哲学日記

ブッダの教えは「自分」の得になると感じるようにできている

 人は「俺、俺のもの」が錯覚だと分かるまでは、

「俺」の利益になる(と感じる)こと以外決してできない。

 

それを、悪いといっても、意味がない。

 

それしかできないのだから。

 

 

 ブッダは人類史上誰よりもこの事実を知り抜いていたとおもう。

ブッダの説いた戒・定・慧が実行可能なのは、

迷える「俺」にもそれが最も自分の利益になると確かに感じられる

ようにできているからだ。

それは最初あまり分からなくても、修めるうちにはっきり感じられてくる。


 

 

 

自分が、ブッダの説いた戒等に守られていると、分かりかけた仏教徒に、

次のキリスト教のことばは新鮮に響く。

(ヒルティ幸福論第二部「キリスト教序説」より 草間平作・大和邦太郎訳)

…祝福は、とりわけ次のような点にあらわれる。すなわち、一切の事情がみたところひとりでにそう成っていくように見えながら、常にまことの善が行われ、内的生活が促進され、外的生活が保護され、危険がさけられる…邪路に踏みこんだり悪い行ないをしようとしても決してうまくいかないことである。
悪い行いが成功するということは、むしろ悪人に下される通常の罰であって、彼らはその成功のためにいよいよ頑なになり、回心を妨げられる
……
「もし人が、わたしのおきてを行うならば、これによって生きるであろう(レビ記18-5)


(引用終) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs) 

ニール・セダカ。再登場。
「悲しき慕情」

♪ダンドゥビドゥダンダンカマカマダンドゥビドゥダンダン~

 

 


Neil Sedaka | Breaking Up Is Hard To Do

 

 

(過去記事統合増補編集再録)

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る