日本国民救援会岡山県本部

冤罪や権力的弾圧などによって、人権を侵害された犠牲者とその家族を救援することを目的として活動しています。

名張毒ぶどう酒事件・第28回現地調査に参加しました

2010年04月19日 13時06分48秒 | Weblog
 名張毒ぶどう酒事件は、4月5日に最高裁が「名古屋高裁の、再審開始決定に対する取り消し決定」について、審理不充分として名古屋高裁に差し戻しました。
 これに先だつ、3月27日~28日にかけて三重県名張市で第28回現地調査が行われました。
参加者の感想文を掲載します。

 名張毒ぶどう酒事件のことは、以前「銀の林」という連載小説で知り、救援新聞やニュースなどで読む程度でした。奥西さんが高齢(84歳)であること、一度は再審開始が決まったのに取り消されたことで、気になっていました。
 現地調査に参加することが決まって、Kさんが、「黒と白ー自白・名張毒ぶどう酒事件の闇」というDVDを事前学習用に貸して下さり、7次にわたって再審請求をたたかっていることを知りました。
 1日目の3月27日は事件学習会で、昭和62年作成のビデオ「証言」を見て、弁護団報告を聞きました。
 事件の時代背景や土地柄、だいぶ前のビデオなので、今はない事件現場の公民館の映像も見ることができました。
 弁護団からは、自白と住民の証言や物証の食い違い、それに対する検察の答弁も、第5次と第7次の再審請求で弁護団が提出した新証拠と、それらに対する検察の答弁について報告がありました。
 証言は検察の介入で二転三転しているけれど、はじめの証言から物や人の動きを追っていくと、奥西さんが現場に一人でいて、ぶどう酒に毒を入れることはできなかったと思うし、唯一の物証とされる王冠についた歯型の鑑定も三次元的に測定すると、奥西さんのものとは一致しないのです。検察は自白を強いたうえに、証言や物証を自白と合わせるように歪曲しているのです。住民の方々も、正直に言ったのに責められて、証言を変えさせられて苦しかったと思います。死刑になるかもしれないのに自白したのだから、自白は信用できると、新しい証拠も受け入れようとしない検察と裁判官。自白偏重の裁判が冤罪を生むと思いました。
 2日目は現地調査で、仕出し屋、酒屋と廻って葛尾に入りました。仕出し屋さんの証言を変えさせたときに、大きな自動車が前の道を通ると揺れて時計が狂う、とありますが、すぐそばにバス停があり、バスに乗る人は仕出し屋さんの時計を見ていたのに、1時間も狂うような時計を使うはずがありません。
 葛尾では、ポイントに弁護士が立っていて、パネルも準備して説明してくれました。奥西さんが子牛を運動させた道をとおり、会長の家から公民館へ上がった所への石段を上がりました。一緒にいた婦人が、会長の家に雑巾をとりに行って公民館に帰るのに10分かかり、その間に奥西さんが一人だったということになっていますが、実際に歩いてみると10分かかりません。
 のんびりした静かな山間の村でした。49年前、5名の死者と12名の中毒者をだす大事件が起きたなんて、本当かしらと思えました。住民の皆さんもまた心に深い傷を抱えることになった事件でした。奥西さんの再審無罪を1日も早く実現させたいと思いました。

○名張毒ぶどう酒事件については、「銀の林」「6人目の犠牲者」などの本、ウエブなどで知ることができます。

「裁判勝利をめざす交流集会」Yさんの感想

2010年04月15日 11時28分42秒 | Weblog
 今年1月15日に広島高裁岡山支部で不当判決のあった「山陽本線痴漢えん罪事件」は最高裁へ上告しています。被告Yさんは、4月11日~12日に開かれた「第20回裁判勝利をめざす全国交流集会」(自由法曹団・全労連・日本国民救援会の共催)に出席し、救援会岡山県本部に感想を寄せられました。

