続けて(修証義 第二章より)
仏祖の往昔は吾等なり、
吾等が当来は仏祖ならん。
(以上)
すでに成った聖者と、
これから成る聖者ってことね。
(修証義 第三章より)
西天東土仏祖正伝する所は恭敬仏法僧なり。 …
仏は是れ大師なるが故に帰依す、
法は良薬なるが故に帰依す、
僧は勝友なるが故に帰依す
(修証義 第四章より)
若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すと雖も其輪転の因縁皆菩提の行願となるなり、然あれば従来の光陰は設い空く過すというとも、今生の未だ過ぎざる際だに急ぎて発願すべし
愚人謂わくは利他を先とせば自らが利省かれぬべしと、爾には非ざるなり、利行は一法なり、普く自他を利するなり。
面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、
愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
※【愛語】
《梵priya-vditの訳》菩薩が他者に対して心のこもった優しい言葉をかけること。人々を救いに導く実践行である四摂事(ししょうじ)の一。 (大辞泉)
(修証義 第五章より)
光陰は矢よりも迅かなり、身命は露よりも脆し、何れの善巧方便ありてか過ぎにし一日を復び環し得たる、
徒らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲むべき形骸なり、
設い百歳の日月は声色の奴婢 と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の他生をも度取すべきなり、
此一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり、此行持あらん身心自らも愛すべし、自らも敬うべし、
我等が行持に依りて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり、
然あれば即ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。
※修証義
曹洞宗の信仰指導書の一。1890年(明治23年)成立。道元の「正法眼蔵(しようぼうげんぞう)」より文章を選び、五章三一節に整理したもの。(大辞林)
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米米クラブ。