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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第4部・第20章)

2022-09-04 15:13:17 | 日記
第四部 生けるいけにえの完成

第二十章 コンソラータのイエズスとのミサ生活

イエズスの尊いご生涯をミサ聖祭にたとえると、ある意味でご託身(受肉)は入祭文、聖殿に主をささげたもうたことは奉献、ご死去は聖変化にあたるだろう。またイエズスの救世のみわざの協力者で共贖者であられた聖母マリアは、助祭のように、イエズスの生涯ミサ聖祭に絶えず参加されたのである。イエズスは、コンソラータのいけにえとしての生活を「私たちのミサ」と御自ら名づけられた。十字架にくぎづけられた救い主は、今コンソラータを、カルワリオ(ゴルゴタ)へと──すなわち、いけにえの最後の完成へとお招きになったのである。

「私たちのミサ」──絶えず祭壇の上にご自身をささげたもう神の小羊なるイエズスとともに、またイエズスにおいて、本気で神に自己献身し、自分の人格、肉身、霊魂の能力、善業、善徳をすべて、天の御父にささげ、ホスチアがミサ聖祭の時イエズスに変化するように、自分もだんだんホスチアに変わったら、自分のすべてはキリストの御いけにえと一致して、ある意味でイエズスとともにひとつのミサとなる。

コンソラータは信仰の事実であるこのことを、単なる美しい考えだとは全然考えず、とうといこの事実を、ほんとうに生きたのである。司祭が奉献の時、ぶどう酒に一滴の水を加えると、この水がすぐぶどう酒になり、のちにイエズスに変化するように、コンソラータは、自分も生き生きしたこの一滴の水となってイエズスに変化することをあこがれていた。

〈コンソラータのミサ生活の入祭文〉

一九三四年のはじめからイエズスはコンソラータに、いけにえになるようたびたび要求された。二月コンソラータは天の御父がお与えになるすべての苦しみを甘んじて受けることを誓約した。一九三四年三月三十日聖金曜日に、御父はコンソラータの使命の目的を示された。

─イエズス─「イエズスがなくなり、その使命は全うされた。コンソラータ、今こそあなたが苦しみ、イエズスが尊い御血を流された御跡を踏みながら、カルワリオ(ゴルゴタ)ヘ登る番だ。いけにえの羊になりなさい。」

その年の十月半ばの黙想会の時、イエズスは、現代のユダである裏切り者たちのことを苦しく嘆いて、彼らを救い出すため、コンソラータにいけにえになってくれと頼まれた。イエズスが、ゲッセマニで三時間もだえたのち、霊魂を救うために、自由に、ご自分を敵の手に任せられたように。

─イエズス─「コンソラータ、霊魂を救うため、今自分を私の手に任せ、精神と心とからだの三つの殉難を迎えて、神のおぼしめしによって定められたことを忍びなさい! 今からは十字架にくぎづけられた悲しむ『イエズス』があなたの唯一の道、真理、生命である!」

コンソラータは喜んで承知した。すぐにその新しい道は始まった。その年のクリスマス、コンソラータは、祝日の喜びを少しも味わわず、迫害の国で聖体拝領もできない信者たちのために、自分の命をささげた。

翌年の黙想会までコンソラータはいけにえとなる準備を果たすため努力した。


〈ミサ生活の奉献〉

一九三五年九月十七日黙想会の朝、ごミサの時、イエズスは、苦しみに献身することをコンソラータに要求された。

─イエズス─「コンソラータ、すべての霊魂を救うため、私の苦難に参加する霊魂が必要だ。コンソラータ、あなたを私にささげてくれるか?」

「はい、イエズス、すべてのために。」

─イエズス─「コンソラータ、私はあなたを常に私の心の上にのせて大切にし、助けてあげよう。あなたは沈黙のうちに苦しみを忍び、自分を隠して、人々に対していつでもにこにこしなさい。……それからコンソラータ、私のすべての苦しみ、心の奥の奥に隠れている苦悶に至るまですべてをともに苦しもう。」

