校を出て大学の職員をして居ると言って居たそうだ。歳がほぼ同じなのだ。その職員は、私の成績表を違った生徒に渡し、私にその生徒の成績表を渡すのだ。私は悪いがその生徒の可が並んだ成績表をすぐにその生徒に渡し、私の成績表を返して貰うと言う事が続いてあった。

その学生は自分の成績に優があるので不思議そうな顔をして居たが、それを見てその学生課の職員は私を蔑んで見て居たので。私は或る日。その職員に「何時も成績表が間違って居ますよ。」と言って、取り替えて見せたら。ビックリして、「長髪にして遊んで居るのに勉強だけはして居るのかい!!」と皮肉を言う。私は又かと思い。苦い笑みを浮かべた。。。大学時代は殆どバンド活動をして居た。しかし成績は取って居た。私が金融論の試験で、なかなか勉強した事を思い出せなくて、苦労したが、思い出して答案用紙に書き込んで試験官の教授の処へ持って行くと、「よし!!立派な答案です!!」と言ってくれた。教授は見て居るのだ。私がきちんと講義を受けて勉強して居るのを。私は大学では友人は余り作らなかった。ある時に3人の学生が私に声を掛けて来た。私は見るからに遊び人風な学生を見てウンザリした。しかし彼らは私に声を掛けて来た。「お前よう。髪長いじゃん。」「ああ、長くして居るからな」「何で!!」「バンドやって居るから・・・」「へえ〜〜。」

一人は極真空手をやって居ると言う。そいつらを見て、中学のあの3人トリオを思い出して、(解らない人、過去blogの記事をよろしく)席を変えたりして居たが、彼らはいつも3人組で私の席の近くに座る。そして講義中、一人の男が「昨日なんか女の乳首がさあ〜乳頭が立っちゃってさあ〜」とエロ話を始める。また中学の再来だ。私は極力避けた。そうしたら、ある学生が隣に座り、「あんた一人?。私は宗教団体の会員です。私は友達を作りにこの大学に入学したのです。」と言うのだ。そして「あなたはまだ我が宗教団体の偉大さを知らない。私の友達に成って下さい」と言っては毎日私の隣に座り、いかに創立者は偉大か。我が宗教団体は如何に素晴らしいか」と言う。私は「悪いけど、俺は勉強しに大学に来て居るので。宗教の話なら他でやってくれ」と言うのだが講義中、話して、煩くて講義に集中出来ない。そして喫茶店に入ろうと言って一緒に入っては、「私は高校時代にグレて居てバイク事故を起こして、足を骨折したのです。そんな時に我が宗教団体員が私をおぶってくれたのです。私は号泣しました。それ以来その宗教団体は私の命になったのです」と話し出したら止まらない。

 

WOOD 金子マリ、ジャニス・ジョプリンを歌う 1

 

私は学生課の相談室に行って相談した。そうしたら学生課の職員が「君。サングラスを掛けて居るから寄って来るんじゃないの?髪も長いし、相談されてもねぇ・・・他の友達と一緒に居ればいいじゃないの」と言う。「私は何だ〜。」と思ったが所詮、職員なのだと思い。授業を受けて居ると今度はあの3人組の一人の極真空手の道場に行って居る奴が来て、私が講義の内容を書いて居るノートをさっと取り上げると持って行って仕舞い返さない。私は苦笑して、「返せよ」と言うと「俺は兄弟子から可愛がられて居るんだ。」と言って、「俺のこの空手で毎日稽古をして鍛えて居る手を見りゃあ、大抵のやつは震え上がるぜ!!」と言う。また大概のバカだ。キリが無い。私は「とにかくノートを返せ」と言うとそいつは「俺はリック・ウエイクマンの「アーサー王と3人の妻たち」のレコードを売店で買って来たぜ!!」と言う。私は呆れて「いいから、ノートを返せ」と言うと「フン!!チビのくせして一丁前に文句つけてるんじゃねえよ」と言う。私はそのノートはくれてやり、別のノートに書き始めた。しかしそれも取られたので、私は考えた。そして、自分しか解らない速記で書き込んだ。しかしそれもそいつは持って行った。

