2009/11/21(土)に開催された北九州市小倉北区の城野遺跡の現地説明会のスナップその3。
縄文時代の落とし穴と弥生時代の食料貯蔵穴。縄文時代には獣の通り道で
狩場だった場所が稲作の導入で集落が作られ、食料の生産能力が増したせいで
貯蔵も可能になったというのが窺えます。住居についてはその4で。
一枚目。縄文時代の落とし穴。当時は槍なんかが刺さっていて、獣が乗るとズブッ
年代の古い穴には白いマークが
食料を貯蔵する穴が手前の小さいものなのか、下の大きいものかは聞き忘れた。
小さいのは白くマーキングしてないから多分違いますね
裏返った皿状のものは皿ではなくて土器を作る際の器台と聞いたような
縄文時代の落とし穴に皮を剥ぐための黒曜石の石器が。
乳白色という独特の色をした黒曜石から大分県姫島のものらしい
皮を剥ぐ道具としては石匙(せきひ)というものがあるらしい
一メートル以上掘り下げているので、落とし穴にしろ、こういう食料貯蔵穴にしろ
結構深い。パンフには想像図も出ていたので探してみましょう
配布されたパンフレットから
縄文時代の落とし穴と弥生時代の食料貯蔵穴。縄文時代には獣の通り道で
狩場だった場所が稲作の導入で集落が作られ、食料の生産能力が増したせいで
貯蔵も可能になったというのが窺えます。住居についてはその4で。
一枚目。縄文時代の落とし穴。当時は槍なんかが刺さっていて、獣が乗るとズブッ
年代の古い穴には白いマークが
食料を貯蔵する穴が手前の小さいものなのか、下の大きいものかは聞き忘れた。
小さいのは白くマーキングしてないから多分違いますね
裏返った皿状のものは皿ではなくて土器を作る際の器台と聞いたような
縄文時代の落とし穴に皮を剥ぐための黒曜石の石器が。
乳白色という独特の色をした黒曜石から大分県姫島のものらしい
皮を剥ぐ道具としては石匙(せきひ)というものがあるらしい
一メートル以上掘り下げているので、落とし穴にしろ、こういう食料貯蔵穴にしろ
結構深い。パンフには想像図も出ていたので探してみましょう
配布されたパンフレットから