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寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

差別と最近の若者気質........。

今回はネット閲覧中に見つけた話です。皆さんは如何に平穏なのかと言う事を考えて下さいね。そのために引用します。個人名やらは出しませんし。私が読んだサイトにも載っては居ませんでした。本来なら許可を取った方がいいかとも思いましたが。その文は医師ならではの話であり、、此処にその医師に敬意を払って上げる事としました。それではお読み下さい。重い話ですが、、

 

 

  竹川 敦 先生 HP http://www.niwaiin.com/T1.htm

 

 

 
 
 
 
「父親なんか・・早く死ねばいいのに・・」

診察室で彼女はこうつぶやきました・・目には一杯の涙を浮かべて・・



 彼女が幼い頃から彼女の父親はいつもお酒を飲んでいました。飲んで・・暴れて・・・殴って・・寝る。そしてまた目が覚めると・・また飲んで・・

 当然仕事はしておらず、父親の両親の仕送りと母親がパートで稼いだ少しのお金で必死に生活していたんです。でも大半は父親のアルコール代に消えていきましたから、借金ばかりが増えていったんです。


 そういう訳で
彼女は幼い頃から貧乏でした。いつも同じ汚い服を着させられ、欲しいものも買ってもらえず、ろくな食事も与えられず・・・給食費を滞納して同級生からからかわれる事もあったそうです。


 でも、朝から晩まで必死に働いている母親を見ていると、どうしても文句が言えなかったんですね。


そして彼女が8歳の時に衝撃的な事件が起こります


 ある夜、母親と寝ている時に、酔った父親が、いきなり部屋に入ってきて、突然母親の頭部を蹴飛ばし、踏みつけました。大声を上げて、何度も・・何度も・・血だらけになって、意識がなくなるまで・・・彼女はその光景を目の前にして、何も出来ず、
部屋の隅で泣きながら、ただ震えていたといいます

 母親は軽い脳震盪ですみましたが、次の日から彼女は父親が怖くてしょうがなくなりました。とにかく父親を怒らせてはいけない・・家が貧しいことにも決して文句を言わず、欲しいものも欲しがらない・・

父親にいくら殴られても決して泣かない。
学校でどんないじめにも耐え、自分がどんなに惨めでも、
下を向かないように生きていこう・・・
母親と姉を守りながら、必死に感情を押し殺し、
我慢しながら精一杯頑張ろう・・


幼いながらに、彼女は心にそう誓ったんです。




 そういう訳で、
頑張り屋となった彼女は中学校を非常に優秀な成績で卒業、奨学金とアルバイトで高校にも進学しました。とにかくお金を稼げるようになって、大学に進学し、早く家を出たい・・・

 そのことだけを考え、遊びにも行かず、恋人も作らず、ひたすらにアルバイトをしていたんです。

 それから、奨学金とアルバイトで大学に進学し、卒業後はIT関係の会社に就職、そして逃げるように
念願の一人暮らしを始めたんです。仕事面でも非常に真面目で優秀でしたので、すぐに昇進し、20歳台前半でも月に30万円も稼げるようになったんですね。





 しかし・・彼女が家を出てからすぐに、父親は体調を崩してしまいました。
病名は肝硬変・・原因はアルコール・・まあ、自業自得ですよね。

 病気になっても飲酒は止まらず、入退院を繰り返すようになり、母親は何度も病院に足を運ばなくてはいけなくなったんです。そのためパートの仕事が出来ず、これ以上借金も出来なくなり・・・・
結局・・・娘達に泣きつきました。

 彼女の姉はもう嫁いで子供もいたのですが、夫の稼ぎが良くないため援助出来ないと・・・それを聞いた彼女は、今までずっと苦労している母親を不憫に思い、
自分が助けるしかないと・・・


 
そして、なんと月に18万円ものお金を父親の入院費、母親の生活費のために、実家に送ることにしたんです。



 30万円の給料の半分以上を親に送り、残った12万円で残りは家の家賃と生活費です。それゆえ彼女の生活は非常に切り詰めたものになりました。

 一生懸命に働いているのに、自分の好きな服は買えず、化粧品も一番安いもの・・友達からの飲み会の誘いも断り、彼氏も作らずに、極力無駄なお金は使わない。頼まれた残業は一手に引き受け、朝早くに出勤し、いつも帰りは終電でした。

