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寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

気になる話.....。

今回も過去記事から纏めた物です。読んだ方、まだの方も読んで見て下さいね。多少加筆また書き換えの補足もしたりして居ますよ。動画は結構中身があるものが多いので、バカにしないで是非見て下さいね。今回は記事が短いですので、書き込み貰えると嬉しいですので、宜しくね。。。

 

 

LPレコード、12インチレコード、7インチシングルレコード、10インチレコード、CD,DVDなどを販売しています。サウンドファインダーは音楽専門ショッピングモール、出店者募集中です。 ジャパニーズ

 

 

 

 

 

【美輪明宏】資産家の孤独 本当の意味でのお金持ちと正負の法則

【涙腺崩壊】あの美輪明宏が説教された!「何やってる!!」と怒られた話が感動的で心に突き刺さる!

徹子の部屋 20200211 美輪明宏 HD

『人生が上手く行かない時どうしたら』美輪明宏さんの回答が素晴しいと話題

GACKTの勝ち方特装版朗読CD試聴動画vol.080「GACKTの『メンタルリセット』その真意とは」

GACKTの勝ち方 特装版 朗読CD 試聴動画 vol. 032「実業家GACKTが海外向けビジネスを始めたきっかけとは?!」

 

 

ちあきなおみ 朝日のあたる家 Naomi Chiaki - House of The Rising Sun [Live] 1989

Yo Ga Aketara

THEME from "STYLE TO KILL"

 

 

 

 

 

 

以下、探したら出て来た。津野海太郎編集の「本とコンピューター」第2期です。今から、16年前ぐらいに購入した物ですね・・・季刊誌でしたっけ、、第1期、8冊は、今は無き、笹塚にあった、古本屋の一誠堂書店に売りに行きましたっけ。6千円に成りました。。。第2期は処分はしません。今読み返しても色々と勉強になります。

そして懐かしの手塚治虫の文庫本です。

 

手塚氏はヒューマニストですが、どうも「鉄腕アトム」に代表されるように子供向けの漫画家だと誤解されて居る節がありますね。エロスを正面から描いた漫画も結構沢山書いています。此処に挙げた「奇子」やら「空気の底」は近親相姦を扱った漫画です。また「ばるぼら」のように魔女とエロスを扱ったものやら。「きりひと讃歌」とか「アドルフに告ぐ」の様な、ハンセン病。政治ドラマを扱った物もあります。彼は1968年から1971年に掛けて、大人のアニメ「アニメラマ」と言う手法で大人向けのアニメを虫プロで撮りました。俗に言う「三部作」です。作品的には「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」です。もっともベラドンナだけは手塚氏は関与していませんが。

千夜一夜物語

下は「クレオパトラ」です。本編ノーカットで観られます。。。

クレオパトラ

「哀しみのベラドンナ」です。私のglogでは幾度となく紹介していますが、今回もまた....

Trailer for Belladonna of Sadness (1973)

 

手塚治虫関連では、息子のビジュアリストで映画監督の手塚眞氏が手塚治虫作品でもエロチックで難解な漫画「ばるぼら」を映画化しました。今年の東京国際映画祭で上映されるそうです。

『ばるぼら』予告編 | Tezuka's Barbara - Trailer HD

コンペ作品ガイド『ばるぼら』

 

 

 

ー家電の思い出ー

私が小学生だった頃、近所の京王ストアーの2階には「ラオックス」が入って居て。オーディオ売り場があった。私はよくステレオを見にそこまで行った。ラオックスの店員はそんな小学生の子供に敬語を使って、親切丁寧に詳しくセパレーツ・ステレオやらモジュラー・ステレオの性能とか当時流行って居た。4チャンネル・ステレオの説明などをしてくれた。当時は家電大手のステレオ・メーカー、ビクター、ナショナル、コロンビアなどがステレオを作って居た。マイナーな処では、サンスイ、サンヨー、アイワ、アイコーなどが作って居たが、モジュラー・ステレオはサンヨーとかが名が知れていた。アイワ、アイコーも安いモジュラー型のステレオを作って居たが、この2つのメーカーはラジカセで頭角を現したメーカーだった。確かアイコーは光星電気とも言ったと思う?。このメーカーは通販でも安いステレオを売っていた。店舗も持っていた。全国にチェーン店があり。ステレオも1万8千円ぐらいの物を売って居た。なにせ月賦で買えるのだ。店には子供たちがよく見に来ていた。私が中学くらいに成ると漫画雑誌の裏側などに広告を出しても居た。そしてその内、ステレオだけでは無くて、ラジカセやらラジオ、楽器なども扱い始めて1万8千円のエレキギターやらベースギターなどを売り出した。私と友人は、或日、月賦で購入しようとその店をおとずれた。私はステレオとエレキギターを、友人はステレオとベースギターを購入しようとしたのだ。私たちは店のおじさんに此れらを買いたいと言った。するとその店主は少し困った様な顔をした。そして「現金?月賦?どっち」と聞いた。私たちは二人して「月賦でお願いします。」と言った、すると店主は「保証人には誰が成ってくれるの?」と聞くのだ。私たちは保証人が必要なのかと聞いたら未成年だから必要だと言う。