しかし、私はまた別のノートに私しか解らない速記で記入して、ブルース喫茶で「別のノートに普通の文に書き換えた」マスターが「一体何書いてるの?」とノートを見て、「なんだこっちのノート、アラビア語なのかい?」と聞いてきたので「オレ流の〇〇速記です」と言ったら。変な顔をして居たけど。とにかく、それで通常の文のノートを隠して、何時も通り講義のノートは速記で書いて居た。また、万が一の事を思って。ウォークマンに講義の内容を録音しても居た。準備は整って居た。相変わらず極真空手の男はノートを持って行ったが。試験が迫ったある日、「〇〇!!ノート返す。なんて書いてあるのか解らないよ。なんて書いてあるのか教えてくれ !!」と言って来た。俺は言った「今までノートを取って行って読んでなかったのか?」私は、バカはどうしようも無いと思った。無論なんて書いて居るかとは教えなかった。そいつは試験はダメだった。そして留年をした。しかし宗教団体の会員の男はしつこく側に来て、演説を打って来る。私は哲学の教授に話しを聞いて貰う事にした。すると他の3人の奴らの一人が、学生課に行く私を見て、哲学の教授と話して居るのを聞いて、その噂が広がり、3人組は私の前から姿を消した。

 

Taj Mahal & Bonnie Raitt on the Today Show!

 

処がこの哲学の教授。とんでも無い事を言い始めた「話は解った。君は偉い。わが大学の闘士だ。大学改革の先頭に是非立ってくれないか」と言うのだ。私は唖然とした。それ以来今度は、その教授が電話番号を教えろと言って来て、自宅に電話が掛かって来る様になった。私は、話を断った。その当時バンドは、ギターのバンドの方はメンバー間のイザコザがあって。張りが無い演奏に成って居た。私は大学2年に成って居た。第二外国語はインドネシア語を専攻して居たが教室で授業を受けて居ると、小柄だが可愛い子に目が行った。何時も、柔道部の男子学生が側に付いて居て。その子も煩わしそうだった。私はある日。授業が終わった後に声を掛けて見た。初め、その子は大きな目をクルリと回して私を見ると、軽く会釈をした。私はその子が女優の榊原るみに似て居ると思った。

 
彼女は私に「この人。しつこいんだけども・・・」と小声で言うので、私は咄嗟に、「この子は高校時代の同級生だ。」と嘘を付いた。その柔道部の学生は大きな体を向けて私を怪訝そうに見たが。その女の子が「そうよ。私の元彼なのよ。」と言ったら。そいつは、何故だか、「あんた知ってるよ。ボトムラインとか言うバンドでギター弾いてるんだろう?」と言って来た。「なんだ知って居るのか?」と聞くとその子に「音楽好きなんだ!!」と言って居る。しかしその日以来、側には座るがしつこく話はしなく成って行った。私は彼女と付き合い始めた。彼女は明るかった。そしてバンドの演奏もライブハウスまで見に来てくれた、と言っても私が毎回連れて行ったのだが。彼女はジミヘンとジャニスが好きだった。あとデビット・ボウイとかエドガー・ウインターと何時も組んで居た。リック・デリンジャーとか、女性のスライド・ギター奏者、ボニー・レイットとか、ライ・クーダと結構渋めが好きだった。ブルースは良く解らなかったが。私が黒人のブルースのレコードを貸して挙げた。よく二人で下北沢に行った。芽瑠璃堂でブルースのレコードを買った。私が下北沢で彼女とレコードを持って一緒に歩いて居ると同じくレコードを持ったカップルとすれ違った。すれ違うと、相手が「流石に下北沢だよ、この人達もブルースのレコード持って歩いて居る」と言って居た。そして「あんたもブルース好きなのか?」と聞いて来るのだ。そんな時代だった。話はまだ続くが今回はこの辺で止めときます。