「はい、イエズス、あなたに信頼いたします。」

─イエズス─「そしてあなたは十字架に上げられ、人々の心を私のほうへひきつけるだろう。あす、九月十八日水曜日、ご聖体拝領後、あなたは自分を苦しみにわたしなさい!それが私の望みである! その時からあなたは私のすべての責め苦、悩み、苦悶をともにするだろう。」

翌朝、ご聖体をいただいたあと、コンソラータは、苦しんでいる愛に献身した。その時イエズスが仰せられた。

「コンソラータ、あなたは決して引き返しはしないだろうね。私に約束したことを取り消さないだろうね!……安心しなさい! 私は自分のすべての善徳をあなたの中へ注ぐだろう。私は自分のすべての苦しみを与えるが、私のすべての愛をもともに!」

イエズスとコンソラータは、お互いにすべてを与え合って、心の神秘的な婚姻を行なった。一九三五年九月二十五日黙想会の最後の日、コンソラータは新たに苦しみへ献身した。その時イエズスが仰せられた。

「コンソラータ、私は血(苦しみ)の新郎である。そして私たちはけさ、血における婚姻を行なう。殉難の苦しみは三つの方面から来るだろう。心と精神とからだ。あなたは将来すべての使徒の慰め手(コンソラータ)となるため、今あらゆる苦痛、悲しみ、辛さの苦にがよもぎざけ蓬酒を飲まねばならない! そしてこれは私とあなただけの秘密だ。カルワリオを登る時、私はたったひとりだった。あなたもひとりで登りなさい。」

コンソラータは偉大なる愛を持ってはいたが、来たるべき苦痛を恐れていた。

「私はあまりに弱いので、自分の弱さを恐れていました。……しかし司祭がご聖体によってイエズスを授けてくださった時、イエズスとともに力がもどってきました。私は煉獄の霊魂と天国の聖人たちに、約束に忠実でありますように助けてくださいと願うと、次の励ましのことばを聞きました。『今まで長年あなたをささえてきてくださった神が、これからもささえてくださるだろう。信頼しなさい。』」

 数日後イエズスはコンソラータに、神秘的なミサ生活について続いて説明された。「コンソラータ、私たちのミサをささげるために、カリス(心の殉難)、茨の冠(精神の殉難)、十字架(からだの殉難)が必要である。」 また、「さあ、コンソラータ、私たちのミサは奉献部まですすんでいる。私があなたをいけにえとして準備してあげよう。だがそのいけにえを私は美しく汚れなく雅量ゆたかな、熱火に燃えているものにしたいのだ。」(一九三五年十月二二日)

その時(一九三五年九~十二月)イエズスは特別強く、コンソラータの霊魂に働らきかけ、絶えざるいけにえの状態にさせようとされた。

〈いけにえとしての生活〉

─イエズス─「来世ではじめて、あなたは、私があなたをいけにえとして召し出した特別の愛と好意を理解するだろう。」(一九三五年九月二四日)

─イエズス─「世界を救うため、いけにえとなる霊魂が非常にほしい。」

 ─イエズス─「私は浄配に飢えかわいている。また、現代のこの瞬間において、浄配よりも、いけにえになる霊魂を要している!」
(一九三五年十月五日)

浄配であるためには、イエズスに対する深い愛が必要だが、いけにえとなるためには十字架上のイエズスと一致することが最も必要である。教会の大司祭であるイエズスは、ご自由にいけにえの霊魂を選んで、ご自分の肉身的ご苦難、あるいは聖心の苦悶に参加させて、目で見える、または見えない聖痕を与え、人々からはずしたり、普通の日常生活の中に隠したりなさるのである。イエズスのご自由な召し出しに対して、霊魂が応じるも応じないも全く自由である。

天の御父は仰せられた。

「あなたは自由である。だが私は、あなたがすべての苦しみを受けることを承知して誓いを立ててくれることを必要としている。あなたの使命は、その誓いをするかしないか
 にかかっているのだ。自分で選びなさい!」


「はい、私はすべての苦しみを受けることを承知する誓いを立てます!」

─イエズス─「今あなたの『誓いを立てます』ということばは天国に記録された。だが恐れなくともよい。イエズスはあなたに対してほんとうに優しく、最後の『すべてはなしとげられた』まで、あらゆることをちゃんと守られるように、責任をもっていてくださる。」

