放談室のテーマにはふさわしくないが、突然降りかかった災難に打ち勝つべく、また、同じような境遇にある方に少しでもお役に立てればと、闘病記を書く決意をいたしました。
1.病気発見までの経過と概要
右下部分の入れ歯が歯茎に当たって痛み出した。
2006.6/9 右下,部分入れ歯の下、歯茎の表面に白い斑点状の潰瘍を発見。
7/14 かかりつけの歯科医院で潰瘍部の表面を切除。1週間様子を見るも、
また同じ状態となる。検査のため、某大学付属病院の紹介をもらい
訪問。
8/10 CT scan
8/15 CT scan 異常なし。生体検査のため、歯茎の一部を切り取る。
8/29 悪性腫瘍、癌細胞発見。
2.病院の選択と検査入院
インターネットで口腔癌の内容と手術の実績のある有名病院を探した。本当に
インターネットは有用なツールであることを再認識した。手術実績の多い有名病
院のうち、入院、通院の便利さを考えて2ヶ所選択し、早速、訪問して診察を受
けた。2ヶ所とも、ほぼ、似たような診断であったので、G病院を選択した。
9/12 検査入院(G病院頭頚科)
検査内容;頚部CT(造影剤使用)、肺レントゲン、尿検査、心電図
腹部CT、動脈からの採血、肺機能検査、頭頚部超音波
MRI(造影剤使用)
9/22 MRIの検査結果に基づいて、手術方針が決定された。顎の骨の小規模
な切除ではなく、ほぼ、右側半分を切除するということになった。
9/25 胃、食道の内視鏡検査
3.手術とその後
9/28; 手術(a.m8.30開始 p.m4.30終了)手術自体は、比較的順調に終了。
しかし、ここから私の難行苦行が始まった。集中治療室(ICU)に入る。そうゆ
うこともあるとは、話に聞いていたけれどまさか、自分がこういうことになる
とは、夢にも思はなかった。肺炎(MRSA)であった。気管切開をしたうえに、人
工呼吸器をつけた状態で、ぴくりとも動けない。熱は38度台が続き、痰がひっき
りなしにでるので、看護士さんに吸引してもらう。最初は自分で痰を吐き出す力
がないのと、口がきけないので、すべてナースコールで看護士さんを呼んでやっ
てもらうしかない。30分おき位で深夜も続く。本人も寝られないのだが、看護士
さんも大変な労力がかかる。睡眠が取れないと、体力が弱るので、睡眠薬を毎晩
飲んで寝るのだが、1週間くらいは悪夢にうなされる毎日だった。人工呼吸器の
酸素圧の調整は大変だった。担当のF医師が実に綿密にやってくれて良かった。
担当医師は4名、看護士1名がチームを構成している。M,F,S,K医師とW看護士。そ
れぞれ、素晴らしい人たちで、この場を借りて命を助けていただいたことを感謝
申し上げます。もちろん、そのほかのすべての看護士さんたちも素晴らしかっ
た。感謝の念でいっぱいです。男子の看護士のKさんの看護振りには感動した。
細かなところによく気がつくし、行動が迅速で的確、患者のみになってよくやっ
てくれた。その間、家内はじめ、家族全員に世話になり、心から感謝している。
ICUでの出来事としては、肺炎(MRSA)になったために、左肺に水がたまり呼吸
困難を引き起こしたため、心臓外科の専門医に水を抜いてもらった。肋骨の間か
ら針をさしてチュウブをつないでおくと徐々に水が排泄される。後から考える
と、肺炎になるかならないかで手術後の体力回復に大きな差が生じる。これで1
ヶ月の差がついたと思う。ICUでの治療はすべてこの肺炎の治療に当てられたよ
うに思われる。人工呼吸器のチユウブが右側にセットされていたためと、手術の
後遺症からか、右肩が前に突き出し、右手が側面からはほとんど上に上げられな
くなってしまった。痰は肺の奥から次第に上部へ上がってくる。深部はチュウブ
を差し込んで取りやすいが、気管支の入り口に近くなると人工呼吸器の構造上の
制約から取りにくくなって苦労した。毎日一回体を拭いてもらうために、体を右
や左に動かすたびに、痰が出てきて苦しくなる。痰を排出させるためには必要な
こととされた。人工呼吸器を装着していると、横向きには寝られないために、約
2ヶ月間上向きで寝ていたのも辛かった。
10/14;ベッドの縁に腰掛けて10分、足を下ろして座れた。立って足踏みをした。
10/15;今日は、背もたれ付きの車椅子に座って、30分テレビを見ていることがで
きた。
10/17;肺から水を抜く。呼吸が少し楽になる。熱はまだ、夕方は38度ある。
10/22;MRSAの兆候が消えた。良くぞ生き残った。congratulation !
