先日の『ニンゲン観察モニタリング』では、竹内涼真くんと60秒間会って何かするという企画があった。ある一人の少年は、竹内くんへの手紙を涙を流しながら読んでいた。内容は、以前顔を合わせたときの竹内くんの対応に対する感謝である。少年は、「憧れ」の竹内くんに、彼自身の思いを伝えることができたわけである。それは、素直によかった。
しかし、少年の未来を思うとき、多少憂えざるを得ない。人が人に憧れの感情をもつとき、それは、「憧れ」という単一の感情ではなく、「恋愛感情」というものとの混ざったものかもしれない。少年の場合は、(仮面ライダーの頃からのファンということもあるし、現在の年齢も考え合わせると)憧れの面が大きいのだろう。現在のわが国では、特に男性が男性に憧れをもっていても、それをかくさねばならない風潮になっている。そのことに気づいたとき、少年は、その気持ちを心にしまうときが来るだろう。なぜなら、わが国には、まだまだ強いゲイ嫌悪が存在し、嘲笑や迫害の対象になるからだ。わたしは、大阪梅田での、竹内涼真くんの写真展での現場の女性スタッフの半笑いの接客(説明)にそれをひしひしと感じた。もしも、竹内くんが、一般に女性受けするようなタイプでなく、高倉健さんのような男性にも(性的な意味を込めることなく)かっこいいと言わしめるような方だったら、また違った社会の認識があり、対応になっていたのかもしれないが。(竹内くんが男性受けしない、という意味ではない。高倉健さんが女性受けしない、という意味でももちろんない。念のため)
とにかく、少年には、早く気づいて欲しい。まだ、同性愛的発言が本当の意味では受け入れられない、ということを。