菊若会

菊若啓州主催 菊若会のブログです

寒稽古

2014-01-27 20:52:43 | 活動報告
菊若会ではここ10年来、寒稽古と称して
私の家の近くの名次集会場で
古典の合奏の研究をしています。

1月26日(日)も、
「比良」「若みどり」「けしの花」のお稽古を、
和やかな中にも少し厳しさを漂わせながらの1日でした。



節目節目のテンポの取り方や、尺八、箏、三弦の絡み方を
演奏をしながら有意義に進めました。

おかげさまで、みんなそれぞれに力を付けてきて
本当に頼もしくなりました。

4月17日には(花見会)、
8月10日には(土用稽古)を企画しています。



菊若 啓州

母との事 その2

2014-01-23 22:16:42 | 雑感

父が亡くなってから20年は母と二人暮らしでした。

85歳になった母は、すっかり体力は衰えましたが
気持ちはしっかりとしていました。

10月頃でしたか、いつもヘルパーさんに体を拭いてもらっていましたが、
何を思ったのか私の留守中に風呂に入っていました。

帰宅したときに知らされましたが、風呂から上がるのに
6時間ほどかかったそうです。

私の家の風呂は浴槽が深く、一度は段を付けたのですが…
手すりも無く、10月の事ですからさぞ寒かっただろうし、
手を差し出すだけで簡単に入れた物をと
気持ちがそこまでさせるものかと驚きました。

そんなわけでヘルパーさんに手伝ってもらいながらも
何とか暮らしていましたが、良く私が側にいるのに、
私を探していました。

これは私の想像ですが、母が世話をしていた私と
今の私と区別がつかなくなったのだと思います。

こんな事も有りました。
亡くなる三日前の朝、いつものように母の寝室に入ったとき
物も言わずじっとしていました。

私が不思議そうにしていると、
「私が死んでもあなたは泣かないねえ」と試されました。

それから三日後の朝に静かに永眠しました。
90歳と7ヶ月。

山谷がありましたが、結局は幸せな人生であったろうと思っています。

母とのこと

2014-01-20 20:55:36 | 雑感


よく、(母の愛は海より深い)と申しますが、
私の母はまさにそれでした。

大阪の盲学校に入学したときに、父兄を集めて点字の講習会が有りましたが
マスターしたのは母だけでした。

大阪音楽大学に入ってからもずっとサポートをしてくれましたし、
手紙の代筆や、読みにくい箏や三弦の楽譜も、家事の合間に読んでくれました。

母との事も今は昔、知っている人も少なくなりましたが、
二人の間には誰も入ることができませんでした。

本当に元気でしっかりとしていましたが、85歳になった頃
骨粗鬆が原因で歩けなくなりました。

ちょうど介護の制度が始まり、ヘルパーさんを交えて生活をするようになりましたが
もとより、箏や三弦だけを稽古してきた私、それ以外のことではなにも分かりません。
日々の生活のいろはを自ら体験せざるを得なくなりました。

母はそれを教えたかったのでしょうか。亡くなるまで、5年の月日を私に与えてくれました。
また、近い将来に必ず訪れる永遠の別れにも、そのショックを和らげようとしたのか
二度の入院をしました。

いずれも骨粗鬆で、生命には影響が無かったのですが
覚悟を決める上で、言葉では言い尽くせない物が私を襲いました。

2度目の退院から、後は今までで最も心の距離が近くなり
その後の1年は最高に幸せな時でした。

2004年3月24日の朝に母は永眠しましたが、驚くほど私は冷静でした。

私の心情を思いやったのか、最後まで子孝行な母でした。

新春吉例 高槻百人一首かるた会

2014-01-19 09:40:19 | 活動報告
寒い日が続きますが皆様如何お過ごしでしょうか。

第38回 新春吉例 高槻百人一首かるた会が
去る1月13日(月曜・成人の日) に、高槻市の金剛山象王窟 伊勢寺にて開催され、

菊若啓州先生が箏の演奏で参加されました。



詳細は以下のURLでもご覧いただけます。
http://www.geocities.jp/kagee_akutoza/events_karuta140113.html




百人一首の歌詠みの、次の歌を詠むまでのしばしの間に
箏で、詠んだ歌の情趣をかき鳴らす「創作の糸の調べ」を聞かせ続けて、
伊勢寺かるた会の特徴を作っていただきました。