日本国民救援会岡山県本部

冤罪や権力的弾圧などによって、人権を侵害された犠牲者とその家族を救援することを目的として活動しています。

岡山県本部で旗びらき・竹内会長が講演

2010年01月25日 13時14分25秒 | Weblog
 日本国民救援会岡山県本部は2010年旗びらきを1月23日、岡山県民主会館で開きました。
 竹内和夫県本部会長(岡山大学名誉教授)が「わたしの歩んだ道」と題する記念講演を行いました。講演では生い立ちや、少年時代に家業を手伝っていたこと、学生時代には朝鮮や中国、モンゴルなどアジアの人達と交流があったこと、商業学校時代に英語と支那語を学び、東京外語でモンゴル語などを学び、言語学に興味をもち、東京帝大へ進学されました。
 敗戦後アメリカのC.C.Dで検閲の仕事にたずさわり、極東軍事裁判でモンゴル語の翻訳もしました。その後24年間は東京・葛飾区で英語の教師をつづけ、岡山大学の教授に招請されたことなど話されました。
 また、今年は日韓併合100年にあたる年、1923年には(生地の近くで)亀戸事件も起きている。戦後日教組に加入し、勤評や学テ闘争にかかわり、ベトナム反戦運動、八鹿高校事件なども体験し、平和と民主主義の大切さを述べられました。
 戦前戦中には『古事記』や『日本書紀』にもとづいた「天皇教」に国民は騙されていた。戦前、複線系の学校組織から戦後、アメリカ型教育制に変更され、軍国少年だった会長の考え方も変わった。そのうち、教育の国家統制と労働組合つぶしがすすみ、戦前の時代が復活した様相を帯びてきた。
 モンゴル語を研究しているなかで、モンゴルの草原に8世紀のトルコ語の碑が建てられていたことに感動を覚えた。福沢諭吉のいうような脱亜入欧ではなく、アジアと共生することが大切、ということも自身の体験から話されていました。
 参加者からは、「国語の文法を批判されていましたが具体的にはどういうところですか」と質問され、竹内会長は、「本来1つの単語であるところ、たとえば「書かれた」を3つに分解していたりの、国定文法です。学説はさまざまあって当然ですが、それを国が統制するのは間違いです。」と学問・思想信条の自由を説明していました。
 講演の後、オードブルを囲んで談笑しながら「山陽本線痴漢冤罪事件」のYさん、「原爆症認定訴訟」の川中優子さんらの決意表明など受けました。