Janis Joplin - Summertime

RICK DERRINGER / EDGAR WINTER / Rock & Roll Hoochie Koo / 1973

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

あと「COM」と「ガロ」。7冊ほど、昔、子供の頃、買ったものと1990年代に買ったものを大切に持っています。

 

 

 歳なりき、、お見苦しいかと思いますが。ご勘弁のほどを・・・

読書について。。。

私が読書をするのは一般的な知識がかなり少ないと思っており、それを補いたいと言うのが一番大きい理由です。特に大学まで哲学書や芸術関係の本を余り読んで来なかったので、知識をつけるための身近な手段としてだったと言う事です。

特に、話題の書や長年読み継がれて居る本と言うのは、それぞれに読まれる理由があると思います。プラスアルファをつけると言うより、ベースを固めるつもりで今の読書をして居ます。

私は、常に文字を見て居たい活字症だと思って居ます。眼精疲労であっても手持ち無沙汰が嫌で文字を見てしまって、案の定激しい頭痛が起きる事があります。

つまり、何か暇な時間にぼーっとするのではなく文字を読む、書くなどの行動をとりたがる性癖なのです(笑)。ですが厳正疲労が慢性的にあるので、テレビの画面を見続けることが苦手だったりします。そんな訳で本がいい時間潰しの相手なのです。

知識を持って居ないと思われる事が恥ずかしいと言うのも理由の一つです。それに、本を読んで居ると言うただそれだけで、センスがいいと他人から思われるのなら、いい事だと思います。しかし、本を読む事でその姿勢を伝える事が出来たら、そこから新しい事を教えてくれる人も居ると思って居ます。実際に、オススメの本を教えて貰うと言う事が、私にとってはその人の事を知る一歩であり学びとなります。最大の理由は、やっぱり好きであると言う事。好きな事は誰だってしたいのです。そして私は読書が好きなのです。

読書との関係は、中学まで遡ります。私の親は本を読まない人でした。私はある日、同級生の家に行き、その父親の書棚を見てビックリしました。哲学書が並んで居て、中にはラテン語で書いてある哲学書があったのです。私はそれ以来自分も書斎を持とうと思いました。しかし立派な書斎はいまだに持てません。いいえ、もう一生持てないでしょう。そして、私が本を読みだしたのは中学からではありません。高校まで本は余り読まなかったのです。中学の時には古本屋で古本を購入して居ました。

中高時代から大学3年生までは、だいたい少なくとも1ヶ月で3冊、多い時は1週間に1冊以上読んで居ました。ほぼ全て思想書か芸術関係、映画分析の本です。で、小説は余り読んで居ませんが。現在好きな作家は司馬遼太郎、安部公房、埴谷雄高、三島由紀夫、ジョゼ・ジョバンニ、ジェイムス・エルロイなどです。

私の一番の欠点は、飽き性な事です。今は最初のスタートダッシュのアドレナリンで此処までこれましたが、おそらく努力しなければこれを続けるのが難しいと言うのは解って居ます。だからこそアウトプットの方法をこの要な公開の媒体にして居るので、見られる意識を続けて行きたいと思って居ます。

そして、このままの読書ペースを保ては2、3冊の本が大体3ヶ月以内には読み切れそうなので、そこからは完全に絞って読書をして見たいとも考えて居ます。1ヶ月ごとのテーマを決めて、絞ったテーマで知識をつけるような読書方法を試したいと考えて居ます。今は一通り本棚と戦って居る最中で、今後の事はまた変化するかも知れません。しかし、一般的な内容の本を一定数読むと、主張される事の共通性に気づいて来ます。