    おおきな勇気をもらった
 全体会で・・・集会に参加するにあたって、私は、①様々な事件当事者や支援者と交流すること、②上告審勝利に向けたたたかい方について学ぶことなどの目的をもって参加しましたが、その目的を達することができた有意義な2日間でした。
 まず菊池弁護士が行った、「裁判闘争をどうたたかうか・・・たたかってこそ明日がある」と題した記念講演ですが、菊池先生は裁判をたたかう意義、そしてたたかい方を非常に分かりやすく説明されました。
 たとえば裁判官は「①最高裁により締め付けられた立場、②憲法76項3項の『すべて裁判官は、良心に従い独立してその職務をおこない、この憲法及び法律にのみ拘束される』職務、③一個の人間としての裁判官、という三つの側面があるが、最高裁の締め付けが厳しくても、我々の闘争によって、裁判官の良心に灯がともり、裁判官は当事者を救済する決意を固め、勝訴・無罪判決をする。これが裁判官の飛躍である」と、たたかうことの意義を分かりやすく説明されました。
 このお話を聞いて、人間としての裁判官の心を動かすには、どんなに厳しくても決して諦めることなくたたかうこと以外にないことを改めて痛感しました。
 また、勝つための裁判闘争として、事件の顔を作ること、そしてわかりやすい争点をつくり、誰も否定しきれない事実を積み上げ、裁判官を説得すること、どんなにすばらしい証拠があっても裁判官を説得する力がなければ意味がないことなどが話されました。山陽本線痴漢えん罪事件も、事件の顔、分かりやすい争点について再整理する必要性を感じました。
 
 分科会で・・・
 第2分科会(刑事事件)に参加をしました。それぞれの事件報告や当事者・弁護団・支援者の団結強化の重要性、控訴審、上告審のたたかい方など意見交換をしました。分科会の意見交換を通して改めて感じたことは、今の刑事裁判の現状は、証拠上は無罪が出されるべきであっても有罪判決が出されている事件があとを絶たず、事件当事者・支援者が力をあわせ世論喚起し、裁判所・裁判官を変革していくことが強く求められていることです。
 また、基本的に法廷が開かれない上告審のたたかいは、裁判所への要請行動が重要であり、上申書などで裁判官に訴えることが効果的であることなど他の事件から学びました。
さまざまなたたかいをされている事件当事者・支援者・弁護士・労組員・救援会員の方と知り合い、交流することによって大きな勇気をいただきました。この集会に参加する機会をいただきました国民救援会のみなさんに感謝します。 

仙台筋弛緩剤えん罪事件・守大助さんのご両親を迎えて事件学習

2010年04月13日 10時43分16秒 | Weblog
 救援会岡山県本部と倉敷、岡山、美作の3支部の主催で、4月2日~4日にかけて、無実の服役囚・守大助さんのご両親を招いて、「仙台筋弛緩剤えん罪事件(旧称北陵クリニック事件)」の学習会を開きました。
 大助さんの父親の勝男さんは、「大助の代りに無実を訴えようと、大助が収監される前に着用していたネクタイと、刑務所の作業で作った革靴を履いてきました」「みなさんに警察のズサンさと裁判所の非常識を知ってもらいたい」と事件の概略を報告しました。
 警察の証拠のデッチアゲの一つは、大阪科捜研の土橋鑑定で、筋弛緩剤マスキュラックスの質量を間違えていることや、それを全量消費して再鑑定ができない状態にしていることのほか、警察が注射針の箱の中にあった9本のマスキュラックスのアンプルを3枚に分けて写真撮影し、19本に見せていることなどを参加者に報告しました。

   仙台へ一緒に帰りたい・・・と
 母親の裕子さんは、「息子は中学時代にクラブ活動で怪我をして、看護師になろうと決めた。決して人をあやめたりできる子ではありません。やさしい子です。」「千葉刑務所に面会に行きますが、面会時間はたった20分です。帰り際に大助が“お父さん、お母さんと一緒に仙台へ帰りたい”というのです。そのとき余計にかわいそうになって涙が出てきます」と話していました。

