はい子ちゃんが虹の橋の向こうへ行ってしまったのと
入れ違うようにして、家の周りに生後2か月位の黒猫の子猫
が現れるようになりました。警戒心が強く近寄れないのですが
母が「はい子の生まれ変わりかも」と呟いて餌付け作戦を
開始しました。餌付けて連れてくるのは構わないけど、
その子が生まれた時はまだはい子生きてたんだから
生まれ変わり説には無理があります、母上…
はいこ姐さんが逝ってしまって1日が過ぎました。
突然死だった大ちゃんの時とくらべると、老猫で
見送る覚悟ができていたとはいえ、なんだか落ち着かず
食卓の下など、彼女の過ごしていた場所を何度も見てしまいます。
…と、しんみりジメジメしてる場合じゃありません。遺影用に
写真映りに難のあった姐さんの、「可愛く撮れてる」写真を探さねばなりません。
1997年の秋、うちへ来て2週間くらいの頃。
まだまだいたいけで「姐さん」じゃないはい子ちゃん。
半年後。1998年のはいこちゃん。やたらとりりしい立ち姿。
2002年の初夏。可愛いはいこさん。
同年のはいこさん。すでに貫禄があります。
2002年、監督が初めて買ったデジタルカメラで撮影したはいこさん。
この頃のデジカメは猫など生き物の撮影をするには不十分な性能でした。
ピント合わせからシャッターが切れるまでが遅くて、ブレブレの
写真を量産したものです。(またモデルがいうことを聞かなくて)
大人になってからはカメラにガンを飛ばすので、
比較的新しい写真は「ゴルゴ」と呼ばれる映りです。
可愛く映ってる写真を遺影にするのだと猫のアルバムを
めくっていたのですが母が参加してきたためうっかり単なる
「懐かしのはいこさんの思い出大会」になってしまいました。
遺影はやっぱり2002年初夏のはいこさんかな…
はい子姐さん、2013年7月28日19時10分
永眠しました。
出社前の「行ってきます」がはいこさんへの
最後の挨拶になってしまうという不義理をしでかしてしまいましたが、
白黒コンビや私がそちらに向かうのは多分まだまだ先に
なるのでどうかゆっくり待っててください。
「お供えはロイヤルカナンとカツオをお願いね。」
我が家で一番のシニア、はいこ姐さん。
食っちゃ寝の生活でしたがここ数か月で老衰が進み、
階段の上がり降りもしなくなり食も細くなり、ほぼ寝たきりの
生活になってきました。
「はいこちゃん、来年もいっしょにいられるかな?」
寿命のことはわからないけれど、心穏やかに過ごさせてあげてよね。
あんたたち下2匹、元気すぎてちょっと煩いから。