私たちは買うのを諦めて帰って来た。その後、私はベニヤ板と厚めの合板の板を京王ストアーで買い込んで、そして秋葉原に行って16センチのスピーカーを一つ買って来て、フルレンジのスピーカーを作った、そしてそれにラジカセのイヤホン端子を繋げてスピーカーから音楽を聴く様に成った。間にトーン・コントロールの増幅のつもりで低音のつまみが独立してあるソニー製のラジオを入れて低音を出す様にして聴いていた。そして音源はエアチャックしたものやら。近所のアパートに住んでいる大学生のステレオで購入したレコードを掛けて、それをステレオの外部出力からラジカセの外部入力に繋げて録音をしていた。或る日、中学の近所にあった町のレコード屋でレコードを見て居て。友人と二人して見ながら「マウンテン」と言うロックバンドの「ナンタッケット・スレイランド」と言う名のLPやら、「シカゴ」と言うロックバンドのLPを見て、「マウンテンのハードロックはいいよな」と話して居たら。店主が突然「マウンテンはへヴィ・ロックじゃない?」と話し掛けて来た。

MOUNTAIN - Nantucket Sleighride - Live 1970 at The Fillmore East

Chicago - 25 Or 6 To 4 (HD)

 私が「そうですね・・・」と言うと。「君たちは近所の中学に通って居るのだろう?」と言う。そして「中学生の身分じゃあレコードはそんなに買えないだろ?」と言うので「そうですね」と言うと「あのさ、提案があるのだけども、特別に月賦にしてあげるよ。月3百円でどう?」と言って来た。こちらは渡りに船なので、「いいんですか。よろしくお願いします」と言ってその案に友人と二人で乗る事にした。お陰でそれまで月に1枚しか買えなかったレコードが2枚買える様に成った。しかしそれは長くは続かなかった。私は毎月きちんと払って居たのだが。友人が払わなかったのだ、私はこともあろうか友人と間違われてお金を請求されたのだ、私は嫌に成り。「僕は払って居ますよ!」と言って次からそのレコード屋には行なく成った。友人は優柔不断だった。きちんと毎月払わなかったのだ。怒った店主は親元まで取りに行ったのだった。そして高校生になった。私はバイトでエレキギターを買い、バンドで弾く様に成って居た。ステレオは隣町の質屋で3万円のモジュラーステレオを買って持って居た。バイトをしたり。音楽関係のバイトもしていた。そして大学を出て働く様に成った。その時分、ビデオデッキが流行して居た。私は働いた金でモノラルのナショナルのビデオデッキを購入した。どこで買おうかと思ったが、母が「デパートのオーディオ売り場に知り合いが居るからそこで買ったら」と小田急まで私を連れて行った。私は近所の電気屋よりは良さそうだなと思いそこで購入した。定価16万のビデオデッキだが13万8千円まで割り引いてくれた。

ビデオは応接間に置いた。私は録画はCMカットでして居た。何時も民放でやる映画はだから見て居た。タイマーは掛けなかった。どんなに夜遅くでも必ず起きて録画した。テレビの前に座ってビデオのリモコンを持ってCMの印が出ると身構えて一時停止して始まるとすぐに解除した。それでカット放送の映画だが、CMは綺麗にカットされた映画のビデオコレクションが出来た。私はライブラリーを増やして行ったのだった。テープはヨドバシカメラで安いものを購入して居た。何時もビクターのスタンダード・ビデオテープを買って居た。一本2千5百80円はした。高くてとてもハイ・グレード・テープは買えなかった。そして1980年に成った。当時、ハイファイ・ビデオデッキが登場した。私はこのビデオデッキを2台購入した。ダビング出来る様にだ。お陰でヨドバシからダビングでテープの劣化が無い様に当時6千円したプロ・マスターテープを1本購入した。それを録画用のマスターテープにして、そのテープからハイグレード・テープへとダビングした。今見たいに、デジタルではなくアナログだからダビングすると画質が極端に劣化して悪く成るのだ。だから最上位クラスのプロ・テープに録画して、ハイグレードテープにダビングするのだ。これでCMカットはゆっくりと後から出来る様に成った。

