寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

返す返す詐欺.....。

 

:: English Sub -氷锁-(hyousa) by RURUTIA (ルルティア)

 

 

此間、訪問看護ステーションとヘルパー事業所を、一旦断ってくれと主治医に言ったはずだが、今日また訪問看護ステーションから人が来た。そして「何かこの間、怒ったって聞いて居るけど・・・。」と言うのだ。そして今日も私が何か怒って居ると言う。私は呆れて居るのですよ。今日ドアから出て帰りしなに、その看護師がこう言うのだ。「借りてるカセット。次頃返すから」、、だから私は言った「上げますよ」するとニヤリと笑って「いえいえ、返すから」と言う。何遍返すと言った?もう貸して1ヶ月だ。人をおちょくって居るのかとさえ思えますよ。まあ、だから私は続けて言った。「僕はすでにもう一つ持って居るので、、」するとこう言う。「大切なカセットでしょう?」カセットって何だ?貸したのはBlu-rayだぞ。返す気なんか初めから更々無いのに、そうやって私を苦しめ様とする。要するに返す返す詐欺だ。返す気なぞ初めからこれっぽっちも無いのですよね。返す返すと言い続ける事で私にくれと言って居る様だ。鼻からあんたらを信用はして居ないよ、もう・・・。

ただね、あなたたち。私を痛めつけて居るのだろうけど。私にダメージは無いし。自分らが返さない事で、どう言う風に私から、人間を見られて居るのかと言う事が解っては居ない。それ止まりの人間だと、もう私は貸した2人の中年の看護師を見て居る。自分らが如何に、解って居ないんだか、解ら無い見たいだ。私は2度ともう貸さ無いしね。私が怒って居るのはね、返さない気持ちがあるのなら、其れでもいい。借りたら欲しくなったのならそれでもいい。初めから返して貰おうとは思っては居ない。私は人に物を貸す時には上げるつもりで貸して居る。そして相手の事をよく観察して居る。初めから返す気の無いものこそ。遠慮を凄くするのですよね。そして借りたら何も言わなくなる。その年配の訪問看護師の彼女が返すと言うのは、心では思っては居ない事だ。「忙しくて見られない」と前に言うから。

「上げるから始めから通して、ゆっくり時間が出来た時にでも、見て下さい」と言って居るはずだ。普通そう言われたら「そうですか。すみません。有難う」と何故素直に受け取らない。上げたと言って居るのに。返す返すと言うのは道理が通らないでは無いか?よしんば百歩譲って返す気があって悪いと思って居るのならば、単に返す返すではなく。。「ごめんなさいね、こんなに借りてから長くなって、まだ見て居ないので、もう少し貸して下さいね」と何故言えない。50歳廻って居るのだろうに。もう1人の60歳近い看護師は、私から借りて、私が「観ました?」と聞いたら「何がぁ〜!!」と怒るのですよね。ヘルパーに上げると言ったら「いらないねぇ!!」それでも「旦那が見るかも知れない?返さないかも知れないよ!!」と皮肉を言うのですよ。まあ、もしかしたら本人たちは、気軽に考えて居るのかも知れませんけどね。此処ではっきり言って置く。私は上げると言ってるんだ。返す返す詐欺見たいな言い方は辞めて貰いたいです。返す気は無いのだろうから。返す必要は無い。何遍も言うが私は初めから返して貰おうとは思っては居ない。渡した時から上げると言って居るのだ。彼女らの心の醜さがよく解った。それだけです。

 

ヴァイオレットエヴァーガーデン ホッジンズ中佐 cv 子安武人 『おおばかやろう・・・!!』

 

 

 

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン【完結編】『自動手記人形と追憶の日々』HD

 

 

 

 

 

 

 

 

「大森荘蔵」と言う哲学者に付いて・・・・・。

 

 

哲学#8 大森荘蔵『流れとよどみ』

 

 

岡山県生まれ。東京府立一中などを経て、1944年東京帝国大学・理学部物理学科を卒業。

1945年、海軍技術研究所三鷹実験所勤務。当初は物理学を志すも、科学における哲学的問題を問うため、哲学に転向。1945年、東京大学文学部哲学科を卒業する。はじめ現象学などを学ぶが、満足せずアメリカに留学。ウィトゲンシュタインの哲学や分析哲学をはじめとする現代英米圏の哲学から大きな影響を受ける。

帰国後、1953年、東京大学講師に就任。さらに留学後、助教授を経て、1966年、東京大学休養学部教授(科学史・化学哲学科)。これまでの日本の哲学研究が学説研究・哲学史研究などの文献学に偏りがちだったが、「哲学とは、額に汗して考え抜くこと」という言葉のもと、60年代以降に大学で学んだ人たちに直接・間接に大きな影響を与え、中家啓一、藤本隆志、野谷茂樹、中島義道ら現在第一線で活躍中の数多くの日本の哲学者たちを育てる事となった。1976年、東京大学教養学部長就任。翌年、辞任。1982年、放送大学学園教授。1983年、放送大学副学長就任。1985年辞任。

