<走ることで・・・>(私の七段合格の秘訣①)
その2や3で話したように、病気や怪我をきっかけにして走るようになりました。初めは下半身の強化のつもりでしたが、それ以外に丹田も強化できるようになった気がします。そして、体で喜べるというか、体で「生きている幸せ」というものを実感(頭もスッキリする感じ)することができるようになりました。剣道に関しては、体が今までより前にでるようになり、これは「打ち切り」に繋がりました。さらに、私の中では「丹田で構える」ことができるようになった要因でもあると思っています。
<七段合格を運命づけた体験~気の剣道~>(私の七段合格の秘訣②)
「11月の七段審査には間に合いますよ。」というお医者さんの言葉でしたが、稽古ができるようになったのは、予定より何日も遅く(歳のせいか?)8月に入ってからでした。それでも先生に掛れる状態ではなく、生徒とやるのがやっとという感じでした。気持ちは焦るばかりでした。
7月の玉竜旗から帰ってきてすぐ、今年は旭川にて、近畿大学附属高校(顧問高本幹夫先生。大阪体育大学出身で作道正夫先生の一番弟子。私にとって心から畏敬する先生)と旭川大学高校(顧問北本武先生。北海高校出身。一回り下ですが、尊敬する教え子)との合同合宿を行いました。指導講師は高本先生、稽古内容は、基本とその基本を忠実にしたやや実践的なものでした。いわゆる「正しい剣道」です。技はほとんど「出ばな技」です。
これくらいなら誰でも教えることができそうですが、高本先生の素晴らしいのは「気迫」(気)の剣道です。もうこれは言葉で説明はできません。打つ前の気の充実、そして打ち込む一本一本の「発声」がすごい。まさしくこれを充実した気勢というのであろう。そして、「打ち切り」。魂で打っているという感じです。最後に「残心」。気持ちが全く切れない。私は、その高本先生の生徒へお見せになるその魂のご指導に、鳥肌が立つほど感動しました。と同時に、先生から素晴らしい良い「気」を頂いたような気がしました。いや、先生の気が自分の体の中に入ってくるのがわかりました。
高本先生から頂いたこの「気」を失くしてはいけない、絶対失くしたくないと思い、学校に帰っても高本先生になった気持ちで「打ち切る」稽古しました。また、生徒達の中にも高本先生の気を大事にして稽古しているものがいました。私は、嬉しくなり、私も生徒も有難い体験をしたな。「高本先生、本当に有難うございます」と大阪の方に向いて心の中で何度も何度も感謝の意を述べました。
この体験は、私の七段審査だけでなく、自分の生涯の剣道の方向性までもを決めて下さったように思っています。
<構えを変える>(私の七段合格の秘訣③)
8月中旬、夏休みが終わり学校での稽古が再開しました。もちろん、気の充実した剣道は続きます。(しかし、先生にはまだ掛れる状態ではない。)
そんな時、ある剣道の本を読んでいて、構えの左拳(握り方を含めて)について書いてあるのを読んだ時、「もしかしてそうかな」と感じることがありました。内容は誰もが知っていることだと思いますが、「親指をやや内側に入れるような感じで下げる。小指・薬指はゆるめない」ということ。「なんだそんなことか」と言われると思いますが、これが私にとって今まで指導されていたことと謎めいていたことが一遍に解けました。
いままで注意を受けていたのは、「左肩が上がっている」(佐藤真吾先生より)ということ。数年前より佐藤先生から言われていたのですが、他の先生からは全くこんな注意を受けたことがなかったので、疑問に思っていただけ(素直でなかったと今になって反省)でした。もう一つの謎めいていたことは、「丹田を左拳に乗せる」という佐藤実善先生のアドバイスです。この言葉を聴いたのは3年ほど前でしたが、「なにそれ?」という感じで全くイメージがつかめませんでした。しかし、先程の「親指をやや内側に入れるような感じで下げる。小指・薬指はゆるめない」という感じで構えてみると、この二つの悩みがが解け始めたのです。頭だけでなく体でも。そういえば数十年前に千葉の勝浦研修に行ったとき、岡憲次郎先生が「左手を思いっきり下げて構えなさい」と私たち研修生に指導されていたことを思い出しました。 こういうことだったんだ。私はいままで臍前ばかりを気にしていたし、それが正しいと生徒にもそう教えていた。
こうして構えるといままで以上に丹田に気が溜まる感じになりました。また、左脇が締まるようになりました。これがすべてではないかもしれないが、今の自分にはこの構えがしっくりくるのでこれで稽古し続けてみようと決めました。
さらに、足幅を今までよりもっと狭くしました。これも、気の充実、バランス、体全体で攻めるなどに繋がったと思います。
<出ばな面>(私の七段合格の秘訣④)
大先生に掛れるようになったのはなんと9月。はじめは3日の月例稽古会でした。不安いっぱいで掛りました。でも、夏に教えて頂いた気迫と工夫した構えを意識しながら、相手が打つ前の「う」いやできるだけ「う」の「 `」のところ(兆し)を打つ(出ばな面)ということだけに集中して掛りました。
大先生に出す技は出ばな面だけでした。というのも実は、右肘がまだ完治しておらず、返し胴や得意だったすりあげ面が痛くて打てなかったのです。
しかし、出ばな面に集中することは、今まで「待ちの剣道」(自分ではそんなつもりはなかったのですが、八段の先生から「待ってる」と言われていました。)と言われていた私の剣道を変えるきっかけとなりました。 また、ラッキーかな走りこみや構えの工夫をしてきたお蔭で、「気の充実」や「攻め」、「打ち切り」(捨て切り)といったことが少しずつですができるように、いや、自分ではわからないのですが先生方や周りの剣友の方々から言われるようになっていきました。
<石火の機>(私の七段合格の秘訣⑤)
ある時、出ばな面を打つことについて、私にとって凄いイメージができる言葉に出会いました。その言葉は「石火の機」です。この言葉は沢庵禅師の『不動智心妙録』にあります。私は大学時代にこの本を読んだことがあったので、言葉だけは知っていました。剣道をされないある禅者の人の「石火の機」の解説を読んで、「これだ!」とひらめいたかのように私の心に響きました。私はこの言葉を知ってから、稽古前だけでなく、稽古以外の日常生活のときも「石火の機」「石火の機」と心の中でつぶやきながら出ばな面のイメージを持ち続けました。この言葉はお蔭で「溜め」や「気攻め」がついたような気がしました。