経営支援情報

企業の利益創出支援および持続経営戦略

第39回 権限は誰でも無限にある

2006-08-30 10:00:09 | Weblog
『先生、確かに述べられているように責任を取れる社員、取った社員は一人もいません。権限ばかり要求して、権限を与えてもキチンとやりません。どうしたらよいですか』
 
 第35回で“責任”について書いたら、数人の方からメールや電話をいただいた。
その多くは経営者の知人ばかりで、内容は上記のようなものである。
責任を説明するなら、その対語である“権限”を明確にしておかねばならない。

 責任と権限は表裏一体の言葉である。
責任を取らせたいのであれば、権限を与えねばならない。
権限を与えるのであれば、その結果に対する責任の取らせ方を明確にしておく必要がある。

 まず、権限の定義をはっきりしておこう。
この権限は、“権利の限界”の短縮語である。
従って、権限とは“自分が自由に出来る範囲とその限界”のことである。

 職場の中で考えると、権限は誰でも無限にある。

 1.床のゴミを拾う
 2.ムダな電気を消す
 3.水道の水の流しっぱなしを止める
 4.誰かが困っていたら、“手伝いましょうか?”と声をかける
 5.上司や会社に役立つ情報を収集して、上司や会社に提供する
 6.会社の周りの雑草を刈る
 7.窓ガラスの汚れを拭く
 8.新聞の折込みチラシで裏が白いものをメモ紙として利用する
 9.自分の机の回りをいつもきれいにする
10.朝夕のあいさつを元気に明るくする
11.後輩や部下の指導をする
12.職場の改善をする

 これらはごくごく当たり前のようなことであるが、これらはすべて権限である。
これらのことを上司からいちいち注意されているとしたら、それは命令となり、義務となり、苦痛となる。

 しかし、これらはすべて自由に出来ることであり、実行できないことは、権限を放棄していることと同じである。
こんなにたくさんの権限が与えられているのに、放棄することは本当にもったない
ことをしていると言える。

 権限と言う言葉を使うと、そのイメージが先行し、お金をいくらまで自由に使えるか、人事権はあるか、などと“大きな権限”を思う人が多いが、明文化されていなくても、誰でもたくさんの権限が与えられている。

 『あの人は、良く気がつく人だ』と言われる人は、自分が自由に出来ることは、どんどんは実行している人である。
一口で言ってしまえば“積極性”“行動力”がある人ということになるが、これらがどんどん積み重なっていくと、さらに大きな権限が与えられることになり、地位が与えられることになる。
『良く気がつく人』には、いろいろなことを安心して任せられる。

●社長さんへ・・
 会社の周りの雑草一本、むしれない人物を専務や部長にしていませんか?

さあ、“良く気がつく人間”になって、大きな権限を勝ち取ろう!

 中村英勝(keiei@keisou.com 携帯090-8626-0536)




 

 

第38回 発想力はだれでも無限。しかし創造力は・・。

2006-08-26 19:27:23 | Weblog
 ここに“つまようじ”がある。
食後に歯の掃除をするものだ。
ここで、問題。
あなたは、5分間で、このつまようじの“用途や使いみち”をいくつ挙げられるか?ヨーイ ドン!
5分間きっちり書いてから、下の文をお読み下さい。
  1.
  2.
  3.
  4.
  5.
  ・
  ・
  ・


 5つ以下・・・頭が良い人。記憶力があるひと。まじめな人。
 6~10・・・ごく普通に人。平凡な人。
11~15・・・少し、へそ曲がりのひと。でも面白くひょうきんな人。
16以上・・・・アイデアマン。おっちょこちょい。風変わりな人。

 上記の質問で、
『歯の掃除をする』と書かなかった人。発想力が非常に低い人。
『歯の掃除をする』と書いた人。普通の人。
『上の歯の奥から一番目の歯の掃除、、2番目の歯の掃除・・と書き、
 下の歯の奥から一番目、2番目・・・』全部書いた人。ノーベル賞をもらえるよ うな人。

爪の掃除も同じで、“爪の掃除”とだけ書いた人は普通の人。
両手両足の爪の掃除20箇所をすべて書いた人はノーベル賞的な人。

“つまようじ”は、先がとがっているが、その“先”ばかりを考えて、何か“物を刺す”ことをたくさん書いた人は、普通の人。

つまようじがたくさんあることを考えて、“家を建てる”“焚き火にする”“家具を作る”などその組み合わせ的なことや“刺す”以外のことを書いた人は、視野が広く、仕事が出来る人。

 と言ってしまえば、誰でも発想力は無限にあることが理解できたと思う。
それでも“書く”という抵抗の壁すら打ち破れない人も多い。
“馬鹿馬鹿しくて書けない”“恥ずかしくって書けない”とか。

 創造力教室では、入門テストとして、必ずこれを行っているが、今までの最高者は5分間で53項目。この中には、“便秘の時に肛門に入れてかき回す”というものもある。

 人の発想を聞けば、なあ~んだと言うことになり、それなら自分の出来るということになる。
つまり、人間の潜在的発想能力は、性別、学歴、年齢などに関係なくほとんど平等に備わっているものだ。

