父カズオの介護川柳日記

視覚障害者2級・要介護度5の父カズオが、介護される立場から日々の想いを介護川柳日記に綴ります。

介護川柳日記を始めるにあたって

2008-12-01 11:14:38 | はじめに
父カズオが、ある日突然川柳を作ると言い始めました。以下、本人の弁です。


『緑内障が悪化し急激に視力と視覚を失い、歩くこともできなくなり、身体障害者になりました。昨年、愛する妻も亡くし、年齢も80になろうとしている今、生きる希望をなくしました。

しかし、家族や知り合いの方々は、「何を言ってるんだ。まだ希望を持って生きなくちゃいけない。」とは言うけれど、私には生きる気力も希望も湧いてこない毎日が続いていました。

そんな時、何か明日に向かって考えることがないものかと思っていましたら、ラジオの声の中に、その時の世相を詩にしている「川柳」を聴きました。

そこで、自分の身の周りのことから、一日一句「川柳」を作ってみようと思い付きました。何でもいいから考えていくこと、それも明日に向かって生きる希望になるのではないかと思ったわけです。

できるかどうか分かりませんが、一日一句詠い続けてみようと思います。「頑張るぞ!」と、何かしら新しい力が湧いて来ました。生きる気力を失い掛けていましたが、何かに向かって挑戦することが生きる活力になるんだと思います。

「人生は挑戦である」それが私のモットーです。

まずは365日続けることを目標にします。そして次は1000日。その区切りが来たら本を出すことを目標に頑張ります!』


そのようなわけで、長男の私が父の作った川柳を父に成り代わり公開させてもらおうと思います。どうぞよろしくお願いします。ボケ予防になってくれるといいのですが。。


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2 コメント

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Unknown (まほ)
2009-03-28 18:35:19
過去記事とともに読ませていただきました。
このお気持ち、すごくわかります。
わたしも10年前に大病し、奇跡的に助かったものの、手足の筋肉をなくし、
ナースコールさえおせませんでした。
2年半の入院を経て退院。
わたしにも春が来てくれました。

なにも楽しみなどない日が一年近く続きました。
文字を書こうと思いたって現在があります。
読めないひらがなが形になっていくのはささやかな喜びで、
生きがいにもなりました。
ひらがなが書けるようになったことで当時の詩が残せました。

人生は挑戦である…ほんとうにおっしゃる通りです。
是非ぜひ続けてくださいね。
ありがとうございました。
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Unknown (カズオ)
2009-04-01 23:21:40
ナースコールも押せないとは・・・お気持ちお察しいたします。
私も、日を追うごとに視覚と視力が失われて行く辛さを体験しました。
でも、そのお陰で息子夫婦が世話をしてくれるようになり感謝しています。
まほさんのメッセージに力強さを感じます。これからもまた頑張れそうです。ありがとう!
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