   参加者は・・・
 倉敷の学習会に参加していた医師は、「4ミリリットルの筋弛緩剤を500ミリリットルのボトルに入れて薄めた状態で点滴して、はたして薬効があるのかどうかは疑問です」と発言、殺人事件そのものがなかったことをうかがわせます。
 美作支部では、守大助さんに継続的に絵手紙を送っている、4名の婦人グループが紹介されました。また、再審に向けて支援者は何をしたらいいか。国民救援会をどのようにして知ったのか、などの質問が相次ぎました。

   仙台筋弛緩剤えん罪事件(北陵クリニック事件)については下記のWEBサイトを
ご覧下さい
○同志社大学文学部社会学科 浅野健一研究室
○「人権とメディア」マスコミの立場から裁判と報道に疑問を投げかける
○テレビ朝日「ザ・スクープ」取材VTR3本
○明石書店「僕はやっていない、仙台筋弛緩剤点滴混入事件 守大助勾留日記」
  

T.Yさんの【裁判員裁判を傍聴して】感じたこと

2010年01月26日 14時56分31秒 | Weblog
 昨年の8月3日の東京地裁からはじまった裁判員裁判。現在まで138件の判決が下っている。鈴木中央本部会長は「未だ総括できるほどの蓄積はありませんが、判決傾向には全体として重罰化が目立つという報告がある」(救援新聞1/5)と。
 岡山地裁では、10月6日の殺人未遂事件が第1例目、あと12月1日、12月15日の3件が裁判員裁判として行われた。このたび3例目の「銃砲刀剣類不法所持・殺人未遂事件」を判決までの4日間傍聴。少し疲れを覚えた。裁判員の人たちも緊張と疲れで大変だったと思う。
 初日は、裁判員の選任手続きなどあったのか、13時30分より開廷。裁判官の人定質問、検事の起訴状の朗読、黙秘権等の告知からはじまった。離婚話のもつれから43歳の妻が34歳の夫を文化包丁で顔と背中を切りつけ、17日間の怪我を負わせたという事件。妻に殺意があったのかどうかが争われた。検察、弁護側とも具体的に事件現場を再現して、裁判員にわかってもらうための努力や工夫をしていた。わかりにくい従来の裁判とは違っていた。
 裁判員たちは、「被告はどうして救急車を呼ばなかったのか」等と個々の事実に対して質問。裁判官は、裁判員一人ひとりに凶器の文化包丁を持ってまわったりして、とても気を遣っているように見えた。また、弁護人が最終弁論で「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則を、わかりやすく裁判員に訴えていたのがとても清清しかった。
 しかし、これは表舞台であって、この制度には裁判員、傍聴者にはわからない裏舞台の仕掛けがある。例えば、弁護人は、この被告には精神鑑定の結果、情緒不安定型の人格障害があると言っていたが、これがいったい公判前整理手続きの中でどのように扱われたのか、まったく見えてこない。裁判員たちは、事実や証拠がどのように取捨選択されたのか、わからないまま即断を求められる。これでは憲法が保障する裁判公開の原則が担保されているとは言えないだろう。
 ※ 検察の求刑 懲役8年   判決 殺人未遂を認め、懲役5年3月
   弁護側   傷害罪として 懲役2年、執行猶予3年を主張
   被告は、判決を不服として広島高裁に控訴した
   県本部では、裁判員裁判係を設置し、裁判の傍聴、監視、批判をしていきますので情報をお寄せ下さい。   