 しかし、それを知るまでは(聴くまでは)、自己の経験や知識に縛られて、それが言えない、書けないのだ。
経験と知識は貴重であるが、それが大きな障害となって、新しいことへの抵抗となっているのだ。

 抵抗の壁を破るのは、
馬鹿馬鹿しいことへの挑戦である。
笑われたくないという羞恥心の打破である。
自分を他の人に良く見せたいと言う虚栄の排除である。
自分の経験、知識からくる固定観念を放棄する勇気である。

 これらが出来ると発想から創造へと繋がる。

 発想は誰も無限にある。しかし、創造へ繋げる人は少ない。
多くは発想だけで終わっている。
さあ、無限の発想を創造へ繋げよう。

 繋げることは、書いてみる、作ってみる、声に出して叫んでみる、誰かに言ってみる、そこへ行って見る。
つまり、見える形にすることであり、行動を起こすことだ。

 
 《みじかい人生は、時間の浪費によって一層みじかくなる》・・サミエル
 《我々はわずかの時を所有している。
  そして、多くの時を失っている》・・セネカ

 人生一度。仕事は厳しく、人生は楽しくがんばりましょう。

 中村英勝(keiei@keisou.com 携帯090-8626-0536



 







 
 


第37回 地球は異常事態!?

2006-08-25 20:27:26 | Weblog
 『切れる子供が多くなりましたね。大人でもすぐ切れる人が出てきた。物騒な世  の中になってきましたね』

 『これは食事にも大きな問題があるんですよ。特に朝食をしっかりとらない子供  に多いですね。やはり、食育は大切ですね』

 『本当に子供も大人も我慢が出来ない人間が増えてきましたね。これはテレビや  漫画などの影響も大きいと思いますね』

 『最近の異常な犯罪を見ていますと、その人の職業や、あるいは地域に関係な   く、どうしてこんな職業の人が事件を起こすのか、いままでずっと何事もなか  った静かな町で、なぜ、こんな大事件がおこるのか、想像すら出来ないことが  多いですね』

 『親の子供に対する虐待は、後を絶ちませんね。自分が生んだ子を平気で殺す  なんて、ちょっと考えられませんね』

 『そう言えば、最も辛い犯罪は、警察官の事件ですね。取り締まるべき人、防犯  をする人がやるんですから。学校の先生にも言えますね。教え子とメール交換  し、わいせつ行為をしたり・・・』

 『弁護士もそうです。預かったお金を自分のふところに入れてしまうのもいるん  ですから、誰に相談に行けば分からない時代になってきましたね』

 『大企業でも片方では、コンプライアンスと言いながら、片方では欠陥商品を平  気で販売し続け、問題が発生しても無責任な発言ばかり。弁解しようがなくな  ってから、いっせいにペコりと頭を下げて“すみません”じゃ、被害者はたま  りませんね』

 『世界では、数千年前からのうらみつらみがいまだに続き、戦争やテロは一向に  終わる気配はありませんね。やはり、宗教戦争は根が深いんですね。また、厳  しい貧困の国も多く、毎年、飢餓で死んでいる人が数百万人にもいるんですか  ら』

 これらの意見は、NHKはじめ民放のある番組で、時々、その識者たちが語っている言葉である。

 21世紀が始まるとき、識者や政治家たちの多くが、21世紀は“心の時代”とか“世界融合の時代”とか、“物欲時代から人間回帰の時代”と叫んでいた。
しかし、現実はどうだろうか。逆行していないか。

 “この地上に
  生きとし生けるものは
  なによりもまず
  その生を愛さなければならない”(ドストエフスキー)

 残る人生20年?
 この域には到底到達できないが、近づこうと言う気持ちだけは持ち続けたい   が・・。
  
  中村英勝 keiei@keisou.com 携帯090-8626-0536
 


 
  

第36回 高校生は野球部員だけが悪いことをするのか!?

2006-08-24 13:55:16 | Weblog
『佑ちゃ~ん、佑ちゃ~ん』
甲子園野球の熱闘が終わった。
3連覇を目指す駒大苫小牧高と、初優勝を狙う『佑ちゃん』の早稲田実業高の引き分け、再試合は歴史に深く刻まれるであろう。

 その余韻はまだまだ続き、スポーツ紙、テレビでは相変わらず賑やかに取り上げられている。
デパートでは、『佑ちゃん』の“青いハンカチ”が並び、飛ぶように売れている。

 野球好きの私も一番興奮した甲子園野球だった。
男の子ばかり、3人持つ私は、この中で一人ぐらいは、甲子園に行くぐらいの野球少年になることを期待したが・・・。

 しかし、いつも高校野球になると、春の大会、夏の大会に関わらず、どこかの高校野球部で不祥事が起こり、出場停止がある。
駒大苫小牧高も春の選抜は辞退している。
野球部員の不祥事だけでなく、監督や部長が問題を起こした場合も、同じような
“お仕置き”を受けている。

 つまり、“連帯責任”だ。
いつも思うことであるが、連帯責任は正しい処置だろうか?
監督や部長らの悪事は、それは成人であるので、その当人と、道義的責任者として、その上司が負えばいいではないか。

