きみだんごの日記帳

日記帳の形を借りて、創作活動の成果を発表していきたいと思います。
荒井公康

否定的な経験は成長の糧

2023-07-11 05:41:32 | 日記
否定的な経験は成長の糧
理不尽、挫折、失敗、後悔、屈辱、苦などの否定的な経験がなかったら人生はどんなに素晴らしいだろう。そう思うことは自然なことだ。しかし否定的な経験のない人生などあり得ないのも現実だ。自分ひとりしか存在しないとしたら、自分は何も感じないかもしれない。他者とともに存在することに否定的な経験の原因があるのだろう。「人を恨むな」と母は生前に言っていた。私の受けた屈辱的な経験を承知してのことだった。人は他人に対してはどこまでも残酷になれるものである。しかし、否定的な経験をしたことのない人間とはあり得ないのと同時に、あるとしても底の浅い人間になるのではないか。否定的な経験こそ成長の糧ではないか。そして他者にそのような否定的な経験をさせまいとすることこそ愛ではないか。これは相手の成長を否定することになるかもしれないが。だから、あえて人に厳しくする人もいるかも知れない。それも一種の愛かもしれない。人間は愛に生きるか憎しみに生きるかどちらかである。少なくとも、憎しみによって他者に否定的な経験をさせることは避けたい。幸い、人間には慣れというものがあり、年をとると、否定的な経験にも耐性ができる。人生はそのようなものだという感覚が身についてくる。他者は自分の思う通りにならないから他者なのである。それが分からないと悲惨なことになる。暴君になってしまう。否定的な経験を繰り返した私はそう思う。

不幸の始まり

2023-07-09 03:44:36 | 日記

不幸の始まり
実家の一階部分をブラジル人が借り、酒場を開いてからが、私の人生の不幸の始まりであった。母が死ぬまでは親子三人で仲良く静かに暮らしていた。ブラジル人が来る前には日本人(丸新食品)が実家の一階部分を借りていたが、静かに営業しており何の問題もなかった。しかし、ブラジル人が酒場を開業してからは、私の居住していた場所の雰囲気は一変して、昼間から酔っ払いが大勢、辺りをたむろし、入れ墨をした人間が出入りするなど私も怖い思いをした。近所からも騒がしいと苦情が出ていた。小学校も近いし風紀は完全に乱れて、困ったものだと思った。私も家主として注意に行ったが、逆に営業妨害だとか文句を言ってきて、警察が介入するようになった。明らかに民事介入で不法なことだった。外で焼き物をし消防法に違反するなど不法なことを行い、指摘した私が営業妨害と悪者にされ、警察とももめることになった。結局、私はそこに住めなくなり、やむを得ず、マンションに移り住むことになったが、住み慣れた実家を離れたことは、かなり苦痛であった。なにしろ、実家は小学生の頃から住んでいて想い出にあふれる場所であったから。時々、実家に用があって私が戻ると、実家の前を通っただけの私に対して、酒場の女主人は盛んに通報することを繰り返し、その後私をなんとストーカー扱いし、警察に訴えるようになった。しかし、警察官の中には、通報があって何回調べても酒場にはなんの被害も認められないと言う人もいた。明らかに今思えば、その女主人は虚偽告訴罪を犯していたことになる。なぜか、警察というのは女性の言うことは無条件に信じるものらしい。しかし、私の失ったものは大きい。実家を失ったことは、懐かしい思い出の故郷を失うことに等しかったからである。想い出の部屋、想い出の環境を無理やり奪われることになった。現在、やっとブラジル人も退去し、付近は平穏に戻ったが、想い出の住処を失った私の精神的な苦痛は大きなものがある。虚偽告訴を繰り返したその女主人は憎いが、忘れるしかない。しかし、この件で、改めて日本人がいかに大人しく秩序を重んずるかの認識を新たにした。外国人は倫理観に乏しく騒がしく、外国人にやたら物件を貸すものでないとも思った。日本では借り手よりも貸し手のほうが立場が弱いのもある意味問題だと思う。迷惑を受けて追い出したくても法律上簡単にはできないようになっているのである。私の心の痛手は大きいが、諦めるしかないようだ。

 

荒井公康


父母のこと

2023-07-08 17:08:22 | 日記

父母のこと
母はいつもハワイに一度でも行ってみたいと言っていた。父とハワイに行きたいね、とよく話していた。結局生前は日本の地を出ることも飛行機にのることもなかった。今思えば、ハワイくらいに行かせてあげたらよかったと思う。可哀そうなことをした。その代わり、父母と私は伊豆の温泉によく出かけた。私が車の運転手を務めた。車中での会話や旅館で豪勢な食事をしたことは良い思い出だ。人間、父母が生きている間が花だ。死んでしまうとなんとも寂しい。父母とは掛けがえのない存在だ。今でも両親のことはよく思い出す。しかし、もういないというのが現実だ。父母と話したくてもどうしようもない。遺影を見つめて話しかけてみるだけだ。しかし、父母は死んだあとも、天国で私のことを思ってくれていると信じている。そう思うことだけがかすかな救いだ。父母は今もなお私の心のなかでは生きている。夢に出てくる父母は生きている。そうだ、私の心のなかでは、父母はまだ生きているのだ。

 

荒井公康


深層学習の源流

2023-07-01 16:22:23 | 日記

深層学習の源流
最近の深層学習の威力には驚かされるが、その源流はガウスの最小二乗法にあるのではないかと思う。階層型ニューラルネットワークの学習に用いられる誤差逆伝搬学習法も考え方の基本は最小二乗法にある。人工知能学会監修の「深層学習」を読んでみたが、人間の脳を少し真似た深層学習がこれだけ強力であるのだから、脳科学の発展により、脳の仕組みが更に解明され、それをうまく模倣すれば、更なる発展が見込まれる。深層学習以上の汎用的な方法が見つかるには長い年月を要するかも知れない。深層学習だけでもChatGPTなどの驚くべきアプリケーションが生まれ、自動翻訳なども格段に進化した。驚くべきだ。深層学習などの人工知能のこれからの進展が楽しみだ。

 

荒井公康