哲学

その哲学は、独自の「立ち現れ」から説く一元論が特徴である。心身2元論で把握された世界のうち、「分質」についての記述ばかりして来た科学に対し、科学の言葉では「心」を描写する事は出来ないとする。そして日常世界と科学の世界は共存しうると大森は主張する。

「わたし」と自然との間には何の境界もなく、「わたし」の肉体とそれ以外のものに境界があるだけである。共に、「立ち現れ」である点で、私は自然と一心同体であり、主客の分別もない。禅などに見られる「主客合一の無化」とは異なり、少なくとも、日常にはそう言った区別が無い、と言う事である。

現在とは知覚(感じ考えること)、過去とは想起(思い出すこと)によって起こる。 思い出されたイメージは、あくまでも「今」浮かんだイメージであって、たった「今」作りだした(現在感じている)、ただの想像でしかないのだと。 過去とは「過去性」という概念、つまり過去形のコトバ(動詞)のみによって確立されるものなのだ。

あくまで、科学の可能性と限界を見極め、それとは異なる世界の眺め方を提案する。それが大森の哲学の大要である。

 

著作

 

 

 

書籍

  • 『言語・知覚・世界』(岩波書店、1971年)
  • 『物と心』東京大学出版会、1976年/ちくま学芸文庫、2015年)
  • 『流れとよどみ 哲学断章』(産業図書、1981年)
  • 『新視覚新論』(東京大学出版会、1982年/講談社学術文庫、2021年9月)
  • 『思考と論理』(放送大学教育振興会、1986年/ちくま学芸文庫、2015年)
  • 『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫、1994年)
  • 『時間と自我』(青土社、1992年)
  • 『時間と存在』(青土社、1994年)
  • 『時は流れず』(青土社、1996年)
  • 『大森荘蔵セレクション』(平凡社ライブラリー、2011年)- 飯田隆・丹治信春・中家啓一・野矢茂樹編
共著
  • 『音を視る、時を聴く哲学講義』(朝日出版社、1982年/ちくま学芸文庫、2007年) - 坂本龍一との対話
  • 『哲学の饗宴―大森荘蔵座談集』(理想社、1994年)

大森荘蔵著作集

全10巻(岩波書店、1998-1999年)
  1. 前期論文集
  2. 前期論文集
  3. 言語・知覚・世界
  4. 物と心
  5. 流れとよどみ
  6. 新視覚新論
  7. 知の構築とその呪縛
  8. 時間と自我
  9. 時は流れず
  10. 音を視る、時を聴く

 

以下、ネットで拾った、大森荘蔵を論した論文です。蘊蓄は嫌だ。難しいのは嫌だとは思いますが、たまにはじっくりと、哲学ってどう言うものって思って読んで見て下さいね。自分の価値の認識が変わりますよ。私は彼の著書は、『流れとよどみ 哲学断章』『時間と自我』『時は流れず』を所有して居ますよ。。。 (● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

 

 

イメージの復権を求めて

──大森哲学批判──

近藤正樹

 

スタート前にイメージ・トレイニングをするマラソン ・ランナーは、これから走るコースをどのように思い浮かべているだろうか? 競技場から出て右に曲がり、緩やかな登りが終われば最初の給水所. と、ビデオ・テープを再生するかのように脳裏や、もしくは心のなかに、そのイメージが見えているのだろうか? 否、そのようなイメージなど無いのだ、こう言い切る

のが哲学者大森荘蔵(1921-97)である。 世界と人間のあるがままのあり方を「みてとる」(1)ことを求めるのが哲学であり、「その凡々たる事みを平坦 に述べてみたい」(2)と語る大森が結論することは、必ずしも常識的ではないし普通人の感覚にピッタリするものでもない。しかしその見事な議論の運びを辿ってゆくと、 彼が「時間は流れない」と言えば本当に時間は流れないのだという気がし、他我問題を論じれば此の世界に他者など存在しない気がしてくるのである。では「イメージ は無い」と言われれば、どうか?

