保坂和志さんの『小実昌さんのこと』という話の中に
こんな文章をみつけた
小説とか芸術というのは、「ビョーキの産物」なのだ。
こういう言い方はじつに誤解が多くて用心しなければいけないのだけれど、そういうことなのだ。
人間というのは、ああも生きられる、こうも生きられる、といういろいろの選択肢から主体的に自分の生き方を決めれるものではなくて、
もとのところは、「こうとしか生きられない」「こうとしか感じられない」「こうとしか書けない」ものだ。
それで、作家の価値というのはどういうことかというと、いままでなかったタイプのビョーキを持ち込むということだ。
もっともらしくいえば、「新しい書き方を持ち込む」とか「新しい視点を持ち込む」とか「新しい世界観を持ち込む」ということだけれど、それは「ビョーキ」ということなのだ。
なんだか すっきりした
勝手な私の抜粋でまとめて ブログに書いてしまったが
この文章に・・私は救われた
こうとしか生きられない私だから・・・・つちびとを作る
こうとしか感じられない私だから・・・ つちびとを作る
いつも・・持て余して・・自分ひとりを抱えきれないくせに・・
それでも・・
こうとしか生きられないことが
少し しんどい・・・誰かに
つちびとを知ってもらいたい
あなた・・一人じゃないよ・・と伝えたい
保坂さんが意味するようなビョーキが・・私の心にも住んでいるなら
だからこその・・そんな世界を・・・創って生きたい
。。。。
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