11/10;心臓外科O医師、気胸のためチュウブを挿入。
11/17;顎と喉部分の抜糸。
11/20;人工呼吸器をはずす。長時間の呪縛から解き放たれた、なんともいえな
い気分。
11/24;尿管を抜く。ICU内で歩行練習。
11/29;ICUを出て、一般病棟に移動。
12/13;鼻チュウブはずす。嚥下テストをうけ、流動食、キザミ食をとり始めて1
週間後に、誤嚥により、むせるようになる。ひどいときは夜中中、むせて咳き込
んでいた。退院したい一心から、嚥下機能がまだ、十分回復してないのに、一生
懸命食べたのが失敗のもとだった。(誤嚥性肺炎を引き起こす。)
12/20;気管口を閉じる。
12/21;夕方から発熱あり。(37.9度)
12/22;誤嚥性肺炎の疑い濃厚となる。
12/26;急遽、再度、気管切開を行い、鼻チュウブを装着される。(折角、ここま
で回復したのに、またかと、暗澹たる気持ちに陥った。今度は、右肺をやられ
た。)
2007/1/10;誤嚥性肺炎が終息する。
今後の対策;嚥下機能回復のためのリハビリとして、のど仏の挙上運動を毎食前
に20-30回行うことを徹底する。機能回復に時間がかかりそうなので、胃ろう手
術を行って、栄養補給を完全にした上で次のステップに進めようということにな
った。
1/13;気管口をペーパーで閉鎖する。(これで鼻から吸い口から吐く、普通の呼
吸に戻ったことになる)
1/14;気管口の閉鎖をペーパーからプラスチック栓に変える。
1/17;消化器外科で胃ろう手術。局部麻酔で、胃の中央よりやや左側に穴を開け、
プラスチックの蓋つきの口を作る。ここから、毎食、400cc(400Kcal)のラコール
と250cc(250Kcal)のエンシュアーリキッドの栄養食を摂る。摂取量は1日約
1800kcal程度に調整する。手術後、正常に栄養食を取れるようになるまで、3日
を要した。
1/23;N医師(S大学)から嚥下指導を受ける。
1/24;今日から、のど仏のこじょう運動を徹底してやることにした。朝、昼、夕
食前に20-30 回行う。
1/31;久しぶりに病院の5階中庭に出て日光を浴びた。軽い散歩と体操。気分よし。
2/19-20;外泊(自宅)
2/20;嚥下テストに合格。(のどのレントゲン写真を撮りながら食物の嚥下状況
を観察して誤嚥の有無を確認する。)
2/21;M医師とW看護士と退院時期とその後の予定及び注意事項に付き相談。
2/27;栄養相談。
3/3;退院。
これからが、癌との共生生活に入ることになるわけであろうが、なにしろ、初めての体験だから体に良いといわれることはできるだけやってみようという姿勢で 前向きに取り組むことにした。これ以降の生活については、追々、公開していきたい。
1.病気発見までの経過と概要
右下部分の入れ歯が歯茎に当たって痛み出した。
2006.6/9 右下,部分入れ歯の下、歯茎の表面に白い斑点状の潰瘍を発見。
7/14 かかりつけの歯科医院で潰瘍部の表面を切除。1週間様子を見るも、
また同じ状態となる。検査のため、某大学付属病院の紹介をもらい
訪問。
8/10 CT scan
8/15 CT scan 異常なし。生体検査のため、歯茎の一部を切り取る。
8/29 悪性腫瘍、癌細胞発見。
2.病院の選択と検査入院
インターネットで口腔癌の内容と手術の実績のある有名病院を探した。本当に
インターネットは有用なツールであることを再認識した。手術実績の多い有名病
院のうち、入院、通院の便利さを考えて2ヶ所選択し、早速、訪問して診察を受
けた。2ヶ所とも、ほぼ、似たような診断であったので、G病院を選択した。
9/12 検査入院(G病院頭頚科)
検査内容;頚部CT(造影剤使用)、肺レントゲン、尿検査、心電図
腹部CT、動脈からの採血、肺機能検査、頭頚部超音波
MRI(造影剤使用)
9/22 MRIの検査結果に基づいて、手術方針が決定された。顎の骨の小規模
な切除ではなく、ほぼ、右側半分を切除するということになった。
9/25 胃、食道の内視鏡検査
3.手術とその後
9/28; 手術(a.m8.30開始 p.m4.30終了)手術自体は、比較的順調に終了。
しかし、ここから私の難行苦行が始まった。集中治療室(ICU)に入る。そうゆ
うこともあるとは、話に聞いていたけれどまさか、自分がこういうことになる
とは、夢にも思はなかった。肺炎(MRSA)であった。気管切開をしたうえに、人
工呼吸器をつけた状態で、ぴくりとも動けない。熱は38度台が続き、痰がひっき
りなしにでるので、看護士さんに吸引してもらう。最初は自分で痰を吐き出す力
がないのと、口がきけないので、すべてナースコールで看護士さんを呼んでやっ
てもらうしかない。30分おき位で深夜も続く。本人も寝られないのだが、看護士
さんも大変な労力がかかる。睡眠が取れないと、体力が弱るので、睡眠薬を毎晩
