経営支援情報

企業の利益創出支援および持続経営戦略

第86回 一家に一菜一果を!

2007-08-29 14:53:03 | Weblog
 8月24日に発表された農水省の来年度の予算概算要求には、自給率向上の関連事項が並んでいる。
日本の食料自給率は危険水域に入っていると訴えている。
この問題はずっと以前より危惧されていたことであり、それが現実味を帯びてきたといってもよい。

環境問題も想像を超える深刻さを増しているが、食料事情もそれに劣らず衝撃的な問題になりつつある。
自給率を45%に引き上げる目標は、本来の計画で行けば平成10年に達成する予定だったが・・・。それが達成できないままズルズルと時が進み、ついに昨年度の自給率は39%になった。つまり40%を割ったのだ。

平成15年には食料・農業・農村基本法が最終改正され、それに基いて、国も県も市町村も躍起になって頑張っているが、その重要性や深刻さは一般国民、市民にはまだまだ浸透していないと思われる。
米の消費をどんどん減っている。米を食べよう!腹いっぱい!

日本では空気と水と食べ物は、ただ当然!?何の心配もいらないと思っている人々が多くはないか。
空気はともかくとしても、水だって“農業が守っている!”
そこでささやかな提案だが、あちこちで盛んな花いっぱい、樹木いっぱい運動も大いに結構であるが、一家に一菜一果の運動はどうか。

小さな空き地でも、家の中でも、ベランダでも一つの野菜、一つの果物の木があってもいいではないか。都心ではベランダ栽培が趣味と実益を兼ねて、盛んに?なっているが、食料問題の解決には焼け石に水。

国民的なレベルで、空き地、遊休地にどんどん野菜や果樹を植え込めないか。
自然保護など河川の美化運動、植林運動も大いに結構。しかし、それに増して食料増産運動が重要では?

花より団子。中村英勝。

追記:中国、インドでも食料需要はうなぎのぼり。
   いずれ近いうちに、食料輸入がストップするのでは?


第85回 NHKよ娯楽番組より経済・生活番組に力を入れよ

2007-08-27 10:44:51 | Weblog
 NHKは相変わらず民放と競い合っている点がある。
民放が出来ること、民放が進めていることからは完全に手を引き、国民生活の基本的な課題について特化すべきである。

 NHKはなんでもかんでもちょこちょこと手を出し、それぞれそれにかける時間も深さも中途半端である。
この姿勢は50年前と殆んど変っていない。
今や、食糧問題、環境問題、防衛問題、少子化問題、高齢者問題、教育問題、年金問題、政治問題、上げたらキリがない。

食糧問題にしても、朝から晩までそのニュースや対策の番組を流しっぱなしでも、そのボリュームはいっぱいある。
これほど食糧問題がひっ迫しているのに、そのニュースもちょっこと流すくらい。それも誰も見ない深夜など。
食糧問題にたいして、国民が総動員するくらいまで意識を高める番組を作って欲しい。農村、農業、食糧問題の真実をくまなく知り、国民に知らしめて欲しい。

環境問題も同じである。
確かに国内外の自然環境や保護活動の状況や問題提起の番組を流しているが、それも問題の大きさからすれば微々たる時間である。

国民の意識を高揚させるには、極端に言えば、昼夜連続して報道するくらいの問題である。日中の温度がいくらになった、というたわいないニュースより、その根底を深くえぐり、その問題が国民に広く、深く浸透するぐらいに続けることだ。

他の生活問題も同じである。
時々、お情け程度に、いろいろな社会問題を報道し、その改善を喚起しているが、それは形式的であり、新聞のチョイ記事程度であり、深い熱意や行動意識は感じられない。

確かにメジャーで活躍するイチローや松井の様子も知りたいがこれなど民放が自由に手軽に出来ることである。
むしろ、民放がもっと演出力もあり楽しく見せてくれると思う。
こういう時間があれば、日米の問題や課題について、両国民融和の番組を作ってはどうか。

バラエティー番組など、歴史性、教育性、文化性のない、ただのお笑い、歌番組、クイズ番組は即刻止めてもらいたいものだ。
これらの感性、企画力はNHKは民放の足元にも及ばない。

こういう時間があれば、日本の企業の根底を支える中小企業の問題、課題をあらゆる角度から捉えて、毎日のように流して貰いたいものだ。
時々、これもちょこっと取り上げているが、国民レベルまで認識させ、多くの中小企業を奮い立たせる程の量でもなく、インパクトもない。