仕事に依存、没頭することで、
必死に自分を保っていたんですね。


 そんな生活が2年くらい続いてから、ついに父親は危篤状態になりました。結局アルコールを止めることが出来ずに、肝臓、腎臓、心臓と次々と悪くなり、最後には透析を回して寝たきりの状態になっていったんです。

 父の状態が悪くなるたびに、母親から泣きながら電話が来るようになりました。母親を励ましつつ、
両親の為にさらに必死に働き、彼女の体力は徐々に限界が近づき、精神的にも情緒不安定になっていきました。


 慢性的な疲労感が取れず、仕事の前に急に気持ち悪くなったり、
過呼吸発作を起こし、情緒不安定から過食リストカットも繰り返すようになりました。

 このままでは仕事が出来なくなると危機感を感じ、精神科を転々するんですけど、どこの病院に行っても、「うつ病」と言われ薬を出されるだけ・・・

一向に良くならず、最後に私の所に来たんです。




「母の人生を考えると、本当に馬鹿みたいだと思います。
 早く父親が死んでくれれば母も楽になるのに・・・」



 彼女は涙ながらに訴えていました。未だに8歳の夜のことを思い出し、夜怖くて眠れなくなるといいます。会社で怒鳴り声を聞いたり、テレビドラマで暴力的なシーンを見るだけで、体が震えてきてしまうんです。


 彼女の話を一時間程聞いてから、診断としては
「適応障害」ですが、
ベースの性格を考えると「アダルトチルドレン」
いわゆる
「サバイバー」・・過酷なストレス環境での生還者、
そして典型的な
「PTSD」・・・原因は「親の呪縛」です。

 身体的にも疲れ切っており、精神的にかなり不安定でしたので、ストレスから遠ざける意味でも
親と連絡を絶ち、仕送りも減らして止めるように勧めたのですが・・・(両親には生活保護の申請を勧めました)


お金を送ることで、いつか父親は自分に謝ってくれる・・
母親が誉めてくれる、自分を抱きしめてくれる・・
母親だけでも見捨てることは絶対に出来ない。
だから絶対にお金を送りたいと・・・・・。



涙をこらえ、歯を食いしばりながら
そう呟いた彼女の顔はまるで
幼い少女でした。


今まで、この子は、どんだけ我慢して・・・
どんだけ頑張ってきたんだろう・・・
決して報われない幻想の為に・・・

両親はどこまで・・
この子を食い物にするんだろう?



今までの経過を長時間聞き入り、彼女の過酷な運命を考えると、
私も思わず泣きそうになるのと同時に、
彼女の両親に対する物凄い憤りを感じました。
診察机の下で強く握りしめ、
震わせた拳を彼女に隠すのに必死でしたよ。




彼女のように親を恨んでいても、
最後には面倒をみてしまう人・・
非常に多いです。



 私は同じような過去を持ち、20歳代前半で自分の体を売り、月に70万円もの大金を両親に送っていた患者さんも診たことがあります。その彼女の両親も何の躊躇もなく、その金額を受け取っていると聞き、ゾッとしたのを覚えています。

彼女達はお金を送ることで親から見離されていない、
親は自分を頼りにしてくれるという安心を買い、
いつか親が自分に謝る・・生まれ変わってくれるだろう
という幻想に支配されているんです。
切ない話ですが・・・・





 アルコール依存症の家族からなるAC(いわゆるACOA)の場合、
問題があるのは父親ではなく、むしろ母親の方なんです

アルコールに溺れる夫を捨てられずに、子供に責任転嫁し、
死ぬまで夫のアルコールに付き合い、自分の人生も破滅させてしまう・・・
さらに自分の身代わりを子供に押し付ける・・・