この誓いによってコンソラータは大司祭イエズスの御手のうちに全くはいった。

─イエズス─「……私はあなたの誓いをごミサの時、私の血に浸したので、だれもその誓いを私から奪うことができない。」(一九三五年十月八日)

これよりコンソラータの生活は、常に苦しみの状態にあり、ひとつの苦しみだけではなく、肉身、心、精神の苦しみが同時に、神のおぼしめしのままにコンソラータの上に下ったのである。

─イエズス─「今から一分の休みもなく、苦しいいけにえとして、奉献され、ほふられることが、毎分続く。」(一九三五年十月六日)

イエズスはご自分でコンソラータの道の上に苦しみの種をまいてくださった。

─イエズス─「きょう私は十字架につけられたままであなたのうちに下り、あなたを十字架につける。私は今から無邪気なことですら、あなたが満足をすることを一度も許さない。十字架上の私をごらん。水一滴さえもらわなかった。さあこの新しい道を進みなさい! コンソラータ、今私は十字架につけられたまま、ほんとうにあなたの中で生きるのだ。」(一九三五年十二月二日)

─イエズス─「イエズスが刑吏たちに従順に従ったようにいけにえであるあなたも、死に至るまでただ従順でなければならない! すべてを承知し、常にすべてに従順に従うこと!」(一九三五年九月二二日)

─イエズス─「私があなたに要求する雅量とは、来たるべき苦しみを、毎分毎分、すなおに受けることだ。私が苦難をそのまま受け入れたように、自分がほしい苦しみではなく、私が送る苦しみを、そのまま受けること。」(一九三五年十一月三十日)

─イエズス─「私を愚に至るまで愛するとは、どの苦しみと自分で選ばず、瞬間ごとにどんな苦しみをも、大きな愛をもって受け入れることである。どの苦しみを与えるかはすべて私に任せるように。」(一九三五年十一月十一日)

─イエズス─「あなたが忍ばねばならぬ苦しみを全部知らせたら、突然あなたの心は氷ってしまうだろう。」(一九三五年十月三日)

イエズスは瞬間ごとにその日その瞬間の分の苦しみを送りながら、必要なお助けをもともにお与えになった。

〈いけにえの香りを神のみに〉

─御父─「私は偽にせのいけにえの霊魂ではなく、ほんとうのいけにえの霊魂がほしい。ゲッセマニからカルワリオまで私はイエズスを大切にしただろうか。いな、少しも大切に
 しなかった。あなたも同様に取り扱うだろう。」
(一九三五年十月十八日)  そこでイエズスは、コンソラータが、からだ、精神、心の苦しみについてだれにも絶対的沈黙を守るよう要求なさった。いうまでもなく、コンソラータは修道共同生活に参加しながらも、最後まで、その苦しみを隠し得た。どうしても知られることが必要になった時、イエズスがご自分で、上長のかたがたに気づかせてくださった。

─イエズス─「私は約束する。私の犠牲による恵みは、あなたの犠牲による恵みとともに、あなたの『兄弟たち』のうえのみでなく、全世界のあらゆる霊魂のうえに下るだろう。そして私の愛の国は大勝利をおさめ、私の聖心は、この世のすべてを治めるだろう。」

 ─イエズス─「あなたの苦しみについては、地上でだれも読まぬため、何も書かないでほしい。むしろ私の心を通じて、その香りが天国のみに上るように!」
(一九三五年九月二四日)

コンソラータは、イエズスにならい、同情を求めぬためじょうずに苦しみを隠し、「苦しみなさい。だが沈黙しながら。苦しみを隠しなさい。だが微笑しながら。」という主義をよく守った。

イエズスはその主義を説明して仰せられた。「あなたの霊魂が押しつぶされ、悲しみに沈められるたびごとに、克己して微笑すれば、あなたは私に非常に大きな喜びを与えることを思い出しなさい。」