そこで、今度はどう深く掘り下げられるかを課題として行きたいと考えて居ます。特に映画分析に関しては、そこからさらに分野を細分化する必要があるはずなので、まとめて行こうと思って居ます。自分なりの意見を持てる状態になる事が目標です。

本が好きだから本を読む事に何の抵抗もありませんでしたが、それでも読みやすい本と馴染みが薄く読みにくい内容があるのは事実です。此れから読んで行く本はきっとすんなり読めないものも増えて来ると思いますが、しっかり噛み砕いて自分のものにして行きたいです。

 

 

ロックの歴史ーその1ー

1950年以前はまだロックと言う存在自体はなかったが、ジャズ・ブルースなどのロックが生まれるきっかけとなったブラックミュージックは存在して居た。
1903年にアメリカ・ミシシッピ州のデルタ地帯を旅行中だったW.C.ハンディがブルースを知り広めたのが初めて一般に認知されたブルースだと言われており、2003年はブルース生誕100周年を記念してアメリカ合衆国議会によってブルースの年と宣言されて居た。

時が流れ、1950年頃になるとエレクトリックのバンドによるブルースが誕生する。
デルタ・ブルースを基調とする泥臭いサウンドはシカゴ・ブルースと呼ばれ

、マディー・ウォーターズがその代表格と言われる。

 

「悪魔に魂を売った」伝説のブルースマン。

Robert Johnson- Crossroad

ロックの誕生

プレスリー登場
 1954年,テネシー州メンフィスの若きトラック運転手,エルヴィス=アロン=プレスリーが最初のレコードをレコーディングし,1956年にエド=サリヴァン・ショウに出演し,『ハートブレイク・ホテル』を歌ったとき,ロック=アンド=ロールは新しい歩みを始めた。ビル=ヘイリーとは違い,若く,甘いマスクとセクシーな肉体をもった彼は,『ハートブレイク・ホテル』『監獄ロック』などの激しいロック=アンド=ロールや,『ラヴ・ミー・テンダー』などの甘いバラードで,たちまち全米の若者たちの心をとりこにし,またたく間に世界中の若者のスーパーアイドルとなった。こうしてロック=アンド=ロールは,大人たちの眉をひそめさせながらも,確実に“若者の文化”となったのである。(実際,エルヴィスがアメリカのテレビショウ「エド=サリヴァン・ショウ」に出演した時には,テレビ局は非難を恐れて,エロチックにうごめくエルヴィスの下半身を放送しなかった。)

Elvis Presley - Hound Dog (1956) HD 0815007

また、同時期に居たロックンローラーとしては映画バック・トゥ・ザ・フューチャーでお馴染みのジョニー・B・グッドを歌ったチャック・ベリーもロックの父として知られて居ます。

実際にはロックを生み出したのはエルヴィスではなくて、チャック・ベリーやリトル・リチャードと言った黒人だと言う意見が一般的です。

Long Tall Sally - 1956 "Little Richard"

ロックの発展期

時期を同じくして、イギリス・リヴァプールでは後にビートルズを結成するジョン・レノンがアメリカで誕生したロックンロールに影響を受け、ビートルズの前身となるバンド「クオリーメン」を結成。この時期にはバディ・ホリーやリッチー・バレンス、エディ・コクランなどのロックンロールの重要な人物が相次いで亡くなっており、また、先述のチャック・ベリーは黒人差別の影響で服役するなど「ロックの死」などと比喩されるような時期だった。そのような時期にあって、ロックンロールは商品化され、商業主義のロックンロールが生まれ始めた。一方ではボブ・ディランを始めとするフォークソングの人気が高まっており、彼はカリスマ性を以って黒人差別や反戦運動などの社会問題をテーマとした作品を発表し続けプロテスト・ソングと言うジャンルを確立

風に吹かれて・・・ボブ・ディラン

 