 もし娘を本当に愛しているなら・・・夫や自分のことで娘の人生を犠牲にするなんて考えられません。


母親は娘達の為に、夫を捨てなければならなかった

んだと思います。もし捨てることが出来なくても、



「私達のことは、放って置いていいから、
 あなたは、あなたの人生を生きなさい」




その一言を母親が彼女に言うことが出来たら・・・・・・

彼女の人生は変わっていたかもしれません・・



でも彼女の母親も恐らく彼女と同じAC・・・
もの凄い苦労をしてきたんでしょう。
そして父親にも、お酒に溺れなければいけない理由があったのかも・・・。
仮にそうだとしても、何とかして彼女の代で
この最悪のAC連鎖を断ち切らないといけません・・


彼女には以下のことを伝え、必ず良くなることと、
今後も外来に来ることを約束しました。


「あなたの親は絶対に変わらない・・」

「あなたが必死に追い求めているのは幻想です・・・・」

「変えるのは親じゃなくてあなた自身・・・」

「親の為に生きるのではなく、自分の為に生きること・・・」

「そして自分を許し、自分を好きになって褒めてあげること。」

「父親が死んでもその呪縛は決して外れない・・・」


「あなたが変わろうと思わない限り・・・」



P.S.彼女は私の所に2年くらい通い、自分で過去の自分と向き合う作業(グリーフワーク)を行い、非常に良くなりました。何とか親の呪縛も断ち切り、今は結婚して一人子供を出産し、幸せに暮らしております。
 
 
 
 
 
La canción mas hermosa de la música clásica - Albinoni - Adagio in G Minor
 
 
 
 
 
 
如何だったでしょうか?こんなに苦労して居る人も居るのですよ。私の経験上からも言えます。親とは早くに別れた方がいいんですよ。それが引いてや自分の為でもあり。親の為でもあるのですよね。私を侮辱した訪問看護師が今来て居ます。そんな事はすっかり忘れて。いや、忘れては居ないでしょう。あれだけ私を愚弄し侮辱した女性ですから。前に彼女は私に幾らお金を持って居るのか聞きました。私は先週来た時に、自分から幾ら今あるかと言いましたよ。彼女は「ヘェ〜結構持って居るのね」と言ったので私は言いました。「あと1年で金はなくなる額だよ」とね。それが聞きたかったのでしょう。だからありのまま言ったのです。もう2度と聞いてくる事は無いでしょう。そして私は彼女を許しますよ。母については認知症に母がなる直前にお金をくれました。何しろそのお金で認知症の母を4年ほど見て8年間暮らせた金額ですから。しかしね、私が初めて給料を貰った時に、子離れが出来て居なかった母は私に期待しました。何をって?家に給料とボーナス全額入れる事をですよ。だから親離れがして居なかった私はつい「全額渡すよ」と言ってしまった。母は自分の管理下に私を置きたかったのだろうと思います。その時の母の嬉しそうな顔を私はいい思い出に思ってはおりません。結果的に母は大金をくれた。しかし、私の結婚資金は?私の使えるお金は?月3万でした。そして弟への小遣い月に2万。弟は亡くなりましたが。ある日、私に怒鳴り声で電話を掛けて来て言いました「貴様がなんで親から大金貰えるんだバカヤロー」と私は弟の怒りを収める為に「俺はお前に毎月2万円だけだけども6年間渡して来たよ」と言いました。すると彼はこう言いました。「貴様から一銭も貰った事なんざないね」私は黙って仕舞いました。兄弟でもこれです。訪問看護師の根性が治りますか?今日来た看護師もやに人の事を素直に聞いてそしてこう言いました。「此処のところ過去に来た人が来て居るでしょう?」私は原則的に誰に来られても態度は変えません。前に言いましたよね、自分の心情で生きると。私は私だと。
 
