寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

女性について・・・・・。

 

1972年当時人気があったアイドル歌手、麻丘めぐみさんです、彼女は清純で可愛い色気があった歌手でした。この時期は山本リンダなども出て来て居ました。私は山本リンダも好きでした。しかしその後に出て来たキャンディーズとピンクレディーは幼稚に見えて嫌いでしたね。今、体調が最悪に悪いです医者まで後1週間なので頑張ろうと思って居ます、来週に病院に行ったら検査が待って居ます。レントゲン。CTスキャン。エコーなどです。とにかく気が落ち込んで仕方がありません。だから更新はやっとの思いでして居ます、どうせ気分が落ち込んで居てラジオぐらいしか聴けず。テレビやら楽しみにして購入したり録画したDVDなども観られず。布団にくるまって毎日寝て居ます。そう言う訳ですので、よろしくお願い致しますね。それではどうぞ読んで見て下さいね。。。

 

 

麻丘めぐみ

麻丘めぐみ

 

麻丘めぐみメドレー

 

 

 

今、加藤茶のインタビュー番組がラジオでやって居たが、、インタビュアーの中年女のインタビューを聞いて居て、なんだろと思った。何故なら自分の旦那が週刊誌を読んで、記事見せて、「45歳差の奥さんが脂っこい物を食べさして加藤茶を殺そうとして居る。揚げ物しか食べさせないと言って居る」と加藤茶に本当かと聞いて居るのだ。そうしたら加藤茶は、「ああ、そんな事を言われた事もありましたね」と相手にして居なかった。そして言ったのは「女性は精神年齢が男より高いですね、彼女ははじめ若かったけど。すぐに同等に追いついて、今や私より上を行って居ますよ。最近はこの食事は薄味で食べたくないと言うと「いけません。食べなさい」と怒られて居ますから」と言って居た。私は加藤茶は恐らくは奥さんに遺産を残して死んで行こうと思って居るのだろうな。と思って居ます。人は醜いから人の家の事情に口を挟む。加藤茶は奥さんを物凄く愛して居るのだ。これは他の番組だが、若いカップルにインタビューしたら若い夫婦づれで、「こいつ可愛いんですよ。俺は毎日会社から帰る時にこいつの事しか思って居ませんよ。本当に女房可愛いんですよ」と惚気て居た旦那が居た。横に居た奥さんが顔真っ赤にして「言わないで、、」と言って居た。

これは最近の傾向らしいが。30代40代の夫婦間が上手く行かなくて10代の中学生の女の子やら女子高校が妊娠するケースが後をたたないそうだ。ネットの有害動画のせいだろう多分ね。親が子供に私はどうして生まれたのと聞かれて。親が「それはお父さんとお母さんが愛し合ったからだよ」と聞かせたらその子は高校生になってsexをして妊娠したそうだ。理由は愛が無かったらsexしても子供は出来ないと本気で思って居たと言うのだ。呆れるが本当の話らしい。今から20年ほど前だが立川の駅のベンチでスカートが捲れてパンティー丸出しの女子高生がいた。私は「なんだ?」と思って居たら、あるおばさんがその子が気がついて居ないのだろうと思い。「お嬢さん、下着見えて居るから気をつけたほうがいいわよ」と言ったらその子は「うるせーババア!!あたしは男にわざと見せてるんだ!!」と言った子が居た。私は世も末だと思って見て居た。処で最近の女の子たちは脳軟化と言う言葉を知らない。私が1990年代に立川の第一デパートに入って居たオリオン書房で、「脳軟化には何を言っても通じないぞ」と言った本が立て積みに置かれて居たのを見た事がある。今みたいに認知症だとは言わなくて脳軟化と言って居た。まあ、本来の脳軟化の意味とは違うのだが、痴呆をそう言って居た。まあ、痴呆と言えば今の人達も分かるのだろうけど。

昔は痴呆とも言わなくて脳軟化に成ったらお仕舞いだと言って居た。考えて見たら私の母親は1998年ぐらいからもう一緒に立川まで行きたくないと言い出して、家でゴロゴロ寝て居た。その頃からすでに痴呆が始まって居たのだろう。だから2000年代も半分ぐらいになると認知症の症状が出始めた。私が印象深く覚えて居る事はうちには、中国人から貰った象牙の菩薩像があったのだが、母はその菩薩像を見て私に「なんてこの菩薩はこんなに悲しい顔をして居るの?」と言った事だ。母にはそう見えたらしい。思うに神様が居るとしたら母を哀れんだのだろうと思う。人はよく人の事を考え違えて見る事がある。私は此間書いた「聲の形」では無いが。小学校の頃。私立から編入して来た女の子が居た。正直可愛くは無かったがそれなりの顔はして居たし。物凄く礼儀正しかった。ただ小学生らしく無かった。子供の知能のまま大人の言葉を話すと言えばいいのか。それは両親の躾だったのだろう。一度私が「友達と一緒にうちに遊びに来いよ」と声をかけて連れて来た事があったが。母がケーキと紅茶を出したら。「お母さん、どうかお気遣いなくすみません」と言った。母はびっくりして「子供はね、そんな事は気にする事は無いのよ」と言った。しかし同級生はそんな彼女を矢張り煙たがった。矢張り「聲の形」同様。クラスの大半の同級生たちが煙たがった。公立で私立見たいな事を言ったらいじめられるだけだ。案の定、いじめられて居たし。先生もよくその子の事を思わなかった。

