氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

628 長島茂雄

2008-03-28 09:05:46 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

628 長島茂雄

長島元監督のエピソードだそうです。
1954年、高校を卒業した長嶋さんは、当時、「鬼」と言われた砂押邦信監督率
いる立教大学の野球部に入ります。

実は、立教大学は本人が望んだわけでありませんでした。高校生のとき、長嶋さんには、プロ野球球団からいくか誘いがありました。その中に憧れの巨人もありました。

しかし、立教大学のマネージャーが長嶋さんの留守中に来て「うちの砂押がお宅の息子さんをあずかって六大学一のプレーヤーに育成したいと申しております」とお父さんを口説きました。

契約金のことしか話さないプロ球団にうんざりしていた、まじめ一筋のお父さんはいたく感動し、「お世話になります」と即答。本人の気持ちもきかず、勝手に立教大学に決めたのです。
 (そのため、あとで父子の関係はこじれるのですが、結果的に、父親の決断は間
  違っていなかったと長嶋さんは感謝する)

そのお父さんは、しばらくして病気で亡くなります。お父さんは、臨終の間際、息子の手をとり、はっきりとこう言いました。
 「野球をやるからには、六大学の一番の選手にならんといかんぞ。プロに行って 
も日本一の選手になれ」
そして、そのまま目を閉じたのです。

長嶋さんは、この父の遺言によって、野球一筋の人生を歩む決意を固めます。
 「日本一」
それが長嶋さんの夢になるのです。

さて、立教大学の野球部、砂押監督のスパルタ教育。これがすさまじかったのです。
シートノックを取り損なうと、連帯責任で練習はやり直し。まるで軍隊です。
当時、長嶋さんは守備が自分でもわかるくらい下手だったので、練習はなかなか終わりません。失策し殴り倒され、ときには長嶋さんのコーチがやられることもありました。

夕暮れまで練習し、飯を詰め込むヒマもなく、夜間練習の特訓が待っていました。
暗くて互いの顔すら見えない、伝説の月夜のノックです。月のない夜には、ボールに白い石灰をなすりつけただけ。

長嶋さんは、当然ながら、何度もエラーをします。このときに砂押監督の言葉がすごいのです。
 「いいか、長嶋、ボールをグラブで捕ると思うな。心で捕れ、心でっ!」

さらには、
「おまえはまだグラブに頼っているのか!そんなもの、捨ててしまえ!」
 と素手で捕る練習になりました。

骨折の危険はありましたが、真剣に玉に向かうことで、球際を見極め、変化に対応できるあの見事なフィールディングが磨かれていったのです。

その後、ご存じのように、長嶋さんは東京六大学だけでなく、日本野球界のスーパースターへと成長していくのです。

長嶋さんは、プロとして常にお客さんを喜ばせることを考えてプレーしていた人です。そのために努力するのは当然だと考え、それを人に見せたがない人でもありました。が、実は人一倍、真剣に努力してきた人だったのですね。
 

立教の監督もいいこと言いますね。
 「心でとれっ!」

まるで氣まぐれ剣士の「心で攻めて心で打て」みたいです。
やっぱり野球も剣道も同じですね。

といっても、長島監督と氣まぐれ剣士とは“ラベル”いや“レベル”が違いますが・・・。そんなこと言わなくても当然ですね。


いかがでした。
次回もお楽しみに。
以上