人はただ念仏しやすいように生きるべきだ
と法然上人は明言している。
普通は「人生のための念仏」と思いこんでいるが、それは間違いで「念仏のための人生」でなければならないとの教えだ。
この人生に対する非常識なスタンスが、極めて重要だとおもう。
おれにとって、この教えは「サティのために生きるべきだ」となる。
サティできない時間は生きているといえない。
この常識はずれのスタンスをなんとか身に馴染ませようと、依然奮闘中。
法然上人の教え
「人はただ念仏しやすいように生きるべきだ」を初めて知ったのは
現世をすぐべきようは、念仏の申されんようにすぐべし。
念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろずをいといすてて、これをとどむべし。
いわく、ひじりで申されずば…
という「禪勝房傳説の詞」のなかの言葉でした。
「禪勝房傳説の詞」以外にも少しずつ表現の違った伝承が複数あるようです。
原文を一つ載せておきます。
現世を過ぐべき様は、念仏の申されんかたによりてすぐべし。
念仏の障りになりぬべからん亊をば、厭い捨つべし。
一所にて申されずば、修行して申すべし。
修行して申されずば、一所に住して申すべし。
ひじりて申しされずば、在家になりて申すべし。
在家にて申されされずば、遁世して申すべし。
ひとり籠もり居て申されずば、同行と共行して申すべし。
共行して申すされずば、ひとり籠もり居て申すべし。
衣食適わずして申されずば、他人に助けられて申すべし。
他人の助けにて申されずば、自力にて申すべし。
妻子も従類も、自身助けられて念仏申さん為なり。
念仏の障りになるべくば、ゆめゆめ持つべからず。
所知所領も、念仏の助業ならば大切なり。
妨げにならば、持つべからず。
以上『勅伝』巻四十五、「十二問答」より引用終
いい意味でいいかげんだ、おおらかだと感じる人が多いようですが、そういうことではないのです。
「念仏のための人生」というスタンスから発せられた当然自然の言葉で、良い意味でも悪い意味でも「いいかげんさ」は微塵もありません。
「禪勝房傳説の詞」には
衣食住の三は念仏の助業なり。これすなわち、自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業なり。…
もし念仏の助業とおもはずして身を貪求するは、三悪道の業となる。往生極楽の念仏申さんがために、自身を貪求するは、往生の助業となるべきなり、万事かくのごとし。
の言葉もあり、論旨極めて明瞭です。
念仏の助業とおもはずして身を貪求するは、三悪道の業となる。の教えを迂闊に読み過ごしてはいけません。
「念仏のための人生」というスタンスは簡単には身に馴染まないからです。
ちなみに
「衣食住の三は三悪道なり。…三悪道をはなれんと欲せば、衣食住の三つをはなるべきなり」
と断言し実行した一遍上人は、この法然上人の教えも知った上で「すべて捨てる」決意をしたのだとおもいます。
最後に、なぜか連想した澤木老師の言葉をひとつ。
一見関係なさそうだが、おれのなかで通底してる(たぶん)
人間は自分が意識して呼吸しているのでもなければ、自分で意識して心臓を動かしているのでもない。
ただ動いているのである。
人間というものは本当は無念無想で生きているのである。
(My Favorite Songs)
サンタナ
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