ある日。私が廊下に一人で居たらその子が私の後ろに立って居た。私は暫く気づかずに居て「あれ?」っと誰か居るなと思って後ろを見たら。その子が黙って涙ぐんでいた。私は「どうしたんだよ」と言ったら。何も言わずに玄関まで行って鞄も持たずに家に帰って仕舞った。そしてその子は学校を辞めた。私はよく話を聞いてやればよかったかなと思ったが・・・・・。それからもう一人。高校の時に混血の美人の女の子が居た。その子には悪いボーイフレンドが居て。私の見て居る前で、「こいつ不良だ!!」とその子を打ったので見てられなくなり止めた。そうしたら私が思いっきり殴られた。彼女は鼻血を出した私をびっくりして見て居たが。私は口の中も切って血が出て血が混ざった唾をペッと吐いたら。その子は泣きそうな顔をして教室を出て行って仕舞った。正直言って私はその子に惚れて居た。しかし自分から声をかける勇気もなく。ただカトリーヌ・ドヌーブによく似たその子を可愛くて美人だなと思って居た。その子はすごい嫌がらせをされて居た。混血と言うと今は美人でいいと思うだろうけど昔は違った。嫌われたのだ。その頃の曲でリリィと言う名の女性シンガーソングライターの「私は泣いて居ますベットの上で」と言う流行った曲がある。その子の名がリリィだった。偶然だけどもね。

 

 

リリィ 私は泣いています 1974 歌詞付

 

 

 

その子は男子教諭と関係を持っただとか。男と遊んで居るとか、悪い噂を立てられて居た。修学旅行の時だ。前にも言ったが。男と女と別棟のホテルと言うか旅館?と言うかまあ、ビル建ての、ホテル見たいな処に泊まった。ただ教師もそこまでは気が付かなかったのだろうけど。別棟の向かい合った建物の2階下が女の子の泊まる部屋だった。夜と言うこともあって女の子たちはパジャマに着替えるので服を脱ぎ始めた、向かいの建物の2階上は男の部屋だ下の女の子たちの下着姿が丸見えだったのだ。男どもは皆んなして喜んで見て居た。その時。その混血の女の子が下着姿になったら皆んなして、「あいつは、あんな、いやらしいパンティー履いて居るぞ。矢張り男と寝て居るんだ。」と言って居た。私も見たが普通の下着だった。そして私がある時に校庭で立って居るとその時も後ろに人の気配がした。私が振り返って見たら。その子だった。彼女は私に一言「さよなら、、」と言って。そのまま自分を振り切るように私に背を向けて走って居なくなった。私は「なんだろう」と思った。まさか自分に気があるのかとか頭をよぎったが。そんな事はないだろうと思った。それから暫くしてその子は高校を辞めた。人伝に聞くと他の高校に編入したらしかった。

それから4年ほど立って私も21歳になって居た。障害を持つ様になる直前だ。そしてある日、ある時に渋谷で店を見ながら、歩いて居たらばったりその子が歩いて居るのを目にした。髪をカールし物凄く可愛い美人になって居た。そして隣には外国人のボーイフレンドが居て手を繋いで歩いて居た。英語を話しながら。私はキザに「グットラック」と呟いて「俺はバカだなぁ....。」と思ってその場を離れた。この話には後日談がある。なんと彼女を打ったのを止めた私を、思いっきり殴った男が私の家に来て。「ポーカーで金が必要なんだ。金貸してくれ3千円でいい」と言うのだ。私は怒って言った「金なんてねえよ。ましてやお前にやる金なんてねえな!!」と言ったら「必ず返すから、お前と俺の中じゃねえか」と縋り付く。私は「人を思いっきりぶん殴っておいて何言ってるんだ。このバカが!!」と怒鳴ったらそれでも言い寄るので「俺はな!!女を殴るような奴に貸す金なんてねえんだよ!!」と言ったら要約帰って行った。以上、女の子に対する思い出です。話は以上です。

 

 

 

