池田勇太です。私は現在、シンガポールオープン出場のため日本におりません。その為、本日の「千葉晃プロを偲ぶ会」に参加することができず非常に残念な思いです。
千葉晃プロとは、私が8歳の頃でしたでしょうか、この北谷津ゴルフガーデンで出会いました。今の私の基礎・土台を作ってくれたかけがえのない方の一人です。千葉プロと共有した時間で作られた思い出は、数え切れないほどあり、今でも脳裏をよぎります。
その中でも、特に忘れることのできない思い出を3つ挙げるとしたら、
ひとつめは、北谷津で千葉プロと取材を受け、二人で新聞に載ったことです。当時小学生の私が、取材を受けるとか新聞に載るとか全く縁のないことでしたので、ワクワクしながらも、千葉プロの横でじっと様子を窺っていたことを今でもはっきりと覚えています。
ふたつ目は・・、
1995年、私が小学4年生の時に、世界ジュニアゴルフチャンピオンシップが岐阜の富士カントリー塩河倶楽部で開催されました。
亡くなった祖父が肝臓癌の手術を終えたばかりで、歩くのも容易ではない時期でしたが、俺は絶対に岐阜へ行くぞと千葉プロに懇願(私の祖父をご存知の方は祖父の顔が思い浮かぶと思いますが・・)、千葉プロは祖父の強引さに負け、渋々3人で岐阜まで行ったことです。10歳以下の部で5位と、優勝する姿は見せられませんでしたが、私のゴルフのきっかけを作ってくれた祖父と、その後の道標べを作ってくれた千葉プロと私の3人の長距離ドライブは、楽しく、悲しく、辛く、今でも忘れることのできない思い出です。
***上記の世界ジュニア参戦した時のビデオが北谷津で見つかっています。
みっつ目は・・
2009年、当時の千葉プロは森ビル所属でしたので、その森ビル主催の「UBS日本ゴルフツアー選手権」で、絶対に初優勝するからと千葉プロに約束し初日を迎えました。なかなかの滑り出しで、3日目には66を出し、2位と1打差の単独首位に立ったものの、最終日に+7と大叩き。情けないの何の、ふたりでガックリ肩を落としました。が、翌週の恵庭カントリー倶楽部で開催された日本プロは、千葉プロがディレクターを務めたこともあり、今週こそはと初優勝を誓い、2位に7打差をつけての完全優勝を果たしました。悪天候にみまわれ、36ホールのラウンドとなった土砂降りの最終日、表彰式はクラブハウス内で行われましたが、千葉プロは私を見るや否や号泣、その後、泣き顔から打って変わって満面の笑みで祝福してくれました。あの泣き顔と笑顔は今でも私の記憶の1、2位を争うベストショットです。
千葉プロとのエピソードは本当に尽きません。
今日、千葉プロとのたくさんの思い出を皆さんと語り合えなかったことが本当に残念です。
きっと、千葉プロはうちのじいちゃんと雲の上から私のプレーを見て、勇太もまだまだだな!と言っているに違いありません。
千葉プロとじいちゃんが、嬉しそうに笑う顔を思い浮かべながら、これからも優勝を続けていきます。
2019年1月12日
プロゴルファー池田勇太
1
2 ★左から宮崎千瑛さん、後列の高野あかりさん、湯浅舞姫さん、前列の山田里奈さん、葭葉ルミさん、稲見萌寧さん
3 ★横尾 要プロ、葭葉ルミプロ、土屋大陸社長
4
5
6★千葉Pから「背中の目、当時分からなかったが」、教えを受けた坂田一真くん
7
8 ★保護者の方からも思い出を、「よくみんなで飲みながら話しいましたね。」
9
10
11 ★保護者の方から千葉P思い出、個性的なスイングの事について、個性的なスイングの選手は、よく練習してスイング作るので、強くなると等・・・・、千葉Pからいろいろな話をお聞きしました。
12
13 ★奥様からの謝辞「この場にいたら本当に喜んだと思います。今日は、ありがとうございました。」