恐らくは主治医が何か言ったのか。もしくはこのblog記事なりを見て態度を変えたのでしょう。お金は人の心を潤しはしませんよ。セコクし心を醜くする。訪問看護師に、前に来て居る人たち全員に月3万円の小遣いで暮らして来たと言ったら。「信じられない〜。とてもそうは思えない」と言われましたよ。だから言いました。「最近になってお洒落をしだしたんだよ。モノを買い求めて居るのも最近だ」私の持って居る財産がどれくらいあるのか?一般の人の3分の1しか持って居ませんよ。しかも本は全て嫌、殆んどが古本で購入したものです。それは偶に本屋で購入する時もありますが。本当に偶にです。母はもう歳です、追々死が近づいて来て居ます。そう言う年齢です。そして母が持って居た通帳は、弟が困って居ると言うので弟に渡しました。だからもしかしたら弟が使ってしまって、居るかも知れないし。弟が死んで母の通帳が姉のもとに行っても、私は遺産放棄をさせられるでしょうね。そう言う姉でしょう。多分。いいですか精神分裂(今は統合失調症と名前が変わりましたが。なぜ呼び名が変わったかと言うと、精神分裂と言うと精神が幾つにも分裂して居る。いわゆる多重人格ではないか?)と誤解を招くからです。私が病気になった時には精神分裂病と言って居ました。私は今まで人に対して憤り怒って居ましたがもう辞めました。幾ら怒っても無駄だからです。他人が人の悲しい話を聞いて涙するのはドラマの中や、映画、アニメ、小説の中だけです。
 
例えば、浮浪者が体調が悪くて駅の構内に昔はよく倒れ込んで居ましたが、誰が声を掛けましたか?マザーテレサが日本に来て新宿の浮浪者が倒れて居るのを見て嘆いたそうです。「こんなにお金持ちの国の人が何故誰も助けないのでしょうか。何で皆んなこの人を避けて歩いて行ってしまうのですか?」慈悲深い彼女にはそう映ったのでしょうね。最終的に国が浮浪者の住める施設アパートを作って、そこに収容しました。だから今はもう浮浪者は居ません。それに岡林信康が歌ってヒットした「三谷ブルース」も今は三谷が存在して居ません。昔は三谷は100円ベットが置いてある宿泊所に。日雇い労働者が寝泊まりして。工事現場で工事をして来ましたが。今は工事をする人たちも皆専門学校卒か、ものづくり大学などの大卒です。ある意味昔と比べたらエリートですよ。ただ彼の「手紙」と言う曲で歌われて居る被差別部落の問題は未だにあります。私は部落民についての書籍は1冊しか持っては居ませんが実家の近くに被差別部落がありました。結構広い道が真ん中を通っており、その両サイドに見窄らしい民家が並んで居ました。私はその道は誰も通りませんでしたが。家への近道でもありよく通りました。私が住んで居るこのボロ・アパートでさえ、風呂が付いて居ますが。その民家には風呂が無く、よく若い女の子の姉妹などや御近所さんたちが洗面器に石鹸とタオルを入れて、そしてシャンプーを入れてカタコト言わせながら家から近くの銭湯に通って行く姿を何回も見ました。つい最近ですよ。5年前ぐらいです。
 
 
 
 
「チューリップのアップリケ」岡林信康 (1971年 ライヴ)
 
山谷ブルース 吉幾三
 
岡林信康 (Nobuyasu Okabayashi) - 手紙
 
 
 
 
私の所有してある本の著者は被差別部落の人たちを取材して本を書き上げましたが。彼らとあって居たと言うだけで。著者の結婚式は流れてしまったそうです。「部落民と関わった奴に娘はやれん」と言われたそうですよ。旧約聖書はプロテスタントです。ユダヤの民の教典です。詳しく言うと旧約聖書と呼ぶ場合、キリスト教からの立場のもので、ユダヤ教内では単に「聖書(タナハ)」と呼んで居ます......。 旧約聖書が「古い契約」とされたのに対し、新約聖書はイエス・キリストによる「新しい契約」とされ、旧約聖書と同じく2世紀ごろからその名前が使われ始めました。実は新約聖書にはプラトンの哲学の影響もあるのですが。カトリックプロテスタントは、同じ「キリスト教」であっても、その考え方に大きな違いがあります ...。プロテスタントは、聖書を絶対的なものとして扱います。 カトリックは、ローマ教皇を文字通り「頂点」としますが、プロテスタントにはこのような考え方はありません。突然なぜ聖書の事を持ち出したかと言うと。昔、「ソウル・トレイン」と言うディスコ・ミュージックを聞かせるテレビ番組がありましたが。このトレインすなわち鉄道と黒人奴隷の話があるのです。そしてその事には教会が関わって居るのですよ。「地下鉄道」この逃亡幇助網は、物理的に地面の下に設置されて居た訳ではなく、「(地下に)潜る、隠れる」と言った「秘密」やアンダーグランドを表す意味で「地下鉄道」と呼ばれて居ました。地下鉄道は主に、秘密の通過道、乗り物、待ち合わせ場所、隠れ家、そして奴隷制度廃止論者たちによる誘導や補助で構成されて居たのです。特に廃止論者たちは、地域ごとの小さな班に分けられ、自分たちの地域だけにおける地下鉄道の詳細な情報を知ると言う慣わしでした。ひとつの「停車駅」から次の「停車駅」へ、黒人たちは停止地点ごとに違う人々の補助を借りて、目的地まで進んだのです。これによって、誰ひとりとして逃亡中の奴隷たちの目的地までの道のりの全容を知る事がなく、地下鉄道の秘密と奴隷たちの安全が確保されました。
 
