あるクリスチャンの独り言

聖書 信仰について色々思ったことを書いていきますね
初心者にもわかりやすく書いていきたいのだが・・・

ルカ5:12から

2013-12-04 16:57:32 | 日記
それでみんなが職を捨ててイエスについて行ったのですが
5章12節
イエスがある町におられた時、全身重い皮膚病にかかった人がそこにいた。イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。

 ここでは聞くこと神様と関係を持つ事は大切になると思います。黙っていたら何も起こらないからね~
信仰とは関係を持つこと男女もそうでしょう?関係と言っても色々あるからね~単に目を合わせるというのも関係だね。
いろいろな関係があるんだよね。イエスとの関係も(笑)
ここでは聞くこと、きよめていただけるのですか?と

イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病がただちに去ってしまった
14節
イエスは、だれにも話さないようにと彼に言い聞かせ、「ただ行って自分のからだを祭司に見せ、それからあなたのきよめのため、モーセが命じたとおりのささげ物をして、人々に証明しなさい」とお命じになった
15節
しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た
14、15節
人々に証明しなさいと言いながらしかしと否定してるでしょう。このあたりがクリスチャンですがなんかおかしいんだよね(笑)
証明しなさいというのなら広まって当たり前なんだけど・・・・?????まあ信仰の核になるのは癒される言葉を探す事、キリストを信じられることなんだけど?????信じられないよね。だから細かく読む必要はないんだよ。矛盾した箇所はたくさんあるから(笑)
例えば創世記の1章と2章での違うんですよね
1章は1植物ー>動物ー>人間2章は男ー>植物ー>動物ー>女)となってるんです。しかしこんなこと書いていたら信仰したい人減ってくるかな~

群衆が集まってきたので人里離れたんだよね。

17節
またここでおかしな文章が入ってきた。なかなか進まないよ~
共同訳ではある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた

この人々は・・・すべての村 エルサレムから来たとなってるんだが本当にそうなの?口語訳ではある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされたとなっていて「すべて」という言葉がないんだよね。どっちが本当なんでしょうね(笑)

今日はここまでかな~(*^-^*)ノ~~マタネー