哲学日記

映画「岸辺の旅」生者の執着が死者を語らせる

 

邦画の秀作「岸辺の旅」は、失踪中に死んだ夫が妻のもとに帰ってきて「俺死んだんだ」と言い、夫の思い出の場所巡りを二人でする話です。

 

ウィキペディア『岸辺の旅』あらすじ
から引用させていただきます。

夫である優介が失踪してのち、瑞希はピアノ教師をわずかに続けることで世間との接触を保っていた。そんな彼女の前に、ある日突然に優介が現われる。口調も態度も往時と変わらない彼に、すでに死んだ身だと説明され混乱する瑞希だが、思い出の地をめぐる旅に出ようと持ち掛けられ、そのことばに従う。

電車に乗って辿り着いた街で、ふたりは新聞配達業に携わる老人・島影の店を訪ねる。過去に彼の下で働いていた優介とは話も弾み、家事の助け手として瑞希の存在にも馴染み始めた島影だったが、ある日消え失せてしまう。実は島影もまた死者であり、優介のことばで迷いを振り切って、あの世に旅立ったのだ。

次にふたりは夫婦の経営する食堂の扉をくぐる。店の手伝いをする毎日の中、瑞希は2階に残されたピアノを見つけ、それをめぐる妻・フジエと死別した妹との思い出を聞かされる。現われた妹と対面し、生前弾けなかったピアノの演奏を通じて彼女の微笑を引き出せた瑞希は、この旅の意味を少しずつ悟ってゆく。

だが、優介に宛てた一通の手紙をめぐってふたりは口論になり、瑞希は優介と接触をもっていた女、朋子にひとりで逢いにゆくことを決める。勤務先で朋子を呼び話をはじめた瑞希は、朋子の毅然とした態度を通じて自己嫌悪に打ちのめされ、消えてしまった優介の名を後悔をもって呼ぶ。変わりない姿を見せた優介を抱きしめる瑞希は、最後まで彼の旅につきあう決心を固めていた。

山奥の農村へ向かい、そこの人々に向けて夫が私塾を開いていたことを知った瑞希は、働き手であったタカシを失った妻とその父、息子に出会う。彼らの思いに呼び寄せられたタカシの、この世への妄執を見せつけられたふたりは己を振り返るとともに、この旅のすえに別れねばならないことを思い知らされた。

そして彼らは、旅の終わりの場所にやって来た。

Journey to the Shore - 岸辺の旅 (2015) - Official Trailer - YouTube


www.youtube.com

 

 

霊魂が不滅であるという考え方は、生ける人間の生命への執着と死者への愛着とのあらわれでありましょう
(川端康成)

 

 この種の物語では、死者のほうが決まって

 

「生きてる君のことが忘れられず、あの世から戻ってきた」

 

と生者に伝えるのだが、もちろん真相は逆だ。
生者の執着が死者を呼び寄せ語らせてるにすぎない。

 

 

生者「あとから行くよ。また会おうね」

死者「うん、待ってるよ」
 
…已矣哉

 

 

 

人がこの愛執から自由になれず、


いつまでも生き続けたい自分

 

を捨てないなら、

自業自得の争いがしずまらず

いじめも戦争も
なくなることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)  

Phil Collins - Against All Odds (Live Aid 1985) - YouTube


www.youtube.com

 

(過去記事編集再録)

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