また、隣り合った「停車駅」同士は、親戚の関係でつながって居たと言う事も多かった。奴隷制度廃止論者である白人、生まれつき奴隷でない「自由黒人」、過去に奴隷だった黒人、そしてアメリカ先住民などの人種に属する人々が、この「線路」上で「車掌」として、逃亡中の黒人たちを手助け・誘導しました。フレンド会、会宗派教会、メソジスト教会、パプテスト教会などの宗教的な機関も、この地下鉄道に大きく貢献しました。また、奴隷制度廃止派の考えは書物、新聞などを通して出版され、合衆国中に広められました。

逃亡中、奴隷たちは通常、昼間は隠れ家にかくまって貰い、夜中に次の「停車駅」へと旅をしました。ただし、毎晩、泊まる所があった訳ではなく、森や沼地に隠れなければならない事もあった。こうして黒人たちは南部から北部に逃れたのでした。日本の部落民たちは、自分が被差別部落の出身がばれない様に、車には乗らず移動は鉄道で、そして自分らの集落がある家がある駅では決して降りないのだそうです、一駅手前か後の駅に降りて歩いて家まで帰ると本には書いてあった。部落民とは江戸時代に士、農、工、商、エタ、非人と言うヒエラルキーの中での最下層の人たちの事です。すなわちエタ、非人の史料では、すでに鎌倉時代中期の文献に部落差別の原型が記述されて居ます。その後、16世紀末に豊臣秀吉は、農民が田畑から離れることを禁じる為に、武士と町民・農民とを分けた身分制度を作りました。この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されて居た一部の人々を、著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限しました。

こうして被差別部落の形成が進み、その多くが生活や暮らしが低いレベルにおかれていったと言われて居ます。この差別されて居た一部の人々は、占術など神秘的な技能を持つ職人や芸人、そして、生き物の死にかかわる職業に携わって居ました。そして、科学が未発達であった当時、多くの人が抱いて居た「ケガレ意識」の対象として見られて来ました。神秘的であるが故に、畏怖の念から「ケガレ意識」の目で見られてしまったのでしょうか。観阿弥(かんあみ)や世阿弥(ぜあみ)が完成させた能をはじめ、歌舞伎や人形浄瑠璃などの芸能、寺社の庭師、武具や馬具、太鼓などの革製品の生産、竹細工にいたるまで、現在日本の伝統文化と言われるものの多くは、当時の被差別民衆が担って来たものです。

1871年(明治4年)の解放令によって、こうした差別の身分制度は廃止されました。 しかし、被差別部落が長年おかれてきた厳しい状況は改善されずに形式的なものであったため、周囲からの偏見や差別はそのまま放置されました。明治以降の資本主義化による制度や産業の変革により、被差別民が担ってきた皮革産業などの特権は資本家に奪われ、被差別部落の生活や実態はより厳しいものになっていきました。1922年(大正11年)の全国水平社の結成は、被差別部落の人達が不当な差別を自らの運動によって解消しようと立ち上がった出来事でした。現在、行政、企業、宗教団体、民間団体等、多くの人や団体が部落差別問題の解消に取り組んでいます。しかし、今日に至っても、同和問題は結婚や就職など日々の暮らしの中で差別事件として、早急に解決が必要な現実の社会問題となって現れて居ます。(注)権力の関与の程度や成立の時期は現在も研究者の間で議論が進められて居ます。

