神奈川絵美の「えみごのみ」

遥かなる戦争の思い出

(今日はやけに、母のことを思い出すなあ)

キッチンに立って、そんなことを考えていたら
ああ、盆の入りだった、と気づかされたのが数日前。



このあたりは果樹園が多く、梨がそろそろ出回る時期。
近所の農家兼即売所で、傷があり市中に出せない梨を
格安で入手しました。
ジャムやコンポートに、ちょうど良いのです。

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「ねえねえ、パパって田植え、自分でしたことあるの?」

ひと月前のこと。
実家で「ぽつんと一軒家」を二人で眺めていて
山の中腹に自分で水田をつくり稲作をしている様子が紹介されていたので
何の気なしに、話しかけてみたところ

「あー、子どものころ、やった」

  「おじいちゃん、田畑持ってたの?」

「いやー、親父の、弟の家行って
  山奥の方にあって、そこで米つくってた」

-手伝いをすると、米を食べさせてもらえるんさー

……。

ここまで聞いて、ようやく私は、戦時中の話であることに気づきました。

     「そうだったんだ…。パパ、でも、何歳のころ?」

「あー、5歳っくらいかな」

今年、戦後78年。父は今年83歳だから、5歳は終戦を迎えた年。

これまでに、父から戦時中の話を聞いたことは、2,3回しかありません。
同じ話で「きょうだい5人で食べ物をとりあった。一番下の弟がいつもとれなくて
泣いていた」というもの(父は次男)。

5歳だと、具体的に覚えている話はほとんどないのだろうと思う一方
覚えていてもあまり、話したくないのかも知れない、との思いもあって
私はこの田植えの話を聞いたときにも、深堀りはできませんでした。

だから私にとってはなおさら、戦争は遥かなる昔…というかすでに
教科書上のこと。
語り継げるものがないことに、空虚さをおぼえます。

102歳で亡くなった祖母(父の母)の、3人の兄は全員、出征して全員、戦死して
「自分は亡くなった兄たちから命をもらって長生きした」と祖母は晩年
言っていたと、祖母の葬儀の夜に、父から聞いたんだっけ。

お盆の入りに、20年前に亡くなった母のことが思い出されたのは
意味があることなのかも知れません。
あと6年で、私は母の享年を追い越します。

父を迎えにくるのはもうちょっと、待ってね。と、送り盆の日に伝えるつもりです。

コメント一覧

kanagawa_emi
まるたけさん、読んでくださってありがとうございます。
時代の価値観は命の価値さえ左右するのか、と
今さらながら…ウクライナ、ロシアの戦争からも…
思い知らされます。母親の立場ならなおさら、身を切られる
なんて言葉では追い付かないほどつらいですよね。
祖母の話を思い出して、改めてご先祖さまを自分なりに
供養しようと思いました。
まるたけ
三人の兄が全員出征、戦死。
涙が止まりません。
戦争と言えば、トムハンクスの「プライベートライアン」の冒頭シーンをいつも思い出します。母がキッチンの窓から外をのぞくと立派な車がこちらに向かってくる。それですぐ察知した母。予想は悲しくも当たっていた・・息子二たちの戦死の知らせ。
私も息子二人がいるもので・・・
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