大森荘蔵がその生涯にわたり一貫して議論の照準とし続けたのは、<物と心>、<精神と身体>、<主観と客 観>といった二元論的世界像の破砕であった。主観と客 観、あるいは世界と意識という二元論の枠組みにおいて 主観(意識)による客観世界の把握を考えようとすると、 「意識に映し出された世界像」なるものを考えずには居られなくなってしまう。するとこの二元論は<実物-コ ピー>の二元論とならざるを得ない。というのも、意識が把えるのは実物世界そのものではなくそのコピー (「像」「表象」)であり、コピーを通しての実物の把捉という基本構造がここで生じてしまうからである。

しかし「コピーを通しての世界の間接的把捉という考えの中には冗長な空転がある」(3)。というのも「Xのコピー」という概念の中に既に実物X自体が登場してしまっているからである。後に詳しく見ることになるが、 大森は<実物-コピー>の二元論に対し、対象が表象を介さずにじかに「立ち現れる」のだと考えることで、一 元論的構図を提起するのである。

吾々の批判の照準は、大森による<イメージ>の否定、 特に 1980 年代後半から 1990 年代に発表された時間論(此処では「後期大森時間論」と呼ぶ)で展開された「過去 の言語的制作」論に向けられる。この過去論は「知覚/ 言語」の二項対立の構図の上に成立しており、これが< イメージ>否定を誘発するのである。<イメージ>をめぐっての吾々の大森哲学批判は、彼の時間論の批判とも成るだろう。

大森哲学の批判に移る前に、吾々は<イメージ>を次 の二つに分けて考える必要がある。吾々が日常で使うカタカナ語としての「イメージ」は「心に思い浮かべる像」 とでもいうべきものを意味しているが、image,imagoは そのような「心像」を意味するとともに、肖像画や写真 なども意味し得る。写真や鏡像、絵画などを指すimage をここでは「画像」と呼ぼう。以下、<イメージ>は「心 像」と「画像」とに分けて考察される。(4)

 

 

イメージの復権を求めて

──大森哲学批判──

近藤正樹

 

1.過去と夢

去年の夏の旅行を想い出すとしよう。このとき昨年の 旅行の経験が今甦っているのだ、今再びその経験を思い返して味わっているのだ、人はこう思いがちである。それは根本的な誤解だ、と大森は主張する。過去想起を過去体験の知覚的再生であるとすれば、その知覚経験は記憶の中に過去の対象のコピーあるいは像として保存されているということになる。そうすると、大森の否定する あの<実物-コピー>の二元論に陥ってしまうだろう。 もし、或る過去の出来事を今想起することが、E の記憶 像 E′を思い浮かべることであるとするなら、そのとき E′は E の記憶像であることが承知されていなければならない。でないと E′によって E が想起されていることにならないからだ。しかしそうすればこのとき E もま た思い浮かんでいることになる。実物 E が思い浮んでいるときに、それを思い浮かべるための記憶像 E′はも はや必要ない。このように大森は論じるのである。

大森はここで、過去想起というのは過去体験の知覚的再生ないし再現ではないことを執拗に指摘する。先週の歯痛を思い出すのは当時の痛みが微弱に反復されるのではないように、過去想起とは実在している「過去それ自体」が弱毒化されたイメージとなって、蘇生してくるという知覚体験ではないのである。

では、想起されるのが知覚経験ではないとすればいっ たい何なのか? これに対する大森の解答は、1980年代後期までと、それ以後の後期大森時間論とでは異なる。

1980年代前半までの大森の解答は、思い浮かんでいる ........

のは実物Eそのものであって記憶像 E′ではない、というものである。しかしそれは知覚的に立ち現れているのではなくて、「思い」的に立ち現れているのである、と言われる。

後期大森時間論では、それまで「思い」的に「立ち現れる」とされたのに代わって、それは動詞の過去形による言語的命題であるとされる。大森によれば想起経験での想起内容は言語的命題群であって、知覚的なものではないのである。想起が言語的に行われるということを、

大森は映像に過去形がないことを論拠にして展開している。

「何であれ過去性を知覚的に描写することは不可能なので ある。過去性の図解などはありえないのである。われわれは やむなく現在風景を代用して過去を図解するほかない。では いったい過去性はどのようにして理解されるのか。それこそほかでもない、動詞の過去形の了解によってである。つまり それは言語的了解によってである。」(5)

想起とは過去をそのつど言語的に制作することであって、大森はこれに「ポイエーシス」の名を与えている。

「想起は概して文章的であり物語的なのである。これらの想起された文章や物語は想起された経験の描写や叙述ではない。その文章や物語、それが想起された当のものなのであって、想起された経験の言語的表現ではないのである。その点で想起は記録や報告にではなく詩作に似ている。」(6)

昨日の体験であろうと昨年の体験であろうと、過去の存在はまさに個々の想起体験のうちで、過去形の文章の意味のうちで制作される。どこにも保存されていない過去は、如何なる意味でも再現されない。過去は「まったく唐突でまるで天から降ってくるように」(7) 想起されるのである。故に、過去とは人間が制作したものであり「過去物語り」なのである。それ故大森に拠れば、例えば殺 人事件の捜査とは殺人物語りの制作であることになる。

しかし或る殺人事件が言語的に制作された殺人物語に過ぎないのならば、その殺人事件の真偽、殺人犯が白か黒かは一体何に基づいて判定されるのだろうか? 殺人事件は言葉によっていくらでも恣意的に捏造できてしまうのではないか? 真なる過去とは一体何なのか?