中途半端なことをしないコンソラータを、すすんで苦しみの絶頂へ導きながら、イエズスは仰せられた。

「からだの苦しみを緩和せず、少しも楽になることを望まず、それを言い表わさず、ゲッセマニから十字架の死去まで全然ホッとすることすらできなかったイエズスのように、すべてを黙々と忍ぶことを約束しますか? そうすれば、私は、あなたが最後まで自分の務めを果たしうる恵みを与えることを約束する!」(一九三五年十二月十二日)

のちに、イエズスはこの約束を、「全然慰めなしに忍ぶ」という誓いとするよう要求された。もちろんイエズスは時々苦しみをいくらか楽にしてくださったが、コンソラータが自分で苦しみの緩和を求めたことは一度もなかった。

〈愛と苦しみのいけにえ〉

愛のいけにえにとって、苦しみは、最高の愛の、最高の表現である。

─イエズス─「コンソラータ、イエズスはあなたをどんなふうに愛したか? 単に『あなたを愛する』とささやくだけだったか、あるいはむしろあなたのために自分をいけにえとしただろうか?……愛と苦しみは互いにより添うものである!」(一九三五年八月六日)

愛の祈りを唱えるだけで十分ではなく、信頼しながらイエズスの犠牲への招きに、ますます忠実に従うことこそ愛を証明する。そして愛がだんだん完全になることによって苦しみは喜びに満ちてくる。「精神ははやれども肉身は弱い」というが、コンソラータがたびたび経験したとおり精神も弱く、ゲッセマニのイエズスのように、苦しみに対して強い嫌悪を感じ、イエズスが泣きたもうたように、たびたび涙にむせぶことをとどめ得なかった。だが高山の頂上が、かすむ雲の上に高く、輝かしい青空へ向かってそびえているように、苦しみの雲に沈められた霊魂の意志も、常に信望愛の輝きの中へ高くその頭をあげていた。

─イエズス─「コンソラータ、苦しみによって、神に自分の愛を証明しうること、また苦しみは罪から霊魂を買いもどす金貨であることを知ったならば、苦しみは地上で最も望ましいことがわかるだろう。」(一九三五年十一月一日)

─イエズス─「あなたに与える苦しみの大きさによって、私はあなたに対する愛の大きさを示すだろう。私はあなたを限りを越えて愛するがために、いけにえとして供えた。なぜなら私は苦しみより以上に貴重な贈り物をあげることができないから。」(一九三五年十月二日)

私たちが苦しみに対して嫌悪を感じないなら、それは苦しみではないだろう。神は私たちの純化と聖化と永遠の栄光のために苦しみをお与えになる。「げに、われわれが受ける短く軽い患難は、はかりがたいほど大きな永遠の光栄を準備するのである。」(2コリント4-17)

─イエズス─「コンソラータ、私はあなたを天国において、うるわしい、限りもなくうるわしい者として見たいのだ。またあなたひとりではなく、他のすべての霊魂をも。だがそこへ達する道はただひとつしかない。それは苦しみという道だ。」(一九三五年十二月十一日)

この御ことばを仰せられたのは、コンソラータのカルワリオ(ゴルゴタ)が始まる五日前であった。

星がそれぞれ異なるように、聖人もそれぞれ違っていて、御父はご自由に、その御恵みとともに苦しみの贈り物をわけ与えられる。私たちは地上で、苦しみを涙でぬらしながら、感謝はしがたいだろう。だが天上では貴重な苦しみを、喜びよりも、感謝するだろう。コンソラータはイエズスが心の中で働きたもうたので、苦しみに飢えかわき、苦しみなしには生き得ないようになった。そして苦しみと愛の絶頂へ登ってゆくのである。

コンソラータのイエズスヘの愛は、霊魂をあがなう愛であった。「私は神にすべてをささげ、私は神から霊魂のほかは何も望みません!」

一九三六年二月二日、ご奉献の祝日にコンソラータは書いた。

「黙想会が終わりました。私は明朝のミサの間『悲しめる愛』なるイエズスの聖心に自分を献身いたします。……私は神が私のささげものを受け入れ、それを恵みの雨に変えて地上に降らしてくださることを感じます。神の小羊のいけにえに一致して、私は兄弟ばかりでなく、無数の霊魂のために、御あわれみと和睦、ゆるしをいただくでしょう。」