NHKさん。
あなた達の影響力はやはり大きいのだ。
スポーツ、バラエティ番組など民放が出来るものからは手を引き、国土の安定、国民の生活安定に特化した番組にさらにさらに傾注していただきたい。

             中村英勝



第84回 リスクマネジメントって人生そのもの

2007-08-26 20:35:23 | Weblog
 かなり以前より、リスクマネジメントと題して、話をしてくれと頼まれることが多くなった。
どうしてか?と聞くと、どこかの講演で聞いたとか、本で見かけたとか。さも、経営の重要な課題のような思い込みで、聞かれることがある。

確かにあちこちのコンサルタント会社や証券会社、銀行筋まで、この言葉を商品化し、「リスクマネジメント、リスクマネジメント」と少し騒ぎする嫌いがある。
カタカナに弱い人が多過ぎることをいいこと?に、さも新しい経営手法のように大げさにとりてている嫌いがある。

リスクコントロールと称して、マネジメントとの違いを無理に決めつけて、売り出している経営コンサルタント会社もいくつかある。

「リスク」とは、元々の語源は“明日の糧”(アラビア語)であり、これを組織管理の用語として、最初に使ったのは米軍の危機管理からであるが、日本人はこの種のカタカナ用語にあまりにも毒されていないか。

人生そのものがリスクの中で“生かされ”ていると言える。
美味しいものを食べようと遠いところまでいったら事故に遭う事だってある。
しかし、食べたい!

会社経営もしかりである。
自社の力量を顧みずあれこれ手を出すと大やけどする場合もある。
世界の動きを知らないでボンヤリしていると、横取りされることもある。
地震国日本なのに何もその対策をしていないと取り返しがつかなくなることだってある。

しかし、これらはいちいち、リスクマネジメント、リスクコントロールなどと言わないで、まず、理念を確立し、法を遵守した経営戦略をしっかり立てて、会社を支える従業員を幸せにするにはどうしたらよいか、顧客に最高最適の満足を与えるにはどうしたらよいか、の二つだけを真摯に真剣に考えれば、何をすべきか、答えは
明らかでる。
これが分らなければ、全従業員に、全顧客に聞けばよい。

時代がどのように変ろうが、人間の基本的な行動意識は、人間が二足歩行を始めてから不変と思う。
人間の集団活動や組織活動の原理原則は不変である。
この原理原則を分らない国もいくつかあるようだが・・。
しかし、それは決して長く続くとは言えない。

時代の流れに沿って、企業経営の手段はどんどん変ろうが、その目的、目標は不変であり、前に進むには、大股、小股、歩く、走るといろいろあるが、いずれの方法でも前に進むのは変わりない。
ただ、自分の体力に合わせないとつまづいたり、ころんだりする。無理するとあっちこっち痛くなって、医者通いになる。

まず、自分を知る、自社を知ることから始めよう。
自分を知らずして他を知ることは不可能である。
私の親もよく言っていた。『自分の足元を良く見ろ!』と。

            中村英勝










第83回 ぶら下がりとしがみつき

2007-08-01 10:12:48 | Weblog
 民主党が参議院選挙に大勝し、その大きなうねり、大きなざわめき、大きな葛藤が、どのテレビ、新聞とも騒々しく、書きたて、しゃべりたてている。

 その中心は、阿部総理は続投すべきか否か、赤城大臣は辞職すべきか、辞職させるべきか、である。

 一度、安定した、或いは望んだ地位や立場に立つと、人間の多くは、このままずっと“ぶらさがって”いたいというぶら下り屋と、振り落とされたくないという“しがみつき屋”が出てくる。

 大きな失敗をしても、“責任を果たすまで!”と、その正当性を叫ぶ。その仕事が自分しか出来ないとまで言い切るうぬぼれの強い者まで出てくる。
現在の福井日銀総裁が村上ファンドに手を貸して、バッシングにあったが、この時も“職務を全うし、責任を果たしたい”と言って居座った。

 あたかも自分以外は、その職務が果たせないような口ぶりだった。冗談じゃない。今や日本国民はあちこちにたくさんの人材が溢れている。
日銀総裁などはしがみつき屋の典型である。

 その地位や立場を離れなくない一心で、なりふりかまわず、必死になって、あの手この手を使ってでも、しがみついている。

 ぶら下がり屋は多くの企業ではたくさん見られる。あきらかにぶら下がっている高位職の人物を見てきた。

 このタイプは、ただ、長くその会社にいた者に多く、自分では政策も指針も打ち出せなくて、ただ、トップのいうままに、完全なイエスマンで、あっちふらふら、ここっちふらふら、蓑虫みたいにただ、揺れ動いているタイプである。
もちろん部下の信用もない。幹部にこういう人物がいると会社も終わりである。
かと言って、トップもしがらみがあり、切り落とせない。