この問いに対し大森は<真理の整合説>で答える。何か超越的な実在、すなわち過去それ自体があってそれに対応することを真理条件とする<真理の対応説>ではなく、「現在への接続」と「過去内整合性」が過去物語の真偽を決める真理条件とするわけである。10 年前の殺人事件は夢だったのかもしれない。それが現実(真実)だ と信じられるのは、ただ、殺人物語内での話の整合性が合ってそれが今とうまく接続しているからにすぎない、

このように大森は主張するのである。 .. ..

しかし、「過去想起は動詞の過去形による言語的制作である」という命題は、そもそもトートロジーなのではないか? ここでは過去を定義づけるのに過去を持ち出してしまっているのではないか。動詞の過去形が過去を制作するという主張に対して、そもそも動詞の過去形というものを要請するような体験を吾々が持っているからこそ過去形という時制を吾々は用いているのではないかと主張しうるのではないだろうか。

さて、想起が言語的制作であることを説明するのに、 大森はしばしば夢の想起を例にとっている。

「過去は知覚されずにただ想起されるように、夢もまた知覚されるのではなくてただ想起される。この想起において知覚の五感に代わって働くのが言語である。過去なるもの、したがって夢もまた過去として言語的に想起される。だから過去とは過去物語であり、夢はまさしく夢物語なのである。」(8)

大森にとって夢は言語的制作物に他ならない。そして ここでは過去が限りなく夢に近く了解されている。想起された夢と現実との差異は過去と同様、整合的に話が纏まっているか否か、現在へ自然に接続しているか否かによって区別されるだけなのである。そもそも眠っている 最中の「夢見」という体験自体が実はありもしない虚構であって、あるのは夢の想起と呼ばれる覚醒時の特異な想起体験だけなのだ、このように大森は主張する。

「夢見る」などということはどこにもない、あるのはただ夢の想起と呼ばれる覚醒時の独特な想起体験だけである。 換言すれば、夢は眠ってみるのではなく目覚めて想起するものなのである。」(9)

「想起とは以前の経験の二番煎じの経験などではなく、過去の初体験に他ならない。だから昨夜みた夢を途切れ途切れ に今思い出す、というのではなく、夢のような一片の過去を今初めて思い出している、のである。その過去の一片は今封切りの本邦初演なのである。」(10)

それでも想起において何か知覚的なものが浮かんでくる、と吾々は言いたくなる。大森はこれを「映像的エイズ」(11)「知覚未練」(12)さらには「知覚パラノイア」(13)と

名付け退けている。しかし、吾々は夢の想起において、 言葉の網に捕獲される以前の経験を全く持っていないのだろうか。吾々の日常的経験に照らしても、むしろ夢とは言葉の網では掬いきれず、かといって知覚されるのでもない、いわく言い難い何かである、そういったもので はないだろうか? たしかに夢の内容は容易に言語によって加工され得るものだろう。しかし同時にまた夢の想起ほど言語化に抗するものもないのではないか。大森が論じているのは想起の言語化という二次的な体験にすぎないのではないか。

次の一文には、大森の「知覚/言語」二項対立図式の揺らぎが垣間見られる。

「なるほどその想起に際して知覚風景(それも時には生き生きして鮮やかな)が念頭に浮かぶことが多い。しかしこの 同伴する風景らしきものは実は知覚的な想像なのであって、 真の想起である言語命題群の挿し絵であり図解なのである。 それでこの想起に同伴する知覚的想像を知覚的図解と呼ぶことにしたい。」(14)

たとえ何か知覚的な風景が想起に同伴するとしてもそ れは想起される言語的命題群をイラストする「知覚的図解」でありそれは補助的要素、二次的なものにすぎない、 このように大森は主張しているのであるが、しかし二次的なものにせよ、想起において知覚的なものが伴うことを大森自身がここで認めてしまっているではないか。

また大森は「本質的には言語的であるのに、それに伴う知覚的図解の想像的な映像にまどわされてそれが主体であるように思い違えがちな経験」(15)として、感知できないほど小さな物を理解するときの経験を挙げている。

吾々は光学顕微鏡や電子顕微鏡で見える(感知できる) 姿をそのままその対象の拡大した映像だとして理解している。しかし本物は見えないほど微小なのだから、その形を知覚的に見ることはできない。故に顕微鏡の映像と比較することも不可能である。したがって、それが本物の形の相似的拡大だと言うことも不可能なはずだ、これ が大森の言い分である。

