校長室だより ~ 武蔵野の森で紡ぐ友情『明星学苑・スクールライフ』

民間企業勤務から中学、高校、大学など、教育現場へ転じた『キャリアコンサルタント』の日常をお伝えします。

秋の日は釣瓶(つるべ)落とし…

2023年11月29日 05時22分08秒 | 日記

昨日、午後4時半過ぎに外へ出ると、あたりがすっかり暗くなっていて驚きました。1時間ほどの所用を済ませる間に景色が一変した様子に「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」ということわざが浮かんできます。そしてふと思ったのが「今の中高生で、釣瓶がわかる子はどれくらいいるだろうか?」ということ。勝手な想像ですが、1割もいないかもしれないのではないか、そのように思いました。そこでChat GPT先生に「イラストを交えて、このことわざの意味を教えてください」と尋ねたところ、上のようなイラストとともに次の説明がありました。「秋の日は井戸に下ろしたバケツのように速く落ちるという意味で、このイメージで美しく表現されています。このイメージは、秋の静かな日本庭園にある古く風情のある井戸を描いています。夕日が鮮やかな紅葉に金色の輝きを投げかけ、伝統的な木製のバケツが井戸の上に吊るされています。この風景は、秋の日の急速な日没と短い昼間のはかなさを象徴しており、秋の美しさを感じさせる一時的で平和な雰囲気を伝えています。このことわざは、秋の日の日光が井戸に下ろしたバケツのように速く減少するという感覚を反映しています」。

どうでしょうか? ただ、これは「釣瓶」を知っている相手に使って、はじめて伝わる言い回しなので、別の文学的な表現で表してほしいと頼んだら、こんどは次のような文章が返ってきました。「秋の夕暮れは、まるで瞬きする間に過ぎ去る夢のようという表現がふさわしいでしょう」と。しかしながら「まるでというのは、まるで文学的ではない」とクレームをつけると、別の表現が示されました。「秋の日暮れは、黄昏の幕が静かに、しかし確実に下りるようとなります。これは、秋の夜が迫る様子を、一日の終わりを告げる黄昏の幕がゆっくりと下りてくる様子に喩えています。この表現は、秋の日の終わりの静けさと、その刹那的な美しさを、演劇の幕が閉じる瞬間の情感豊かなイメージで捉えています」。そういえば電子辞書が出現した時に、その活用法をめぐって議論がありましたが、生成AIのインパクトはその比ではないでしょう。教育面での活用法について、指導者も学習者も、より良い方法を模索していかなければなりませんね。

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