岡山県本部で旗びらき・竹内会長が講演

2010年01月25日 13時14分25秒 | Weblog
 日本国民救援会岡山県本部は2010年旗びらきを1月23日、岡山県民主会館で開きました。
 竹内和夫県本部会長(岡山大学名誉教授)が「わたしの歩んだ道」と題する記念講演を行いました。講演では生い立ちや、少年時代に家業を手伝っていたこと、学生時代には朝鮮や中国、モンゴルなどアジアの人達と交流があったこと、商業学校時代に英語と支那語を学び、東京外語でモンゴル語などを学び、言語学に興味をもち、東京帝大へ進学されました。
 敗戦後アメリカのC.C.Dで検閲の仕事にたずさわり、極東軍事裁判でモンゴル語の翻訳もしました。その後24年間は東京・葛飾区で英語の教師をつづけ、岡山大学の教授に招請されたことなど話されました。
 また、今年は日韓併合100年にあたる年、1923年には(生地の近くで)亀戸事件も起きている。戦後日教組に加入し、勤評や学テ闘争にかかわり、ベトナム反戦運動、八鹿高校事件なども体験し、平和と民主主義の大切さを述べられました。
 戦前戦中には『古事記』や『日本書紀』にもとづいた「天皇教」に国民は騙されていた。戦前、複線系の学校組織から戦後、アメリカ型教育制に変更され、軍国少年だった会長の考え方も変わった。そのうち、教育の国家統制と労働組合つぶしがすすみ、戦前の時代が復活した様相を帯びてきた。
 モンゴル語を研究しているなかで、モンゴルの草原に8世紀のトルコ語の碑が建てられていたことに感動を覚えた。福沢諭吉のいうような脱亜入欧ではなく、アジアと共生することが大切、ということも自身の体験から話されていました。
 参加者からは、「国語の文法を批判されていましたが具体的にはどういうところですか」と質問され、竹内会長は、「本来1つの単語であるところ、たとえば「書かれた」を3つに分解していたりの、国定文法です。学説はさまざまあって当然ですが、それを国が統制するのは間違いです。」と学問・思想信条の自由を説明していました。
 講演の後、オードブルを囲んで談笑しながら「山陽本線痴漢冤罪事件」のYさん、「原爆症認定訴訟」の川中優子さんらの決意表明など受けました。

名張毒ぶどう酒事件の再審を求め岡山駅前で宣伝

2010年01月19日 15時12分53秒 | Weblog
 1月16日、日本国民救援会岡山県本部の竹内和夫会長ら5名は岡山駅東口のビックカメラ前で街頭宣伝活動を行いました。
 この事件は1審で無罪、2審で逆転有罪となった事件ですが、05年に名古屋高裁で再審開始決定が出ましたが、検察が異議を申し立て。06年再審開始決定が取り消され、現在最高裁で特別抗告審がなされています。
 「奥西さんは逮捕されたとき35歳でした。いま84歳になります。1月14日は奥西さんの誕生日です。むごい人生を強いられ、無実の罪で死刑にされることにおびえる奥西さんを助けてください。事件発生以来48年経った今も監獄に閉じ込められている。この間に2度までも、検察の立証では、奥西さんを犯人とするには合理的な疑いがある、と判断し、再審開始の決定を出しています。特別抗告以来2年以上が経過しました。いつ決定が出されてもおかしくない段階です。奥西さんを社会へ取り戻そう」と訴えました。
 事件のビラ配布と署名行動も行いました。

山陽本線痴漢えん罪事件・広島高裁が不当判決

2010年01月18日 15時02分29秒 | Weblog
 1月15日、山陽本線痴漢えん罪事件控訴審について、広島高裁岡山支部刑事第1部(小川正明裁判長)は、Yさんを有罪とした地裁判決を支持し、Yさんの控訴を棄却する不当判決を出しました。
 この事件は、Yさんと被害者の身長差から、満員電車の中ではとてもできないような不自然な姿勢にならなければ犯行ができないことが明らかにされ、誰もが山本さんの無実を理解できる事件です。
 Yさんは「やっていないから今まで否認して信念を貫いてきた。高裁に満身の怒りをもって抗議する。最高裁へ上告して、真実を明らかにするために闘い続ける」と高裁に対する強い怒りと上告の意思を表明しました。