もう夜中の名画劇場で録画のために起きて居なくて済む事に成ったのだった。当時、私はビデオ・ソフトも購入して居た。1980年代は好きな俳優のクリント・イーストウッドやらアラン・ドロンのビデオを購入して居た。1983年頃になると「TDKコア」というビデオメーカーからアラン・ドロン名作選と言う企画で、ドロンの主演作18本が一挙発売と成った。私はこのビデオを全巻購入した。ビデオソフトは当時1本、1万4千8百円して居た。私は月3万円の小遣いを殆どビデオテープ代に当てた。その頃に成ると、1978年に公開された「チェイサー」で人気に陰りが出て居た、アラン・ドロンは日本の映画界から、半ば干されて居る状態だったが。1986年の新作映画で自ら監督と主演をした映画が当時大手の有名な不動産屋だった地産グループがドロン人気よ再びと、日本公開までお膳立てをして公開されたのだった。私は新宿の歌舞伎町の映画館で当時見て居る。「チャイサー」がドロンお得意のフレンチ・ノワールだったのに対して、その「危険なささやき」はアメリカ・ナイズされた、乾いた感じのハードボイルド映画に撮れていた。非常に面白かった映画だった。私はビデオソフトの発売を心待ちにした。5ヶ月すると発売された。

Mort d'un pourri - Bande annonce 1977 HD

(France 1977) Philippe Sarde - Mort D`Un Pourri

Pour la peau d'un flic (film 1981) bande annonce

Oscar Benton - Bensonhurst Blues

そしてそれから数年して、何気なくテレビを観て居たら、突然「香港のフィルム・ノワール颯爽と登場」と言う声と共にある映画の予告編が映った。「男たちの挽歌」と言う香港ノワールだった。私はこの映画の予告編を観て吃驚した、それまで私は香港映画が嫌いだった。ブルース・リーに代表される中国産の映画は嫌いだったのだ。しかし「男たちの挽歌」はピンと来た。見る価値がある映画だと思ったのだ。私は映画館まで観に行きたかった。だが会社でのゆきかずの嫌がらせに寄って私は体調を崩してしまい。映画館には行けずビデオ・レンタルを待った。そうしたら劇場公開からなんと3ヶ月という異例の速さでビデオ・レンタルに成った。買っても良かったが、何せ初めての香港ノワールだ。まず見てからとレンタルショップを覗くが入荷して居ない。私は根気強く探した。すると隣町のレンタル・ビデオショップ「ケイオー」にある事が判った。私は早速借りて来て、観て見た。良かった。

暗黒街に生きる男たちの哀愁。そして悪党に寄って引き裂かれる友情、兄弟愛、そして世の中から見捨てられた男の悲哀。私は此れはサム・ペキンパーやメルヴィルと同じではないか?東洋からこんなフィルム・ノワールが登場したのかと監督を尊敬した。監督の名は、ジョン・ウーと言った。そして主役のカンフー映画で主演を長く務めて来たテイ・ロンと新進気鋭の演技派の名優、チョウ・ユンファの二人の男の友情と哀愁が堪らなく良かった。私は以後、香港ノワールは必ず観る様に成った。これ以後、私はジョン・ウーとチョウ・ユンファのコンビ最後の香港ノワールの傑作「狼・男たちの挽歌・最終章」で大感動をする事に成った。

[電影系列] 英雄本色 mv - 當年情

The Killer - Trailer (HD) (1989)

 1990年代に成った、私はレーザーディスク・プレイヤーを購入しようと数年前から考えて居た。この当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気だったビデオデッキは解像度が高いS-VHS方式の高画質ビデオデッキが登場したが、同時に今までのビデオソフトをレンタルしてダビングするのではなく。レーザーディスクをレンタルしてダビングするのが結構流行って居たのだった。しかし私はアナログとしては最も高画質なレーザーディスクで映画を集めたく思った。レーザーディスクは中古屋もある。輸入盤もある。私は購入を決めた。しかし買う段になって調子が悪くなり、人生初めての入院に成ってしまった。病院で入院中に病院内の公衆電話で自宅に電話を掛けてみたら母が出て、何と母がレーザーディスク・プレイヤーを購入してくれると言ってくれた。

