
フィレンツェから電車で約2時間、ローマからも2~3時間のウンブリア州ペルージャ。
ここも古い歴史を誇りにした街のひとつ。
丘の上の旧市街には、粗石の建築物が中世そのままに残っている。
遠くエトルリアの時代から今日までの長い時の流れが残してきたものは多く、
その不思議な魅力は訪れる人々の心に深くしみこむ。
写真は11月4日広場。
1275年頃に作られた大噴水(Fontana Maggiore)を中心に、
13~15世紀に建てられたゴッシク期を代表するプリオーリ宮(Palazzo dei Priori)、
14~15世紀の大聖堂(Cattedrale)など堂々とした建物が取り巻くペルージャ旧市街の中心広場。
中世の面影が色濃く残り、当時の繁栄の足音が聞こえてくるようだ。
イタリアには、丘の上に、城壁に囲まれて中世そのままが残る街がいくつもある。
エトルリア:
「ローマ文明の基礎となったのがエトルリア文明です。
ローマがテヴェレ川に建国した頃、
川岸の向こう側ではローマとは別の言語を話し、
独特の宗教観を持ち、高度な芸術的センスを持った民族が住んでいました。
それがエトルリア文明です」
エトルリア人は紀元前8世紀頃から2世紀にかけて、
現在のローマからトスカーナ地方にかけて勢力を広げていった。
ギリシア人と接触し、鉱業、製鉄、貴金属加工、陶器製造、土木建築、造船、農業などあらゆる部門で世界最高の技術を持っていたという。
ローマの下水道、ポンペイの城壁を築いたのもエトルリア人だといわれている。
文化芸術活動も盛んだった。
「エトルリア文明は、ギリシア文明をローマに引き継がせる重要な役目を担いました。
ローマはエトルリア文明を吸収するのですが、先住民族を歴史的に葬ってしまったのです」
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ローマ
ミラノ
シエナ
パルマ
ペルージャ
アッシジ
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14~15世紀の大聖堂(Cattedrale)など堂々とした建物が取り巻くペルージャ旧市街の中心広場。
中世の面影が色濃く残り、当時の繁栄の足音が聞こえてくるようだ。
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「ローマ文明の基礎となったのがエトルリア文明です。
ローマがテヴェレ川に建国した頃、
川岸の向こう側ではローマとは別の言語を話し、
独特の宗教観を持ち、高度な芸術的センスを持った民族が住んでいました。
それがエトルリア文明です」
エトルリア人は紀元前8世紀頃から2世紀にかけて、
現在のローマからトスカーナ地方にかけて勢力を広げていった。
ギリシア人と接触し、鉱業、製鉄、貴金属加工、陶器製造、土木建築、造船、農業などあらゆる部門で世界最高の技術を持っていたという。
ローマの下水道、ポンペイの城壁を築いたのもエトルリア人だといわれている。
文化芸術活動も盛んだった。
「エトルリア文明は、ギリシア文明をローマに引き継がせる重要な役目を担いました。
ローマはエトルリア文明を吸収するのですが、先住民族を歴史的に葬ってしまったのです」
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