山陽本線痴漢えん罪事件で高裁へ申し入れ

2009年12月21日 16時21分01秒 | Weblog
 09年12月21日、日本国民救援会岡山県本部の竹内和夫会・冤罪被害者Yさんのご両親ら6名は広島高裁岡山支部小川正明裁判長宛に「公正な審理を求める」申し入れを行いました。竹内和夫県本部会長らは「本件・山陽本線痴漢えん罪事件は、通勤・通学時間帯の満員電車内でのできごとで、犯人を見極めるのが極めて難しい状況のもとでの事件です。冤罪が広く国民に注視されています。再審事件が大きな社会問題となっている今日、裁判長におかれましては慎重のうえにも慎重を期して、真実を明らかにする公正な判断をされるよう強く要望する」との要請を行いました。
 なお、この日は団体署名55筆(累計429筆)個人署名1465筆(累計8817筆)を提出しました。

山陽本線痴漢えん罪事件・第2回控訴審が開かれる

2009年12月02日 15時18分14秒 | Weblog
 11月25日、山陽本線痴漢えん罪事件の第2回控訴審が開かれました。秋山賢三弁護士は「人の記憶や感覚はあいまいであり、この事件では犯人とYさんを見間違えている可能性が大きい」と弁論を行いました。石田正也弁護士は被害者や女子校生の証言の信憑性がないことを主張しました。
 この日結審し、判決期日は2010年1月15日と決まりました。

障害者自立支援法は違憲と提訴

2009年11月30日 15時30分48秒 | Weblog
 11月24日、清水博さんが提訴した「障害者自立支援法は違憲」裁判の第1回口頭弁論が行われました。
 竹下義樹弁護士が冒頭に「提訴の理由や、障害のある人にとっての自立と社会参加はどうあるべきか」などを陳述しました。
 原告の清水さんは、障害者自立支援法が施行されてからは、小規模作業所・授産場などの施設に通う人達は毎月の負担が重く、通所の回数を減らしたり、食事を減らす、ヘルパーの介助を受けられないで週1回の入浴もできない。おおよそ人間らしい生活を送れなくなりました。車椅子の修理にも応益負担がつきまとい、障害のない人が普通に通行している道や自宅の中を、私達障害者は有料道路を通行するかのように応益負担を課せられている。人の呼吸に税金をかけるようなことは、障害者の生存権・幸福追求権を侵害している、と訴えました。
 呉祐麻弁護士と光成卓明弁護士が障害者自立支援法は意見であることを陳述しました。
 

山陽本線痴漢えん罪事件・公正判決を求めて高裁岡山支部へ要請

2009年11月26日 15時06分25秒 | Weblog
 11月19日、国民救援会岡山県本部の竹内和夫会長ほか2名と被告であるYさんのお父さんは、「慎重に審理のうえ、息子の言い分を取り上げ、無罪の判決を下さい」と申し入れを行いました。この日は公正審理を求める個人署名2064筆(累計7352筆)と団体署名77筆(累計374筆)を、応対した平井庶務課長に手渡しました。
 

名張・布川事件の再審を求め岡山駅前で宣伝

2009年11月16日 10時09分17秒 | Weblog
 11月14日、竹内和夫日本国民救援会岡山県本部会長ほか5名は、「冤罪は足利事件だけではありません」と名張事件の奥西さん、布川事件の桜井・杉山さんの再審開始を求めて、岡山駅東口で街頭宣伝を行いました。
 竹内和夫県本部会長らは、「警察の自白の強要、証拠の捏造などによって起されている冤罪は、足利事件だけではなく名張毒ぶどう酒事件、布川事件などたくさんあります。布川事件の桜井さんらは、29年間も無実の罪で獄中生活を強いられた。名張毒ぶどう酒事件の死刑囚・奥西さんは、獄中で47年間を過ごし、84歳を迎えようとしています。いま最高裁で審理されていますが、一刻も早く生きているうちに再審を開始して社会に取り戻差なければなりません。」とスーパーメガホンを通じて訴えました。
 名張事件の再審開始を求める最高裁宛署名には、若い子連れのお母さんが「何の署名ですか」と訊ね、事件の概略を説明すると「私の生まれていない頃に、そんなひどい事件があったのですか」と、快く署名に応じました。事件を記憶している高齢の方も、事件を知らない高校生も要請署名の趣旨を理解すると「がんばってください」と署名に応じます。

