アルコール依存症になって

20代〜アルコール依存症〜

旦那。ある日の暴れ方

2016-11-22 23:00:54 | アルコール依存症
私は断酒を始めた一方、

旦那は飲んだら暴れる様に…。

ある日私が断酒を始め10日も経たない頃
絡んで来た、朝方までダラダラ飲み私は眠さもありイライラしだし我慢の限界だった

「いい加減にかしてよ」と強めに言うと
旦那が怒鳴りかえしたと思えば次の瞬間
チャンネルが飛んで来た。
私には当たらなかったものの壁には見事大きな穴が空いた。

それでも旦那は怒りが収まらず身の危険を感じ
車に避難しようと思い出て行こうとすると
私に大きな声で「出て行け」と怒鳴りながら
次はトイレの扉に拳で穴を開けた。

車に逃げ震えた。実家に帰ろうかと思ったが
こんな時間に帰ったら心配するだろうと思った

とにかく車を発進しようとすると旦那が外まで出てきて車に炊いてた米をぶつけてきた

怖いのと同時に怒りも込み上げてきた
旦那は外面がよく自分の親にさえいい顔をする

もう私だけでは耐えられない。義父と義母に電話をしよう、家に来てもらおう。非常識な時間かもしれないけど旦那の実家は家まで車で5分もかからない…
旦那の暴れる声と物凄い物音でアパートの住人達が起きたのだろう。

一斉に電気がつき始めた、このままだと警察も呼ぶだろう。迷ってる暇はない、とにかく義両親に電話をしなきゃ…電話をするとやはり寝てるのか出ない。

それでもしつこく鳴らし、数分後電話がかかってきた。眠そうな声で義父がかけ直してきた。
声が震えてあまり話せない、とにかく暴れていると伝えた。すると義父は
「なんで喧嘩したの?酔っ払ってるの?酔っぱらってたら仕方ないよ。酔っ払ってる時に何か言ってもね、直接手が出たとかじゃないでしょ?悪いけどあなたは実家に帰ってて自分たちもお酒飲んでるし飲酒運転になるから様子は見に行けんよ」

義父の言葉を聞いて悔しくなった。
心では喧嘩じゃないし、飲んでるなら歩いて余裕でこれる範囲でしょと。


この息の辛さがお酒を飲めば楽になれるだろう
もう息が辛いのをお酒で楽になれるのを知っているしこうなったらお酒という形で慣れていた

でも「旦那=あいつ」みたいに成り下りたくない
人を傷つける側になりたくない。

実家に逃げ込みなんとか飲酒を抑えた

実家に着いたら着いたでLINEの音がずっと鳴ってる。旦那からのメッセージ。ずっとできる限り違う言葉で酷い言葉が投げかかれてた


失う前に行けたら

2016-11-13 11:16:00 | アルコール依存症
依存症専門病院にいくまでの時間はとても長かった

自分自身が疑い始めてから2年はかかった
2年の間にたくさんいろんなものを失った

心療内科は予約も一カ月待ち診察は10分弱で終わり待合室にはたくさん患者さんがいる

依存症の専門病院は外来患者が少なく入院患者が数人家族などと話をしている

病院にかかる前電話さえ嫌だった
私自身が偏見を抱いてただろうし、私の周りもは
「意志の弱い人がいくところ」正直そんな思いだったろうと思う

実際行ってみたら全然違った
いろんな思いもあったけど結果やっぱり早く行けばよかったと思った


心療内科ならまだ簡単に行けてた

アルコール依存症病院とはまたまた全然違う何か変な「敷居の高さ」がある気がした

簡単に言ってしまうともっと「お手軽感」が
欲しかった。
本人と周りの誤解がなければ
プライドが傷つく事なく行けるような、少なくても体がボロボロになり行くことがないような
流れはなくなるんじゃないかと思った

でもとてもそんなこと難しいだろう
けれどいつかそんな日がくればなと時々思う





考え方

2016-11-04 13:59:40 | アルコール依存症
専門病院に行った事で変わったこといえばお酒への考え方ではなくお酒を飲もうとする原因であった旦那への考え方かもしれない。

私は旦那と喧嘩をするたびに破滅的な飲み方をしていた。
その後で旦那との現状が変わるわけでも分かってもらえることでもなかった。残ったのは
「酒のせいで自分がきつい思いをした」が結果。

「人は変わらない。人を変えようするな。」

このことは分かっていたつもりでも、やっぱりどこか期待してたし分かってくれない旦那が憎いとさえ思った、どうして分かってくれないのだろう。と

病院へ通う事で旦那に対して思うことは

「あなたはそこにいたら。私は這い上がるから。」

そう心に留めとくと、少し楽になれた。