ビートルズの登場・イギリスの侵略

1964年2月,初のアメリカ公演のため,ニューヨークのJFK空港に降り立った4人の若者たちを待って居たものは,1万人近い若者たちの絶叫であった。彼らの,(事実上)アメリカでの最初のシングルレコードとなった『抱きしめたい』は,あっと言う間に50万枚という記録的なセールスを達成し,その年の春には,全米チャートの1位から5位までをビートルズの曲が独占し(1.『キャント・バイ・ミー・ラヴ』/2.『ツイスト・アンド・シャウト』/3.『シー・ラヴズ・ユー』/4.『抱きしめたい』/5.『プリーズ・プリーズ・ミー』),ベスト100の中に14曲を送り込むと言う,前代未聞の“奇跡”が起こった。彼らの行く処,“ビートルマニア”と呼ばれる熱狂的なファン現象が巻き起こり,巨大なレコード売り上げ・24時間連続のラジオ放送・5万人規模の野球場コンサート等々,彼らはショウ=ビジネスの常識を次々と塗り替えて行った。

LET IT BE for My Friends 歌詞付き

 

ザ=ビートルズ-初めてイギリス出身のロックミュージシャンが,アメリカを征服したのである。
 彼らの演奏する曲は,多くのレノンとマッカートニーのペンによるオリジナル曲を含んでおり,かつてのロック=アンド=ロールのカバーではあっても,まったく新しい曲として仕上げられて居た。また,メンバー全員が楽器を演奏しながら歌うと言うスタイルも斬新であり,彼らの“長髪”やファッションも,世界の若者文化や風俗に革命的な影響を与えた。此処に,ロックはまったく新しい時代を迎えたのである。

 

ロックが社会運動のシンボルになる

ボブ・ディランは62年のファースト・アルバム「ボブ・ディラン」(アルバム名)では、ほとんどの曲が自作ではない、カバー曲であったが、続く63年の「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」でいよいよその独自の詩世界を打ち出してゆく。そして63年のサード・アルバム「時代は変わる」、64年の「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」の成功によって、ボブ・ディランはフォーク・ファン達から厚い信頼と支持を勝ち取る事になる。特にセカンド・アルバムに録音されている「風に吹かれて」や「戦争の親玉」などの歌詞は、反戦や人種差別をモチーフにした歌詞が歌われ、運動家のフォーク支持者たちにスローガン的な曲として扱われた

アメリカにやって来て居た「ビートルズは、この様な音楽が社会運動と結びついて居る状況に驚いた。しかも、ビートルズのジョン・レノンはボブ・ディランと話し合ったときに、ディランに「君達の音楽には主張がない」とまで言われて仕舞って居る。以降ビートルズは、音楽的な変化と同時に、詞の内容にも思想的なものが増えて行き、その活動内容にも社会運動的なものが増えて行くのである。

その一方でディランもまたビートルズの影響により、それまでアコースティック・ギターだったものをエレキ・ギターに持ち替え、1965年に発表したアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」はロックサウンドを取り入れたものとなり賛否両論を巻き起こした。そして、同年に開かれたフォ―クフェスティヴァルでディランが大掛かりな機材を持ち込み、大音響でエレキ・ギターを鳴らすや、頑固なフォーク・ファン達からブーイングの嵐が巻き起こると言う事件まで発生。ディランは仕方なくステージを降りたのだが、関係者に説得され一人だけで再びステージに戻り、アコースティック一本で「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」という曲を演奏した。これは今や伝説である

 
 

今回は此処までです、更新出来たらまたお逢いしましょう。。。

コメント一覧

kiyasume
ZIPさん、お早う御座います、、今日は天気がいいですよね。。。

>自己コントロールは可能、という思いに対する専心性を
逆手にとった「自己啓発」という経済活動領域もあるわけです。

なるほど、それこそが古書店の存在意義な訳ですね、、、、


その年配の方が「ブック・オフ」に持ち込んだ書籍は発行部数が
多い文学作品が殆どでしたか・・・・・。( ´Д`)y━・~~
確かに有名な作品でも発行部数が多いものは高くは買っては
貰えませんよね。ただ、店側にしたらそう言う書籍を安く買い叩く事で