ウイリアム・ワイラー監督の映画で「噂の二人」と言う映画があります。主演は二人の女優。オードリー・ヘップバーンとシャリー・マクレーンです。ストーリーを話すと。カレン・ライト(オードリー・ヘップバーン)とマーサ・ドビー(シャーリー・マクレーン)は17歳の頃から11年来の親友だ。2人で共同経営する寄宿制の「ライト・ドビー女学校」も要約軌道に乗り始め、多忙だが充実した日々を過ごして居た。カレンには医者をして居るジョー・カーディン(ジェームズ・ガーナー)と言う婚約者がおり、次の休暇中に結婚することが決まる。それを聞いたマーサは、何故かとても苛立つ。

学校で一番の問題児はわがまま育ちで嘘つきなメアリーだ。彼女は金持ちの権力者であるティルフォード夫人(フェイ・ベインター)の孫で、自分のわがままが通らない学校を嫌って居た。カレンとマーサを悩まして居る人物はもう1人おり、それはマーサの伯母で学校を手伝っているモーター(ミリアム・ホプキンズ)だった。モーターは元女優だが今はすっかり落ちぶれており、金銭的にマーサへ依存して居た。

また嘘をついたメアリーはカレンに怒られ仮病を使う。ジョーが往診に来て居る間、マーサとモーターは口論になる。モーターは、マーサがジョーに嫉妬してイラついて居る、マーサのカレンへの執着は異常だと彼女を侮辱する。その喧嘩を生徒が盗み聞きして居た。メアリーはロザリーがヘレンのブレスレットを盗んだ事実を掴み、彼女からお金を脅し取る。そのお金で勝手に家へ帰り、ティルフォード夫人に怒られる。どうしても学校が嫌なメアリーは、モーターの“異常だ”と言う発言を勝手に膨らませ、カレンとマーサが同性愛者であるかの様な話をでっち上げる。それを聞いたティルフォード夫人は驚き、すぐに他の父兄にもその事を知らせる。

学校では理由も解らないまま父兄が次々と生徒を連れ帰ってしまい、カレンとマーサは混乱する。ようやく事情を聞き出した2人は、ティルフォード夫人の屋敷へ抗議に行く。カレンとマーサが屋敷へ行くと、ジョーも居た。夫人の甥であるジョーはカレンとの結婚を辞める様に説得されて居たのだ。3人はこの話が事実無根である事を訴える。しかし夫人はそれを認めない。そしてついにメアリーが呼ばれる。“2人が変な事をして居るのを見た”とメアリーは嘘をつき続けるが、その嘘はすぐにバレる。しかし“実は見たのはロザリーだ”とさらに彼女は嘘を重ねる。ロザリーもメアリーの陰湿な脅しに屈して“メアリーの言う事は本当だ”と嘘をついてしまう。

カレンとマーサの噂は町中に広がり、さらに裁判をした事で新聞にまで書かれてしまう。裁判は重要な証人であるモーターが証言を断った事で敗訴し、2人は家から出られない日々を送って居た。そこへ金に困ったモーターが図々しく帰って来る。マーサは伯母の無神経さに追いつめられる。カレンの事で病院を辞職したジョーは、3人でどこか遠くへ行ってやり直そうと言いに来る。マーサはこの申し出を前向きに考え様とするが、カレンはジョーの変化に気づいて居た。どこかで自分たちを疑って居るジョーを信頼出来なくなって居たカレンは、彼と別れる。それを聞いたマーサは激しく動揺し、自分がカレンの事を愛して居るのだと打ち明ける。マーサは17歳の時からカレンに恋愛感情を抱き、そんな自分を責め続けて来た。

そこへティルフォード夫人がやって来る。子供たちの嘘がついに判明したのだ。謝罪をしたいと言う夫人を、2人は冷たく追い返す。カレンはマーサを励まし、1人で散歩に出る。しかしモーターがマーサを探す声を聞いて急いで家に戻る。マーサは自室で首を吊って自殺して居た。マーサの葬儀の日。多くの人が遠巻きにカレンを見つめる中、彼女はマーサに別れを告げる。そして誰にも声を描ける事なく、1人でその地から去っていく。