母にしてみれば、私への配慮だったのだ。私は機種名を言い、母と電話でやり取りして、ついにレーザーディスク・プレイヤーを購入したのだった。そして私はそれ以降、ビデオ・ソフトは購入するのはやめて、レーザーディスクで映画をコレクションし出した。私のレーザーディスク・コレクションは、当時レーザーディスクの価格が1枚、4千8百円という価格帯もあってドンドン増え、2000年を越す頃には300枚近くの枚数が溜まったのだった。その後、私はDVDとLDコンパチ機のプレイヤーを最終的に購入した。その機種は強力なノイズリダクション搭載の物で劣化してしまったレーザーディスクも高画質に補正される物だった。私はコレクションで映画や音楽を楽しんだ。2000年もしばらく経つとDVDレコーダーが発売となった。丁度、立川の病院通いをして居たので、私はDVDレコーダーが発売されると聞いて立川のビックカメラに行って観て見たが、余りの人気のせいで発売は予約で受け付けて居た。その頃には私が所有しているパソコンにもDVDプレイヤーが内蔵され出した。

私にはレーザーディスクをはるかに凌駕するデジタルのDVDは魅力だった、しかし当初はレーザーディスクとDVDの両方を購入していた。DVD出始めの頃は、まだ、作品数ではレーザーディスクの方が分があったのだ。私は時代の急激な変化を感じて居た。その内にあれよあれよと言う間にレーザーディスクは廃れ、DVDの天下に成って行ったのだった。私はDVDレコーダーを購入して、そしてケーブルTVに加入した。私はある事に気が付いた。それはDVDレコーダーに毎月放送されるケーブルTVでの BS CS放送を撮り溜めていけば、DVDソフトを購入することは無く成るのでは無いかと言う事だった、

私はケーブルTVに加入する前はパラボナアンテナでBS放送に加入し、ビデオデッキでBS放送をエアチェックしていたが。なかなかWOWOWとNHKそして民放のBS放送だけではコレクションは増えなかったのだ。私はケーブルテレビで放送される莫大な数のCS放送を目の当たりにして、この放送をDVDに焼けば高画質なDVDレコーダーでのDVDコレクションができると踏み、DVDは購入するのを止めた。そう仕手居る内に今度はBlu-rayと言う規格のDVDよりさらに上を行く高画質なものが開発された。私は迷わずBlu-rayレコーダーを購入した。以来、私はBlu-rayディスクとDVDを使い分けて、ケーブルTVの放送からドキュメンタリー。アニメ、映画を焼いている(録画)。そして去年の暮れに4K放送が始まった。それを見る為に4K対応TVを購入し、ケーブルTVのチューナーとは別に4Kチューナをレンタルした。そして4Kは録画がまだ出来ない為に、外付けのHDDを購入した。しかしまだ4Kは録画していない。4K放送はまだ始まったばかりだ。

私は今はDVDソフトもBlu-rayソフトも購入して居ない。ケーブルTVの放送を一旦Blu-rayレコーダーのHDDに撮り溜め、そこから本当に手元に残しておきたいドキュメンタリーやら映画、アニメ、音楽番組をBlu-rayやらDVDソフトに焼いて居る。まあ、たまにBlu-rayソフトを購入するが、どうしても欲しい物だけです、私はそれまで貯めてきたビデオテープとかの映像やらレーザーディスクの映像は、貴重なものは全てDVDやらブルーレイに焼いて居ます。このアパートに引っ越して来る時にレーザーディスク360枚とビデオテープでまだ所有して居た100本近くを処分しました。そして今の録画状態が一番好ましくいい状態だと言えましょう。