自分の店舗にそう言った書籍を流通出来るルートを持ち込める
利点がある訳ですよね。特に、「ブック・オフ」は買ってはくれますから、、

「ブック・オフ」にも掘り出し物が見つかる事があるのですね、、、
私などは、最近では主に古書はAmazonで探しますよ。Amazonでは
新書と共に古書も売って居ますからね、、それと「日本の古本屋」と言う
日本の古書店が、連盟で経営して居るサイトで、、古書をよく買い込みますよ。

ただ街の古書店には余り最近は行きませんが。たまに古書店巡りを
する事もありますよ。ただいまは、店舗が殆どこのコロナの影響で
店を閉めて居ますよね。また緊急事態宣言が発動された見たいだし・・・。

古書店廻りをしようにも、これではどうしようも無いですよね、、
だから私は、ネットで殆どを済まして居ますよ。そして、、
何故、普通の書店は開いていいのに?古書店は駄目なんでしょうかね、、

此間blogで紹介したのですが、元の実家の側に小さな古書店が
出来たのですよね、、一度行って見ようかなと思って居ますよ、、
確かに「ブック・オフ」に掘り出し物がある場合がありますよね。

だから行くのを辞められないのは良く分かります・・・・・・。

長くなりました。それではまた、来て下さいね。宜しく。。。。
ZIP
発行部数の多い文学作品が殆どのようでした。

ブックオフでも稀に掘出し物が見つかったりするので古書店と同様に辞めれません。

いずれにしても、
自己コントロールは可能、という思いに対する専心性を逆手にとった「自己啓発」という経済活動領域もあるわけです。
kiyasume
ZIPさん、書き込みどうも、、、

「ブック・オフ」に断捨離では駄目なんでは無いかな、、
その年配の書蔵家の方は、なんで神保町の古本屋に売りに
行かなかったのでしょうか・・・・・・。\\\٩( 'ω' )و ////

「ブック・オフ」って、マニュアル通りにしか買い取りませんよね、、
私なんか「ブック・オフ」にてクリント・イーストウッド主演の
マカロニ・ウエスタンの版件違い(ドイツの輸入盤)のDVDとか
2年程前に売りましたけど、、なんと280円でしたよ(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

それで居て、ジョン・ウーの「男たちの挽歌」の拳銃の発砲音
を今風にヱファクト掛けて変えて仕舞って居て、、皆んなから
不評だった4枚組の「男たちの挽歌BOX」が7千円もの値が
付きまして、、「一体何を基準にして買い取って居るんだろうか?」

と不思議でしたよ。あれこそ買値は安いはずなのにね、、
本部からのセオリー通りに買い取って居る見たいでしたね。

神保町の古本屋などは、書店員の培って来た知識と、あと勘で
買い取りますからね。私なぞは一誠堂に、「季刊・本とコンピュター」
第1期シリーズ全12冊を売りに行ったら。なんと7千幾らかで、
買い取って貰えました。あの津野海太郎さん主謀の季刊月刊誌です。

今から10年ほど前でしたけど、買ってくれたので嬉しかったですよね。
あの季刊月刊誌は当時古本屋で800円ぐらいで売って居ましたから、、
定価は1600円ぐらいだったのかな?雑誌としては読み応えのある本でした。

だから神保町まで売りに行かないと損しますよね・・・・・・・・。

年配の方なら、持って行った本の中には、かなり高値が
付く様な本もあったのではないかな、、店のマニュアル・セオリー
通りではね、古本の買い取り方って、古書店一軒一軒。で違いますからね、、
あの職種は最低でも昔は8年間は修行しないとなれないと言われて
ましたから。古本屋は本を愛してさえ居れば始められるけど、

