釜ヶ崎に寺をつくろうとした僧侶~釋顕明(杉原弾)

諸君よ願くは我等と共二此の南無阿弥陀仏を唱へて貴族的根性を去りて平民を軽蔑する事を止めよ。(高木顕明)

『杉さんを偲ぶことば』川浪 剛(支縁のまちネットワーク代表)

2011-06-14 11:01:37 | 杉さんを偲ぶことば
 杉さんと出会ったのは「坊主バー」でした。
 私と出身県が同じ。そして、釜ヶ崎で日雇労働者をやっているということで、不思議に親近感を覚えた私は、一目で彼にひきつけられました。
 牛乳瓶の底みたいな度のつよいメガネと仙人というのか、怪しげなアゴ髭が印象的な自称、チベット人。

 ある日、杉さんがあの独特の甲高いかすれたくぐもった声で
「俺、キャッツ・アンド・ドッグスやりたいねん」といいました。私が、
「なに?その、キャッツ・アンド・ドッグスって」
 と聞くと、杉さんは
「犬や猫の散歩を、飼い主に代わってやる仕事やねん」
 と。
 杉さんには社会で働くより、動物たちの世話をするほうがよっぽどお似合いやと思わず膝を打ちつつも、戦略が足らんなあと思いました。

 「ぼく、思うところあって店辞めようと考えてるねん。三代目マスターはしばらく杉さんがやったらどう?」と誘いました。
 バーのお客さんを通じて、将来、動物の飼い主も紹介してもらえる、とふんだのです。

 オーナーの清さんからは、
 「お前、店つぶす気か」と言われましたが、私は本気でした。
 この飲み屋に集まってくる、一風変わったお客さんに、杉さんはぜったい受け入れられる。そして、晴れてめでたくお勤めを果たしたあとは犬や猫の世話をして余生を過ごしてもらおう、、、
 
 東京でしばらく勉強と仕事に勤しんだ私は6年ぶりに大阪に戻ってきました。しかしマスターを辞めた杉さんの変貌ぶりに驚きました。
 すっかりアルコール依存になってしまっていたのです。オヤジさんを、肝臓の病気で亡くしたこともあって、40歳を過ぎて飲みだしたものの、そんなに酒に強くなかった杉さんは、バーでいちばん嫌がられるタイプのお客となってました。そして、あの動物散歩代行業の話もどこへやらか飛んでしまって。
 
 「俺、釜で寺やりたいねん」 
 初代マスター吉田くんらの前で杉さんはそういいました。そこで初代「坊主バー」のマスターは、彼の再出発のはなむけにと袈裟のセットをプレゼントしました。

 それから幾年かが経ち、釜でじぶんと同じ労働者のためのお寺をつくりたいという夢を語っていた杉さんは、亡くなりました。

 彼の書き遺したノートには「自分はオヤジが死んだ年を一つ越えた。もう充分生きたから」という意味のことが記されてありました。 

 私は、釜の労働者の葬式は、杉さんがやる仕事だと思っていました。彼の葬式が、まさかいちばん先になるとは。

 けれど、死ぬちょうど一年前、杉さんと夜の阿倍野墓地へ涼みに行ったことがあります。 それは、そろそろあっちの世界への旅支度をしようと漠然と心に決めていたのでしょう。墓地にはすでに何人かホームレスのおっちゃんたちがすやすやと寝入っていました。

 杉さんの遺した宿題を、じぶんが引き継いでやらないといけないことになり、そのたいへんさに戸惑うばかりの現在ですが、杉さんがくれたありがたいご縁だと思って受け止めています。杉さんほんまにありがとう。

児玉源光(中野坊主バーマスター)

2011-06-14 10:59:05 | メッセージ
 「本日の法要に是非とも参加させていただきたかったのですが、急な都合で行けなくなってしまったこと、残念に思います。

 東京中野に、亡き杉原氏の意思を受け継ぐ坊主バーを開店して、早いもので、この4月でもう七年もの歳月が経ちました。

 この間、再開発絡みの強制移転や、リーマンショック等による売上減少、3.11東北大震災以降の来客数激減等、様々な多難に見舞われながらも、どうにか持ち堪えておられるのも、阿弥陀のはからいと、店頭に鎮座する貴兄の形見の地蔵菩薩のおかげと、常日頃感謝しています。

 いみじくも今年は、かの親鸞ご聖人の750回忌の大法要の年です。

 貴兄もきっと、お浄土で、時々はご聖人と一献汲み交わされて楽しんでおられることでしょう。

 世界に類例を見ない、未曾有の原発人災事故に遭遇した今日、国家と人間の関係をあらためて考え直す上で、貴兄の尊敬してやまなかった私ども真宗の先輩高木顕明の遺した航跡は、まだまだ有意義かと考える次第です。

 これからも、あたたかく私どもを、お浄土から見守って下さい。

 南無阿弥陀仏。

 児玉 源光 合掌九拝

辻岡秀幸

2011-06-14 10:54:01 | メッセージ
 残念ながら今回参加することができませんでしたが、横浜から気持ちだけ伝えさせていただきます。

 わたしが坊主バーに通いだした頃は、まさに杉原さんがマスターとしてしきっておられるころでした。20代の普通のサラリーマンだった私は、杉原さんに、そして、そこに集まってくるお客さんたちにいろいろを影響を受けました。毎回お店にいくのがたいへん楽しかったのを覚えています。坂町にあったあの場所の印象も強烈だったのですが、人も個性的な方が多くて..。精神的にかなり成長させていただいた時期だったかと思います。

 もう七回忌なんですね。本当に早いものです。気づいたら自分がもう42歳になっていました。サラリーマン生活に疲れを感じた時、この世に生きている自分はつまらない生き方をしていないか?ふと自分の人生を見直す瞬間があります。

 ご冥福をお祈りいたします。