〈ミサ生活の聖変化〉

これまでコンソラータはイエズスと一致し、その御声をはっきり聞きながら導かれ、励まされ、強められて、非常に深い愛の親密のうちに、苦しみの十字架をともに担った。だが次第に霊魂のやみ夜は近づいた。その暗黒の中で霊魂は清められ、純化され、以前よりもイエズスの生き生きした象徴に変化されてゆくのである。

神は続いてコンソラータの心の中で働き、ご苦難、ご死去の責め苦、特に、「神よ、神よ、なぜ私をお捨てになったのですか。」という真に地獄の暗黒の絶頂を経験させてくださった。一九三五年十二月十六日、ご降誕祭の準備の九日間の最初の日から、ミサ生活の聖変化である試練が始まった。イエズスによってよく準備され、特に指導司祭に完全に従うという誓約によって、覚悟はきまっていた。

─イエズス─「十二月十六日月曜日、殉教者聖オイセビオの祝日、ごミサの聖変化の瞬間、私のコンソラータは、もほやコンソラータではなく、イエズスの聖心の苦しみが注がれるいけにえ、屠殺されたいけにえの羊であろう。私はあなたを望みどおり、精神、口、心の完全な慎みによっていけにえとして準備した。

 あなたの供えたいけにえは、沈黙につつまれて、祭壇の上でただひとりいるだろう。だが天国の霊魂は全部その瞬間祭壇を見つめている。のちに、あなたは人々から忘れられ、修道院のだれも気づかぬ沈黙のうちに苦難のすべてが行なわれるのである。」


コンソラータは自分の弱さを感じたが、イエズスに信頼し、一度もそむかないようイエズスに願った。イエズスは答えられた。

「あなたは私が月曜に与える贈り物が何かわかりますか。純粋な愛、絶えざる愛において、私はあなたの心を特別に助け強めてあげる。あなたは、イエズスの聖心のすベての苦しみ、『兄弟姉妹』のためのみのすべての贖罪を受けいれ、承知しなさい。」(一九三五年十二月十一日)

イエズスは聖暦年に従って聖福音や書簡のある部分の内容をコンソラータに深く悟らせ、典礼の恵みの木にちょうどその時節に実った実を収穫させてくださったが、コンソラータのミサ生活の聖変化の前日、十二月十五日は、ちょうど待降節第三の主日にあたっていた。その日のミサは聖パウロのフィリッポ人への書簡四章四節の「常に主において喜びなさい!…主が近づいた!」のことばを繰り返し唱える。その日一日じゅうイエズスはお話しになり、最後の晩さんの遺言のように愛にあふれるおことばをお残しになった。

─イエズス─「コンソラータ、喜びなさい。教会とともに喜びなさい。あなたのいけにえによって、今あなたの『兄弟姉妹』の救いは近づいてきた。」……「コンソラータ、これは私の最後の晩さんのあとの遺言のようだ。私はあなたを愚にいたるまで愛している。同じようにすべての霊魂をも。あらゆる霊魂の各々にくだり、そこへ私の愛の優しさを、あふれるばかりの無数の流れとして注ぎ尽くしたいと、無限に望んでいるが……コンソラータ、あなたは皆に代わって私を愛し、あなたがいけにえになることによって、またあなたの祈りによって、全世界に私の愛の国が来たらんよう準備しなさい!」……

「私の偉大な約束が全部確かに成就されることを確信しなさい。これからは不安、恐れ、戦いの時、こう祈りなさい。『イエズスよ、今はもうあなたが見えず感じられませんが、あなたを信じ、あなたが私と霊魂を、愚にいたるまで愛しておられることを固く信じます。』 コンソラータ、常に覚えていなさい。──私があなたをこれまで愛し、今も愛し、将来も、永遠に、あなたを愚にいたるまで愛するだろうということを。」

十六日の聖変化ののち、イエズスの御声はコンソラータの心から消えた。悲しみに心は満ちてきたが、ご聖体を拝領し、それほど高い位に選ばれた恵みを厚く感謝した。

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