 ぶら下がり屋、しがみつき屋が多いと、それを支えている国民の税金はいくらあっても持たない。

 企業でもそれが重荷なって、動きが取れなくなり、経営が成り立たない。
あなたの会社には、ぶら下がり屋、しがみつき屋はいないか?
あなた自身はどっち?
           
          keiei@keisou.com 中村英勝

 


第82回 領収証はコピーする?(赤城大臣の領収書問題)

2007-07-31 11:36:01 | Weblog
 領収証とは、金銭を領収したしるしとして、支払者に渡す書面。
その目的は、
 ①領収証に書かれた商品・サービスの価値を判断する。
 ②領収証を持って、第3者にそれと同額を請求する。
 ③事業の実質経費の証拠して、納税の資料とする。

どんな時にコピーするか。
 ①証拠して第3者(役所など)から、コピー依頼があり提出する場合。
 ②遠方ですぐに送れない場合は、ファックス(これもコピー)で送信する場合。

 赤城大臣の場合、同じ事業所内で、違った帳簿に同じ領収書が添付、記載されていたのであり、これは到底、考えられないことである。
民間企業であれば、各事業部署が同じ領収証をコピーし合って、それぞれの経費として計上し、脱税していたことと同じである。
これを『事務上のミス』と言えるか。

ミスとは、ウッカリミス、ボンヤリミス、ケアレスミスがあり、赤城大臣の弁明はミスではない。“手の込んだミス”をミスとは言わない。
これは明らかに作戦として、綿密に仕込まれた作業である。 

記者の連中も、もう少し勉強して、的確な質問、指摘をして貰いたいものだ。

 弊社の経理部長は、領収証にはうるさい。責任感が強い。
私にでも領収書が出ていない、領収書が出ていない、と詰め寄ってくる。
自販機でたくさん飲料水を買って、“接待”に使っても領収書はない。
みんな自腹だ。
何でもかんでも経費、経費と言って、領収書をいちいち貰うのが面倒くさい私はいつも“叱れている”。

政治家よ。自分の飲み食いぐらいは、自腹でやってはどうか。
そうすりゃ、松岡大臣だって、自殺までしなくても良かったのではないか。

  keiei@keisou.com 中村英勝
  
       



 



第81回 お約束だから・・(参議院選挙に負けた総理の言葉)

2007-07-31 11:03:14 | Weblog
 参議院選挙が終わった。
民主党の大勝。自民党の惨敗。
記者『総理、このような大差でも総理は継続されるのですか』とキツイ質問。
総理『改革をすると国民に“約束”していますので、引き続いて政権を継続します』
この回答はおかしくはないか。

 “約束”とは相手があってのことだが、相手が『そんな約束はいいよ』と言ったら、約束もなにもない思うのだが・・・。
契約書と同じで、契約していても相手が不履行であれば、それは藻屑である。
総理の言葉は不思議だ。

 国民が自民党さん、もういいよ。総理、もういいよ、と言ったことと同じだと思うのだが。
もし、国民が、総理がやろうとしている改革を期待し、望んでいると思うのであれば、衆議院を解散して、その真偽を問うべきである。しかも、堂々と。

 真に国民のための改革を望むのであれば(他党でも同じだが)、衆議院で勝負に出て、それに勝ってから、改めて、その改革を堂々と進めればよいではないか。
改革の内容、使命に自信があり、それに燃えているのであれば、衆議院の解散をし、それを強く訴えればよい。

 仮に参議院は、政権は担当できない、という論理でしがみついているのであれば、国民を愚弄していることと同じであり、選挙民をないがしろにしていることと同じではないか。

 わたしも今まで、社員に、妻に、家族にたくさんの“約束”をしてきた。
しかし、そのいくつが果たせただろうか。
相手が愛想をつかして、“そんな約束なんかいらない”と言ったら、それでおしまい。

 keiei@keisou.com 中村英勝

  

第80回 他利は自利(たりはじり)

2007-07-27 20:02:52 | Weblog
 第16回では、同じタイトルで、長崎の名歯科医のことを書いたが、ここでは、お年寄りが集まるカラオケハウスの話題を取り上げたい。