飲んで寝るのだが、1週間くらいは悪夢にうなされる毎日だった。人工呼吸器の
酸素圧の調整は大変だった。担当のF医師が実に綿密にやってくれて良かった。
担当医師は4名、看護士1名がチームを構成している。M,F,S,K医師とW看護士。そ
れぞれ、素晴らしい人たちで、この場を借りて命を助けていただいたことを感謝
申し上げます。もちろん、そのほかのすべての看護士さんたちも素晴らしかっ
た。感謝の念でいっぱいです。男子の看護士のKさんの看護振りには感動した。
細かなところによく気がつくし、行動が迅速で的確、患者のみになってよくやっ
てくれた。その間、家内はじめ、家族全員に世話になり、心から感謝している。
ICUでの出来事としては、肺炎(MRSA)になったために、左肺に水がたまり呼吸
困難を引き起こしたため、心臓外科の専門医に水を抜いてもらった。肋骨の間か
ら針をさしてチュウブをつないでおくと徐々に水が排泄される。後から考える
と、肺炎になるかならないかで手術後の体力回復に大きな差が生じる。これで1
ヶ月の差がついたと思う。ICUでの治療はすべてこの肺炎の治療に当てられたよ
うに思われる。人工呼吸器のチユウブが右側にセットされていたためと、手術の
後遺症からか、右肩が前に突き出し、右手が側面からはほとんど上に上げられな
くなってしまった。痰は肺の奥から次第に上部へ上がってくる。深部はチュウブ
を差し込んで取りやすいが、気管支の入り口に近くなると人工呼吸器の構造上の
制約から取りにくくなって苦労した。毎日一回体を拭いてもらうために、体を右
や左に動かすたびに、痰が出てきて苦しくなる。痰を排出させるためには必要な
こととされた。人工呼吸器を装着していると、横向きには寝られないために、約
2ヶ月間上向きで寝ていたのも辛かった。
10/14;ベッドの縁に腰掛けて10分、足を下ろして座れた。立って足踏みをした。
10/15;今日は、背もたれ付きの車椅子に座って、30分テレビを見ていることがで
きた。
10/17;肺から水を抜く。呼吸が少し楽になる。熱はまだ、夕方は38度ある。
10/22;MRSAの兆候が消えた。良くぞ生き残った。congratulation !
11/10;心臓外科O医師、気胸のためチュウブを挿入。
11/17;顎と喉部分の抜糸。
11/20;人工呼吸器をはずす。長時間の呪縛から解き放たれた、なんともいえな
い気分。
11/24;尿管を抜く。ICU内で歩行練習。
11/29;ICUを出て、一般病棟に移動。
12/13;鼻チュウブはずす。嚥下テストをうけ、流動食、キザミ食をとり始めて1
週間後に、誤嚥により、むせるようになる。ひどいときは夜中中、むせて咳き込
んでいた。退院したい一心から、嚥下機能がまだ、十分回復してないのに、一生
懸命食べたのが失敗のもとだった。(誤嚥性肺炎を引き起こす。)
12/20;気管口を閉じる。
12/21;夕方から発熱あり。(37.9度)
12/22;誤嚥性肺炎の疑い濃厚となる。
12/26;急遽、再度、気管切開を行い、鼻チュウブを装着される。(折角、ここま
で回復したのに、またかと、暗澹たる気持ちに陥った。今度は、右肺をやられ
た。)
2007/1/10;誤嚥性肺炎が終息する。
今後の対策;嚥下機能回復のためのリハビリとして、のど仏の挙上運動を毎食前
に20-30回行うことを徹底する。機能回復に時間がかかりそうなので、胃ろう手
術を行って、栄養補給を完全にした上で次のステップに進めようということにな
った。
1/13;気管口をペーパーで閉鎖する。(これで鼻から吸い口から吐く、普通の呼
吸に戻ったことになる)
1/14;気管口の閉鎖をペーパーからプラスチック栓に変える。
1/17;消化器外科で胃ろう手術。局部麻酔で、胃の中央よりやや左側に穴を開け、
プラスチックの蓋つきの口を作る。ここから、毎食、400cc(400Kcal)のラコール
と250cc(250Kcal)のエンシュアーリキッドの栄養食を摂る。摂取量は1日約
1800kcal程度に調整する。手術後、正常に栄養食を取れるようになるまで、3日
を要した。
1/23;N医師(S大学)から嚥下指導を受ける。
1/24;今日から、のど仏のこじょう運動を徹底してやることにした。朝、昼、夕
食前に20-30 回行う。
1/31;久しぶりに病院の5階中庭に出て日光を浴びた。軽い散歩と体操。気分よし。
2/19-20;外泊(自宅)
2/20;嚥下テストに合格。(のどのレントゲン写真を撮りながら食物の嚥下状況
を観察して誤嚥の有無を確認する。)
2/21;M医師とW看護士と退院時期とその後の予定及び注意事項に付き相談。
2/27;栄養相談。
3/3;退院。
これからが、癌との共生生活に入ることになるわけであろうが、なにしろ、初めての体験だから体に良いといわれることはできるだけやってみようという姿勢で 前向きに取り組むことにした。これ以降の生活については、追々、公開していきたい。