ソシュールの言語哲学とはどういうものか、説明して置こうと思う。
ソシュールの解明したシニフィアンとシニフィエで形成される言語構造やパロールとラングが結びついて解発される言語能力(ランガージュ)の発想は、フランス現代思想や構造主義の起点となった。ポストモダンの構造主義やそれ以降の構造主義的な思想は、世界精神を説いたヘーゲルや史的唯物論を主張したマルクスの思想のアンチテーゼとしての役割を果たすことになる。
ソシュールは、言語構造や言語規則を研究する際に、言語記号(シーニュ)を以下のように3つの枠組みに分類して考えた。ソシュールが主要な研究対象としたのは、コミュニケーションや感情伝達の道具としてのパロール(音声言語)ではなく、意味伝達や表現・記録活動の道具としてのラング(文字言語)であった。
ソシュールは、言語記号をシーニュと呼び、シーニュは言語表現や音声像として意味(内容)を指示する「シニフィアン」と、シニフィアンによって指示される言語内容(言語の意味・対象)である「シニフィエ」に分けられると考えた。「犬」や「猫」という言葉(音声)のシニフィアンは、その言葉によって指し示される「犬の意味(対象・形態・特徴)」や「猫の意味(対象・形態・特徴)」というシニフィエを持っている。「INU」や「NEKO」といった音声言語の記号であるシニフィアンは、必ずそれが指し示す対象(物質・意味・概念)としてのシニフィエを持っているのである。
ソシュールは、生成言語文法で知られるノーム・チョムスキーの提唱した生得的な普遍文法のような『言語の発生や起源の問題』については余り関心を示さなかったが、ランガージュ(生得的な言語獲得能力)の開発の為には言語共同体に所与の自然として存在するラング(言語の諸規則)が必要だと考えていた。
上記の言語定義の枠組みに従ってソシュールの言語理解をまとめると、パロール(音声言語)はラング(言語規則)を前提に発達し、ランガージュ(言語能力)はパロール(音声言語)のある環境において解発されるということである。つまり、ラング(言語の諸規則)こそが、ホモ・サピエンスのシーニュ(言語記号)の体系化の根拠であり、他者との意思疎通を可能にするものなのである。
ソシュールは科学的言語学を志向した人物であり、ソシュールが研究したのは社会共同体とは別個に自律的に存在するラング(言語規則)であった。ソシュールは、ラングを自然科学的な研究対象と見なして、『共時態のラングを対象とする科学的な言語学』を構想したのである。
ソシュール言語学の最も重要なポイントは、『言語の恣意性と分節作用』であり、思想史における歴史的意義は『構造主義の基本的アイデアの呈示』である。音声・文字としてのシニフィアンは、必ずそれが指し示す意味・概念としてのシニフィエを持つ。シニフィエには、「犬」や「人間」のように物理的実体を持つものもあれば、「優しさ」や「信念」のように物理的実体を持たず観念や概念として了解されるものもあるが、ソシュールは基本的にシニフィエを心理的に了解する概念(観念)として考えていたようである。
しかし、物理的なシニフィエにせよ観念的なシニフィエにせよ、それがその名前や言葉で呼び表されるべき必然的な理由は何も存在しない。今、「川」と呼んでいる水の流れを「海」と呼んでもよかったし、英語のように「river」と呼んでもよかったし、全く関係ない「イライカ」というような新語で呼んでもよかったのである。その意味においてシニフィアンとシニフィエの結びつきは恣意的なものであり、社会文化的な共通理解や取り決めによって結びつきが決定されているに過ぎない。
恣意的な言語は、物質世界と一対一で自然法則的に対応していないからこそ、国家・民族・地域・時代・文化圏によって言語は異なるし、歴史時間の進行によって言語は適応的に変化することが出来るのである。多種多様な言語の成立と分化の原因は、言語が何を指し示し、何を意味するのかという事については一般法則がなく、恣意的な社会的合意によってシニフィエとシニフィアンが結び付けられるからである。
このソシュールの考え方は、言語を対象とする哲学の伝統的な世界観である『実在論(世界の事物・秩序に対して名前がつけられるとする世界観)』を否定して、『言語は恣意的な差異の体系(言語の差異の体系によって世界の事物が分節され共通の世界観が作られるとする世界観)』であるとする構造主義的な考え方を持ち込むことにつながっていく。
言語記号のシステムは、物理世界の秩序の写像といったものではなく、記号システム内部の差異によって世界を分節する作用なのである。世界秩序や自然事象が先にあってそれに言語で名前を付けるという『実在論』の考え方ではなく、言語の差異のシステムが先にあって世界秩序や自然事象を構築するという考え方である。
言語の差異や対立を人々が共通認識することによって、世界が分節化され秩序が形成されるという『関係論への発想の転換』がソシュールの言語学にはあった。『通時的原因の追求や機能的価値からの演繹』ではなく『所与の構造』によって現象を理解するというこの発想の転換が、後に、文化相対主義を提唱したクロード・レヴィ・ストロースなど構造主義の思想家に大きな影響を与えることになる。