“他利は自利なり”とは、その漢字が現すように、他への利益ばかりに腐心すれば、いずれその行為は自分への利益となって戻ってくる、ということである。
少々、打算的と言えば言えなくもない。また、ギブアンドテイクとも似ている。

簡単に言えば、『良いことを続ければ、きっと良いことがあるよ』とよく親が聞かせてくれた言葉と同じようなものだも言える。
しかし、出来そうでできない。続けられそうで続けられない難問でもある。

 私も年寄りの仲間にどっぷりと入っている人間であり、時々、好きなカラオケハウスに出かけるが、この仲間の一人に、非常にお世話が好きな72歳のMさんがいる。どんな世話好きかと言えば、カラオケ大会の仕掛けである。


 40年間、最大手の楽器メーカーで、楽器作りをされていた方であり、高位職に就いていた人でもある。ご自分でもいろんな楽器を自由に“操る”人でもある。
それより、いろいろな人に声をかけ、マイナーの地域のプロ歌手を呼んできては、アマチュアと一緒に歌うパーティを企画実施している。
しかも、報酬は一切なし。
地域からメジャーな歌手が出ることを夢見てい人である。

 単にボランティア、自分の趣味、時間がある人がやることだ、金がある人がやることだ、と言ってしまえばおしまいだが、この企画や準備は楽なことではない。
人集めが大変である。

 マイナーで地域の歌手と言ってもプロである。金もかかり、そう簡単には呼べない。それも一人や二人ではない。多いときは7人まで呼んできた。

Mさんに聞いたことがある。
どうして、ここまで力を入れるんですか?と普通の質問。
すると、
『これが私の長生きの秘訣です』と。

『他利は長生きの要』・・か。keiei@keisou.com 中村英勝

 




第79回 メールの宛名書きはシッカリ書こう

2007-07-26 20:47:34 | Weblog
 郵便を辞書で引くと、国内・外国へ送達する通信制度とある。
英語ではmailまたはpostとある。
日本語にするとその代表的な言葉は手紙とハガキになる。
手紙の場合は、郵便に頼らず、宅配もあり、直接、手渡す場合もあるので、その定義はややこしくなる。

 わたしはどちらかと言えば、ハガキ党でもある。
新しい出会いがあり、名刺を交換すると、2、3日の内に、ハガキを出すように心がけている。

 これは何も、最近?ポピュラーなハガキ運動とか、絵ハガキ運動ではなく、私の場合は、その人を忘れないために、“書く”作業をしていると言ってもよい。
まあ、ボケ防止、いや認知症防止に近い。

 従来は、ハガキを出してもその返事が書面(手紙かハガキ)でくるのは、5%程度で、20枚出して1件か2件だったが、最近ではその返事がメールで来る場合が多くなった。『おハガキをいただきありがとうございました』と。

 すると、またこちらから、
『わざわざ、ハガキのお礼など結構ですよ』と、メールで返信する。
当然、手紙やハガキよりはるかに便利である。

 さて、このメールであるが、宛先が明記されていないメールほど始末に困る。
いきなり、本文から始まっているものも多い。
誰からきたものか、それを特定するのに時間を要するものもある。
一瞬、消そうと思ってよく見ると、大事な関係先のメールだったりする。

 メールもキチンとした手紙、ハガキを書くように、面倒でも送信先の社名、職位、氏名は正しく書くべきである。
個人的な私信のやり取りは自由自在でよいが、会社対会社の場合は、最低限のあいさつ言葉、礼儀言葉は欲しい。

 現在では、メール通信のない会社はないと思うが、メール文の書き方の講習をすべきの会社も多いような気がするが。
      
       keiei@keisou.com 中村英勝


 



第78回 ああ~、ナンバー2不在

2007-07-24 14:25:49 | Weblog
 ある商工会の依頼で、トップ経営者とナンバー2の合同研修を行った。
この研修の背景を言えば、トップがナンバー2に直接、強く言えないことを私にしゃべらせようとしたことでもあると思う。
私自身がそのように仕掛けた面もあるが・・。

 そこで、研修の本題に入る前に、『ナンバー2チェックシート』を用いて、トップによる自社のナンバー2の評価を行い、ナンバー2も同じ用紙を用いて、自己評価を行った。

 それによると、いずれの企業でもほぼ同じような結果が出るが、トップの評価が60点ぐらいとすると、ナンバー2の自己評価は、85点~90点となる。
トップの採点が辛いのか、ナンバー2が自画自賛しているのかはわからないが、下部の者は、“しっかりやっている!”と思っているが、上から言えば“いまいちだ!”と思っているのだろう。

