Kei's Page

 
 世の中のニュースへの意見や、サムライの仕事はどういうものかなど、自分の興味あるものについて書いてるよん。

 さあ、どっちが悪い?、

2018-04-14 | Weblog

 最近あったニュースから。

 俺、普段は世の中のニュースをネットでもそう見ることはないんだけど、たまたまテレビで見たニュースを、その後ネットであがってたのも見てみた。
 ネットではコメントなどもあっていろんな人のいろんな興味深い意見が載ってた。

 ・・そのニュースとは、
 「男の子が店などから飛び出して道路に走り出したところ、結構なスピードで向かってきた、青年であろう男性が乗ってた自転車と衝突した。
 それでその青年はそのまま走り去り、男の子はぶつかった脚を骨折してた」、
 というもの。

 俺がそのニュースをテレビで見た時は、「この子供の飛び出しはあかんやろ」というのが第一印象でもあった。
 防犯カメラの画像がニュースで流れてて、その状況、瞬間がよくわかるものだった。
 しかし、こんなん、いきなり前に出てこられたら誰だって避けようがなかろう、と。

 ところが、ネットで他の人の意見(コメント)を見たら、なるほど、と思える節もあった。

 まず、「ぶつかったことそのもの」について。

 たとえば、
 「自転車はそもそも車道を走るべき」、
 「歩行者も歩いてるようなとこでは自転車は徐行すべきなのに、子供が飛ばされるくらいのスピードで走ってきてた自転車がダメ」、
 「子供は飛び出すもの」、
 「子供は悪くない」、
 というような内容のコメントも多かった。

 道路交通法などの条文まで引用してその主張の根拠を書いてる人もいたし、「自転車が100%悪い」派という人も案外多かった。

 ま、それも俺の感覚で“案外”と思うんだろうし、そういう主張の人は「明らかに自転車が悪いんだから、自転車を擁護するやつが間違ってる」と言うだろう。
 それもわかる。

 でも、俺としては、「運が悪かった」とするしかないとこもあるかと思う。
 だって、普段みんながみんなその「法律」を守って自転車に乗ってるわけでもなかろうから。

 当然、あんなムチャなスピードでこいできた青年も落ち度はある。
 でも、「ぶつかったことそのもの」は、その状況では徐行してようとありえたことでもある。
 そのケガが擦り傷ですんだか骨折したか、その程度は別にして、「ぶつかってしまうこと」そのものは起こりうるんではないか、と。

 「だから自転車は車道を走るべき」ってことなんだろうけど、俺が「運が悪かった」と思うのは、たまたまこんな不運な事故が起きたからそこを指摘されるわけで、普段そんなことを厳密に守って自転車に乗ってる人がどれだけいるか、ってことでもある。
 赤信号で渡る、一旦停止もしない、耳にイヤホンして、あるいはスマホ見ながら、って自転車に乗ってるそんな輩は俺の身近にもいる。
 自転車が車道を走るにも、右側通行で来るか、左側通行で走るか、とか。
 もう日常のチャリンコ通行はムチャクチャなもんでもある。
 それでも、「不運な事故が起きてから」問題になり、普段はそんなことおかまいなしで自転車に乗ってる人も多い。

 となると、その青年については、「そんなこともあるから、周りに配慮したスピードで自転車に乗るべき」、さらには「だから自転車は車道を走るようにと決められてる」とも言えるし、子供については、「歩道でも飛び出したら他の歩行者やベビーカーにでもぶつかることはあるし、車道に飛び出してたら骨折ではすまんよ」とも言える、と俺は思う。

 そこで、「子供は飛び出すもの」、「歩道で飛び出したんたから車道のことは関係ない」、とかって反論もあろうけど、いずれにしても、どこであってもそんな「飛び出しが危ない」という感覚や意識がないとどんな場所でも起こりうるし、それで痛いメにあってたら元も子もない。
 そこを子供に求めるのがムチャだ、という意見もあろう。