山陽本線痴漢えん罪事件・控訴審始まる

2009年10月05日 16時26分57秒 | Weblog
 山陽本線痴漢冤罪事件の控訴審第1回公判が9月30日、広島高裁岡山支部で開かれました。
 この事件は、Yさんが2人の女性に痴漢行為を行ったとして「迷惑防止条例」違反で起訴され、今年5月に岡山地裁で懲役6月・執行猶予3年の不当判決を受けていたものです。
 公判では、弁護団が控訴趣意書を説明。地裁判決について、被告人と被害者の身長差から見ても不可能な犯行を、「足を曲げたり、肩を下げたり、腕を伸ばしたり、これらを組み合わせたりなどすれば」可能だと、証拠にもとづかない「想像判決」を言い渡していることを批判。また、被害者などの不合理・不自然な供述を短絡的に信用して「常習」「有罪」の根拠にしている点についても、Yさん以外の第三者の犯行の可能性があり、Yさんが性犯罪の性向がないことも主張しました。さらに、Yさんの「手」について、繊維鑑定やDNA鑑定のような証明力の強い補強証拠を総合して事実認定がなされていないことも地裁判決の誤りであると述べました。
 弁護団は、女子校生の痴漢目撃の通報を受けた際に鉄道警察隊員が作成した報告書の開示請求をおこないましたが、検察官は、「廃棄した」と拒否しました。
 裁判所は、Yさんの腕の長さや身長を計測し、審理をおこなう姿勢を見せました。
 この日の公判傍聴には救援会や、支援者など約100人が参加し、法廷に入れない人もいました。

日本国民救援会岡山県本部第28回大会を開く

2009年09月28日 16時25分57秒 | Weblog
 9月27日、日本国民救援会岡山県本部は第28回大会を開きました。
この大会では、岡山県内での支援事件、「原爆症認定川中訴訟」と「山陽本線痴漢えん罪事件」の裁判勝利を勝ちとろうと、特別決議を採択しました。
 全国的に早急に再審を求める「布川事件」「名張事件」の最高裁宛要請決議も採択しました。
 また、8月25日に清水博さんが提訴した「障害者自立支援法は違憲」訴訟を県本部でも支援事件とすることを決定しました。
 組織目標としては、早期に有権者比0.1%の強固な県本部をつくり、名実ともに基本的人権と民主主義を守るセンターとしての役割を果たそうと誓い合いました。
 大会のあと、救援会中央本部の本藤修副会長が「裁判員裁判と大衆的裁判闘争」と題する記念講演を行いました。
 詳細については、℡ 086-254-2799 Fax 086-256-2589 
         E-mail okakyuen@ms13.megaegg.ne.jp へご連絡下さい。

美作支部が第13回支部大会を開く

2009年09月07日 17時19分52秒 | Weblog
 9月3日救援会美作支部は津山市内で第13回支部大会を開きました。
 活動報告では、近藤幸夫副会長(弁護士)を招いて「裁判員制度」の学習会を開催したこと、真庭市や美咲町で民間パトロール車を運行したこと、定例で役員会を実施していること、学習会の後に新しく入会される人があったこと、名張事件の奥西勝さんや仙台北陵クリニック事件(仙台筋弛緩剤冤罪事件)の守大助さんへ激励の絵手紙を、継続して送っていることなどが報告されました。
 今後の取り組みとして、①弾圧を許さない活動、②事件支援の活動、③組織強化と拡大などの方針を採択しました。
 記念講演として「山陽本線痴漢えん罪事件」のYさんを招いて、事件の真相を語っていただきました。