 この傾向はトップとナンバー2の間だけでなく、各階層間でも見られることである。私のサラリーマン時代でも経験済みである。
上司は部下へ大きな期待を抱くであろうし、部下は一生懸命やっている、と思っているということである。

 企業の使命は、いろいろな表現や切り口があるが、端的に言えば、収益性の向上と、永続性の維持と言えるが、私の経験からすれば、難しいのは永続性である。
目先の収益性だけなら、あの手この手のマーケティング戦略で、何とかなるが、それを長く維持していくのは楽なことではない。
だから、中小企業は30年で、約70%の企業が消えている。

 そして、永続性維持の要は、ナンバー2の存在である。
永続的に繁栄している企業の多くは、説明するまでもなく、ナンバー2の発掘、育成に腐心していると言ってもよい。

 日本を代表するような大手スーパーが破綻したのは、ナンバー2はおろか、それに続く幹部らの養成をほとんどしてこなかったから、と言っても過言ではない。
創業者の目の黒いうち、自分が動き回われるうちは、経営を誰にも渡したくないという表れと言ってもよいと思う。

 私はこういう経営者を、いけいけドンドン型、うぬぼれ自慢型、企業財産私物型などと呼んでいる。
こういう経営は、親方日の丸の企業でない限り、殆んどが一代、つまり30年前後で消えている。大企業であれば、税金を使ってでも救済してくれるが、中小企業は“はい、それまでよ”である。

 ナンバー2は、若い時から目星をつけ、時間をかけ、こつこつ育てるか、金を使ってでも他から引き抜いてくるかして、確実な人物を確保しなければならない。
後継者は何も経営後継者だけでない。各部門においても後継者は育てていかねばならない。ただ、トップの側にいて、“はい、はい”だけがナンバー2の仕事ではない。

 また、ナンバー2の基本条件は、いくつか挙げられるが“グローバルな勉強好き”“トータル的なコミュニケーション能力”が重要である。
多くの企業のナンバー2は、特定の職務、経験や知識に秀でた者が多いようだ。

 そういう人物は、ナンバー2にするのではなく、むしろ、その豊富な知識や経験を活かして、収益性”の向上のためにだけ使うべきである。

 ナンバー2は、トップの陰にいながらも、忍耐強く、内には闘志を燃やし、人作りに熱心で、トップより、遠い将来を見ることが出来る、そして人間性が豊かな者がふさわしい。

 トップになる人物とナンバー2に必要な能力は違う。
両者の能力を兼ね備えている人物も見受けられないことはないがその数は極めて少ない。神は人に2物を与えない、である。

 つまり、現有のトップには失礼であるが、ナンバー2はトップ以上に“優秀”でなければならない。“馬鹿”では務まらない。
経営の行く末に困っている企業は、新聞で“ナンバー2大募集”と訴えてでも確保すべきだろ。
そのくらいしないと、本物のナンバー2を手に入れることは出来ないのではないか。

最近、静岡の従業員43人の某社が倒産した。
社長がなくなって20日後のことである。

 keiei@keisou.com 中村英勝


 




 





第77回 台風が来て、また地震!

2007-07-17 20:16:57 | Weblog
 今年も大型の台風が吹き荒れ、また、地震までやってきた。
台風や地震の被害に遭われた方々には、心から同情するのみである。
台風は年中行事であり、地震にしても、いつ、大型の地震が来てもおかしくないと学者らは叫び、警鐘を鳴らしている。

 これらの予防策として、行政ではいろいろな工夫がされてきているが、それでも毎年、どこかで崖崩れがあり、増水がある。
その度に、膨大な?な税金がつぎ込まれ、修復が繰り返されている。
まさにいたちごっこである。

 そこで、危険箇所には、元々、人が住めないように出来ないかと考えてみた。
被害があってから、その修復に金をかけるより、その金で引越し費用を国が負担出来ないかと。安全なところへの“疎開支援”は出来ないものかと。

 永年、住み慣れたところを簡単に引っ越すのは、非常に辛いものに違いないが、
命には代えられないのではないか。
安全インフラの整備費用と、引越し支援費用の差がどのくらいかは想像も出来ないが、自然災害で命をなくすことほど悲しいことではないだろうか。

 企業ではリスクマネジメントと称して、あれこれ予防策を講じているが、国民の
リスク支援は手ぬるいような気がするが。いかが。

  keiei@keisou.com 中村英勝