昔から語り継がれる都市伝説的なお話
寝る前に調べていて面白いなと思ったので、少し'神隠し'について書いてみたいと思います
*勝手に書いているので、ゴシップでも読んでいる感覚で、「ふーん」って感じで軽く流し読みでお願いします
●神隠しとは?
一般的に語られる神隠しは、昔人がいなくなりどんなに探しても出てこないので神様が異空間に連れ去ったのだろう、と考えたのです。
日本では、縄文時代以前から神や霊魂の存在が信じられており、行方不明者の多くは「神域」に消えたと考えられていました。
特に山や森、岩などには霊魂が宿っており、神域と現世を分ける存在とみなされていたため、そこに誤って足を踏み入れてしまった場合行方不明になってしまうとされていました。そのような理由から、原因不明の行方不明者の多くは神域に足を踏み入れたせいだとされていたのだそうです
●現在の失踪者は?
日本では平成30年中に行方不明届けが出されたのは8万7962人でした(警察庁調べ)。こんなに大勢が、と驚くかもしれませんが、実際には半数以上が当日、または2-3日中に戻ってきていて、全体の86.1%は解決しています。そして死亡確認されたものが4.5%、残りの9.4%、7971人の所在はまだ確認できていないのです。
誰かがいなくなった際には「行方不明」「失踪」などという言葉を使うようになったからです。もはや隠れた原因に神様を使うことはなくなり「誘拐」や「連れ去り」などと考えられるようになり、動画などの分析で今までは見つけることができなかった犯人も割り出されるようになったのです。
しかしながら、8000人弱の人の所在が分からわないということも事実であります。
★現代の神隠しと呼ばれる事件
1998年5月赤城神社主婦失踪事件
聞いた事がある方もいるのではないでしょうか
1998年5月のゴールデンウイーク中のこと。千葉県に暮らしていた主婦の志塚法子(当時48歳)さんは、夫、義理の母、叔父、叔母、娘、孫の7人で参拝のため神社を訪れていた。ちょうどその頃、神社へと続く参道はツツジの名所としても知られていて、ゴールデンウイーク中ということもあり、多くの人で賑わっていた。
しかし、その日の天気は雨。そのため、神社への参拝は叔父と夫だけが行くことになり、法子さんら5人は車の中で待機していた。だが、しばらくすると法子さんも参拝に行くと言いだし、賽銭代の101円だけを持って、2人の後を追うように神社の方へと向かった。法子さんが車を出た直後、娘が子どもをあやすために車外に出たが、その時、法子さんの姿を目撃。法子さんは参道へと向かわず、駐車場から神社へと続く林道の中で佇んでいたという。
この娘による目撃を最後に法子さんは忽然と姿を消し、そのまま家族の元へは戻って来ていない。家族は付近を捜したが見つけることはできず、すぐに警察に通報。地元の消防団も含めた大規模な捜索が10日間にわたって行われたが、法子さんは現在も見つかっておらず、いまだに真相は分からないままである。
しかし、その日の天気は雨。そのため、神社への参拝は叔父と夫だけが行くことになり、法子さんら5人は車の中で待機していた。だが、しばらくすると法子さんも参拝に行くと言いだし、賽銭代の101円だけを持って、2人の後を追うように神社の方へと向かった。法子さんが車を出た直後、娘が子どもをあやすために車外に出たが、その時、法子さんの姿を目撃。法子さんは参道へと向かわず、駐車場から神社へと続く林道の中で佇んでいたという。
この娘による目撃を最後に法子さんは忽然と姿を消し、そのまま家族の元へは戻って来ていない。家族は付近を捜したが見つけることはできず、すぐに警察に通報。地元の消防団も含めた大規模な捜索が10日間にわたって行われたが、法子さんは現在も見つかっておらず、いまだに真相は分からないままである。
*赤城神社
標高1828メートルの赤城山は群馬県を代表する名峰で、ゆるやかに広がる山裾が印象的である。その中腹に三夜沢赤城神社はある。創建は平安時代で、平将門の乱(939~940年)を鎮圧した藤原秀郷も参拝したことで知られ、そのことにより多くの武将たちに崇拝されてきた神社でもある。
事件が起きた場所が場所だけに、神隠しと言われても仕方ないかもしれません
私としては、事件直前に賽銭に101円という部分が引っかかります。
賽銭として良いとされるのは、100円である。
101円は、これまでとの決別、物事の始まりを意味するそうです。
●''神隠し"を昔の時代背景から考察してみます
*神隠しにあう人には、特徴があったようです。
それは、精神的に不安定な人なのだとか。子供や産後の女性など、精神的に不安定な人の心には天狗や鬼などが介入しやすく、神隠しに遭いやすいとされていたのだそうです。
また、昔の日本では失踪事件の捜査のための情報が少なかったため、神隠しだとするしかないことが多かったようです。
そのほかにも殺人や、貧しくて子供を養えない家族が子供を間引きした場合なども神隠しとしていたようです。
昔の生活といえば、今の生活水準よりもかなり低かったはずです。
「働かざる者食うべからず」という言葉があります。
貧しい生活をおくる人達には、働かないまたは働けない人を養うのはかなりの負担になったはずです。
情報も少ない時代ということもあり、失踪に見せかけてみたり、間引いてみたり、駆け落ちなどで長期間居なくなることを'神隠し'という言葉で折り合いをつけていたんじゃないかと私は考えています
★ちょっとだけおまけ
沖縄には独特な神隠し伝説があるので紹介します
沖縄県では、神隠しを「物隠し」とも呼んでいました。物隠しに遭った者はなぜか自分の櫛を持って帰ろうと一度戻ってきて、櫛を手に入れたら再び出ていって帰ってこなくなってしまうと考えられていたのです。
そのため、物隠しに遭った人の家族はいなくなってしまった本人の櫛を隠して、盗られないようにするのだそうです。
*私自身の考えを書いたので間違っても信用しないように