「われわれは複雑な理論的考察(例えば顕微鏡の光学理論やX線解析理論)によってそれらの実験的映像が本物の相似拡大形だと考えているのである。この考えは当然言語的になされるのだから、微小物、例えばDNAの形が二重ラセン。この透視構造を大森は「見透かし線」と名付けている。

この透視構造自体を自然科学の言説でもってさらに精密に記述してゆくことは可能であろう。しかし、この見透であるとは言語的了解であり、二重ラセンの映像や立体模型の知覚風景はこの言語的了解(思考的了解)を助ける図解にはかならない。この知覚的図解が人をまどわせて、つい微小物の形そのものだと短絡して、微小形の理解が実は思考的であり言語的であることを見落とすことになりがちなのであ る。」(16)

しかし例えば私のからだのなかの一個の細胞、その中の ひとつの DNA を顕微鏡を通して見た像が、「二重ラセ ン型である」といった言語的な一般命題に還元されてしまうとは、どうしても考えられないのではないか。私が見ているのは他でもないこの私、他の物とは交換不可能 .. ..

なこの細胞、このDNA なのであって、これが「細胞」 「DNA」という一般名辞と全く等値であるというのは おかしい。そもそも吾々に DNA の二重ラセン型は、本当に見えていないのだろうか?

この間題について、吾々は後期大森時間論からそれ以前の大森哲学に遡って、そこにおいて展開された「見透し see through」理論を検討してみよう。そこでは上のよ うな見解に相反する論が展開されていたと考えられるからである。

私が向こうにそびえる山を見ている。この状況を自然科学は例えば次のように説明するだろう。向こうの山に当たって反射した光が、私の眼の水晶体で屈折しガラス体を通して網膜に像を結び、それが電気的刺激となって視神経を通して脳(例えば後脳部の第十七野)へ伝達される、と。

このとき霧や靄がかかっていれば山は明瞭には見えないだろうし、赤いサングラスをかけて見ればサングラス より向こうの風景が変化する(赤く見える)。水晶体レンズに白内障のような異変があれば、それより向こうの風景が変わる(白濁する)だろうし、視神経や脳に異常があれば視野欠損などのような風景の変化が起こるだろう。しかし普段は、外部-水晶体-ガラス体-網膜-視 神経-大脳、という透視構造を「透かして」見ているのである、このように大森は説明する。

見透かし線の終着点はない、このことを大森は強調する。脳の中の誰か(心?)がこの見透かし線の端から見ているのではない。ただ視覚風景の構造が、...脳→視神経→網 膜→眼球→近景中景→遠景→...、という「見透し」になっているだけなのである。

赤いサングラスをかけて白い紙を見るとその紙は赤く見える。これは「白い」紙の「赤い」像が見えているのではない。ここで大森は実物解釈をもってくる。「その赤く染まった(例えば)白紙は「実物」である。同じ一 つの「実物」がメガネをはずした状況で「透視」されれば白く見え、赤メガネを「透して」見れば赤く見える。」(17)

では、その赤いサングラスを顕微鏡に代えてみればどうか。顕微鏡を「透して」拡大されて見える知覚風景は、 後期大森時間論が主張するような「言語的制作物」ではなく、それ以前の大森の「見透かし」論に則して「実物」 である、と吾々は主張できるのではないか? 例えば杖の使用に熟練してくると、杖自身は「透明化」し、杖の 尖端の対象が「直接的に」触覚的に意識されることにな る(18)。この<杖モデル>は、視覚や聴覚にも拡張できるだろう。顕微鏡や望遠鏡などは視覚の延長をもたらす道具である。そして「透明化」されたその道具を介して吾々は「直接的に」知覚するのであって、顕微鏡の映像が言語 的一般命題に帰されるわけでは決してないのである。(19)

2.鏡像と写真

大森は鏡像を何度か主題的にとりあげて論じている(20)。 光学的虚像を何らかの写しとして認めることは、即ち先に述べた「実物とコピー」の二元論を認めることになってしまう。この二元論へ通じる道を遮断しようとするならば、大森はこれら光学的虚像を実物のコピーと認めるわけにはゆかない。

大森が採るのは「鏡像の実物解釈」である。大森の主張を聞いてみよう。鏡像は実物のコピーとしての画像なのではない。つまりただ「見えるだけ」の像ではない。 現に鏡の中の太陽は眼を灼き物を暖めるのであって、太陽 の鏡像は物理作用をもっている。いや、物を暖め水を沸騰させるのは太陽の「鏡像」ではなく、鏡からの反射光線なのだ、という反論があるかもしれない。しかし、 まさにその反射光線によって鏡の中に太陽の画像が見えるのである。

