Kesaru Note

チベットの史詩『ケサル大王』を読みながら思ったこと

モン国とはどこなのか

2015-06-22 00:28:43 | ケサル
阿来『ケサル王』
少年ザラ  http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/e/045b841e96a80f8e1fd189a5056bf3c3
             ~
モン・リンの戦い http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/e/a8072f9eba2e0cf549ef02a7fd4016ed


モン国とは

モン国との壮烈な戦いが終わりました。
モンという美しくも瘴気の立ち込める妖しい国。
美しい公主。
若い英雄の知力を尽くした戦い。
美しい山々を歌うジャンの王子。
神の力を頼むケサルとシンチ王の攻防。

この章を描くため、阿来は様々な創作を施したと思われます。
それはもしかしてチベットに古くから伝わる民話などを取り入れているのかもしれません。
暗い森に迷う兵たち。顔を持った花たちの揚げる声。溶けていく雪山。阿来のイメージの艶めかしさに、ここはどこなのだろうと思わずにいられません。

果たしてモン国とはどこなのか。
ヒマラヤの南の国と言われています。

スタンの文章を宮本氏が訳した中に
「資料から十分証明されるように、ヒマラヤの西から東まで、土着民はモンと呼ばれていたので、中国・チベット境界地区の非チベット人がモンと呼ばれても不思議ではない」とあります。

もう少し検索していくと、やはり宮本氏の訳した「ケサル王物語 彼らが語るひとつのストーリー」に行きあたりました。その注に
「モン国はチベット南東部からインド・アルナチャルプラデシュ州にかけて住むメンパ族の地域(モン・ユル)のことだろう。スタンによれば、彼らは国王グワ・トゥンの末裔だという」とありました。

メンパ族はチベット系の民族で、その祖先が住んでいた地域は、チベット自治区モンユル南部の門隔地区、ラサの東南の交通不便なヒマラヤ山麓中の河谷地帯でした。
山に囲まれた美しい風景は、まさしくモンの国を想像させます。ケサルとユラトジが山問答をするにふさわしい場所。
詩人として名高いダライラマ六世もここの出身とのことです。

この辺りはシムラ会議でチベット側とインド・アルナチャルプラデシュ州とに分けられました。今ではインド側に住んでいるメンパ族の方が多いそうです。
ケサルのモン国はこのあたりまで含んでいたのでしょう。

重臣グラトジエはリン国に寝返ることを拒んで殺されます。
シンチ王は彼の死を憐み、その魂を大切な袋に収め、ともに修練してこの地に戻ろうと誓います。
魔物でありながら固く結ばれた主従の絆は感動的です。

ところが、ザバという今はなき語り部の語りでは、グラトジエは陰険冷徹悪に染まった性格として描かれ、取り押さえられた後、磔にされ、爪で皮膚を剥がされ、深い穴の中に埋められます。
魔物の最後として、また正義への強い対比として、このように強烈に語られることで、人々の喝さいを浴びたのでしょう。

阿来の描く登場人物はやはり人間的です。