長く続けるにはそれなりのコツがあるそうですね。
数年も続けて居れば自然に身につく事柄だけど
、そのまえに力尽きてしまう人も多いらしいです。
ベテランの古本屋は、それぞれ自分なりの方法で
商売をして居る見たいですね。大体が古本屋の書店員
やら経営者は本が好きなんですよ。だから勘で
本を選んで買い取ってくれますよね・・・・。

「ブック・オフ」は本部のマニュアルがパソコンに表示されて
それ見て買うだけ店員もアルバイトだしね。格差が判らない
見たいですね。だから先程言った事。ドイツ版の版件を持って
作って居た「荒野の用心棒の」DVDを数百円で買い叩いて、、

売ったって、映画を知らない素人さんしか買わない「男たちの挽歌BOX]
の値段が、7千幾らの値を付ける事になる。全く物の価値を評判だけで
見て買って居る。だからちょっとした書籍やら、人気がある書籍なら、
ある程度のお金で買い取ってくれるけど・・・・それ以外は二束三文。

ですから、本を適正な価格で買い取って貰うのには神保町まで
行かないと、、ああ、それか今は日本中の古書店が集まって居る
日本の古本店と言うサイトがネット上にあるから、、そう言う所
の方が「ブック・オフ」よりも高値で買い取ってくれるのでは
ないかな?そんな処でしょうね・・・・・・・。

それではまた。。。。
ZIP
ブックオフに大量の書籍を持ち込んだ年配者が、店員さんから提示された価格の余りの安さに激昂しているのを見たことがあります。

断捨離も間違いなく経済活動ですね。
kiyasume
ハナさん。お久し振りです。。。
コロナ・ワクチンは2回摂取しましたでしょうか???

東京のコロナ感染者は凄い数になって降りますよ、、
「デルタ株」などは空気感染するとか、しないとかで、、
大騒ぎになって居ますよ。だって4千人ぐらいの感染者ですからね。

私なんかも、前はよく外食に行きましたが、今は怖くて行けませんよ。

イスラエル政府の保健機関よると、「ファイザー」社の
ワクチンを3回打てばなんだか86%の確率でコロナに罹らない
との事ですけど、、まあ、イスラエル政府の見解なので、、

噂では無いので有効性はあるのかなぁと思います・・・・・。

人の陰口を聞く様な連中はね、、下品(げぼん)の最低な
人たちですから、、ほっときましょう・・・・・。
真実は孰れは明らかになるものですよ。それまでは、我慢ですよ。

ただ思うにハナさんの事を悪く言う人、おばさんたちは、、
歳をとっても若くて聡明な心と頭を持って居るハナさんの事が
羨ましいのでしょうね。下衆なおばさんはそんな処ですよ、、

ハナさん、、もしハナさんが周りの噂だとかに耐えられないのなら、、
私のようにblogに全て吐き出しましょうよ・・・・・・・・。
自分のblogなんですから何書いてもいいでは無いですか、、

そうする事によって、自分も気が紛れますよ......。

私なども、こうやって自分の言いたい事を言っています。
それは反感を持つ人間も居ますが、、自分がいいならいいのですよ。
私なんか人から色々言われる度に気に食わない事がある度に
blog記事に書いて居ますよ。見てくれて応援してくれる人たちも
居ますよ。下品のバカなおばさんたちには見切りをつけて、、

ハナさんは、自由に残りの人生を生きて行って下さいね。
頑張っていきましょう、、また、そう言うおばさんたちこそ
コロナに罹りやすいと思います・・・・・・。

それでは、また。お越し下さいね。でわでわ。。。。
kiyasume
ZIPさん。お久し振りです、、
コロナのワクチン接種はお済ですか、、

なんか東京では大変な事になって居ますよね、、
ただ私が打った、「ファイザー」者のワクチンは2回の摂取で、、
デルタ株にも有効だと言うことで、少し安心はして居ますが・・・。