ここで、私の視線からでは見えない角度に在る物の眺めを見せてくれるのが鏡である、と考えてみよう。例えば水中に居る私は潜望鏡を覗くことで水上の風景を眺めることができる。ファイバー・スコープによって私は自分の胃の内部を見ることもできる。これらは吾々の視線 の経路を折り曲げてくれる道具と解することができるだろう。このように大森は鏡に<杖モデル>を適用する。 つまり鏡は視覚を延長する道具だと考えるのである。と

すると、太陽の鏡像を見るとき、私は反射光線の経路を 視線として、つまり折れた山型の視線で、太陽そのものを見ているのだ、と言うことができる。そして視線に垂直に立つ鏡は、視線が 180 度折れ曲がる特殊な場合であると考えるわけである。「鏡像は「像」ではなく、折れた視線で(しかも真正面に)見える実物」(21)なのであり 「それは<向う>から(<向う>の<視点>から)見た 私自身なのである。だからその鏡像の位置は鏡のこちら側の<ここ>なのである」(22)。もしわたしが蟹のような 長い柄をもった眼球(ただし鏡像反転手術をした)を向こうにのばして其処から此処を見れば、それは鏡像の風景と同じになるだろう。特に、片目だけをそうして、他方の眼の柄は巻き込んで眼窩の中に止めておけば鏡外に 囲まれた鏡像風景にいっそう似るだろう。両眼の視覚風景が「重なる」からである。このように大森によれば鏡 像は一つの知覚風景であって、何らかの写しとしての画像ではない。

このように大森は実物解釈によって鏡像を「実物-コピー」の二元論から救出するのだが、さて、鏡像を見る経験が今-此処の知覚の出来事であるとして、写真の画像が示すのはかつてあった出来事であるといえるのではないか。吾々は其処に過去を見ているのではないか。

大森は写真について、1980年の論文「心」においては「立ち現われ一元論」の立場から論じていた。写真や肖像画や模型は、心像と同じく何かの「写し」であると考えられるならば、心像の場合と同型の「実物-コピー」 の無限退行が生じてしまう。つまり何かの「写し」が何 の「写し」かわかっている、ということは、その「何か」 自身が「思い浮かんでいる」ということである。若き日 の知人の写真を見ている私に「若き日の知人」その人自身が「思い浮かんでいる」ならば、そのとき「写し」は いったい何の役目も果たさない。本物が思い浮かんでいるのに、それに加えてその代役たる「写し」が同時に登場しても無意味である。故に写真を見る際に登場するの は「本物」であって「写し」ではない。そしてその本物 は知覚的にではなく「思い」的に立ち現れているのであ る、このように大森は論じていた。

しかしこの「過去の<思い>的立ち現われ」論は、前節で見たように、後に大きく修正されることになった。 後期大森哲学における時間論では、過去は言語的制作物であって、今、過去形で語られる言語命題である。

後期大森時間論に拠って「後期大森写真論」をシミュレートすれば次のようになるだろう。写真を見る経験とは今現在の知覚なのであって、その知覚自体は過去とは 何ら関係を持たないし、<それはかつてあった>ことを何ら保証しない。吾々は写真に言語制作物としての過去物語を読み込むだけだ、と。

しかし写真を撮るには被写体が要るではないか? 過去に在った被写体の光を分有していること、このことこそ<それはかつてあった>ことを保証しているのではないか。例えばロラン・バルトが晩年の写真論『明るい部屋』で固執し続けたのは、このような写真の被写体との無媒介的性であった(23)。しかし大森ならば次のように言うだろう、写真とその被写体が<かつてそこにあった> ことの結び付きは単に科学的物語の整合性によって保証されるに過ぎない、と。バルトも写真の被写体との無媒介性が実は確たるものでないことに気付いていたかもしれない。だからバルトは写真の被写体との無媒介性を擁護するのに神学をすら引き出して来ねばならなかったし、 写真をひとつの呪術とせねばならなかったのである(24)。 しかしながら写真を見る際の<かつてそこにあった>の生々しさの経験をバルトは捨てるわけにはゆかなかった。 フッサールが『イデーン』Iの中和性変様(Neutralitäts-それまで築きあげた記号学的思考を手放すことも厭わず に、バルトは自らの経験に定位しようとするのである。 画像としての写真を今見る知覚と其処に写されたものを<それはかつてあった>と認識することとが別の経験であるとしても、写された人物の画像を今見る知覚と実際に目の前に居る人物の知覚とは同じものだろうか。

