朝 アジアンタムの枯れた感じの 枝を 家族に手伝ってもらいながら 剪定した
剪定しながら 枝を切りやすく触ってくれない家族に おもった
「これみて 切りにくそうだなって 思えへんかな」。
普通 切りやすく 枝を分けたりするやろう。と 思うやろ。と
まあ 家族なら 情があるから なんぼかゆずれる。
そこで もう一度考えた
これが会社なら 先輩後輩 経験 役職等 「普通」わかるやろ。わかったから 役職あるんじゃないの
わかったから 先輩ズラしてるんじゃないの。って 考えてたなって。
これは いまとなっては 「思い込み」あつかい。
勉強してる途中で 「自分の思い込み」というフレーズに はじめ抵抗を感じたけど いろいろな方面から
「自分に」納得させたら めちゃめちゃ楽になった。
「切りにくそうにしてるのに気づかないのかな」
「いや 気づくやろ。気づいてしないの わざとかな。えっ 私のこと キライなのかな。いや 機嫌でも悪いのかな。」
「私 なにか 機嫌が悪くなることしたかな。なんだろ あれかな。あの時かな。」
これの グルグルで 吐きそうだったな。
でも ちゃんと 勉強したら 「その人の 機嫌の悪さは その人が あなた以外のどこかで機嫌が悪くなっただけかもしれません」
「だた 本当に なにも考えてないだけかもしれません」 と読んだ時 視界がふわぁぁぁぁぁって明るくなって どこまでも息が吸える
いくらでも空気ためてられる って感じたのを 思い出す。
「やつあたり」という言葉を 高校生の時までは覚えていた記憶があるのに どこで 忘れたんだろう。
働いていて お願いしたことを 後回しにされたり 忘れられたり しても いまは 動揺が30%くらいの感じで 生きられている。
私のことを嫌いなわけではない 忙しいだけ あの人の能力がないだけ だと。
でも この「能力がないだけ」というのも しっくりしてない。切り捨てていいのかなと。
でも 私の心を守れるのは 私だけというのは なっとくしたので 仕方のないことなんだ。といいきかせる。
まずは 私。私が 機嫌よくいることが大切。と勉強した。
そして この風の時代に 「普通」はない。詳しくいうなら「私の思う普通はない。昭和の普通はいまはムリ」。と
あっ。太陽星座 山羊座的に とにかく社会で認められることが目的で もちろん その時代が標的だったけど
時代はなんでもいいから 標的はこれからの時代でもいいんだ。
社会で認められることが目的。には まだ 抵抗している。
これを 認められたとき 1ハウスの火星が わっーーーて 元気になるのかな。と書いてておもった。
思い込みで 書いとこ。
ドラマのセリフに。「お前は 俺が お前のことを好きだと 思ったことがあるのか」みたいなセリフがあって
初めから だめだ 無理だ で壁つくると 眼に見えないものをつかむチャンスに気づけないのかと。
「好き」っていわれたら 「私も」っていう準備ができてると チャンスがつかめるっていう 引き寄せの法則か。
このドラマは あいてが グイグイ来てくれる設定で よかった。
日々準備して ぱっといわれて いけます!って いう フットワークの軽さ。
そのために 日々 精進するのか。 理にかなってる。
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