なるほど、、経済学か・・・・・。
ブッタの教えとか、老子の教えを経済学に
結びつけるとは、、流石ですね・・・・。

例えば人間は「10枚のお皿と10枚のお皿プラス8枚の
お皿(うち6枚が割れてる)だったら。後者の方が12枚の
正常なお皿があり、価値があるはずなのに。前者の方が、
高い値段をつけてしまう傾向がある。その理由は平均値に
直感が働くからだ」、と言う様な事を何かの経済書籍で
読んだ事があります。

まあ、人の感性とは、渇愛にしても、余剰の利益は要らないと
看做しますよね。私は断捨離には賛成はしないのですが。勿論、
何でも溜め込むのは、良く無いですが・・・・・。精神上の余剰の
利益は不必要なものがありますよね、、

仏教用語である「渇愛・私欲」は言って見れば
ケインズとハイエク論争見たいなものだとも
言えるのでは無いでしょうか・・・・・・。

人間が、従来の経済学が想定して来た様な
「常に合理的」な存在ではなく、時に合理的と言えない、
まさに人間臭い存在である事を心理学的に実証し、
その研究を行動経済学の誕生につなげた
ダニエル・カーネマンと言う、経済学者が居ますよね。
経済学をより人間的なものにした彼の研究は、、

まさ「禅」の境地なのでは無いでしょうか、、

失礼、、私は一応は商学部を出ましたが、、
余り真面目に勉強をしておりませんので💦

聡明なZIPさん見たいな発想は出来ませんでした、、
また色々とご指南下さいね・・・・・・。

それではまた。。。
haha2017
おひさです(⋈◍>◡<◍)。✧♡

いっぱい クリックしてくれて
(人''▽`)ありがとう☆

じぶんはじぶん。
ひとりしかいないから
たにんのことばにきずつきもせず

だいたいねぇ
ひまなおばばれんちゅうは
たにんのことばかりはなしして

それも まともだったらいいけれど
本当の話か 嘘の話かも確かめもせず
周りに巻き散らかしていくようです

どうも
わたしは
犠牲者でエサにされてもいるようですが

噂されていると解った時には
言ってやります
正しいのは こっちの話だからさ

しっかり確かめてから
次の人に渡していってよね! って

気にしてると 馬鹿みたいだから

ほらほら
また ひまな ばばあが
つくりばなしして たのしんでるよ。

と 思う事にしています( ´艸`)

私の真実は 私にしか解りませんから
いいのよ・・✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌
    
ZIP
良かれと思った個人的動機が、必ずしも良好な社会的結果には繋がらない・・・

好ましいとは思えない個人的な選択が、それほど悪くはない社会的均衡をもたらしたりもする

経済学の面白さでしょう。
kiyasume
いまさんコメント有難う御座いました、、、
「足るを知る」、、

確か老子の言葉でしたよね。私が今回書いた内容も
そう言う事なんだろうと思いますよ。

結局、、常に自分の外側ばかり見て“自分にないもの”を求めて居ると、
次から次へと欲しいものが出て来て、仕舞い収集が付かなくなる!
“足る”を知ると言う事がなく・・・・・・・・・・、
「もっと」「まだ足りない」と、際限なく欲して仕舞うのでしょうね。

「渇愛」で要求して居るもの、捨て去る事がいいと言われて居ますよね。

「足るを知る」ことが無いと言う事は、満たされる事がないと
言う事なのかと。常に不満が残るので、心穏やかに生きる事が
出来なくなって仕舞いますよね。

それより「私欲」も考えものだけども。此れを持って、己の道を歩いて
行く方がいいのでは無いかとも思われます、、

まぁ、余りに精神的な欲でも物欲でも持ちすぎると良く無いと
言う事でしょうか?難しいしいですよね、人に取っては、色々と、、

また見に来て下さいね。。。。。
いま
タメでしたか
「足るを知る」で生きてきました
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事