画像を見るとは結局想像することだ、とするのがサル トル『想像力の問題』である(25)。画像は想像力の発動を動機づけるアナロゴンに過ぎず、視覚の働きを一旦停止し、あらためて吾々が想像的意識を其処に向けてはじめて写された人物は現れる、ということになる。サルトル においては画像の知覚とその画像が指示するものを想像することとが混同されているのであり、写真の人物を見るとは知覚レベルではなくて想像のレベルでの出来事となってしまうのである。しかし吾々は、幾何学的には菱形の図形を三次元空間のなかで傾斜した正方形と知覚るのであって、眼を瞑って想像するのではない。 大森が写真を論じる場合、先の議論のように心像と同型の<実物-コピー>二元論を見出しそれを否定することに費やされ、議論の対象は被写体に向けられてしまい 写真の画像そのものの知覚は素通りされてしまう。たし かに吾々が写真を見るとき、吾々の眼差しは直ちにその被写体へと突き抜けてしまうだろう。しかし、吾々が絵画を見るときはどうか? 絵空事を描くのが絵画の特権であって、描かれた物や風景や人物に対して、それがかつて実在したか否かという問いは必ずしも効力を持たな い。絵画においては、そこに描かれた人物なり風景なりを認めてしまったらそれでおしまい、というのではないのであって、画面の色彩や形態のせめぎ合いを眼で辿り マチエールの肌理を眼で撫で、そしてまた再び描かれた対象へと戻って行く、このような繰り返しを絵画の鑑賞というのではないか? カンヴァスや絵具そのものではなく、さりとて絵の指向対象でもないもの。手で触れることができず、言葉で名指すこともできないもの。これこそ吾々が画像と呼ぶ 当のものではないだろうか。このような画像について如 何に語りうるだろうか。

modinkation)について述べている箇所において、デューラーの銅版画『騎士と死と悪魔』を中和性変様が自然に遂行されている例として採り上げたことは良く知られている(26)。金田晉『絵画美の構造』は、フッサールの画像理論から「像基体(Bildsubstratum)」「像客体(Bild- objekt)」「像主題(Bildsujet)」という三つの位相の区別を引き出し、デューラーの版画の分析に適用している(27)。 これらはそれぞれ「通常の知覚」「中和的(実在措定を 排去された)知覚意識」「像客体を介して別の客体を思 念する意識作用」に対応する。デューラーの版画に則せ ば、「像基体」とは「物としての銅版された紙葉」のことであり、「像主題」とは「血肉を備えた騎士等」である。

画像の本体は「像客体」にある。手応えもなく言語の網でも掬えない故に、像客体を言い当てる作業は困難をきわめる。フッサール自身、像客体は「現前的に現出し、 しかも仮象(Schein)である」という「矛盾に満ちたも の」であると述べ(28)、画像を見る意識を「知覚的想像(eine perzeptive Phantasie)」(29)という一見矛盾した言い方で示さざるを得なかった。フッサールは像客体を対象とする意識を中和性変様された非措定的知覚的意識であるとしたが(30)、中和性変様を蒙るとは時間空間的限定を免れるということでもある。像客体は現前的存在であると同時に何時何処を問うことが無意味な存在であるといえよう。 このあり方は時間論的には「今のなかの非-今 (Nicht-jetzt im Jetzt)」(31)とされるが、これを空間的に言えば「此処のなかの非-此処」となるだろう。この性格 はフッサールも指摘したように中性的である。この「中性的」neutralという語はne-uterすなわち「どちらでもない」 を意味する。例えば、陰性でも陽性でもない、雄でも雌でもない、酸性でもアルカリ性でもない、等々。像客体もこのような「どちらでもない」性によって位置づけられるだろう。像基体でもなく像主題でもないものとして。 手で触れることは出来ず、さりとて言葉で名付けることもできないものとして。これは否定を媒介とした消極的な位置づけではあるが、しかしまさにそういうものとして像客体は位置づけられるのである。これが画像の本体である。

後期大森時間論は知覚/言語の二項対立の図式から成っていた。しかし五感で知覚されるのでなければ言語で語られるという大森の論法は、余りに単純に過ぎはしまいか。なるほど大森の言う言語的制作というのは言葉で 叙述可能という意味ではなく、言語による分節の布置に捉え得るものであるという程度の意味かもしれない。そのように譲って解釈しても尚、例えば想起された夢は、 言語による布置を常にすり抜けるものなのではないだろうか。たしかに大森の言うように、心像とは実在物が心のスクリーンに投げかける弱々しい反映としての知覚的 イメージではない。しかしそのことが直ちにそれは言語 的制作の産物だということにはならない。吾々は知覚することもできず、言語化することもできない「何か」を、 常に体験しているのではないか。そういった体験を吾々 は「心像=イメージ」と名付けているのである。

(1) 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店、1971 年、iii 頁。 (2) 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会、1976 年、103 頁。 (3)『哲学の迷路 大森哲学批判と応答』産業図書、1984年、386頁。 (4) ただし心像という語の「心」とは、実体的なものでもなけ

れば吾々の肉体の何処かに局在化されるものでもない。この点では吾々の議論は大森論と軌を一にする。
( 5 ) 大 森 荘 蔵 「 殺 人 の 制 作 」『 時 は 流 れ ず 』 青 土 社 、 1 9 9 6 年 所 収 、

