哲学日記

知識は、危険物なのだが、正しく扱い智慧に育てると得難い益となる

呼吸瞑想に関する【公式】臨済宗大本山 円覚寺 横田南嶺管長の教え


【初めての坐禅】其の三:呼吸の調え方 - YouTube

 



なぜ呼吸瞑想や坐禅をするのか。

 

結論としては真理だが、

前提としては自己欺瞞になる

智慧知識問題

 

 

を、なんとしても解決する必要があるためだ。

 



 禅には有名な

十牛図

の教えがある。

 


おれは最初一通り聞いたとき、

 


さんざん苦労して悟ったら、

元の状態に戻ってた

 


という話だと受け取った。

 


「なんだ、それ。やらなくてよい苦労をして、馬鹿じゃん」
と、おもったものだ。

これは、当時のおれに

 


智慧と知識の大違い

 


がまるで分ってなかったからだ。

 

 

 

 


聖書にも、文脈は違うが、なんとなく十牛図を連想する教えがある。


心を尽くして知恵に近づき、
力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。
足跡を追って、知恵を探せ。
そうすれば、知恵が見つかるだろう。
しっかりつかんだら、それを手放すな。
ついには、知恵に憩いを見いだし、
知恵は、お前にとって、喜びに変わるだろう。

(シラ書6・26~28 新共同訳)



 

聞いて分かった気になっても、

それは知識にすぎない。

 

 

 

 

自分を欺いて、

聞くだけで終わる者になってはいけません。

(ヤコブの手紙1・22より)

 

 

同じ教えを、イエスの言葉のほうは、優しい揶揄が含まれていて、余裕を感じさせる。

 

 

今の時代を何にたとえたらよいか。

広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
『笛を吹いたのに、
踊ってくれなかった。
葬式の歌をうたったのに、
悲しんでくれなかった。』

(マタイによる福音書11・16,17 新共同訳)

 

大多数の人々は、智慧の教えを聞いて、情報として記憶して終わる。


 

あなたがたは、何を見に荒れ野に行ったのか。風にそよぐ葦か。
では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。

(同11・7,8より)


 

 

 

知識は、

人を破滅させかねない危険物なのだが、

正しく扱い智慧に育てると、

得難い益となるものだ。 

 

 

 



 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

「ミッシング・ユー」

‘MISSING YOU’ JOHN WAITE covered by the HSCC - YouTube


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