 野球部員の不始末は、未成年であり、その親とその担当教師だけが負えばいいのではないか。
小学生時代から、高校野球、甲子園を目指してきた少年らが、“ちょっとした若者の失敗?”で、その大会に出られないということは、例えようのない悲惨な気持ちになるのではなかろうか。

 もっとも悲惨で、一生を棒に振る若者は、その不祥事を起こした少年であろう。
『自分のために、チームが試合に出られなかった』という十字架を背負って、一生、生き続けるのではないか。

 チームとの付き合いもなくなり、仲間はずれにされ、一生、苦しんで生きていくのではなかろうか。
あまりにも高校野球を美意識に仕上げた功罪はないのか。その美しいところだけを取り上げ、またそれだけを求めるのは、甲子園野球を独占的に放映しているNHK、朝日、毎日の両巨大新聞社の演出ではないか。

 高校スポーツは野球だけではない。
テニス、バスケット、柔道、水泳、バレー、ゴルフ、サッカー、弓道、バトミントン・・・まだまだたくさんある。

 野球部員以外の者は、喫煙も暴力も酒の飲食もなにもしないのだろうか。
こういう問題を起こしているのは野球部員だけだろうか。
なぜ、野球だけ取り上げて他は無視続けるのか。

 同じ高校でありながら、野球と“その他のスポーツ”の取り上げ方にこれほどの差をつけていいのか。
NHKは公共といいながら、公平平等をどの程度意識しているのか。
2大新聞社も同じである。

 新聞社の手旗を配りまくり、その“知名度アップ”に限りない努力をしているが、報道機関としての公平さ、バランス性は認識しているのだろうか。

 毎年、春の選抜、夏の大会を楽しみにしている一人ではあるが、その華やかな陰で苦しみ、涙を流している少年、メジャーではないスポーツに汗を流している少年らにもっともっと光を当てて貰いたい。

 連帯責任は、本当に正しい処置なのか。
関係者は、その責任の原因を作ってしまった幼い少年が、どのような気持ちでその後の人生を送っているのか、考えたことがあるのだろうか。

 華やかさの陰で、前途有望な少年らが傷ついていることを決して忘れてはならない。
 
  企業改善支援から社員教育と
   企業と企業のパートナー作り支援
   企業と人材との出会い作り支援
 
  中村英勝(株式会社 経営総合 代表取締役)
  keiei@keisou.com 携帯090-8626-0536








第35回 従業員の中には責任を果たしている者は一人もいない!?

2006-08-19 22:08:40 | Weblog
社長『お前の責任だ!責任をとれ!責任を!』

中村『はい。分かりました。責任をとって、きちんとします』

   数日後。

社長『中村、例の問題はどのような処置をしたか』

中村『はい。土曜日と日曜日に、休日出勤して処置しました。』
    
   数日後。

社長『中村、給与明細を見ると、休出手当てが支給されているが・・。これは?』

中村『・・・??』

 職場ではいつも、何かの問題が発生しているものだ。
すべてが思うとおりには行かないし、綿密な計画を立てたつもりでも、それが確実に進むとは限らない。

 問題が起き、上司に注意、叱責されると、多くは、
 『誠にすみません。』と平謝りするか、
 『今後、2度と起こさないように、○○に注意して行います。』
と多少、あいまいな決意でも述べて、その場を逃れようとする。

 そして、腹の片隅では、
 『権限は何も与えないで、責任ばかり取らされる』
とぶつぶつ愚痴をこぼす。

 では、責任とは何か?責任を取るということはどんなことか?
職場の中で、使われる会話の単語の中で、この言葉は無意識と思われるが、かなり多く使われている。
ちょっとしたことでも、“私の責任じゃない”とか、“お前の責任だろ。お前がちゃんとしろよ”とか・・・。

 その意味を訊ねると、
 『自分の仕事をまっとうすることです。』
とか、
 『義務をキチンと果たすことです。』
と答える者がほとんどである。
では、“まっとう出来なかったらどうするか?”、“果たせなかったらどうするか?”と切り返すと、『・・?????』である。

 責任とは、
金で制裁が加えられること(加えること)である!
冒頭の休出手当ては、厳密に言えば貰うべきものではない!
貰えば責任を果たしことにはならない!

 貴方は本当に責任を果たしていますか?
売上計画数字が命令され、それを承諾したが、結果としてその数字が達成しなかった時、貴方は、その差額を自己資金で補っていますか?
おそらく、『すみません。来月頑張ります。』と言うのがほとんどではないか。

 会社では、特別な法的問題以外の責任は、厳密には負わせていない。
つまり、従業員は、自己の問題に対して、だれも“責任は負っていない”のだ。
負っているのは、経営者だけなのだ。

 だから、経営者は、
 『責任は負わなくてもよい。(どうせ、負えないのだから)。
  しかし、責任“感”だけは持て、持って欲しい!』
と願っているのだ。

 経営者が従業員に望む期待
 【第1位 責任感の強い社員】

●責任感が持てるような職場作りはもっと重要だが・・・。

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  中村英勝(株式会社 経営総合 代表取締役)
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