園城寺中興の円珍(智証大師)が中国留学からの帰途、船中で現れたという新羅明神を祀るお堂です。
新羅善神堂
源義光墓
後三年の役で、都での役職を投げ捨てて兄、源義家のもとに馳せ参じた義光の墓です。
義経の黄瀬川着陣と並ぶ美しい兄弟愛のエピソードですが、兄二人の子らを蹴落としながら勢力を広げていった武将でもあります。
常陸を領しながらも甲斐へ流され、最後は弟が僧侶をしていた園城寺で没しました。
子孫は常陸源氏の佐竹、甲斐源氏の武田、南部、小笠原、三好といった有力大名になっていきます。
なお、義光の名乗りは新羅三郎義光で、ココの新羅明神で元服したためです。
ちなみに、兄二人は、
八幡太郎義家が石清水八幡で
加茂二郎義綱が上賀茂神社で元服しています
新羅善神堂
源義光墓
後三年の役で、都での役職を投げ捨てて兄、源義家のもとに馳せ参じた義光の墓です。
義経の黄瀬川着陣と並ぶ美しい兄弟愛のエピソードですが、兄二人の子らを蹴落としながら勢力を広げていった武将でもあります。
常陸を領しながらも甲斐へ流され、最後は弟が僧侶をしていた園城寺で没しました。
子孫は常陸源氏の佐竹、甲斐源氏の武田、南部、小笠原、三好といった有力大名になっていきます。
なお、義光の名乗りは新羅三郎義光で、ココの新羅明神で元服したためです。
ちなみに、兄二人は、
八幡太郎義家が石清水八幡で
加茂二郎義綱が上賀茂神社で元服しています