構造主義とは、ある一つの問題事象(社会現象)に存在する複数の要素から成り立つ構造を、それ以外の並列的な問題や現象に当て嵌めて論理整合的に説明できるという思想潮流のことである。基本的に、物事や歴史に優劣(進歩・未開)の差異を付けないという価値相対主義の視点を含んでいて、西欧中心主義や進歩主義的な歴史観を反駁する性格の思想となっている。
丸山圭三郎の経歴。
言語哲学者、フランス文学者。水戸市に生まれる。国文学者の父の下で、幼少期より文学に親しむ。17歳で第二次世界大戦終戦を迎え、1952年(昭和27)には東京教育大学付属高校から東京大学文学部仏文科に進み、学生時代に数編の小説を同人誌『砂漠』に寄稿する。1959年に同大学院修士課程を修了後、アメリカ、コーネル大学に留学し、1965年に同大学院言語学科博士課程を修了。この間、アメリカ言語学が得意とする「分布分析」(言語要素がどういう位置関係をとるかという分析)を徹底して実践するとともに、それに対する根本的な批判も身につけたという。帰国後、1960年に国際基督(キリスト)教大学に専任講師として着任。1966年よりNHKテレビ、ラジオのフランス語講師として活躍する。1969年に論文「構造主義と言語学」(『英語教育』1969年9月号)を発表することによって、言語理論の構築へと乗り出してゆく。
1971年には中央大学に移り、フランス語、フランス文学の教育を続けながら、他方で一般言語学に関する論文を矢つぎばやに発表。それらではフェルディナン・ド・ソシュールにおける「体系」の概念を論じ、そこから派生する「二つの構造」をとらえ、「ラング」と「パロール」との関係を解明する。また同時に、ソシュールの唱える「言語記号の恣意(しい)性」をめぐる論争に決着をつけ、しだいに記号論の分野にも思索を広げてゆく。こうして1981年には主著『ソシュールの思想』を刊行し、当時のポスト構造主義ブームともあいまって、一躍、言論界の寵児となる。同書では、ロベール・ゴデルRobert Godel(1902―1984)、ルドルフ・エングラーRudolf Engler(1930―2003)、トゥリオ・デ・マウロTullio De Mauro(1932― )らの推進する最先端のソシュール研究を日本に初めて紹介し、シャルル・バイイとアルベール・セシュエAlbert Sechehaye(1870―1946)によりまとめられた『一般言語学講義』Cours de linguistique gn
rale(1916)の不備を指摘している。
同著の刊行を機に、言語哲学者をもって自任するようになる。1984年には『文化のフェティシズム』を発表。ソシュールの「恣意性=示差性」原理を基礎とする言語モデルによって独自の「事(こと)的世界観」を確立し、「フェティシズム」「物象化」の観点から世界解釈を試みる。そこでは動物と人間との行動を「身分け」「事=言分け」という形態で区別し、「カオス」「コスモス」「ノモス」の概念を駆使する文化論を展開しているが、やがて『欲望のウロボロス』(1985)、『フェティシズムと快楽』(1986)、『生命と過剰』(1987)、『生の円環運動』『ホモ・モルタリス』(ともに1992)などを通じて無意識の世界を探求し、欲動や生死について言及するようになってゆく。こうして丸山は、言語研究の堅固な基盤の上に独自の思想をうちたて、執筆・講演に日々忙殺されながら、1993年(平成5)9月16日に自宅の書斎で急逝する。まさに還暦を迎え、弟子たちの手になる記念論集『言語哲学の地平』(1993)が上梓(じょうし)されようという矢先のことだった。
著作に『文化記号学の可能性』『ソシュールを読む』(ともに1983)、『丸山圭三郎 記号学批判』(1985、共著)、『言葉のエロティシズム』(1986)、『文化=記号のブラックホール』『言葉と無意識』(ともに1987)、『欲動』(1989)、『言葉・狂気・エロス』(1990)、『人はなぜ歌うのか』『カオスモスの運動』(ともに1991)などがある。
丸山圭三郎の全著作。
『ソシュールの思想』(1981・岩波書店) ▽『ソシュールを読む』(1983・岩波書店/講談社学術文庫) ▽『欲望のウロボロス』(1985・勁草書房) ▽『フェティシズムと快楽』『言葉のエロティシズム』(1986・紀伊國屋書店) ▽『生命と過剰』(1987・河出書房新社) ▽『文化=記号のブラックホール』(1987・大修館書店) ▽『欲動』(1989・弘文堂) ▽『人はなぜ歌うのか』(1991・飛鳥新社) ▽『生の円環運動』(1992・紀伊國屋書店) ▽『ホモ・モルタリス』(1992・河出書房新社) ▽『文化記号学の可能性』(1993・夏目書房) ▽『丸山圭三郎著作集』全5巻(2013、2014・岩波書店) ▽『カオスモスの運動』(講談社学術文庫) ▽『言葉と無意識』『言葉・狂気・エロス』(講談社現代新書) ▽丸山圭三郎・竹田青嗣著『丸山圭三郎 記号学批判』(1985・作品社) ▽丸山圭三郎編『ソシュール小事典』(1985・大修館書店) ▽加賀野井秀一他編『言語哲学の地平――丸山圭三郎の世界』(1993・夏目書房)』