かあさん がんばってるからね

肺腺ガンで急逝した妻との26年間の思い出を綴ります。

熊本 ~ 肥後もっこす

2016-04-20 21:53:58 | 思い出
熊本が大変な事になっている

私もおカンも行ったことがない

私は建築屋なので、「加藤清正の作ったお城を見に行こうゼ」という事は話していた

力強くも優美な曲線の石垣を見たかったなあ


私が新入社員でゼネコンに入社して、研修の後で配属されたのが、M所長の現場だった

同期の仲間は、配属先の現場の所長が迎えに来てくれたけど、私だけ電車に乗って現場に向かった

現場事務所に入ると、奥にM所長が座っていた、

松田優作に似た長身のゴツイ人、吊り上ったサングラスをかけている

ぶっきらぼうに電話帳くらいある図面を放り投げて 「見とけ」と

そのあと、「現場を見てこい」と言われた、

10階建てのマンションの3mくらいの深さの基礎を組み立てていた

ヘルメットも忘れていたら、先輩があわてて追いかけて来てくれた


いきなり任されて、何も教えてくれない、高層階では監督は誰も上がって来ない、

炎天下の鉄骨鉄筋コンクリートの現場に、私と職人さんだけ 拡声器で事務所から呼ばれる、

大汗かいて、階段を降りて行くと大したことのない確認と指示

聞こえないフリをすると、後でボロクソに怒られる  

モラハラ、パワハラなんでもあり 殴られそうになった

M所長は熊本 水俣の出身 高卒で中部地方の会社に集団就職で来た

熊本弁でモゴモゴ言われる、聞き返すと怒られるし、聞いたフリすると確かめられるし

それでも頭の良い仕事は出来た人で、徹底的に仕込まれ、鍛え上げられた

何度も辞めようと思った それでも今の私があるのはこの方のおかげと確信している

仕事にはとことん厳しかったけど、可愛がってくれて一杯飲みに連れて行ってくれたし

時々小学生の息子さんに電話している時は、優しい口調だった

工事が完成した時は、社宅の自宅に呼んで、すき焼きをごちそうしてくれた 

奥様もすごくいい人 新卒、未婚の私は 家庭って暖かいんだ と思った


その後、この所長が病気になった、原因不明の膠原病という難病

会社の厚意で、休職期間を延長していた、当時の先輩と現場を回って募金を集めて届けたら

こっぴどく叱られた このあたり誇り高く頑固な 「肥後もっこす」  この性格が大好きだった

やがて、退院して私と同じ部署に配属になった  このときも徹底的にシゴかれた

あるとき、ネットワーク工程表の始まりについて、

私 「太平洋戦争で米軍が日本の島を侵攻陥落する手順だ」

M所長 「月着陸のアポロ計画のプロジェクト進行のツールだ」

どちらも頑固で譲らず、書店まで二人で調べに行った 私が正解だったけど、

M所長は、やせ我慢で認めない

こんなこともあったっけ、尊敬する大好きな人


私が別の現場に赴任して、しばらくした頃、M所長の急死の知らせがあった、

病気療養中でも責任感で無理したと思う

「病気くらい会社で治せ」と言った上司、その後常務になったらしいけど、

それ以来、コイツとは私は一切会わない


「熊本」で 思い出しました


九州新幹線の開通した時の コマーシャルです この2日後に東北震災が起きました 





M所長 あなたの故郷も通って行きますよ






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2 コメント

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Unknown (green)
2016-05-03 22:27:37
どうも 私もゼネコン出身です

私も最初の所長は厳しくて嫌でした
でも 本当は暖かい情の深い所長でした
仕事は大変でしたが先輩にも可愛がられ飲んで遊んだほうです
あの時代がいい時代でした
若き日を思い出します

熊本大変ですね
私も九州新幹線のCMの復活で勇気をもらいました
熊本の人々に頑張ってほしいです
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greenさん (tatsu)
2016-05-05 11:03:39
コメントをありがとうございました

5K(危険+キツイ+汚い+給料安い+カッコ悪い)仕事が

良く勤まってきたなあと自分を振り返ります

おかげで、人間も少し出来たかも知れないし

いまでもお付き合いの続く知人もいると感謝の気持ち

です

greenさん 少し前まで元気がないなと心配して

おりましたが、整理に着手されたご様子にホッとしまし



いつかはしなくてはいけない事ですものね

無理せず進められたらと願っております
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