48-49 頁。

  1. (6)  大森荘蔵「過去の制作」 『時間と自我』青土社、1992 年所

    収、54 頁。

  2. (7)  大森荘蔵「言語的制作としての過去と夢」『時間と自我』所

    収、116 頁。

  3. (8)  同論文、107 頁。

  4. (9)  同、105 頁。

(10)同、109 頁。
(11)同、112 頁。 (12)大森荘蔵「物語としての過去」『時は流れず』所収、21 頁。 (13)大森荘蔵「時は流れず 時間と運動の無縁」『時は流れず』

所収、83 頁。 (14)大森荘蔵「殺人の制作」『時は流れず』所収、46 頁。 (15)同論文、46-7 頁。
(16)同、47 頁。 (17)大森荘蔵『新視覚新論』東京大学出版会、1982 年、135 頁。 (18)Maurice Merleau-Ponty: Phénoménologie de la perception,

Gallimard, 1945, p.167-8(竹内芳郎・小木貞孝訳『知覚の

現象学I』みすず書房、1967 年、240-241 頁)を参照。 (19)大森が想起における言語的制作という論点を提出すること で言語の構成的役割を最大限積極的に認めるようになったのは、1985 年の論文「過去の制作」以降である。1990 年代 に入って大森は次々と時間論を発表するが、そこでは「言語 的制作としての過去」という論点が既に確固としたものとなっている。過去の「じかの立ち現れ」から「言語的制作」 へという論点の変更により現在経験と過去及び未来とを切 断することで、「言語的制作としての過去」とともに晩年の 大森時間論の重要な論点である「線型時間」や「点時刻」の 否定と時間と運動とを切断するという戦略が可能になった と思われるが、この点についてはさらに詳しい検討が必要だろう。

(20)大森が鏡像を主題的にとりあげている論文は次の二つであ る。

「新視覚新論(5) 鏡像論」(1981年)[初出『理想』第576 号、1981 年 8 月号、後に『新視覚新論』に所収]

「鏡の中の左右」(1989 年)[初出『図書』1989 年 2 月号、後 に『時間と自我』に所収]

(21)大森荘蔵『新視覚新論』79 頁。 (22)同書、101 頁。

一方、画像は知覚の対象であるが、大森においては鏡像のように実物の知覚と同じであるか、さもなければ写真のように過去の言語的制作を発動させるものでしかないのである。しかし、とりわけ絵画を見るときのような、 画像の知覚に独自な経験を吾々は持っている。描かれた対象の認知に終わらず、そこから再び色と形のせめぎ合う世界へと引き戻されその世界に眼差しを巡らす経験を。 其処では描かれた対象の認知でもカンヴァスや絵具の知覚でもない、見ることにだけ開かれた世界の知覚を経験している。大森哲学はこのような経験について、何も語らないのである。

吾々は、大森が否定し、あるいは語らずに終わったこれらの経験を、端的に「イメージ」の経験と名付けよう。 大森哲学に抗して主張する「イメージ」の経験とは、決して特殊な経験ではない。イメージを経験するには一枚の絵を見、音楽のひとフレーズを聴き、一篇の詩を詠むことで充分であるのだから。

(23)Roland Barthes: La Chambre claire, Note sur la photographie, Gallimard,1980,p.127.(花輪光訳『明るい部屋 写真についての覚書』みすず書房、1985 年、100 頁)。写真は《imago lucis opera expressa≫(「光によってしぼり出されたイメー ジ」)であり、かつてそこに存在した現実の物体から放射された光が「今-此処に居る私に触れにやって来る」のだとしている。

(24)バルトによれば、写真は「何か復活 resurrectio と関係がある」のであり、これはトリノの聖骸布にしみ込んだキリストの像のように≪αχειροποιηοζ≫「人の手で造ったものではない」[Ibid., p.129(邦訳 102 頁)]のであって「<写真 >は一つの魔術 une magie であって、技術 un art ではない」[Ibid., p.138.(邦訳 109 頁)]。

(25) Jean-Paul Sartre: L’imaginaire, psychologie phénoménologique de l’imagination, Gallimard, 1940, p. 248.(平井啓之訳『想 像力の問題』人文書院、1955 年、362 頁。)

(26)Husserliana, Band III/ 1, Martinus Nijhoff, 1976, S. 269-270. (27)金田晉『絵画美の構造』勁草書房、1984 年、25-37 頁。 (28)Husserliana,Band XXIII,Martinus Nijhoff, 1980, S. 151-152. (29)Ebd., S. 592.

(30)Husserliana,Band III/1,Martinus Niihoff,1976,S. 269-270. (31)Husserliana,Band XXIII, S. 47.

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