最近は自分の尺度で人を推し量る人が多い。私の事をとやかく言う人は沢山居る。例えばこのblogだ幼稚な文を書きやがってと言う人も居る。私は哲学が好きだったから、今まで書いて来たが大抵論争を吹っかけられた。そして自分の言う事の方が正しいと言うのだ。確かに哲学の歴史はそうして発展して来たものだ。論争をしながら枝葉に分かれて発展して来た。だが私は哲学者では無いし。また高度な論争が出来なければ哲学を語んななどと言って居たら、一般の人は哲学から益々離れて行って仕舞う。哲学とは、語弊を恐れずにわかりやすく言えば「真理を探究する知的営み」のことだ。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組、および、その知的探究を方法的に進めるための学問です。 哲学は英語では philosophy(フィロソフィー)と言います。この語源はギリシア語の φιλοσοφία (philosophia)であり、もともとは「知を愛する」(laving knowretge)と言う意味の言葉です。この為、「哲学とは何か」と言う問いに対しては今日でも「哲学とは知を愛する営みのことである」と言われて居る。哲学の「哲」の字は「明らか」「賢い」「聡」と言った字義があります。「哲学」という言葉は明治初頭の碩学・西周が、《 philosophy =知を愛する学問=希哲学 → 略して「哲学」》 と言う流れで考案し定着した訳語として知られて居ます。

哲学者は世界中に居ます。ドイツ・フランスの哲学だけでなく。アメリカのプログマティズム。経験主義的なイギリス哲学。イタリア哲学。私がよく使うアントニオ・グラムシのヘゲモニーと言う概念の言葉(覇権、私は主導権と訳して使って居ます)。またドイツ語のヒエラルキーは(階層または階級と訳して使って居ます)。このように哲学書を読むと見識が広がりますよ。私は論争に巻き込まれて馬鹿にされるのも嫌だし、足の引っ張り合いも支度張りません。だからもう哲学についての論考などは書きません。最近は調子が悪いです。此間。ある聴覚障害者の女性の為に京都アニメーションの名作アニメ「聲の形」のあらすじを書いたのですが。彼女は大変に喜んでくれたので良かったのですが。映画を見てからだいぶ経って居た事もあり。ストーリーの確認の為に部分的に見たのですが大泣きをしました。私の書いた粗筋はだいぶ話を省いて書いたのですが。書きながらも大泣きしました。私は今鬱です。ですからただですら悲しい。お陰で前は危うく自殺願望が出て仕舞いました。歌を聞いてもそうなんですよ。涙が溢れて来ます。その事とは別な話ですが。私は変な話。おちんちんから出血をしました。泌尿器科にかかり、CTスキャンを掛けましたが原因が分かりませんでした。今は、周りの皮膚が痛いのですそれで内科から初めリンデロンーVクリームを使ってましたが良くならないので。その後、ゲンタシンクリーム0,1%という塗り薬を処方して貰い塗りましたが。痛みは益々酷くなりました。私はふと自分で買ってアパートに置いてある「オロナイン軟膏」を3日間塗って見ました。すると痛みは治まって来て居ます。

前に訪問看護師の女の子と二人で言ったのですが「おそらく薬の副作用だね」と二人でそう思いましたよ。しかし医者にはとても「オロナイン軟膏」で治ったとは言えませんからね。医者はプライドが皆高いのですよ。だから市販薬の傷薬などで治ったなどとは言えませんね。それから老人に対して一言言いたい。私の父方の遠縁の親戚筋に俳優の宇津井健さんが居るのですが。彼は姉さんの結婚式に出席してくれました。だからその事を一行ぐらい書いたのですが。それを読んで、ある高齢?の男性?から「宇津井健については私に語らせたら右に出るものは居ない」的なコメントが入って来たのですよ。だから私は返信のコメントを掲示板にコメントと宇津井健さんの出演作の動画を貼って書きました。そしてそれから3日ほど経ったら。その人が。「私の文が幼稚だと見えて返事も書いて貰えなかった。だからこの文と一緒に前の文も削除して下さい。あなたのblogの繁栄を祈ります」と書いてあったので「どう言う事????」と思って、相手のblogに行って「どう言う訳でしょうか?返事は書いて居ますよ」と書いたのに、何遍書いても跳ね返されて仕舞う。要するに怒って自分のblogに書き込みさせない様にして居るのです。私は頭に来ました。自分の気まぐれで人のblogに書き込みをして、自分でよく確認もせずに人に怒りをぶつける。なんて身勝手で自分勝手な老人だと思いましたよ。こっちの方が頭に来て居ます。老人は本当にやっかみ癖が多くて僻みっぽく。始末に負えない人がたまにそうやって居ますね。

 

 

ザ・ガードマン OP ED

 