 

「噂の二人」The Children's Hour

 

 

まだ観た事が無い人が居たら。是非、観て見て下さい。今の時代みたいに同性愛者の人権もクソも無かった1960年代初頭の映画です。私が、今回、言いたかった事は差別についてです。誰だって差別をされるのは嫌な筈です。しかし心ない人、いや誰でもが差別をして居ます。昨日テレビを見て居たら女子プロレスラーの木村花ちゃんの事がニュースで流れて居たが、どういう話かと言うのは皆さん知って居るかとは思いますが。テラハウスと言う番組の事で番組内での出演者とのやりとりをめぐり、SNS上では木村さんを誹謗(ひぼう)中傷するコメントが集まって居た。木村さんのものと見られるインスタグラムのアカウントには23日未明、目を閉じた自身の写真とともに、「愛してる、楽しく長生きしてね。ごめんね」というコメントが投稿されて居た。

スターダムは「突然の事でファンの皆様、関係者の皆様には深いご心配と、哀(かな)しみとなり、大変申し訳ございません。詳細につきましては、いまだ把握出来ていない部分もあり、引き続き関係者間の調査に協力してまいります」とのコメントをホームページ上に掲載した。フジテレビは23日、「木村花さんの突然の訃報(ふほう)に接し、言葉を失っております。ご親族の皆様へ謹んでお悔やみ申しあげると共に、ご冥福を心よりお祈り申し上げます」とするコメントを出した。そして昨日。インスタグラムやらSNSで「何時まで、生きてるの〜〜!!さっさと死ねばいいのにさぁ〜〜なぜ死なないの〜〜!!」と書き込んで嫌がらせの誹謗中傷を書いて居た大学生が起訴された。本人は謝罪したそうだが、、こう言うバカが如何に多いか。私が大学に通って居た頃も大学生の大半は皆、バカだった。人をおちょくり、テストはカンニングで済まし。レポートは人のレポートを写して提出して居た、大学生が如何に多かったか。最近のレポートやら宿題は少し前ならフロッピー。今ならDVDで提出だから、殆んどの文を自分では書いて居ないと教授たちが嘆いて居た。そしてこう言って居た教授も居た。コピぺでもいい。なぜなら文を読むからだ。最近の学生はそれすらしないと......。その大学生は木村花ちゃんを自分が殺した事に付いてはどう思って居るのだろうか。もう、その大学生の兄弟も親も親戚も世間から非難の目を向けられて一生を過ごすのだ。そして自分は「ごめんなさい」で済ませるつもりか?司法は黙っては居ないぞ。人を間接的にも殺したんだ本来なら死刑だが。情状酌量の余地もあると見做されるのだろう。数年は刑務所行きだな。私のblogも今だに書き換えられて居る。しかし誰がやって居るのかは見当も付き掛けて居るのですよ。やって居ればいい。私はもうどうなっても知らないです。散々辞めてくれと言って来た。改めて木村花ちゃんのご冥福を御祈り致します。

木村花さん(20年1月4日撮影)
木村花さん(20年1月4日撮影)
 

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

kiyasume
ハナさん書き込み有難う御座います。
私が思うに酷い人と言うのは、はっきり言って、、
バカなんですよね。自分の感情が抑えられない。

私はよく女性が生理になると、めちゃくちゃ言う人が居るけど、、
私の姉なんかは身内の事を晒す様だけども、、

私が寝て居ると部屋に入って来て。「バカヤロー」と
ブン殴って行きましたよ。母に言ったら、「ごめんね」と言うのですよね?
此方にしたら何が何だか解らない・・・・・・・・。

だからもう今は連絡を取って居ないし、、

姉だとも思って居ませんね。
ただそうは、言っても私はアパートの一人暮らしだから、、
緊急連絡先には成って貰わないと、部屋借りられませんしね。

要するに酷い人と言うのはバカなんですよ。
大体が頭があって地位やら名誉がある人に悪い人は居ませんよ。
政治家は別ですがね、あと教授だとか学校の先生もダメですね。

まあ、近寄らない事ですね。今回書いた女性は可哀想だったですね。
ハナさんの言う通り、、、逃げましょうね〜〜。
私も同感ですよ・・・・・・・。

また来て下さいね。それではまた。。。
haha2017
どこの誰のもとに生まれて来るかは 誰にもわかりませんが
ひどい親 ひどい友達? ひどい人間って 吐き捨てるほどいるものですね。
ひどい人間は 残念な事には 自分がひどい人間だと言う事を解っていません。

