北谷津ゴルフ・ブログ

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千葉P偲ぶ会・池田勇太プロからのメッセージ

2020-01-13 13:23:08 | 日記



池田勇太です。私は現在、シンガポールオープン出場のため日本におりません。その為、本日の「千葉晃プロを偲ぶ会」に参加することができず非常に残念な思いです。

 千葉晃プロとは、私が8歳の頃でしたでしょうか、この北谷津ゴルフガーデンで出会いました。今の私の基礎・土台を作ってくれたかけがえのない方の一人です。千葉プロと共有した時間で作られた思い出は、数え切れないほどあり、今でも脳裏をよぎります。

 その中でも、特に忘れることのできない思い出を3つ挙げるとしたら、
ひとつめは、北谷津で千葉プロと取材を受け、二人で新聞に載ったことです。当時小学生の私が、取材を受けるとか新聞に載るとか全く縁のないことでしたので、ワクワクしながらも、千葉プロの横でじっと様子を窺っていたことを今でもはっきりと覚えています。

ふたつ目は・・、
1995年、私が小学4年生の時に、世界ジュニアゴルフチャンピオンシップが岐阜の富士カントリー塩河倶楽部で開催されました。
亡くなった祖父が肝臓癌の手術を終えたばかりで、歩くのも容易ではない時期でしたが、俺は絶対に岐阜へ行くぞと千葉プロに懇願(私の祖父をご存知の方は祖父の顔が思い浮かぶと思いますが・・)、千葉プロは祖父の強引さに負け、渋々3人で岐阜まで行ったことです。10歳以下の部で5位と、優勝する姿は見せられませんでしたが、私のゴルフのきっかけを作ってくれた祖父と、その後の道標べを作ってくれた千葉プロと私の3人の長距離ドライブは、楽しく、悲しく、辛く、今でも忘れることのできない思い出です。
***上記の世界ジュニア参戦した時のビデオが北谷津で見つかっています。


みっつ目は・・
2009年、当時の千葉プロは森ビル所属でしたので、その森ビル主催の「UBS日本ゴルフツアー選手権」で、絶対に初優勝するからと千葉プロに約束し初日を迎えました。なかなかの滑り出しで、3日目には66を出し、2位と1打差の単独首位に立ったものの、最終日に+7と大叩き。情けないの何の、ふたりでガックリ肩を落としました。が、翌週の恵庭カントリー倶楽部で開催された日本プロは、千葉プロがディレクターを務めたこともあり、今週こそはと初優勝を誓い、2位に7打差をつけての完全優勝を果たしました。悪天候にみまわれ、36ホールのラウンドとなった土砂降りの最終日、表彰式はクラブハウス内で行われましたが、千葉プロは私を見るや否や号泣、その後、泣き顔から打って変わって満面の笑みで祝福してくれました。あの泣き顔と笑顔は今でも私の記憶の1、2位を争うベストショットです。

 千葉プロとのエピソードは本当に尽きません。
今日、千葉プロとのたくさんの思い出を皆さんと語り合えなかったことが本当に残念です。
きっと、千葉プロはうちのじいちゃんと雲の上から私のプレーを見て、勇太もまだまだだな!と言っているに違いありません。
千葉プロとじいちゃんが、嬉しそうに笑う顔を思い浮かべながら、これからも優勝を続けていきます。

2019年1月12日

プロゴルファー池田勇太



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2 ★左から宮崎千瑛さん、後列の高野あかりさん、湯浅舞姫さん、前列の山田里奈さん、葭葉ルミさん、稲見萌寧さん

3 ★横尾 要プロ、葭葉ルミプロ、土屋大陸社長

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6★千葉Pから「背中の目、当時分からなかったが」、教えを受けた坂田一真くん
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8 ★保護者の方からも思い出を、「よくみんなで飲みながら話しいましたね。」

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11 ★保護者の方から千葉P思い出、個性的なスイングの事について、個性的なスイングの選手は、よく練習してスイング作るので、強くなると等・・・・、千葉Pからいろいろな話をお聞きしました。

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13 ★奥様からの謝辞「この場にいたら本当に喜んだと思います。今日は、ありがとうございました。」
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千葉P偲ぶ会・市原弘大プロからメッセージ

2020-01-13 13:23:08 | 日記



***千葉晃プロを偲ぶ会へ***

★市原弘大プロからのメッセージ 2020.1.12
 
千葉プロからは、ルールとマナーを守って楽しくプレーする事と、スウィング面では「悪い所を気にするより、良い所を伸ばしましょう」という事を言っていた記憶が残っています。
そして、北谷津GGと私自身を繋いでくれました。
まだジュニアにとって練習環境が整っているとは言えない時代に、北谷津で練習出来る環境を頂けた事が、今プロとして活動出来ている事にも繋がっていると思います。
昨今は、ジュニア時代から、より結果が重視されてきて、楽しそうにプレーしているジュニアが少ない感じがしますが、北谷津に来てる子達には、千葉プロの想いを引き継いで、ルールとマナーを守って楽しくプレーして貰えたらなと思います。
***小学生の市原弘大プロのジュニア競技会ビデオも北谷津にあります。


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5 ★土屋社長「千葉Pから受け継いだジュニア育成のDNAを大切に」

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12 ★千葉Pの1番弟子で、日米ゴルフ研究所を引き継いだ浦東大人P、青木功Pと千葉Pとの話、ジュニア育成を中心に選手から指導者の道へと方向転換した事などを話をしてくれました。
また、ジュニアクラブを竹林隆光氏、スナガ開発と制作するも、当初スナガ開発に話に行っても、信用してもらえず苦労したそうです。当時、小さい子供が使えるクラブがなかったので、これが完成し、小学校低学年や幼稚園児でもゴルフができるようになったと言っても過言ではないと思います。

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16 ★献杯、ヨネックス児玉仁志さん(石川遼Pを担当されていました。)

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21 ★司会は、篠崎紀夫P(千葉Pのおかげで2007年ANAオープンでプレーオフで優勝した時もあまり緊張しなでプレーできたと、94年3月の「第1回千葉晃のジュニアゴルフミーティング」では、ウルトラマンの恰好で登場) 

22 ★横尾要Pは、ニッカポッカで登場(あのタイガーをダンロップフェニックスで破り優勝しています。)千葉Pとは中学生の時に出会いがあり、ゴルファーへ、北谷津には、94年にアジア大会で金メダルを取った後に来場、確かジュニア市原弘大選手と一緒にラウンドしたと思います。北谷津の環境にずっといれば、きっとメジャーで優勝できたのではと?笑い・・・・
小学生のゴルフ大会がない時に、千葉Pに言われて冠大会の横尾要カップが開催した事などの想いでを・・・
「北谷津の環境でずっと練習出来ていたら渋野より早くメジャーに勝てたのではないかた思う」と笑う・・・

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第303回ジュニア競技会写真

2020-01-13 11:55:32 | 日記
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