此間、ある人から「〇〇さんはお金があるからケーブルTVが引けるのですよ」と言われたが、よくよく考えて見て下さい。ケーブルTVは100チャンネル見られて月に8千円しか掛かりません。半分の50チャンネルなら6千円ですし。30チャンネルならば3千円台ですよ。私はインターネット回線も同時に引いているので、月の受信料にレンタル・チューナー台を含めても1万3千5百円ですよ、私はブルーレイレコーダーはケーブルTV局が録画できるチューナー内蔵のものをレンタルして居ます。そして4Kチューナーは264円のレンタル料金ですよ。工事費に8千円ぐらい掛かると言ったら、その金が高いとか言っていたけど。自分への投資なのですよ。一度に1回だけ8千円掛かるだけです。その金が出し切れないなら、金を貯めればいい。払えない金額では無いはずです。これからの世の中は音楽もHDD携帯プレイヤーに撮り溜めて聴く時代ですし、映像もHDDに撮り溜めて見る時代です。私は先程も言いましたが、最近はなんでもありの時代です。私が最近ハマって居るのはレトロなカセットテープです。カセットテープで音楽を聴いても居るし。スマホでストリーミングをBluetoothでステレオやらBoomBoxに飛ばして聴いて居ますよ。何遍も言いましたが今はなんでもある時代なのです。。。

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ーレーザーディスクとは、何だったのか?ー

 

LD、直径が30cmもありましたね
 
レーザーディスクは、直径30cmのディスクに両面で最大2時間の映像を記録できる光ディスク規格。
「レーザーカラオケ」が主流だった時代ありましたね
 
 
 
1972年に登場したレーザーディスク
 
 

国内でもパイオニアが製品化

 
映像ディスクはビデオデッキと違い再生専用で録画が出来ない事から、当初はビデオデッキよりも高画質を求めるマニア向けの規格となった。そのため、水平解像度が240本程度だったVHDに対し、レーザーディスクは400本以上と画質面のアドバンテージがあった事に加え、ピックアップがレーザーによる非接触式のため、プレーヤーで再生した事が原因のディスクの劣化が無いことから、レーザーディスクの方が圧倒的に優勢だった。

さらに、コンパクトディスク(CD)とのコンパチブル再生機の発売、レーザーカラオケのヒットによって、一般層にも普及した事から、結果的に規格争いに勝利した。

VHD陣営のメーカーも参加して開発した音楽CDの量産技術が、同じ光ディスク方式であるLDの技術とコストの問題を解決させ、LDを勝利に導いたと言われる。

レーザーディスクの普及

当初は7,000~10,000円と高額だった映像ソフト
 
 
他社もこれに追随する価格帯のソフトを増やす一方、パイオニアの他、ソニー、松下電器産業、ケンウッドといった各社から「ロッキュッパモデル」と言われた69,000円台の安価なプレーヤーも次々と登場する事に。
 
「LD-BOX」発売

「LD-BOX」発売

テレビドラマやアニメーションなどのシリーズ作品を複数枚のLDに全話収録して一括販売する「LD-BOX」というボックス・セット形態の商品が数多く発売され、コアなファンやマニアを取り込んでユーザー層を拡大させていきました。

 

Blu-ray。

 皆さんもご承知のとおり、ディスクの大きさはDVDと共通ですが、記憶できる層を多層にすることにより、DVDの5倍以上の記憶容量を手に入れる事が出来ました。

 少し難しくなりますが、1層で25GB、2層ディスクでは50GBが記憶出来ます。

 日本の地上放送なら3時間強、日本のBSデジタル放送なら2時間強のハイビジョン映像を収録することが出来ます。さらに現在では、16層512GBの試作が成功し、記憶容量の拡張が進められて居ます。

 すごい!の一言ですね。

 ーブルーレイ開発の歴史とDVDー

 ブルーレイ開発の歴史はDVD開発の歴史と共にあります。

DVD開発競争の中で、DVDとブルーレイは、ほぼ同時期に開発されました。しかし一度はDVDにその座を明け渡す形になりました。しかし、その後2002年にソニー・日立製作所・LG電子・パナソニック・パイオニア・フィリップス・サムスン電子・シャープ・トムソンの9社がブルーレイ規格を策定したと発表。

 翌2003年にソニーが世界初のブルーレイディスクレコーダーを発売しました。

 東芝が中心となって開発したDVD,

 ソニーが中心となったブルーレイ。

 
その競争は電気業界ではもちろん、ハリウッドの映画産業、パソコン産業をも巻き込んで、性能・品質・価格で競争を繰り広げて来ました。

まず2009年DVD主流の東芝がブルーレイ開発に参入しました。
20011年大手メーカーがDVDレコーダーの生産を終了し、

ブルーレイディスクレコーダーに完全に移行しています。

 
レンタルビデオ店に何気なくあるDVDとブルーレイ。

 こんな熾烈な開発競争があったんですね。
これからも国際競争や人間の要求を満たすために、次々と技術革新が進んでいく事でしょう。

 今後どのようなメディアが誕生していくのでしょうか?