 しかし、さらにそこで、「子供をそう教育してない親が悪い」、「痛いメにあって懲りただろう、無謀な飛び出しをして骨折ですんでまだよかった」という意見もあった。

 仮に、そんな子供の飛び出しで、子供がお年寄りにぶつかったら、とか、ベビーカーにぶつかって赤ちゃんにケガさせたら、と、その「子供の飛び出しそのもの」で、子供が加害者になりうることにもなるわけで。
 それが場所によっては、当然その子供自身が骨折ではすまんことにもなることもある。

 それは仮の話で今回の自転車の事故とは関係ないかもしれんけど、「子供の飛び出しそのもの」については、それくらい「子供は飛び出して当たり前」って割り切れることでもない、ということでもあろうかと俺は思う。

 今回のケースで、そんな事故を防ぐべく、基本となるルールがあり、それを根本から守ってない自転車側が悪い、という言い分もわかる。
 確かにそうだ。

 だがしかし、世の中で自転車がこんだけ多く走ってて歩道も整備が完璧でもないなか、そして平気で子供も走り回ってるなか、こういうことは起こりうるわけで、こんな不運な事故を自分から避けられる意識があるべき、という結論にならざるをえんことも現実的にはあるんではないか、と。
 自分が自転車の側でも歩行者の側でも。
 それでも巻き込まれてしまうこともあろうし、特に今回のケースではその場所のその瞬間の青年と子供の両方に原因があることでもあろうかと俺は思う。

 自転車もまだゆっくり走るべきでもあろうし、歩行者も(子供であっても)飛び出すこともすべきではなかろう、と。

 法律やルールの建前は、「こうならないように」あるもんでもある。
 それを守ってないんだから自転車の側が責められて当然、という言い分もわかる。
 まずそこかもしれん。

 それでも俺個人としては、その意見が大前提でもありそれを批判するものではないし、「まずはそこ」かもしれんけど、どうもそれだけで落ち着いてその意見に賛同できない違和感もあったりする。

 「自転車が悪い」と主張する人らは、自分が常に道路交通法とやらを守ってクルマでも自転車でも乗ってるのか、不運にもこんな事故にあったら、その自分が言う主張のように自分自身で割り切れて自分に非があると素直に思えるのか、そこも聞いてみたくもある。
 「あー、俺、スピードは出してなかったし前もちゃんと見てたけど、子供がこんないきおいで飛び出してぶつかってくるなんて、運が悪かったなあ」と思うことはないんだろうか。

 でも、法律を守ってたってそういうことは起こりうるし、巻き込まれるのが公道や日常でのリスク。
 状況や環境に合わないスピードを出してたりよそ見してたりは論外としても、そんなリスクがあるからみんな保険にも入ってるわけで。
 そう主張してる人らが、「自分は法を犯して走ることはない」っていうのが前提なら、常に相手が100%悪い、ってことだろう、それなら自分が保険に入る必要もなかろうし。

 ま、それは極論ではありはするけど、そこまで法律の条文を出してきてまでそう主張するなら、そういうことだとも言えそうでもある。
 今回のケースは確かに青年には6割方でも非はあろう。
 いや、7割以上は非があるかもしれん。
 それでも、その「ぶつかったことそのもの」については、俺は100%その青年が悪いとは言い切れないとこもあろうかと思う。

 ・・しかし、その次の「自転車の青年が、脚を痛めた子供を看護せず走り去ったこと」については、こりゃ、青年はちゃんと対応すべきだったろう、と思う。
 せめて自転車から降りるなり周りの親を探すなり、なんかしらの対応ができたんではなかろうかと。

 青年から一言かけたような防犯カメラの映像もテレビで流れてたけど、それでもまだ立ち上がれない子供を置いてそのまま走り去るのはよくない。
 それは言えると思う。

 んー、青年も子供も、そのタイミングで、その場所で、そうなったことで何を思うか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