だから逃げ出すしかないと思うのですが
優しい人ほど 逃げ出すことを知らない。

人生の生き方の基本って やっぱり親が教える事だと思うのですが
それのできない親が 教師が 今どれほど多いか・・・

救ってもらえる神様のような人に出会えればラッキーだけれど
その出会いもなければ・・・

逃げるんだよ~~~~~~!!
イチかバチか新しい人生にチャレンジする事💗
だと思います。

まず自分に力をつけて幸せになれれば
狂った家族を幸せにしてあげることもできるけれど
自分がどん底に落ちてしまえば それも不可能だから・・・

逃げましょうね~♪
kiyasume
yumoa120alkingさん、書き込み有難う御座います。

冒頭に書いた女の子の話も悲しいですし、、

私が知り合った女の子でもう、去年の暮れから、、
2人も亡くなって居るんですよ。

そして記事に書いた女子プロレスラーの女の子は、、
テレビでお笑い芸人の事を、「あなたは考えが甘いんじゃないの?」
と言っただけで、彼女のインスタグラム。SNSで炎上して、、

必要に嫌がらせをさせられて、そのためにノイローゼになり
自殺をして仕舞いました・・・・・・・・・・。

何時からこの様な嫌な世の中になって仕舞ったのでしょうか?
彼女を誹謗中傷して「何で死なないの〜。何時まで生きてるの〜」
と書いて居たのはバカな大学生です。

その大学生は一昨日、起訴されました。

私も少し知って居た美雨さんと言う子が亡くなったので、、
そして私は鬱だったんですよ。だから悲しい事はダメでして、、
何も手に付かなくて。彼女の写真を私のblogにあげて居たところ・・・・・。

上の様に彼女のお姉さんが怒って居るとの事で、、
削除した所でした。私は障害を持って居るので、
このblogだけが世の中との接点なんです。

まあ、いろいろありますよね、、
ただ私はよく誤解を受けるのでして、、
人は通り一片の事しか見ませんし言いませんから、、

yumoa120alkingさんのblogには、ちょくちょく、
此れからも伺うかと思いますので、、その時は宜しく
お願い致しますね。

それではまた。。。。
yumoa120alking
はじめまして。
たくさんのリアクションをありがとうございました。

kiyasumeさんのブログを読んだら私の拙い文面に恥ずかしさを感じましたが嬉しいです。

女の子のお話、辛いですね。
人生は難しいです。

またお邪魔して読ませていただきますね。
kiyasume
美雨さんのお姉さんへ、、
写真を削除しなくてすみませんでした.

其方のblogにて謝罪文を書きたかったのですが、、
書き込めない様だったので、、此方にて、改めて謝罪致します。

美雨さんは亡くなる1週間ぐらい前に書き込みをくれまして、、
だから思い出深かったんですよ・・・・・・。

それから私が書き込んだコメントで気に食わないものがあったら、、
削除して貰っても構いませんから...。いい、妹さんでしたね。
いまだに亡くなったのが信じられません.......。

何か余計な事まで書いて仕舞って済みませんでした。
写真はお約束通り削除してありますので、ご了承の程を、、
誠にすみませんでした。重々お詫び申し上げます。
kiyasume
えっ!!そうなんですか?
解りました早速削除致します。
教えてくれて有難う御座いました。

直にお姉さんが言って来てくれたら良かったのですけど、、
気がつきませんで、大変失礼を致しました。
今から削除致します。。。。
uncle-ken2055けんすけ
kiyasumeさん
美雨さんのお姉さまが美雨さんの画像を削除してくれるよう
お願いされてますよ
お願いを聞いてあげたら宜しいのではないでしょうか
kiyasumeさんが気が付いてないようなので
コメントでお知らせいたします
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