 記録媒体の歴史がまた塗り替えられるのかも知れません。

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下は、ブルース・ロックのバンドです。。。 

Tea For One/Jimmy Page & Robert Plant_13.Feb.1996@Tokyo Budokan

Led Zeppelin - How Many More Times (Danmarks Radio 1969)

PEACOCK BABIES「悪い星の下に生まれて( born under the bad star)」

Alvin Lee (Ten Years Later) Old Grey Whistle Test - Hey Joe

Rory Gallagher Tattoo'd Lady (Live At Cork)

Johnny Winter - Dust My Broom (Live on Letterman).mp4

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

kiyasume
ビオラさん書き込み、有難う御座います。
美輪さんも大した苦労人ですよね、、、

確か1960年代、一時ホームレスに成って仕舞って、、
ホームレス生活を1年間ぐらいしたのでは無いかな、、

新宿か渋谷かどちらかは忘れたけど、、
当時は、フーテン族と言う輩も居て、まあ
、日本版ヒッピーでしょうか、成りだけは・・・・。

美輪さんが言って居た話で、新聞紙をガムテームで巻いて、
寝袋を作ると。物凄くいいんだそうです。

暖かいそうですよ。。。

美輪さんは男の菩薩だから、昔からキワモノ扱いをされて居たけど、、
私はそこら辺に居る。政治家なんかより余程に物事を弁えて知識も
豊富だと思って居ます。

私は、美輪さんが三島さんと共演して居る深作欣二監督の映画。
確かこの戯曲は三島さんでしたよね、書いたのは・・・・。

「黒蜥蜴」と言う映画を持って居ますよ。。。

若い頃の美輪さんが見られます。確かビデオには成って居たけど、、
DVDには成って居ません。私はビデオからダビングした
DVDを持って居ますが・・・・・・・。

三島由紀夫は「人斬り」「からっ風野郎」で、俳優を演じて居ます。

そうですね勝手。本当の「Revolution」とは精神改革だと唱えてました、
作家の埴谷雄高氏やら、ジョン・レノンなどが仕切りに訴えて居ましたね。

そう言えば此間、あのGACKT君が「日本人はバカか!」と怒ってましたよ
ね。
その事とは関係ない話ですが、、これも見て下さいね。
暇があったらでいいですから・・・。 GACKT君も大変ですね、、( ◠‿◠ )

https://www.youtube.com/watch?v=MUSaoc3-tB4

https://www.youtube.com/watch?v=UQqp5Kk89V8

https://www.youtube.com/watch?v=9adsLLdzQdg


それからインドネシア語、話せるんですね、、
凄いですね、、私なんかもう殆んど忘れてますよ。💦

また来て下さいね....。
宜しくね。でわでわ。。。
goohanasaku
今晩は~☽☆

上から、2つの、三輪明宏さんの動画を、それぞれ、拝見させていただきました・・・。
2つめのは、途中までしか、まだ、見れてないですが、
ご病気なさったとは思えないほど、しっかりとした思考を持って、お話なさっていて、ホッとすると同時に、素晴らしいなと思いました・・・。

コロナの事で、不自由を強いられる日々ですが、
戦時中の事を思えば、食べる物もあり、ゆっくりと眠る事ができる場所があって、好きな衣類を着用する楽しみもあります・・・。
・・・そのような普通の何気ない事に、感謝の気持ちを持たないとと、改めて、感じました・・・。

それと、話は少しずれますが、
今、世界的に深刻な問題・・・、
コロナの問題も、環境問題も、言える事なのですが、
1人1人が、マナーを守って行く事、高い意識を持つ事で、問題解決に、近づいて行ける・・・、そんな気がします。

それと、人と人との協力・・・、協調性・・・、必要ですね・・・。

その為に、お互いの良いところを見つけ合って、高めあって行く事も大事かと・・・。

・・・、三輪さんのそれを、少しですが、拝見しまして、そんなあれこれを、感じました~。
続きも、時間がある時に、拝見させていただこうと思います~♡♡♡

・・・それと、私、そー言えば、インドネシア語・・・、ほんの少しだけ、ふれた事があったのを、忘れていました~(^-^;

スラマット シアン:こんにちは。(Selamat siang)
アパ カバール:お元気ですか?(Apa kabar?)
テリマカシ:ありがとう。(Terima kasih)

・・・いただいたコメントにより・・・、思い出すきっかけとなりました~♡

どうも、ありがとうございました~♪


ビオラ
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