 

私はこの年で長髪にして居るからよくやっかみを言われたり皮肉を言われます。此間書いた様に喫茶店では「最近の若いものはなっとらん」と58歳ぐらいの親父から言われたので。「俺はあと2日で61歳だな」と言ったら。びっくりして人を見つめて居て出て行ったし。この間は美容院で「あいつ女か?男のくせに何であんなに髪長いんだ?女なのか?」と笑いながら言われた。そいつも50代の太った親父だった。前に行って居た美容院の親父の美容師は私に「何で人と違う事をするの?」と聞いて居た。行く度に言われた。人と違う事つまり人との差異があるからそれが個性になるのだろう。自分が歳で分からずに居るから。そんな事も美容師のくせに解って居なかった。年寄りは嫌だねぇ。最後に私が最近心酔して居る。丁度弟の様な歳だけども。俳優でロックシンガーのGACKT君は、東北沖地震の震災後に物資を100トン届けて、募金活動で2億円をかき集めて東北の赤十字に送ったそうですが。「世の中には人の働き方に文句を言う奴が居るのだな」とつくづく思ったそうです。なんとその2億円をGACKT君が盗んだと言われたそうです。何の根拠もないのに週刊誌にもそう書かれたそうです。そしてボランティアで自分が活動して居る事をこう言って居ました。「車を運転して居て、前に車線変更をして自分の前に入ろうとして、中々入れないで居るおばさんが居たとしたら普通どうしますか?まあ、腕が未熟だからなんだけども、」そう聞くので。だから「それならそれで下がって入れてあげますよ」と言ったら「そしたらそのおばさんが突然ブレーキを踏んだら自分の車は?どうなります?」と聞く。「ぶつかりますね」と言ったら。「そうしたら。そのおばさんが車から降りて来て、お前が車をぶつけたんだ。どうしてくれると言われたら?」「?」となって聞いて居たら。「結局ね。ボランティアってそう言うものなんですよ。全ての子供は救えない。」「まずは周りの子供たちだけしか救って挙げられないんですよ。それから規模を広げて・・・・。」「そして今言った様な事が起こる」「だから僕は「自分の勝手でボランティアやってるんだ。だから有難うと言われればそうと言うし。馬鹿やろうと言われてもそうですか。」としか言わない」と言う。これは奥が深い言葉です。他人の為に何かやってやっても。そのやって挙げた人からよく思われない事もあるし。見て居る赤の他人からもよく思われない。だから私のこのblogもそう言わせて貰います。「このblogは私の勝手でやって居るのです。喜んでくれる人が居ればそうと言うし。お前は馬鹿だと言われたらそうですか自分の勝手ですから」とこれからはそう思う事にしました。彼に感謝です。。。今回は此処までで記事は終わりとします。此処まで読んでくれてありがとう。

コメント一覧

kiyasume
ビオラさん、コメントどうも、、、

麻丘めぐみさん、昔は清純な感じで可愛かったですよね。
でも麻丘さんは今でも面影残して居ますよね。
歳は取ったけど・・・・・。

リリィさんは最近では女優として活躍して居ますね。
もう70歳ぐらいになりますけどね、、、、
私が敬愛する押井守監督の実写映画「東京無国籍少女」

と言う映画で美術高校の保険医の役で出て居ました。
主演は若手女優の清野菜名でしたか。確か・・・・・・・・・。

「私は泣いて居ます.....。」は可也ヒットしてましたね、、
当時、彼女はベース弾きながら歌ってましたね。

最近は歌も歌って居るけど、どちらかと言うと女優として、
映画やらドラマによく出て居るみたいです......。

書き込み有難う御座いました。
また来て下さいね。私もそちらにまた行きますね。。。。。
goohanasaku
今晩は~☽☆

麻丘めぐみさん~、懐かしいですね~(^-^)♡

そして、私のブログに、リリィさんって人の曲を、
ご紹介いただきまして、ありがとうございました~♡
だいたいは、兄の影響で、色んな音楽に触れていましたが、
リリィさんって人は、よく存じませんでした。

でも、この曲は、どこかしらで、流れていた曲で、
よく耳にしていた気がします~♪

ビオラ
kiyasume
いえいえ、、、私も工芸士と書いてあるので「?」とは思いましたが、、( ◠‿◠ )
私は障害を持って居るので、、読みにくい文もあるかとは思いますが、、

是非。またお越し下さいね。宜しくお願い致しますね。
わざわざ、訂正に来て頂いて有難うございました。

それではまた。よろしく。。。
atoriechie
自分ブログに書きましたが、コメントありがとうございました!そして訪問先間違えちゃってごめんなさい!m(__)m 工芸士さんじゃなくて、演奏家さんでしたね♪
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